8.14 中国との領土紛争に日本のミサイルが参加?
日本政府は係争を抱える尖閣諸島(中国名釣魚)を含む東シナ海の遠隔地の防護を強化するために、沖縄県の先島諸島に携帯式ミサイルランチャーを展開することを計画している。
日曜読売新聞が伝えたところによると、地対地クラスの新しいミサイルの予想される射程は離島を防護するのに十分である約300キロ。
◎ 大戦後、米好戦派はソ連/ロシア 中国に対する先制核攻撃を計画し続け、日本はその道具
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201605030001/
◎ 天皇制官僚国家が成立したのは、いわゆる「明治維新」。薩摩藩と長州藩を中心とする勢力がイギリスと手を組んで徳川体制を倒したのであり、誕生の瞬間からアングロ・サクソンの影響下にあった。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608030000/
◎ 柳条湖事件、盧溝橋事件などを利用して日本軍は中国を侵略していったが、その始まりは1872年の琉球藩でっち上げ。
明治政府は1871に廃藩置県を実施、中央政府の送り込む知事が行政を取り仕切る体制へ切り替えていたのだが、その後に新たな藩を作るという不自然なことをしている。
1894年から95年にかけて日清戦争、1904年から05年にかけて日露戦争、1910年には韓国を併合、さらに中国や東南アジアを侵略したわけだ。日本のアジア侵略は「琉球処分」で幕が開いたと言える。
米英は中国(清)を支配して略奪するためにアヘン戦争やアロー戦争を引き起こした。 (櫻井ジャーナル)
田布施
麻薬業者たちによって作り出された明治体制が麻薬に手を出しても不思議ではない。
中国を侵略した日本軍はイランから大量のアヘンを密輸入、この取り引きを指揮していたのは里見甫と三井物産だった。
里見と三井物産をつないだのは東京毎日新聞の社長になる藤田進だ。里見も中国で新聞記者として活動していたが、1932年には南満州鉄道(満鉄)の嘱託になっている。日本の傀儡国家『満州国』が出現した年である。
1931年に日本軍(関東軍)は満鉄の線路を爆破(柳条湖事件)、これと中国軍の仕業だとして侵略の口実にし、中国東北部を占領した。つまり偽旗作戦だ。
それ以降、里見は関東軍第4課でプロパガンダを担当するようになり、その後、中支那派遣軍特務部総務班長だった楠本実隆大佐の指示でイラン産アヘンを売るようになる。
麻薬ビジネスを三井物産に独占させておかなかったのが三菱商事。イランのアヘン専売会社を相手に両者は激しく争い、1937年から1年の間、三菱の独占が認められた。後に三菱が勝手に契約を更新したこともあり、対立は激化していく。
両社の間で協定が結ばれたのは1939になってからだ。この年の5月、上海地区でアヘンを分配するために設立されたのが里見の取り仕切る宏済善堂である。(江口圭一著、『日中アヘン戦争』、岩波新書、1988年)
第2次世界大戦後、アメリカではウォール街と関係の深いCIAの秘密工作部門が麻薬取引を始める。
例えば、ベトナム戦争の最中には東南アジアの山岳地域、通称「黄金の三角地帯」で栽培されるケシを原料にしてヘロインを生産、アフガニスタンでの戦争が始まると栽培地がパキスタンとアフガニスタンの山岳地帯へ移動した。
ラテン・アメリカの反革命勢力を支援するために使われたのはコカインだ。ソ連消滅後にアメリカの支配層はユーゴスラビアを攻撃、解体しているが、その際にアフガニスタンで生産された麻薬はコソボの反セルビア勢力の資金源になっていた。アフガニスタンでは現在でもケシが栽培されているが、その畑をアメリが軍が守っているとも指摘されている。
しかし、アメリカ軍がアフガニスタンを軍事侵略した第1の目的は石油や希少金属だろう。昔からカスピ海周辺は油田地帯として有名だが、1991年12月にソ連が消滅すると西側の巨大資本はその利権に目をつけた。
アメリカの巨大資本はバクー、グルジアのトビリシ、トルコのジェイハンを結ぶBTCパイプラインを計画していたのだが、すでにチェチェンのグロズヌイを経由するパイプラインが存在していた。この競争相手を機能できなくするためにチェチェンを戦乱で破壊する計画が持ち上がり、その工作を指揮することになったのがブッシュ・シニアと知り合いのグラハム・フラー。その下でシコードは活動することになったわけだ。
ちなみに、このフラーの娘が結婚した相手はルスラン・ツァルニで、その甥にあたるタメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフは2013年4月15日にボストンであった爆破事件の犯人だとされている。ただ、この事件には謎が多く、実際にこのふたりが爆破事件を引き起こしたのかどうかは不明だ。
トルクメニスタンからアフガニスタンを経由し、パキスタン、そしてインドへ通じるパイプラインの計画の場合、タリバーン政権は西側企業のUNOCALでなくアルゼンチンのブリダスを選び、1998年1月に建設の契約を結ぶ。そうした契約を止めてしまったのがオサマ・ビン・ラディンだということになっている。
つまり、1998年8月7日にナイロビ(ケニア)とダル・エス・サラーム(タンザニア)のアメリカ大使館がオサマ・ビン・ラディンの命令で爆破されたとされ、これを理由としてアフガニスタンはパイプラインに関する全ての交渉を停止したのだ。
この月の20日にアメリカ軍はアフガニスタンとスーダンを巡航ミサイルで攻撃している。アメリカ軍がアフガニスタンを軍事侵略する3年前の出来事だ。麻薬にしろ石油にしろ、戦争にはカネ儲けが絡んでいるように見える。
しかし、カネ儲けはアメリカの支配層を動かすひとつの要因にすぎない。軍事的な緊張を高めるのは戦争ビジネスを儲けさせるためで、アメリカが本当に戦争を始めることはないと高をくくっていると、取り返しのつかないことになる。それが現在だ。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201607240000/
◎ 日本は 侵略戦争の指導者が復権してしまった。つまり、大本営発表をしていた勢力が復権したのだ。
そうした歴史を考えれば、当局の発表は嘘である可能性があり、当局の発表を無批判に流しているマスコミは嘘を流している可能性があると言える。だから、私たちはマスコミの報道を疑う事が極めて大切である!