人とタイヤとキーパーコーティング!

タイヤ「安全」と車「キレイ」の領域で 岐阜で専門店展開 ありがたいことです!

我輩は「タイヤ」である!   その1

2015年05月26日 | タイヤビジネス
我輩はタイヤである。

東南アジアのプランターで栽培された
ゴムの木の樹液をボディーに
南半球はオーストラリアの鉱山で採取された
鉄鉱石を骨格にしている。

我輩が生み出されたのは 
荷物を運ぶ荷車においては
まだ鉄輪・木輪であったが
人を乗せる自動車なるものが発明されて
長距離を走るためのニーズが
ゴム材料とした「タイヤ」を求めたからじゃ。

フランスのミシュランという人をはじめ 
いろいろと研究してラジアル構造の骨格を与えてくれたのじゃ。
この国においては石橋さんという人がいて 
この人はゴム足袋を作っておったのじゃが
日本でも自動車が普及するという読みで
「石と橋」の「ブリッジ」と「ストーン」を組み合わせたのが
今では世界に冠たるブリジストンのなのじゃ。

資本主義という世の中が発展するにつれて
自動車が爆発的に普及し タイヤのメーカーも数多く生まれたのじゃ。

我輩は工場で生み出されるが 
補修用として自動車に装着されるルートをすすむものは
街にあるタイヤショップやカー用品店・あるいは自動車ディラーの
力を借りるコトでお役に立てるわけじゃ。

日本人という人たちは 
私らのように「モノ」にもイノチが宿ると考えるようじゃ、
じゃから私らを作るにあたって 
安全基準というモノサシが仮に100とすると
日本人はその倍の200という基準で作ってくれる。

これは東南アジアで生まれる私たちの仲間は
基準すれすれの105から110という
とりあえず安全基準は超えているというレベルで作られるとと比べると
過剰品質ともこだわりすぎともいわれるが
日本人というのは丁寧な人たちなのだ。
だからみんな日本で作られたいと考えているようだ。


丁寧に作られると 私らにかかる高負荷のとき
例えば高速走行のとき 真っ直ぐ走ることが出来るのじゃ。
低いレベルで作られると強度が低いので 真っ直ぐ走らせることが出来ないんじゃ。

この差が 「モノ」にも魂が宿ると考える日本人の価値観なのじゃ。



こうやって廃タイヤまで洗って感謝してくれる店から 自動車に付けられたいもんじゃ。

                                                  

ところが最近 グローバル化とか効率化とか競争概念が強くなって
「比較」とか「しろ・クロ」という欧米的なデジタル思考が
幅を利かせるようになって 「安い」という価値観が全面に出てきたのじゃ。

昔の日本人は 
「安かろう悪かろう 安物買いの銭失い」という言葉で
戒めていたのじゃが
その心を見失った日本人も増えているのじゃ。

世界中が グローバル化という大競争になると 
資本の論理という怪物が跋扈するからじゃ、
そして安い労働力を求めて 
代替可能な人材を作り出すのじゃ
これは怖い事じゃ  
人件費も安いほうがいいから
安いところで作るという考え方じゃ。
だからどんどん東南アジアや中国でわしらの仲間は生まれているんじゃ。

「モノ」は「モノ」というだけで 
「モノ」にイノチが宿るとした考え方とは 相受け入れない思想なのじゃ。

こういう考え方で作られた私の仲間は嘆いているのじゃ、
使い捨てられて終わりじゃ 悲しいと嘆くのじゃ。



そうした国の人が大挙来日して 
日本製の電化製品などを爆買しているのは
日本人が「モノ」にイノチが宿ると考えて丁寧に作るから
故障も少ないし長く使えるからじゃ。

一部の日本人がまったく逆の事を
タイヤにおいてしているのは
とても不思議な事じゃ!

中国に人たちが高くても良いものを買い
日本の人たちが安かろう悪かろうで満足する・・
いやけっして満足していないはずじゃが・・・・。

昭和の時代は みんな上を向いて歩いていたが
平成の今は スマホを眺めて下を向いている。
この国はいつの間にか目先の事しか考えない時代に入りつつあるようじゃ!


日本人よ 誇りを取り戻し志を立ててる時が来ているのじゃ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする