一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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ナショナリズムの応用問題 その6

2006-02-12 04:05:06 | Opinion
林櫻園の弟子たちによって引き起こされた
「神風連の乱」本陣跡の碑

それでは、「外敵から日本国を守る」というのはいかなることか。

領土に外敵を一歩も踏み入れさせないことなのか。
それとも、何らかの「日本」独自のものを崩させないということなのか。
はたまた、外国からの文化の影響を、一切受け付けないということなのか。

当初、「外敵から日本国を守る」というのは、それらすべてを含んでいた。

しかし、第1と第3の路線は、やがて不可能なことが明らかになる。武器体系の優位は、外敵にあることが分ったからだ。そのためには、敵の武器体系を受け入れざるを得ないことになる。
そこで「大攘夷」ということばが生まれる。
つまり、当面は外敵と同等あるいは優位な武力を整えることとし、しかる後に真の攘夷を行なう、というものだ。

そこで残った守るべきものは、「国体」*ということになる。
*「皇国には神聖ありて、然る後に蒼生(そうせい:人民)あり」(吉田松陰『講孟余話』)

この路線は、そのまま明治新政府の「富国強兵」政策から、アジア・太平洋戦争にもつながっていく。
しかし、別の可能性はなかったのか。
いや、あった。

以下、いささか長くなるが、渡辺京二『神風連とその時代』に書かれた、肥後の国学者・林櫻園(1798 - 1870)の思想を紹介しながら、その可能性をみていきたい。

「櫻園は焼土戦争の灰燼の中から、ヨーロッパ文明との接触にたえうる国民的なエートスが誕生することだけを期待してい」た人物である(櫻園と平田篤胤とに、晩年の三島由紀夫は興味を持っていたようであるが、渡辺の問題設定は三島と異なる方向にある)。

渡辺京二
『神風連とその時代』
葦書房
定価:本体1,800円(税込)
(1977年初版発行。現在絶版か?)


(続く)