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地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

愛しき妖怪たち。

2012年06月17日 | 自分日記
海に入りました。

それでふと思ったことなんですが、
ウミっていうのは、妖怪だらけの異界ですね。

いったい外に見えているパーツのどこがどう機能して生命を維持しているのか、
さっぱり見当もつかないヤカラがうごめいている、そんな世界です。

母なる海というぐらいだから、
つまりは生き物にとって、たいへんに居心地のいい環境なんでしょうね。
だから、もう、なんでもあり。別に目なんかいらないよ。とか、
手足なんてなくてもやってけるよ。
光合成できないけど、だからって自分から動く必要もないよ。って人(人?)もいて、
あのような妖怪が跋扈する魑魅魍魎の世界になったわけなんですね。
うむ。納得。うらやましい。

ところが、これが、ときに絶句するほど美しい。
気高い紫の珊瑚には全身に紫の斑点をもつ小魚が。とその先では、
芥子色の珊瑚にセルリアンブルーの小魚が。
おお!見事な補色!
誰の手になるデザインでしょうか?
それも、立体的で動的な、インスタレーションのデザイン。

インクで固定されたグラフィックでは太刀打ちのできない
奥行きとドラマ性がそこにあります。
偶発性と無常性が織りなすドラマが。
いつだって、いきなりだからね。
いつだって、一回こっきりだからね。

八重洲と丸の内の間には、いつだって東京駅がある 
っていうわけにはいかないからね。
水族館に行けばジンベイザメに会えるっていうのとは、
根本的に違う世界だよね。

泳ぎ疲れて、ふっと腰を下ろした珊瑚岩に目をこらせば、
無数の穴に、無数のカニ。
小さいということに関してはどれも同じなんですが、
小ささの多様性がすごい。
精密機械の部品のように、穴にぴったりとはまっている。
そして、ちょろっと体を半分だけ、出してくる。
触れようとすると、ひっこむ。
それも、穴の入り口をこれまたぴったりとふさぐように、
引っ込む。
なんなんだ一体!

破れた波が行き交う潮だまりには、稚魚の雲。

ああ。豊か。

ウミは、生み?
リクは、母なる海からの離苦?

陸という乾いた世界を生きて行かねばならない
運命を背負った生き物、それが人間なのですね。

mixi日記リバイバル--ウコンは吹いちゃいけません。

2012年06月14日 | 自分日記
島の仕事で、昔竹富島を旅したあとのmixi日記を探していて、偶然見つけた他の記事。
自分的におもしろかったので、こちらでリバイバルw


             **********

2008年1月31日

しつこいようですが、
昨日に引き続きどんちゃん話。

年末年始は八丈島でサーフィン三昧だったわけですが、
サーフィンは昼間にするもの。

じゃあ夜は何をしてたかというと、
やっぱり飲んでました。
私たちが泊まった宿は、なんと焼酎が飲み放題という
願ってもないサービス付き。
その上囲炉裏があったりなんかして、
コップにどんどん注がれる情け嶋を囲炉裏でわかしたお湯で割って
ぐいぐいと気持ちよく空ける毎日でした。

そんなある日、
宿のおばちゃんが黄色い粉末を出してきました。
そう、日頃お世話になってる二日酔いに効果テキメンのあれです。
最初は焼酎をうこん割りにして飲んでいたのですが、

そこらじゅうが酔っぱらいだらけになってしばらくしたところで、
誰かが後ろから私の肩をたたきました。

ん??とご機嫌で振り向いた私。
もしかすると、サービス笑顔すら浮かべていたかもしれません。

目の前には、トランペット顔のYっっくん。
「Yっくん何その顔!」と思った瞬間に、
目の前が黄色い霧におおわれたのです!

