関わることになったプロジェクトが始まり、本格的に久高島に通い始めた。
久高島って?という方は、連載「コミュニティデザインの現場から」を読んでみて下さい。
⇩
離島に根付いて11年の先輩チェンジメーカーが語る「久高島にしかない幸せな未来への鍵」
久高島土地憲章が象徴する自然観 海と大地と太陽への感謝から始まる島の文化を「仕事づくり」で守る
学生時代こそ、鎌倉ひとすじに海通いをしていたものの、
社会人になってからは、休みのたびに、あちこちの海に飛んでは帰り、
ふだんの週末も、千葉や茨城や湘南を走り回って、海での時間を過ごしてきた。
そうではない関わり方を、久しぶりに始めている。
で、結論。
やっぱり一途がいい、という話。
自然って、そうカンタンには、とびきりの笑顔を見せてくれないんだ。
愛しさって、訪れるたびに変わる表情を、おくゆきふかく知ることで、醸し出されてくるものなんだ。
昨日の夕方、仕事を終えて、いそいそと浜に出かけた。
そうしたら、前の晩になにげなく通り過ぎた場所で、ヤドカリたちが寄り合いをしていた。
別に大好物のアダンの実に群がっていたわけじゃない。
本当になんにもない場所で、大小15匹ぐらいのヤドカリが、体ごと寄せ合って、
もぞもぞしていた。
なんだか秘密の集会をのぞいちゃったような気分。
もちろん、まわりには(人間は)私しかいない。
私の方がよそものだ。
前の晩は、ヤドカリ寄り合い所の先に、
月が光の道をつくる絶景が広がっていた。
月明かりの青い夜に、アダンの葉影に縁どられた空と、
ぽこりと浮かぶ月、海に揺らぐ光の道がそこにあった。
それはもう、完璧な構図で。
2つとも、同じ浜。
なまえのない、私にとっては私の、浜。
鎌倉の海も、いやきっと世界中の海や、海だけじゃなく森や林も、
もしかしたら畑や田んぼも。すべての自然は、
本当にころころと、表情を変える。
そして時たま、とてつもなく神々しく輝く。
そんなとき、やられちゃうのは人間のほう。
変わり続けるのが自然。
ふと、我が身を振り返ってみると、
それはまるで私の心のありようみたいだ。
そうか。
だから、やられちゃうんだね。
街のビルやパソコンたちは、変わらずにそこにあって、
毅然とした様子で昨日と同じ機能を果たしていて、
とても信頼できるのだけど、
そのかわりに、揺らぎがなく、
固定しているその感じが、息苦しいんだ。
だって、私は変わり続ける心をもった人間だから。
でも、その自然が変わり続けるということは、
同じ場所に飽きるほど通ってみなければわからない。
そのことに、久しぶりに気がついた。
雨ではるかかなたまでぴちょんぴちょん沸き立つ海も、
夏の西日で空と雲ごと炎上する豪華絢爛な海も、
真冬の、寒いばかりでおもしろくもなんともない白っ茶けた海も、
どれもが鎌倉の海で、その「全体の感じ」に、惚れ込んでいる。
移り気でわがままで無邪気で天真爛漫に美しく、大きい、全体の感じに。
名前のない浜と、そういう付き合いを、久しぶりにできそうでワクワクしている。
久高島って?という方は、連載「コミュニティデザインの現場から」を読んでみて下さい。
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離島に根付いて11年の先輩チェンジメーカーが語る「久高島にしかない幸せな未来への鍵」
久高島土地憲章が象徴する自然観 海と大地と太陽への感謝から始まる島の文化を「仕事づくり」で守る
学生時代こそ、鎌倉ひとすじに海通いをしていたものの、
社会人になってからは、休みのたびに、あちこちの海に飛んでは帰り、
ふだんの週末も、千葉や茨城や湘南を走り回って、海での時間を過ごしてきた。
そうではない関わり方を、久しぶりに始めている。
で、結論。
やっぱり一途がいい、という話。
自然って、そうカンタンには、とびきりの笑顔を見せてくれないんだ。
愛しさって、訪れるたびに変わる表情を、おくゆきふかく知ることで、醸し出されてくるものなんだ。
昨日の夕方、仕事を終えて、いそいそと浜に出かけた。
そうしたら、前の晩になにげなく通り過ぎた場所で、ヤドカリたちが寄り合いをしていた。
別に大好物のアダンの実に群がっていたわけじゃない。
本当になんにもない場所で、大小15匹ぐらいのヤドカリが、体ごと寄せ合って、
もぞもぞしていた。
なんだか秘密の集会をのぞいちゃったような気分。
もちろん、まわりには(人間は)私しかいない。
私の方がよそものだ。
前の晩は、ヤドカリ寄り合い所の先に、
月が光の道をつくる絶景が広がっていた。
月明かりの青い夜に、アダンの葉影に縁どられた空と、
ぽこりと浮かぶ月、海に揺らぐ光の道がそこにあった。
それはもう、完璧な構図で。
2つとも、同じ浜。
なまえのない、私にとっては私の、浜。
鎌倉の海も、いやきっと世界中の海や、海だけじゃなく森や林も、
もしかしたら畑や田んぼも。すべての自然は、
本当にころころと、表情を変える。
そして時たま、とてつもなく神々しく輝く。
そんなとき、やられちゃうのは人間のほう。
変わり続けるのが自然。
ふと、我が身を振り返ってみると、
それはまるで私の心のありようみたいだ。
そうか。
だから、やられちゃうんだね。
街のビルやパソコンたちは、変わらずにそこにあって、
毅然とした様子で昨日と同じ機能を果たしていて、
とても信頼できるのだけど、
そのかわりに、揺らぎがなく、
固定しているその感じが、息苦しいんだ。
だって、私は変わり続ける心をもった人間だから。
でも、その自然が変わり続けるということは、
同じ場所に飽きるほど通ってみなければわからない。
そのことに、久しぶりに気がついた。
雨ではるかかなたまでぴちょんぴちょん沸き立つ海も、
夏の西日で空と雲ごと炎上する豪華絢爛な海も、
真冬の、寒いばかりでおもしろくもなんともない白っ茶けた海も、
どれもが鎌倉の海で、その「全体の感じ」に、惚れ込んでいる。
移り気でわがままで無邪気で天真爛漫に美しく、大きい、全体の感じに。
名前のない浜と、そういう付き合いを、久しぶりにできそうでワクワクしている。