「自分の限界は自分がつくる」って、
上司や先輩が部下や後輩を叱咤激励するときに、
よく使う言葉だ。
この言葉、営業マン時代は
「もっと売れ。数字をあげろ」
というふうにしか聞こえなかった。
「お前はまだがんばりが足りない。まだやってない。」って
責められている威圧感だけがあって、腹に落ちないフレーズだった。
それはきっと、“稼ぎ”のためだけに仕事をしていたからだ。
それが、自分がこんな社会にしたいというビジョンに
つながっている”働き”のための仕事になったとたんに、
心から納得できるフレーズに変わった。
「R水素社会を一日も早く実現する」っていう目標に近づくチャンスは
どこに転がっているかわからないんだから、
自分で勝手に限界をつくっている場合じゃない。
そう思えるようになった。
だから今、目上の人に、
「自分の限界は自分がつくる」って言われると、
私は目をキラキラさせてしまう。
「この人は、私が自分で無意識のうちにつくっている
限界をどうやってこわしてくれるんだろう!」ってワクワクするから。
数年前の私のように、「自分の限界は自分がつくっている」と言われて
心地よさよりもプレッシャーやストレスを感じている人がいるなら、伝えたい。
一日も早く、「こんな社会にしたい」という大きなビジョンを見つけてほしい。
そのために、「自分のやりたいこと」ではなく、
「誰の役に立ちたいのか」「何を守りたいのか」ということを、
必死で考えてほしい。
たとえば、私はサーフィンが大好きで、
サーフィンは「自分がやりたいこと」だけど、
サーフィンだけやっていても、はっきり言って空しい。
だけど、本当に海とサーフィンが大好きすぎるから、
そのワクワクして幸せな気持ちと、
社会に出てみて感じた閉塞感や違和感や嫌悪感とのギャップを、
「社会なんてこんなもんだ。サーフィンは週末の趣味でいい。」って
ごまかさないで、見つめ続けた。
営業マンや編集者として、動きながら、見つめ続けた。
そうして辿り着いたのが、
「人と自然が大切にされる社会にしたい。みんなが、
『人間は自然に生かされている』って意識しながら生きる社会にしたい。」
というビジョンだった。
自由人っていうのは、自分のやりたいことだけやっている人じゃない。
自由と背中合わせにある、社会に対する責任の果たし方、その方法論を、
自分で編み出して実行している人のことだと思う。
そして、社会に対する責任の果たし方がビジョンで、
方法論が職種、つまりお仕事だと思う。
だから、サラリーマンでも自由人はいるし、
フリーランスでも自由人じゃない人もいる。
私は、自由人でありたいと思っている。
フリーライターというお仕事は、私にとって
金猛営業マン時代や忙殺編集者時代を経て辿り着いた、
現時点で(あくまでも現時点で)最高の、「方法」だ。
「自然と人間が大切にされる社会にしたい」というビジョンに
向かうために編み出した、フリーライターという「方法」が
R水素(無尽蔵の自然エネルギー革命)という
「具体的な目標」と結びつくことによって、
私はすごく満たされて、充実したおしごとライフを送っていた。
そうしたらなんと、船に乗って地球を一周するチャンスが巡ってきたのだ!
長くなったのでつづきはまた。
すべての出会いに感謝。ありがとう。
上司や先輩が部下や後輩を叱咤激励するときに、
よく使う言葉だ。
この言葉、営業マン時代は
「もっと売れ。数字をあげろ」
というふうにしか聞こえなかった。
「お前はまだがんばりが足りない。まだやってない。」って
責められている威圧感だけがあって、腹に落ちないフレーズだった。
それはきっと、“稼ぎ”のためだけに仕事をしていたからだ。
それが、自分がこんな社会にしたいというビジョンに
つながっている”働き”のための仕事になったとたんに、
心から納得できるフレーズに変わった。
「R水素社会を一日も早く実現する」っていう目標に近づくチャンスは
どこに転がっているかわからないんだから、
自分で勝手に限界をつくっている場合じゃない。
そう思えるようになった。
だから今、目上の人に、
「自分の限界は自分がつくる」って言われると、
私は目をキラキラさせてしまう。
「この人は、私が自分で無意識のうちにつくっている
限界をどうやってこわしてくれるんだろう!」ってワクワクするから。
数年前の私のように、「自分の限界は自分がつくっている」と言われて
心地よさよりもプレッシャーやストレスを感じている人がいるなら、伝えたい。
一日も早く、「こんな社会にしたい」という大きなビジョンを見つけてほしい。
そのために、「自分のやりたいこと」ではなく、
「誰の役に立ちたいのか」「何を守りたいのか」ということを、
必死で考えてほしい。
たとえば、私はサーフィンが大好きで、
サーフィンは「自分がやりたいこと」だけど、
サーフィンだけやっていても、はっきり言って空しい。
だけど、本当に海とサーフィンが大好きすぎるから、
そのワクワクして幸せな気持ちと、
社会に出てみて感じた閉塞感や違和感や嫌悪感とのギャップを、
「社会なんてこんなもんだ。サーフィンは週末の趣味でいい。」って
ごまかさないで、見つめ続けた。
営業マンや編集者として、動きながら、見つめ続けた。
そうして辿り着いたのが、
「人と自然が大切にされる社会にしたい。みんなが、
『人間は自然に生かされている』って意識しながら生きる社会にしたい。」
というビジョンだった。
自由人っていうのは、自分のやりたいことだけやっている人じゃない。
自由と背中合わせにある、社会に対する責任の果たし方、その方法論を、
自分で編み出して実行している人のことだと思う。
そして、社会に対する責任の果たし方がビジョンで、
方法論が職種、つまりお仕事だと思う。
だから、サラリーマンでも自由人はいるし、
フリーランスでも自由人じゃない人もいる。
私は、自由人でありたいと思っている。
フリーライターというお仕事は、私にとって
金猛営業マン時代や忙殺編集者時代を経て辿り着いた、
現時点で(あくまでも現時点で)最高の、「方法」だ。
「自然と人間が大切にされる社会にしたい」というビジョンに
向かうために編み出した、フリーライターという「方法」が
R水素(無尽蔵の自然エネルギー革命)という
「具体的な目標」と結びつくことによって、
私はすごく満たされて、充実したおしごとライフを送っていた。
そうしたらなんと、船に乗って地球を一周するチャンスが巡ってきたのだ!
長くなったのでつづきはまた。
すべての出会いに感謝。ありがとう。