Yっっくんによるうこん噴射テロです。

そこからはおちゃわんのうこんをスプーンで
男どもの口に入れまくるPロリと
それを噴射しまくる男ども、そして逃げ惑う私。。。
という地獄絵図となりました。

部屋から逃げようとガラスの引き戸を開けようとしたのに、
しっかり引き戸を封鎖しながらガラス越しに見下ろす後輩!
悪い夢です。

そのうち、うこんの被害は供給係のPロリの身にもふりかかり、
やけくそPろりはうこんまみれの顔をI澤氏の白いTシャツに押しつけ・・・
結局みんなまっきいろになって夜は更けていきました。

翌日、部屋の枕もPロリの頭の地肌もまっきいろ。

そして、やさしいおばちゃんに
「もう うこんを吹くな」とたしなめられる26歳~29歳の
いい大人たち・・・。ヒドい。


でも
パイ投げ的な(やったことないけど)
あり得ないことやっちまえ的な楽しさがあったのは確かです。

名前のない浜。

2012年06月08日 | 自分日記
関わることになったプロジェクトが始まり、本格的に久高島に通い始めた。

久高島って?という方は、連載「コミュニティデザインの現場から」を読んでみて下さい。

離島に根付いて11年の先輩チェンジメーカーが語る「久高島にしかない幸せな未来への鍵」
久高島土地憲章が象徴する自然観 海と大地と太陽への感謝から始まる島の文化を「仕事づくり」で守る

学生時代こそ、鎌倉ひとすじに海通いをしていたものの、
社会人になってからは、休みのたびに、あちこちの海に飛んでは帰り、
ふだんの週末も、千葉や茨城や湘南を走り回って、海での時間を過ごしてきた。

そうではない関わり方を、久しぶりに始めている。

で、結論。

やっぱり一途がいい、という話。

自然って、そうカンタンには、とびきりの笑顔を見せてくれないんだ。

愛しさって、訪れるたびに変わる表情を、おくゆきふかく知ることで、醸し出されてくるものなんだ。

昨日の夕方、仕事を終えて、いそいそと浜に出かけた。

そうしたら、前の晩になにげなく通り過ぎた場所で、ヤドカリたちが寄り合いをしていた。
別に大好物のアダンの実に群がっていたわけじゃない。
本当になんにもない場所で、大小15匹ぐらいのヤドカリが、体ごと寄せ合って、
もぞもぞしていた。
なんだか秘密の集会をのぞいちゃったような気分。
もちろん、まわりには(人間は)私しかいない。
私の方がよそものだ。

前の晩は、ヤドカリ寄り合い所の先に、
月が光の道をつくる絶景が広がっていた。
月明かりの青い夜に、アダンの葉影に縁どられた空と、
ぽこりと浮かぶ月、海に揺らぐ光の道がそこにあった。
それはもう、完璧な構図で。

2つとも、同じ浜。
なまえのない、私にとっては私の、浜。

鎌倉の海も、いやきっと世界中の海や、海だけじゃなく森や林も、
もしかしたら畑や田んぼも。すべての自然は、
本当にころころと、表情を変える。

そして時たま、とてつもなく神々しく輝く。
そんなとき、やられちゃうのは人間のほう。

変わり続けるのが自然。

ふと、我が身を振り返ってみると、
それはまるで私の心のありようみたいだ。

そうか。

だから、やられちゃうんだね。

街のビルやパソコンたちは、変わらずにそこにあって、
毅然とした様子で昨日と同じ機能を果たしていて、
とても信頼できるのだけど、
そのかわりに、揺らぎがなく、
固定しているその感じが、息苦しいんだ。
だって、私は変わり続ける心をもった人間だから。

でも、その自然が変わり続けるということは、
同じ場所に飽きるほど通ってみなければわからない。

そのことに、久しぶりに気がついた。

雨ではるかかなたまでぴちょんぴちょん沸き立つ海も、
夏の西日で空と雲ごと炎上する豪華絢爛な海も、
真冬の、寒いばかりでおもしろくもなんともない白っ茶けた海も、
どれもが鎌倉の海で、その「全体の感じ」に、惚れ込んでいる。
移り気でわがままで無邪気で天真爛漫に美しく、大きい、全体の感じに。

