一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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ナショナリズムの応用問題 その8

2006-02-15 09:49:22 | Opinion
ペリー艦隊の旗艦〈サスケハナ〉"Susquehanna"

渡辺京二『神風連とその時代』から引く。
「日本人が独立自尊の民族たりうるかどうかだけが、彼(林櫻園)にとっての問題なのである。」
櫻園の「攘夷」とは、それ以外の何物でもない。
「開港が問題なのではない。それが武力恫喝による強制であることが問題なのである。彼が保持したいのは『国を開くも鎖(とざ)すも我望む侭(まま)』』という主体性である。この主体性を脅迫によって蹂躙された結果としての開港は、たとえそれが亡国を回避する現実的方便であっても、精神的亡国につながると彼は考えるのである。」

〈国民攘夷戦争〉こそが、櫻園の願った「攘夷」の本質。
であるから、長州への4か国連合艦隊の砲撃の際も、薩英戦争の時も、「天下有志の徒、二州の急に赴(おもむ)かざりしを」憤った。

ここで吉田松陰を思い起してもよいであろう。そこにあるのは、
「僕は忠義をする積り、諸友は功業をなす積り」(正月十一日の某あて書簡)
という有名なことばと同一の精神が表れているのではないのか。

ある意味で、櫻園も松陰も、革命者であり、かつ原理主義者であったのである。
この点で、松陰の師でもある佐久間象山とは、明快に異なる。
「浦賀の地等の乱妨(らんぼう)は、如何程(いかほど)の事にても、高(たか)の知れたる事に候えども、自然内海に乗入れ、お膝元へ一発も弾丸を放ち候事御座候わば、大変申ばかりもこれなく候。」(望月主水宛嘉永六年六月六日付書簡)
と書いた象山は、
「彼に大艦あらば、我も亦(ま)た大艦を作るべし、彼に巨砲あらば、我も亦た巨砲を造るべし。」
と「攘夷のための開国策」(「大攘夷」)を主張した。
象山の現実主義は、ついに「西洋近代を超える文明的な原理」を主張しえなかった。いや、むしろ西洋近代に追随し、自らも機会があれば砲艦外交を近隣諸国へ採りかねない路線なのであった(明治政府の引き起こした「江華島事件」を想起せよ)。

(続く)