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鈴倉インダストリーのこと

2007年04月19日 | アパレル放談
先の鈴倉インダストリーの民事再生の報を知った時に少なからずショックを感じました。
直接的には深い付き合いはありませんが、何度か栃尾の会社を訪問し、前社長から「撚糸」に関しての「想い」をよくお聞きしました。
創業は明治時代とお聞きしました。
帝人との合繊の草分けの時代のことや対米のメンズのポリエステルスーツ地の大ヒット、インドネシアへの技術供与の話などお聞きしました。
小松精練、セーレンなどの加工業社の直販は今では主流になっていますが、鈴倉さんは早くから着手し、先輩格と言えましょう。

日本の合繊の一つの歴史に翻弄された企業のひとつと言えなくもありません。
合成繊維の詳しい知識は有りませんが、「ナフサから取り出した単なるなま糸」を「撚糸や加工の技術で素晴らしいファッション商品」にするものと私は理解しています。

鈴倉さんを訪問する時の楽しみがありました。
鈴木前社長が案内していただく撚糸工場を見学することでした。
私の記憶では当時第6工場まで在りました。

そろそろ中国の陰が忍び寄る頃でしたが「合繊における撚糸に対する想い・信念」のようなものを感じました。

私が興味を持ったのは、近代的な高速撚糸機ではなく、木製で出来たような、古いイタリアの撚糸機でした。
合理化を目指す高速撚糸よりも、時間をかけた低速の撚糸機に魅力を感じました。
その古いイタリア撚糸機の持ち味を熱心に語っていただきました。
栃尾地区に点在していた古いが味のある糸を作れる撚糸機をコツコツと集めているのだと切々と話しておられました。

当時は新合繊のブームでしたが、その後、時代はそんな物つくりを要求していなかったのかも知れません。

小松精練やセーレンなどの合繊の加工業社は産業資材に転換を図り生き残りに成功しました。
鈴倉さんもインテリなどの産業資材関係に着手されていたようですが成果を見なかったようです。
度重なる天災の影響も大きかったようですが、案外「鈴倉さんの撚糸に対する想い」が、大胆な転換に影響したのかも知れません。

近日中に再生計画案が出るようですが、願わくば「日本の合繊の生き残りに切っても切り離せない撚糸(加工も含む)の貴重な設備」が失われないような再生計画を期待したい。
負債の詳しい内容はわかりませんが、私の想像では、金融関係と合繊メーカー・大手産元と思われます。

一破綻企業の再生計画と言うのではなく、「高付加価値のある日本の合繊業界の再生」につながるような民事再生案になることを期待します。


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