いせ九条の会

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権力によって作られた絶対的権威のシンボルのいいかげんさを物語る/山崎孝

2008-04-05 | ご投稿
【「御真影」など焼却命令 旧海軍、戦争責任を意識か】(2008年4月4日付中日新聞)

1945年に日本が敗戦受け入れを決定した後、旧海軍が天皇の「御真影(写真)」などを含む重要文書類の焼却を命じた通達内容が4日までに、連合国側が当時、日本の暗号を解読して作成された英公文書で判明した。戦犯訴追に言及したポツダム宣言を念頭に、昭和天皇の責任回避を敗戦決定直後から意識していた可能性をうかがわせる希少な史料という。

 関東学院大の林博史教授(現代史)が英国立公文書館で見つけた。

 研究者によると、当時の日本軍が出した文書類の焼却命令は現在、旧陸軍関係の原文が防衛省防衛研究所にわずかに残っているほか、米国立公文書館で旧陸軍による命令の要約史料として若干見つかっている。旧海軍関係の個別命令が原文に近い形でまとまって確認されたのは、今回が初めてとみられる。

 発見されたのは、45年8月16日から22日までの間に、東南アジアや中国などで連合国側に傍受された通達で、計35の関連文書のうち天皇関係は4文書。(ロンドン共同)(記事以上)

参考【御真影】日本では明治期から1945年まで、天皇・皇后の写真のことであった。

宮内省から各学校に貸与され、奉安殿に教育勅語と一緒に保管され、四大節(元旦・紀元節・天長節・明治節)に講堂の正面に飾り、児童(生徒)・職員一同が遙拝した。

学校が火災で焼失したとき、それを取り出せなかったということで、校長が自殺したケースもあり、また、生徒たちに、直視すると罰が当たって目がつぶれるなどとして、見ることを禁じる場合が多かった。また安全のため、学校ではなく町村役場で保管した場合もあった。1920年代より、土蔵や奉安殿に置かれる例が多くなった。

奉安殿に対して、四大節祝賀式典の際には、職員生徒全員で御真影に対しての最敬礼と教育勅語の奉読が求められた。また、登下校時や単に前を通過する際にも、職員生徒全てが服装を正してから最敬礼するように定められていた。

★ コメント 国家の絶対的権威とされた御真影に対して登下校時や単に前を通過する際にも、職員生徒全てが服装を正してから最敬礼するよう要求しておきながら、御真影が権力に都合が悪くなると旧海軍は焼却をしています。これは権力の作り出した権威のいいかげんさ、虚偽性を物語っています。

今日の教育の場における国旗・国歌の強制は、オリンピックで用いられる国のシンボルという意味合いではなく、国旗・国歌が国家の絶対的権威を意味しており、これに対して服従させる意図が込められています。愛国心教育も同じ目的です。