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偽ユダヤによって捏造されたプーチン像と歴史をくずす

「闇の正体は偽ユダヤ」海外記事の移行。 

原爆・8時6分 /天皇と戦争

2016-06-21 20:28:33 | 田布施族 朝鮮半島  


原爆  8時6分

広島原爆投下は、8時15分とされています。
しかし、実際には、8時6分が正しい。


この違いの本当の意味は・・・ 大変大きな意味を持っています。



8時6分に地上で核爆発が起き、しばらくしてから、B29の観測機がやって来た。


B29の高度は大変低かったと記録されています。
機体の様子がはっきり目視出来たと報告されています。
そして、観測なので速度も低速であった。



その高度とあの低速度で、核爆弾を投下したとしたら、まず間違いなく、墜落していたでしょう。
これは、100%間違いない。
8時6分前後に、B29は確認されていません。



★メルマガ第12号より一部のみを引用します。

広島に原爆を投下されたという大本営発表の「1945年8月6日 午前7時45分から8時15分」の時間帯に、『広島市民は誰一人として、B29特有のエンジン音も、機影も目撃した者がいない』と云う事実である。


しかし、『広島は一瞬にして地上から消えた』訳である。まるで「手品」である。「手品」には必ず種がある。



この場合の手品の種は「地上起爆の目撃者が全て殺された」と云う事と、ラジオと新聞報道で「アメリカの爆撃機による空中投下」を繰り返し流し、テレビ時代に入ってからは、B29の映像とキノコ雲を同時に映像化して、それらしくシナリオ化している。極めてシンプルな手口である。



広島・長崎での被爆体験記録では、肝心の『地上に設置された巨大な瓦斯タンク(核弾頭と起爆装置)』の目撃に関する記述が削除されていることは確かである。



広島市東部から20kmの地点に在る『中野探照灯台』上空附近を飛ぶB29は、すでに9,630mの高度をとっていたはずである。
つまり、中野探照灯台の兵士たちは9,630mからの爆音を聞いていたということになる。
その時間は、午前8時14分と報告されている。


それから、1分後の8時15分に起爆するのだが、中野探照灯台から2~3分の時間を必要とするが、原爆機は最高速度600kmを、わざわざ320キロメートルに落し、広島市上空では「機関を停止してグライダー飛行に入る」のである。


こんな爆撃をしたら「自爆による墜落攻撃」である。



B29の爆弾搭載量は9トンと云うが、5トンが限界である。

乗員11~12名を機長・副操縦士・航空機関士・気象士・爆撃手・通信士・原爆要員等を考えると、乗員は逆に15名程度に増えるし、機銃装備を取り除いても2~3トンの削減が限界だろうし、護衛戦闘機がいないのだから、幾ら超高度10,000mを飛行できても、高度が上がれば燃料消費量も上がり、往復の燃料にも問題が発生するから、通常は高度を下げて飛行して、目標地点の近くで高度を上げる事になる。



高度が低くければ、自爆戦闘機(神風)からの攻撃は必至である。

それでは、無防備だから、テニアン島からの往復を考えると、機銃装備を外すとは考えられない。護衛戦闘機が豊後水道まで護衛すれば、飛行機のエンジン音は当然大きくなる筈だが、その証言は何処にも無い。



この当時の巨大爆撃機のレシプロエンジン(発動機)を上空9,630mで、『中野探照灯台(広島市東部)』上空附近から、3機(1機エノラ・ゲイ)が「機関を停止」してグライダー飛行して、広島上空に侵入して、弾倉の格納されている「原爆の起爆装置をセットON」して、弾倉トビラを開けて、フックを外して原爆を投下し、広島市の地上から520~550m上空で都合よく起爆したとしたら、それ自体でB29は爆風に巻き込まれて墜落である。



長崎では逆に原爆を搭載して、曲芸飛行の様に、10,000mから急降下して地上すれすれを飛んだのは、広島のB29投下シナリオの「手品」が、多くの広島市民にばれた教訓として、地上起爆を演出するために、地上すれすれを飛行して、さも飛行機(B29)が「原爆を投下」しましたよ!と「手品」をした訳である。

<引用終わり>
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☆  聖戦は悪魔にであって 国にではない
真っ白い国 真っ黒い国 など 存在しない
ただ 悪魔が支配者であるかどうか (西側 G7)
中国 ソ連 韓国 と ことさら悪魔化するのは 日本にいる 本当の悪魔を隠すためなのだ



