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スパシーバ  プーチン

魅力あるプーチン
偽ユダヤによって捏造されたプーチン像と歴史をくずす

「闇の正体は偽ユダヤ」海外記事の移行。 

殺された露ジャーナリストが生き返った

2018-06-03 15:29:52 | ウクライナ


露政府に殺されたと西側メディアが宣伝したジャーナリストが 元気な姿を見せた



 ウクライナでアルカディ・バブチェンコなるジャーナリストが殺され、その黒幕はロシアだという話を西側の有力メディアが伝えていた。


例によって証拠はなく、公開された現場の写真には


「血」らしきものが写っているのだが、鮮やかな赤色で不自然だった。



ロシアを攻撃する材料にはなりそうな話なら西側の有力メディアは飛びつく。そして数日後、バブチェンコは元気な姿を人々の前に見せ、話題になっている。


殺人事件は完全だでっち上げだったのだ。





 このでっち上げ事件の特徴はすぐに種明かしをしたところにある。



セルゲイ・スクリパリとその娘のユリアのケースではテレサ・メイ英首相をはじめとするイギリスやアメリカの政府や有力メディアが同じように証拠を示すことなくロシアを名指しで非難していた。

このケースでは種が見えても種はないと言い続けている。




 イギリス政府はノビチョク(初心者)という神経ガスが使われたと主張していたが、これは1971年から93年にかけてソ連/ロシアで開発されていた神経物質の総称。


ロシアでこの名称が使われることはないと指摘する人もいる。


イギリス政府がこの名称を最初から使った理由は、ロシアとの関係を強調したいからだと見られている。

その後、使われた化学物質はA-234だとされた。




 この神経物質の毒性はVXガスの10倍だという。


VXガスの致死量は体重70キログラムの男性で10ミリグラムと言われているので、ノビチョクは1ミリグラム。


どういう形で散布したと想定してるのか不明だが、周囲に被害が及んでいないのは不可解


しかもスクリパリ親子は回復している。




娘はロイターのカメラの前に現れた。質問は禁止されていたようで、状況を聞くことはできなかったが、元気そうに見えた。

昏睡状態だった人がこれだけ短時間に回復したのは驚異的だ。




 ということで、化学兵器による攻撃という話自体が嘘で、ふたりは拉致されたのではないかと疑われている。


イギリス政府が娘をカメラの前に立たせた理由は、そうした疑問を持つ人が少なくないからだろう。




 バブチェンコはウラジミル・プーチンに批判的なロシア人。


母方の祖母がユダヤ人だったこともあり、​2017年にロシアを出国してからチェコを経由してイスラエルへ入った​とされている。


そこからウクライナへ入り、そこでATRというテレビ局で働き始めた。

ここはアメリカ大使館のメディア開発基金から資金が出ていることが公表されている。




 ウクライナの治安機関SBUが関与したバブチェンコの暗殺劇のプロットは、ロシアの治安機関FSBがウクライナ市民を殺し屋探しのために雇い、その市民が殺し屋を雇い、

その殺し屋がSBUに通報、仲介役の市民を逮捕するために殺人劇を仕組んだというのだが、大多数の人は、なぜ殺人劇を演出する必要があったのかわからないだろう。




 この仲介役の市民は狙撃用のライフルを製造している会社の経営者でSBUと関係があり、殺し屋だとされた人物はウクライナ東部で反クーデター勢力と戦っていて、ネオ・ナチの可能性がある。


発端は会社の融資を巡る争いだったという見方もある。




 ウラジミル・プーチン露大統領は慎重で、軍事的な挑発に乗ってこない



国内に強力な第5列を抱えていることもあるだろう。



そこで西側の政府や有力メディアは明らかな嘘で軍事的な緊張を高めてきた。


ロシアは反撃してこないとネオコンは湾岸戦争のとこきから主張しているが、その信仰が深くなったのかもしれいない。


今回の茶番劇もそうしたプーチンの慎重な姿勢と西側の傲慢さが招いたとも言えそうだ。




https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201806020000/










殺人鬼 キエフ ロシア人記者を殺害  →  生存

2018-05-30 15:19:12 | ウクライナ



5.30 ロシア国籍者の記者がキエフで殺害  ウクライナ内務省が発表


ウクライナ内務省はロシア国籍の記者がキエフで殺害されたことをFacebook上に発表した。この情報をウクライナ警察も確認している。


発表によれば、殺害された男性の妻が自宅で血まみれになって夫が倒されているのを発見し、病院に通報。


男性は現段階の情報では背中に受けた傷が致命傷となって死亡した模様。


現在、ドニエプル支部警察が現場検証を行っている。



殺害されたのはアルカジー・バブチェンコ氏(1977年生まれ)。


バブチェンコ氏はロシア人作家で反体制派のジャーナリスト、戦場特派員、編集者として活躍していた。


2017年2月、バブチェンコ氏は自分及び家族を名指しで非難されたため、一時的にロシアを離れた。


バブチェンコ氏はプラハに住んだ後、イスラエルに移り、2017年8月からキエフに滞在していた。



ウクライナの首都キエフでは過去3年間、複数のジャーナリストが殺害されており、今回のバブチェンコ氏の例も初めてのものではない。



全てのケースに共通しているのは、殺人の原因が「専門的な活動」、「敵対的な関係」、「ロシアの痕跡」、「ウクライナ蜂起軍」などロシアではその活動が禁止されている急進主義的グループに関与しているなど、様々に色分けされていること。








