「私たちは幕末の歴史を振り返ったとき、一つの疑問を感じます。という表現が冒頭(「はじめに」)から出てきます。
それは誰が見ても正しい選択であるはずの「開国」「文明開化」という方向に進までに、なぜあれほど長い時間がかかったのかという疑問です。」
しかし、「開国」にしても「文明開化」にしても、その方法にはいくとおりもあることは、完全に捨象しているんですね(本文を読めば、それは明らか)。
どこかで聞いたような論法だな、と記憶を探ると、わかりました。
わが国の宰相と同じなんです。
問題をごく単純にしてしまって、それへの賛成か反対かを問う、しかも反対者には「守旧派」という烙印が押されるという前提付きで。
例の「郵政民営化に反対ですか」「それなら、あなたは守旧派なのね」「あなたは私の敵だから、選挙では公認しません」という論法です。
ここでは、郵政民営化の方法や手順については、何も議論がなされない。
まず「郵政民営化」というスローガンあり、というわけです。
井沢氏の論法は、完全にそれと同じ。
まず「開国」「文明開化」は「善」とする。その方法が複数あることは、問題にすらしない。
{「開国(1)」「開国(2)」……「開国(n)」}
対
{「攘夷(1)」「攘夷(2)」……「攘夷(n)」}
ではなく、もう簡単に「開国」(=「善」)ですから、「攘夷」(=「悪」)という図式が見えてくる。
たしか、井沢氏は推理作家でした。
推理小説の関連分野であるSFにおける、外挿法 (エクストラポレーション: extrapolation) という方法論をご存じないのでしょうか(もっとも、推理小説とSFとは相性が悪いという説もありますが)。
井沢元彦
『「攘夷」と「護憲」―幕末が教えてくれた日本人の大欠陥』
徳間文庫
定価:本体571円(税別)
ISBN4198923442