名前のない浜と、そういう付き合いを、久しぶりにできそうでワクワクしている。

「社会的課題の解決」と「インターネットの効能」についての考察

2012年02月13日 | 自分日記
IT革命によってインターネットというインフラ登場しました。新たなインフラ上に、ありとあらゆるサービスやコンテンツが生まれました。サービスやコンテンツの魅力はインフラ拡大を呼び、インフラ拡大がサービスがコンテンツの充実を呼ぶというポジティブ・スパイラルが始まりました。

埋もれていたアイデアがたとえ小粒でも、ビジネス化しやすくなりました。初期コストや顧客と出会うコストが安上がりになったからです。
結果として、パソコンさえあれば食べていける人々が増えました。
それにより、意識の変革が起きました。
依存から共存へ。
帰属から自立へ。
インターネットが、人の意識を変化させました。

時を同じくして、地球の生態系は危機に瀕していました。
森が枯れ、土が去り、海は侵され、川はひからび、氷河は溶け、地下資源が容赦なく掘り出され、雨は乱れ、マネーは暴走し、人々は持てる者と持たざる者に分たれ、子どもが飢え、売られ、奪い合い殺し合っていました。

社会全体が、破滅や、その手前の極限状態に向かって、目をつぶったまま暴走していることに気がついた、気がつく余裕があった持てる者の一部で、社会の課題を解決しようとする人が増えました。

ふと横に目をやると、そこにインターネットがありました。
社会の課題を解決するためのグッドアイデアが、拡がりやすくなりました。
社会の課題を解決しようとする人どうしがつながりやすくなりました。
誰もが情報発信できるようになったことで、社会の課題を解決しようとする人が少しだけパワーアップしました。

とここまで書いて、ふと疑問が浮かびます。
社会の課題とはなんでしょうか? 
権力による暴力?

誰かにとっては問題でも、誰かにとっては問題ではない、ということはたくさんあります。というか、世の中、ほとんどがそういうこと。そんなことだらけです。(そんな状況の中で合意形成をするのが本来の政治ですよね。)

誰もが目くじらをたてる、たてなければならない本当の問題ってなんでしょうか?
これよりこっちのほうがいい、というのは状況の改善で、
絶対にこれだけはだめなのに、それが起きているから止めなくちゃ、ということ。
状況の改善にかまけていないで、本当に解決しなきゃいけない課題って何でしょうか?
絶対にだめなこと 誰にとってもだめなことって何だろう?


つづく

2012年になりました。その3

2012年01月03日 | 自分日記
ようやくスイッチが入ってきた。

つまり、今日のやることリストに
2012年の計をブログに書く。とあって、
さっきから私はその、
自分で自分に課したタスクを忠実に遂行しようとしているわけです。

ところが、どうも思考が中心に向かって行かない、
散漫な状態だったわけです。

思うところ、
思考というのは、
原子の粒みたいなものがふわふわと脈絡なく
脳という宇宙に浮遊しているんですね、最初。
そこに、うずまきをつくる、そう、ちょうど洗濯機の芯のようなものを
投入すると、最初はゆっくりと全体が回り始める。
徐々に加速して、中心に向かってぎゅっと凝縮して、
核心にせまっていく。
やがて、星ができる。

そんな感じ。


で、今日の私は、やっと星ができ始めました。


その1とその2は、
未来を想像するために、過去を掘り起こして、
底に沈殿していた原子の粒をまずはたくさん、
中空に漂わせるところから始めていたんだ多分。

さてと。

私の人生の目的は、
一編の詩を残すこと。


ことばの力で、人がありのまま生きることを支えること。


だそうです。今日できた星によると。


だから、2012年も、日々それを実践し、
目的に向かってゆるやかに進んでいけばいいのです。


「つらい思いをするのは、つらい思いをした友達の話を親身になって聴いてあげられる自分になるため」
これは10代から20代にかけて長く付き合った彼が、私に残した最高の一言。
今思い出した。なかなかいいこと言うじゃないか。


この人生に起きるどんなできごとも、いつか誰もがつらいときに、
もう一度顔を上げて歩き出す助けになるような詩を残すための
ステップになるんだね。
どんなできごとも、ないよりは、あったほうがいい。