5.30 キエフでの露ジャーナリスト殺害にロシアが関与しているとするウクライナの声明は「残念」-ラブロフ外相


ロシアは、ロシア人ジャーナリストのアルカジー・バブチェンコ氏の殺害にロシアが関与しているとするウクライナの声明を残念に思っている。


ロシアのラブロフ外相が発表した。



ラブロフ外相は


「昨日キエフで再び悲劇が起こった。


アルカジー・バブチェンコ氏が自宅の入り口で撃たれて死亡した。


そしてウクライナ政府の首相はすでにこれを行ったのはロシアの情報機関だとの声明を表している。


調査はまだ始まっていないが、恐らく今にも始まるだろう。


国際問題をこのように扱う人々によって非常に悲しい流行が生まれている」と述べ、大勢の人がこの流行を取り入れて真似していることを嘆いた。



アルカジー・バブチェンコ氏は29日夜、ウクライナの首都キエフにある自宅の入り口で殺害された。











5.30 キエフで殺害されたはずのロシア人ジャーナリストがウクライナ保安庁内で生存



キエフで殺害されたはずのロシア人ジャーナリストがウクライナ保安庁内で生存







キエフからのロシアの非難は予想できる

2018-05-30 15:09:42 | ウクライナ



5.30 ロシア人ジャーナリストの殺害で、ロシアに対するウクライナ側の非難を予想=露国連大使


ロシア国籍ジャーナリスト、アルカジー・バブチェンコ氏の殺害を受けて、ウクライナ側がロシアを非難する可能性があると、ワシーリー・ネベンジャ露国連大使は述べる。


同氏は国連安全保障会議の会合で、ウクライナの反体制派のジャーナリストは「クレムリンのエージェント」と呼ばれ殺害されるが、


ジャーナリスト活動内で犯罪があったかどうかは調査されることはない、と指摘した。



「キエフでロシア国籍のジャーナリスト、アルカジー・バブチェンコ氏が殺害された。


キエフ当局がこれに関してロシアを非難することは予想できる。

ジャーナリストの殺害事件は何度も起こっている」と同氏は述べた。



同氏は会合の終わりに、ウクライナのパブロ・クリムキン外相の発言に対し、


「キエフ当局はバブチェンコ氏の殺害を反ロシアという目的の達成のために使用しようとしている。



ウクライナの外相の発言の中にはすでに、不幸なジャーナリスト、アルカジー・バブチェンコ氏の殺害の説明をほのめかしているように感じられる。


我々がよく知っている、ウクライナ側の取り調べ、司法機関はおそらくロシアの痕跡を見つけることだろう」と述べた。


ネベンジャ氏はまた、「ウクライナで何が起ころうとも、ロシアの痕跡、それは普遍的命題である」と述べた。








クーデター偽国家 ウクライナ  難癖でジャーナリスト拘束

2018-05-19 17:41:24 | ウクライナ






5.18 キエフでのリアノーヴォスチウクライナのヴィシンスキー責任者の拘束は前例ない 

長らくこんなことを見なかった=プーチン大統領



プーチン大統領は、キエフでリアノーヴォスチ・ウクライナ責任者のキリル・ヴィシンスキー氏が拘束されたことは前例がないと述べた。

プーチン氏はこの状況をドイツのメルケル首相と協議した。


「これは全く前例のないことだ。

1人の人物が公的に行い、自らの職務を遂行したことに対して、国家反逆の疑いで起訴されようとしている。


こんなことは長らく見たことがなかったし、こんなことは長らく記憶にない」とプーチン氏は、メルケル氏との会談の後に述べた。







5.18 在モスクワ・ウクライナ大使館付近で記者支持するキャンペーン




モスクワにあるウクライナ大使館付近で、治安当局が違法に拘束し家宅捜索したリアノーヴォスチとリアノーヴォスチ・ウクライナの記者を支持するキャンペーンが行われた。


キャンペーンには国際通信社「ロシア・セヴォードニャ」とRTテレビのマルガリータ・シモニヤン編集長とドミトリー・キセリョフ社長が参加。


シモニヤン氏が述べたところ、ウクライナでは、政府の方針に反対を表明している人全てがリスクゾーンにいる。



また、選挙に近いほど状況は悪化するとシモニヤン氏は述べた。



キセリョフ氏は一方、キリル・ヴィシンスキー氏の逮捕を異端審問にたとえた。


キセリョフ氏は、ヴィシンスキー記者を支持するキャンペーンは続けられ、定期的に開かれる可能性があると指摘した。


ヴィシンスキー氏交換の可能性についてキセリョフ氏は、ヴィシンスキー氏解放のためには今、「全手段が良い」と強調した。



