一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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ナショナリズムの応用問題 その13

2006-02-23 00:25:29 | Opinion
「長崎海軍伝習所之図」

佐賀藩には、1781(天明1)年に開設された弘道館という藩校があった。
教員は、すべて儒者であったが、他の藩校とは異なり、儒学一辺倒の偏狭な方針はとらず、藩のために役立つものであれば蘭学も積極的に学ぶべきものとされていた。
これも、フェートン号事件が佐賀藩に与えた影響の一つであろう。

また、蘭学専攻の学校「蘭学寮」も1851(嘉永4)年に開設される。中心となったのは、長崎の鳴滝塾、ついで大坂の適塾での同門の蘭学者、大石良英、大場雪斉の二人であった。ここでは、蘭学のみならず、英語圏の文化にもいち早く目を向け、長崎には「到遠館」という英学塾も設けることになる。

このような動きの中から、1855(安政2)年、長崎に海軍伝習所が開設されると、いち早く48名もの藩士を派遣させることになるのである(幕臣は40名)。

したがって、戊辰戦争でも佐賀藩の海軍技術力は高く、函館戦争での海軍の総指揮官(参謀)の一人は、佐賀藩士・増田虎之助であり、副参謀や各軍艦の艦長にも、佐賀藩士の名が目立つ。
また、彼らの中からは、後に明治海軍の将官となる人びとや、明治の近代科学技術分野での高級官僚が出てくる。