一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『信長は謀略で殺されたのか 』を読む。

2006-02-19 02:47:28 | Book Review
「本能寺の変」に関する数々の〈謀略説〉(光秀の黒幕として、足利将軍、イエズス会、秀吉、家康、本願寺、朝廷などがいたとするもの)を、真っ向上段から粉砕する書。
「本能寺の戦いがどのように展開されたのか、それを実行するまでの光秀の行動はどういうものだったのかなどを、良質な史料で再現する」(本能寺の変の実像を明らかにする)
ことがなおざりにされてきたために、〈謀略説〉が「跳梁跋扈し」たとする著者は、まず、第1部でそれを明らかにしていく。

「本能寺の変」の実像は、本書を読んでいただくとして、そこでの結論は〈光秀単独犯行説〉以外には、ありえないとするもの。
そもそも、世間に流布している光秀像そのもののにバイアスがかかっていると著者は指摘する。
「はなはだ決断を秘し、戦術にきわめて老練で、非常に性急であり、劇昂はするが、平素はそうでもなかった。彼はわずかしか、またはほとんどまったく家臣の忠言に従わず、一同からきわめて畏敬されていた」
というのは、信長に対する評価ではなく、フロイスが描いた光秀像(「高柳光寿氏は、光秀は決して保守派ではなく、合理主義者でもあったから、信長ともウマが合って、あのように重用されたのではないかと言われたことがある」)。

「本能寺の変」は、その光秀が起こしたクーデターである。
動機は「野望」と「怨恨」との入り混じったもの。
「光秀の謀反の動機を野望説と怨恨説とに分けて、二者択一を迫るという従来の発想は、人間の複雑な心理、ひいては歴史というものの複雑さを理解する姿勢に欠けているように思われる。」
〈謀略説〉の最大の欠陥は、次のような点だと、著者は指摘する。
「光秀と黒幕がどのように接触し、どのように連絡を取り合ったのか、彼らが長い間、どのようにして秘密の漏洩を防ぐことができたのかといった、基本的かつ現実的な疑問を完全に無視ないし回避していることである。」
第2部は、個々の〈謀略説〉の批判に移る。
小生が目を通した書物もあるが、確かに、この批判に耐えうるものではないだろう(「謀略説」史として読むと、それなりの発展もあって面白い)。

このように、きわめて真っ当な論理であるが、これによって〈謀略説〉を信じている向きに、それが誤りであると納得させることは難しいであろう。
というのも、〈謀略説〉は、ある種の社会的心理によって支えられているために、論理によっては〈信念〉を変更させることが不可能に近いからだ(トンデモ学説や偽書の信者を説得させることの難しさを想起)。

鈴木真哉、藤本正行
『信長は謀略で殺されたのか-本能寺の変・謀略説を嗤う』
洋泉社(新書y)
定価:本体780円(税別)
ISBN4896919955