国家 対 国家、といった観念は、捨て去るべきです。
それは、私たちが勝手に抱いている幻想に過ぎない事がよーく分かりました。
明治維新以来、日本の中枢やトップには、ずっと悪魔が巣食っていたのです。



彼等、悪魔にとって、日本国はただの島国で単なる道具に過ぎません。国民はゴイム、家畜に過ぎないのです。
ある目的の為に、戦争によって何百万人死のうが全く痛みを感じない。それどころか、彼らにとっては大手柄なのです。
イルミナティとは悪魔のような恐ろしい連中である。



その事に、日本国民はまだ気づいていません。
イルミナティの中でも、比較的、高位にあった昭和天皇ですが彼も人並みに、大出世を夢見ていた。
それが、戦前、戦中の大活躍となる訳です。
何を言いたいか、分かる人には分かると思います。




おまけに、原爆実験まで成功させていた。731部隊は、天皇の軍隊。
彼等がやっていたのは、放射能による生体被爆実験だったのです。
その集大成が、広島・長崎における原爆実験だった。



戦争による人口削減と莫大な利益をあげた大手柄と、更に、原爆技術をイルミナティの仲間に提供したことによって、彼(昭和天皇)は、飛び級の出世をしたようです。
かつては、エリザベス女王の家臣だった人物が、そのエリザベス女王さえも追い越してしまった。


イルミナティの階位は、極めて厳格です。
昭和天皇は、世界のイルミナティの中でもトップクラスになった。
無論、天皇家そのものの位置づけも格段に上がったでしょう。

http://ameblo.jp/64152966/entry-12164817035.html




<天皇の直接的な戦争指揮に関する疑問と回答>


以下は、山田朗教授の「大元帥 昭和天皇」(新日本出版社,1994年)の、あとがきより抜粋したものです。

「昭和戦争史に果たした天皇の役割とその戦争責任」



昭和天皇はどれだけ戦争に関わったのか?天皇の戦争責任を否定する直接的な戦争指揮に関する次のような質問について、山田朗教授(関東学院大)は専門の近代軍事史の研究成果から答えています。



1.天皇は軍事には素人で、戦争には主体的には関わらなかったのではないか? →


天皇は十分な量の軍からの情報と、豊富な軍事的知識とを持った軍事専門家であり、戦争指導に積極的に関わった。

統帥部からの上奏に対し具体的な質問を行い、実際に作戦内容を何回も変更をさせている。指揮は、戦争開始などの大局場面から個々の作戦まで全面的に行っている。また将兵の士気を保つことに注意し、そのために意識的に勅語(お言葉)を出している。




2.戦争は軍部の独走であり、天皇はそれを抑えようとした平和主義者だったのではないか? →


天皇の方針とは帝国主義国家の君主として、露骨な手段を使わずに領土と勢力圏を拡張したいというものであり、基本的には軍部の膨張主義とは差はなく、平和を望んでいたとは言えない。




3.天皇は戦争について実態を知らなかったのではないか? →

天皇には重要な情報が、すばやくもたらされている。また天皇は報告を聞き逃すことなくきちんと聞き、必要なら質問をしている。




4.天皇が決断したからこそ、戦争が終わり平和になったのではないか? →


天皇の戦争責任を考える上で最も重要な判断は、戦局の決定的な転換期であるマリアナが陥落した1944年6~7月に、戦争終結の判断を下さなかったことだろう。

天皇の決断により戦争が終ったのは事実だが、戦争指導の責任の大きさの点では、多くの無駄な犠牲を出したことの方がはるかに重い。


☆ 終戦の英断と言ったって、それは、原爆を起動させるタイミングにあわせてなされたものらしい。



○ 天皇が有していたのは「八紘一宇」の政治哲学で、領土勢力圏の拡張を君主の事業と見る点において、統帥部の露骨な膨張主義・機会便乗主義の潮流に埋没せざるを得なかった。


また昭和天皇はどのような軍事行動であれ、戦闘に勝利し結果として「国威発揚」に寄与した場合には、賞賛を惜しまなかった。



○ 満州事変における関東軍、朝鮮軍の独断専行の軍事行動、熱河作戦、張鼓峰事件など当初は天皇の怒りをかったが、戦果が上がると天皇は一変してこれらの行動を事後承認しただけではなく、勅語を出すなどして賞賛・激励したのである。

http://d.hatena.ne.jp/abesinzou/20080618





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