だから、今年も私は、なるべく
波風がある方に向かっていって、
波に乗ったり風にのったり、
時にのまれたり流されたりして
積極的に翻弄されていきたいと思います。

そして、今思ったけど、できれば
自分から波風を立てていきたい。

もうひといき!次はもう少し具体的なことを書く。

2012年になりました。その2

2012年01月03日 | 自分日記
その1のつづき。

ブレイク中に気付いたこと。

今、料理がわりと好きで、調味料は無添加のものを選ぶようにしていたり、
玄米を食べていたりするのは、もうすっかり私の一部で、「普通」のことだけど、

この「普通」は、ブラウンズフィールドでの徹底したオーガニック玄米菜食生活が
あったからなのは間違いない。
それまでは、平出油屋も醤油や味噌や酒がどうやってできるのかも、
ズルなしでつくった油や調味料がどれほどおいしいかも、知らなかったもの。

それに、それまでは私にとって、料理はなんだか、わざとらしいものだった。
プロフィールの特技とか趣味の欄に男受けをねらった女子が書くもの、みたいな。
(そして私はそんな女子じゃないもん的な気負い。うざい。ゆがんでましたねー笑)

そんな歪んだ料理観に、
デコさんの「食べたいものを食べるには自分でつくるのがはやい」という一言は、
ガツンと効きました。
その日あるものでなんかしらチャチャッとつくって食べればよい。
たまに気合いを入れて、美しくつくってたのしむ。
基本、玄米とみそ汁と漬け物があればよい。
米を主食にできているのは、日本が水と土に恵まれているからで、
決して当たり前ではない幸せなことだ。

そんな感じになりました。

ブラウンズフィールドには料理を習いに行ったわけじゃない。
持続可能な暮らしのあり方を実践しに、学びにいった。
だけど、卒業して数年たっても残ったのは、食習慣や食思想だったりする。
ま、単純に、食いしん坊だってだけのことかもしれないけど笑






えっとそれでなんだっけ。






沖縄に来てからの1週間は、毎日泣いていました。
取り返しのつかない悲劇に対するショック。
こうなる前に止められなかったという無力感。

そんなある日に鏡を見たら、
なんか目の向きとかが左右対称じゃなくなってて、
「ヤバい。狂うのか。」と思いました。

途中で鎌倉で知り合ったばかりだった子が、
メーリングリストで「沖縄に行きます」と。
早速連絡して那覇に会いに行き、
顔を見た瞬間えも言われずホッとした。

ごはんを食べながら、
アダルトチルドレンの話をしました。
彼女によれば、私はアダルトチルドレンなのだとか。
幼稚園生のときから小学校受験が始まって、
絶対評価による肯定ではなく、
相対評価による否定にさらされた子ども時代のことなんかを
話していたんだね、そのとき。

ありのままの自分を受け入れてもらえなくて
さびしいままの小さな浅倉彩がまだ私の中にいて、
その子が無意識のうちに、ふつうに幸せになることを拒否しているんだそうです。
(ちょっと心当たりあり)

その後、彼女と同じ那覇のゲストハウスに移り、テレビとツイッターにかじりついて
ゲンパツの情報を集めずにはいられない時間が、「まわりに人がいる」という状態によって
だいぶ中和されました。
そして、彼女が色んな人に会わせてくれた。
「自然エネルギーのことをやっている人」として。

