サウジアラビアはイスラエルと同じように、「建国」にイギリスが重要な役割を果たした。
第1次世界大戦当時、中東はオスマン帝国に支配されていた。
その帝国を解体するため、イギリスのマーク・サイクスとフランスのフランソワ・ジョルジュ-ピコは協定の原案を作り、
そこに帝政時代のロシアが加わって1916年5月に秘密協定が結ばれた。
これがサイクス・ピコ協定。
その内容は1917年11月のロシア十月革命で成立したボルシェビキ政権によって明るみに出た。
協定が結ばれた直後の1916年6月、イギリス外務省アラブ局はオスマン帝国を揺さぶるため、アラブ人を扇動して反乱を起こさせた。
「アラビアのロレンス」ことトーマス・ローレンスが所属していたのはそのアラブ局だ。
そのイギリスはウィリアム・シェークスピアというエージェントをワッハーブ派のイブン・サウドに接触させていた。
シェークスピアの戦死を受け、引き継いだのがジョン・フィルビー。
その一方、イギリスはイブン・サウドとライバル関係にあったフセイン・イブン・アリも支援、
この人物は1915年7月から16年1月にかけてイギリスのエジプト駐在高等弁務官だったヘンリー・マクマホンと書簡をやりとりしている。
その書簡の中には、イギリスがアラブ人居住地の独立を支持すると約束した「フセイン・マクマホン協定」も含まれている。
イブン・アリは1916年、アラビア半島西岸にヒジャーズ王国を建国。
1924年にはカリフを名乗るものの、イスラム世界から反発を受け、イブン・サウドに追い出される一因になった。
ヒジャーズ王国は1931年にナジェドと連合、32年にはサウジアラビアと呼ばれるようになる。
その国教になったのがワッハーブ派だ。
イギリス、そして後にアメリカがサウジアラビアを重視するのは地政学的なものだけでなく、石油。
1960年代の後半にアメリカは経済が破綻、1971年にリチャード・ニクソン大統領はドルと金の交換を停止すると発表した。
金のいう裏付けをなくしたドルを支えるために考えられたのがペトロダラーだ。
ペトロダラーとは石油取引を利用したドルの循環システム。
アメリカの支配層はサウジアラビアなど産油国に対し、石油取引の決済をドルに限定させることでエネルギー資源を必要とする国にかき集めさせ、集まったドルをアメリカへ還流させるという仕組みだ。
そうした協力の代償としてアメリカは国の防衛や支配者たちの地位や収入の保証を約束。
この協定をサウジアラビアはアメリカと1974年に結んでいるが、ほかのOPEC加盟国も同じ内容の協定を締結した。(Marin Katusa, “The Colder War,” John Wiley & Sons, 2015)
ペトロダラーはドル体制を守る重要な仕組みであり、ドル体制はアメリカの支配システムを支えている。
アメリカは基軸通貨を発行する特権を持っているため、意に沿わぬ体制に経済戦争を仕掛け、軍事侵略することが可能。
ペトロダラーが揺らぐということは、アメリカの支配システムが揺らぐということでもある。
本当にアラムコの石油施設をアメリカが防げなかったとするならば、ペトロダラーの前提が崩れる。
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