怒涛の出会いの渦がそこにありました。
自立していて、覚醒している人たちとの。
あれは、今までに経験したことのない感覚でした。

この経験が、
「自分の軸と人とのつながりさえあれば、
どこへ行っても笑って生きていける。」
という信念を完成させたような気がします。

ところで、沖縄行きのチケットを取った3月4日の手帳には、
こんな絵が描いてあります。



久高島。

まさか通って取材して記事を書くことになるなんて夢にも思いませんでした。

琉球大学。

まさか非常勤職員としてお仕事をすることになるなんて。

人生は不思議なご縁がすべてなのです。

2012年になりました。その1

2011年12月28日 | 自分日記
2012年になりました。

沖縄の空気が優しいせいでしょう。
正直なところ、「節目」の感覚が入ってきません。
元旦を過ごした久高島は旧暦が公の暦で、
グレゴリオ暦の1月1日はなんでもない日、だったからかもしれません。
そもそも、ここ最近は、数年~数百年単位のダイナミックな時の流れの中の一点としての今を、
歴史が大きく塗り変わる地響きとともに感じて生きているので、
綿々と続く「今」のうちの一瞬、一日でしかない、という感覚です。

とはいえ、数年前から心待ちにしていた年の始まり。

何か書いてみようと思い立ちました。


私自身について。
できれば希望、のようなものをふりかけて。

人生、3年ひとくぎり、という感覚があります。
その枠でいくと、2009年1月4日に脱東京して、
フリーランスになって、
ブラウンズフィールドに飛び込んでから、今日でちょうど、
3年が経ちました。
ひとくぎりです。

この3年をひとことで表現するなら、
「基礎づくりの期間だった」という感じ。
目に見えない基礎。マインドセット。揺るがない信念や価値観のようなものを
じわじわと増殖させ、気体から液体、液体から固体へとつくりあげてきた過程。

まずは、フリーランスという働き方の不安定さとの折り合いのつけ方。

サラリーマンと比較するから不安定なのであって、
慣れてしまえば、人生、不安定なのが当たり前だし、
激流は、両手両足が遊んでる方が泳ぎやすい。
いきなり来るチャンスボールを俊敏につかまえられるよ。
それに、不安定さがサバイバビリティ=クリエイティビティを刺激するんだもんね。

などと今でこそ、スコンとのんきにやってますが、
当初はやっぱりせっかくだからたくさん稼ぎたい、という欲に
わりとまみれていて、必要以上に現金になる仕事を詰め込んでいました。
心にも時間にも余裕がなくて、
「早くこっち(BF的な)の世界に住人になりたい」と、焦っていました。

まだまだいろんなものを、手放せずにいた。
 
29歳という瀬戸際な感じの年齢のせいも、多分にあった。

でも、今私のコアになっているR水素ネットワークのお仕事は、
この年の10月に、現greenz.jp編集長のYOSHからかかってきた
一本の電話から始まったのですね。
そのときは、私を追いかけてくるたくさんの仕事のうちの
ひとつでしかありませんでした。

2010年。30歳になって早々に、
メインでやらせてもらっていた雑誌が休刊!(そういえばそんなこともあった。)
徐々にR水素のお仕事がメインになっていきます。
ハワイに取材を兼ねて逃亡したり。
デンマークのロラン島に、取材に行ったり。
そうこうするうちに、ピースボートで地球一周させてもらえたり。
そのたびに、お仕事をお断りしているうちに、
休刊した雑誌以外の雑誌からも、お声がかからなくなってしまいました。(そりゃそうだ)
今思えば、このプロセスが、
私を、半分サラリーマンのようなフリーランスの状態から
解き放ってくれたのだと思います。

「今を幸せに生きる。」究極の状態に少しずつ近づいていきます。

思えばピースボートでいろんな個性、いろんな才能、いろんな生き方・輝き方に触れ、
(触れたというよりその嵐にさらされた)
既に壊したつもりでいた既成概念をさらに跡形もなくぶっこわされてから
横浜港に降り立った10月20日、私は心の底から
「結局人間は、目の前にあることを一生懸命やるしかない。
今の私はR水素だ。エネルギーのことを一筋にやっていく。」と決心していたのでした。

2011年。R水素にぐっと集中力が高まったところでゲンパツ爆発。
私を沖縄へ引き寄せたのは、その前の週の
水素・燃料電池展での琉球大学の教授との出会いでした。
見るからにうちなーんちゅな先生が、極寒の東京ビックサイトで放った
「真っ黒に日焼けしてみない??」という言葉にハートを打ち抜かれた翌日、
沖縄行きの飛行機をおさえていました。
3月14日早朝、R水素のボスから
「一回首都圏を離れなさい。羽田までのタクシー代はおれがもつから」コール。(おっとこまえやな)
どこへ行こうか逡巡しながら荷物をまとめつつふと気付く。
「沖縄行きのチケットがあるじゃない。」
格安だから変更できない。ダメもとでJALに電話すると
「震災の影響であれば無料で変更させていただいております」(いいとこあるじゃないか)

とこのようにして、3月14日。
沖縄での生活が始まりました。

だいぶ長くなってきた。

ちょっとブレイク。






オトコズキ♥

2011年12月27日 | 自分日記
先日、会社の同僚たちとクリスマスパーティをしていて、
酔いがまわったころに「でも私、男の人って好きですよ」
と口走ったところ、
その場にいた一人に「いいですね~。じゃこれから男好きキャラで」と、
あらぬ疑いをかけられそうになりました。

それで、好きなのは確かだがそういうニュアンスじゃない!と
慌てて拒否したわけですが、
じゃあどういう意味だったのかということを、
ちょっと書いてみようと思い立ちました。





つまり。




たとえばじゃあ、

どうして飛行機が当たり前のように飛んでいるかというと、

それは男の人がいるからです。

大胆に発想して、できると信じ込んで、とにかく始めちゃう。

それでめちゃくちゃに固執して、とうとう実現させちゃう、みたいなこと。

人間が鉄のかたまりに乗って空を飛べるかもしれない、

なんてバカなことを思いつき、

そのただひとつのことに、とんでもなく執着して

ついには実現してしまうようなことって

女の人にはできないんじゃないかな。と思うわけです。

地球が丸いと気付いたのも、株式会社という制度を考えだしたのも、
一年を365日、一日を24時間と決めたのも、
ディズニーランドをつくったのも、
電気やクルマを発明したのも、
わざわざ戦場まで出かけて行って写真を撮ってくるのも、
そもそもカメラとか写真を発明したのも、
全部、男!

これって、よく考えるとすごいことだと思いませんか?

いったいどういうことなのよ!

そういう意味で、半分あきれかえりながら、
放心しながら、
好きだなあ、と思うわけです。

最近は、草食男子 などと呼ばれる
男性が増えているらしいですが、
何かの間違いじゃないかと思います。

そもそも。

そもそもですよ。

女が考えつかないような、とんでもなく壮大な発想で、
ごりごり時代をつくり替えてきたのは男性なのですから、
今のこの、いろんなことが危機的な時代にこそ、
がっつり本領発揮して、幸せな世の中をつくって!

よろしくー♪

大学生のころ、こんなことを思っていました。

2011年12月08日 | 自分日記
ずっと前に書いて、どっかに出すはずが、お蔵入りになった文章が出てきました。
ここ最近、自分の頭の中にあることばっかり書いててうざいんですけど、ま、ブログだからいっか。
ということで。

私が働く理由。みたいなもの。


大学生のころ、こんなことを思っていました。

「風がある日はウィンドサーフィンをして、
波のある日はサーフィンをして、
どっちもない日は素潜りをして、生きていきたい。」

毎日毎日、そういう生活をずっと続けたら、快楽に倦むどころか、生きることへの学びを深めて、とびきりステキな大人になれると信じていました。
全日本学生ボードセイリング連盟の選手として、ウィンドサーフィンに明け暮れる毎日の中で、海や海の仲間から、言葉にならない多くのことを学んでいた頃のことです。

そうこうするうちに時は流れ、大学卒業とともに、あっけなく経済大国ニッポンのあらがえない渦に巻き込まれていきました。それも、かの有名な「ロストジェネレーション」として。
一番になるために営業成績の数字を追いかけたり、記事制作の締め切りに追われたり、時間やお給料と戦い、海では出会い得なかった人々に出会う中で、さまざまな情報が、頭と心を行き交い通り過ぎていきました。外からの膨大な刺激にさらされて、多くの「疑問」や「悩み」や「憧れ」や「つかの間の信念」が浮かんでは消えていきましたが、社会に出て5年が経ってなお残ったのが、どうしてもなくならない、しぶとい2つの願い。この2つの願いに、徹底的に向き合うために、私は今、働いているのだと思います。

その願いとは、「もっと地球と上手につき合える人間でありたい」ということ。
そして、「自分も含めたすべての人に人生に根付いた仕事をしてほしい」ということです。この2つをまとめると、「人間と自然が大切にされる社会にしたい」ということになります。

私自身は、海と交わる日々を通じて、風や波と調和し自然とひとつになれた時の深い幸福感や、宇宙の摂理でいとも簡単に私たちをもてあそぶ風や波という自然への畏怖を知りました。自然を「対象」としてではなく自分の一部として、自分を自然の一部としてとらえる感性が刷り込まれてしまったので、私にとっての人生に根付いた仕事のテーマは、人間の自然との関わりなのです。

具体的には、人間がもっと地球と上手につき合うための鍵であるエネルギーを持続可能なものに変えていくためのアクションをしています。ビジョンは、世界中のエネルギーを水と自然エネルギーでつくる持続可能なエネルギーのかたち「R水素」にシフトすることです。そのために、行政やビジネスラインの方々に伝え広めています。
そして、これまでの仕事で培った情報発信の企画・制作力を生かして、仲間のすばらしい活動を一人でも多くの人に伝えていくことが、今の私のミッションです。

ちょうどいい。

2011年11月21日 | 自分日記
最近すごいことが起きたので、報告します。

海の見える部屋に住もう。と引っ越して、少しずつ家具を揃えています。
ちなみにお向かいは、普天間基地。

食事をしたり、仕事をするための、ちょうどよいサイズの机が欲しいなあ、と思いました。

が、シャンプーやなんかと違って、
思ったところで、すぐに見つからないのが家具というもの。

メジャーを持って
インテリアショップめぐりは、想像しただけで疲れちゃう。

近所のライフスタイルセレクトショップには、
オーラばりばりで、どうだっ!って自慢したくなるぐらいスマートでセクシーな
ダイニングセットがあるけど、なんせ高い。

そんなにお金をかける気はないし。

気だけじゃなくて、お金そのものもないし。

そんなわけで、
メイクマンで材木買って、自分でつくろうと思ってました。

でも、思ってるだけじゃできないんですよね。机って。

根がナマケモノで、腰が重いのであります。

そんなある日、
取材したい先生がアラハビーチでBBQしてるから、今くれば取材できるよと呼び出しが。

さてと、と重い腰を上げて行った帰り道。

ふと脇見運転をすると、国道沿いの、ジーンズメイトと ディーゼルを足して
3で割った感じの店のオモテに、什器がゴロゴロ並んでるではないですか。

これは!とピンと来て、速攻ウィンカーを出して車止め。

そうして出会ったのが、20000円が3000円になったTableですよ。

天板の大きさは、パソコン置いて、ノート広げて、資料を広げてもオッケーなゆったりサイズ!

100ぱ木製。しかも合板ではない。色はいい感じに焦げ茶飴色。

もう買うしかないわけですが、モンダイは高さなのでした。
海の見える窓にぴったり沿わせたいので窓より低くないとイヤ。でも今、窓の高さはわからない。でも測りに帰るのはめんどくさい。その間に他の人に買われちゃったらどうする!

決断のトキです。

直観がささやく瞬間です。


たいじょうぷ。
なんかぴったりな気がする。、、(後付けじゃなくて、ホントにそう思ったよ)

結果は、、、




すごくない!?!?

いやーーー、
スカッとしたー!

お見事でございます。

ガッツポーズでございます。

直観の勝利でございます。

にんげんの目って、こわいぐらいに厳密なんだとか。
かかってる絵がわすわかに傾いてても、感知しちゃうんだって。

目分量バンザイ。
適当バンザイ!というハナシです。

かくして、
たまたまの道ばたで欲しいモノをゲットしたのでした。

道ばた最高!

リユースってのも満足感高いよね。