https://video.img.ria.ru/Out/Flv/direct/2018_05_18_mitinjapan_fdnafixd.zxp.mp4





☆ キエフというのは 今まで 地球で行われてきた 悪い奴らが その国を乗っ取っていく すべてを あからさまに見せてくれた。


そして この時の反応によって


どの国が あるいは どれくらいのマスコミが そのクーデター国家の味方であるのかも 見せてくれた。


国民が どのくらい その偽マスコミに騙されるのかも 見せてくれた。



キエフの成立は


明治日本の成立を 露骨に見せつけた。




日本と同じ国体  キエフでロシア人 拘束

2018-05-16 15:47:12 | ウクライナ



5.15 露通信社の記者、キエフで拘束


ロシアの通信社「リアノーボスチ・ウクライナ」のキリル・ヴィシンスキー記者が15日朝、キエフで拘束されたと同僚らが明らかにした。


また、ウクライナ保安庁(SBU)の職員らが15日、キエフにある同通信社のオフィスに押し入った。


目撃者らは、ジャッキを持った人々が同通信社のオフィスが入っている建物に入るのを目にした。


その後、オフィスにいた女性記者との連絡が途絶えた。


ウクライナでのジャーナリストらに対する圧迫の事例は数十件に上っている。


ロシア外務省は欧州安全保障協力機構(OSCE)諸国と欧州評議会加盟国、また複数の国際組織に対し、マスコミに対するウクライナ政府の政策を非難するよう呼びかけている。


ウクライナ政府は再三、同国内でのロシアメディアによる活動を制限してきており、その中にはロシアからのジャーナリストらに対するウクライナへの入国の定期的な禁止も含まれている。







ウクライナの「ボリシェヴィキによる占領」という主張

2018-02-18 17:08:04 | ウクライナ






1.7 露下院、ウクライナの「ボリシェヴィキによる占領」という主張にコメント


ウクライナがソ連を構成していた共和国時代を「占領」と見なすならば、

ソ連時代に移譲した領土を放棄する準備ができているはずだ。


ロシア下院の独立国家共同体(CIS)・ユーラシア統合・同胞関係問題委員会のレオニード・カラシニコフ委員長がスプートニクに述べた。


ウクライナ国家記憶研究所のヴォロディーミル・ヴィアトロヴィチ所長は5日放送のウクライナのテレビ番組に出演し、

ウクライナは、自国のソ連時代をソ連による「占領」だと認める作業を行うべきだと主張した。



カラシニコフ氏は


「これに真剣に取り組む場合、クリミアだけでなく今日のウクライナ半分をロシアに戻す必要が出る

なぜならハリコフやドニエプロペトロフスク、ドンバスはソ連建設以前はウクライナを構成していなかったためだ」と指摘した。








ウクライナクーデターの証言②  スナイパーたちの証言公開

2018-02-16 13:30:29 | ウクライナ

ウクライナクーデターは明治維新と同じだが、維新の犯人たちは 真相を
究明するはずはありませんね  ポロシェンコ軍団と同じことです。 








2.15 ウクライナが恐れるもの スプートニク、2014年にマイダンで狙撃したスナイパーたちの証言を公開

グルジアのスナイパーらは、ウクライナの裁判で証言する用意がある。


通信スプートニクは、2014年にウクライナの首都キエフのマイダン(独立広場)で起こった出来事に参加したグルジア人スナイパーだというコバ・ネルガゼ氏とアレクサンドル・レヴァジシビリ氏の正式な尋問調書を入手した。


興味深いのは、スプートニクが同件の調査を公開すると発表した直後に、

グルジアのミハイル・サーカシビリ前大統領がウクライナから国外退去させられたことだ。同氏は翌日、スナイパーの事件に関して法廷で陳述することになっていた。


ネルガゼ氏とレヴァジシビリ氏は自分自身について、またグルジアでの生活について詳細に語った。


両氏はかつてサーカシビリ氏の積極的な支持者だった。


2人はサーカシビリ氏の軍事顧問で現在はウクライナ南部・東部ドンバスでウクライナ政府側で戦う部隊「グルジア軍団」の指揮官マムキ・マムラシビリ氏の命令でウクライナに到着した。



グルジアのスナイパー・グループは、マイダンへの出張に対して1万ドルを受け取り、マイダンから戻った後にはさらに5万ドルを支払うと約束された。



スナイパーらの証言から、元米軍兵士が彼らに指示を与えたことは明らかだ。



マイダンで狙撃が行われ大勢の犠牲者が出た2014年2月20日、ウクライナ最高会議(議会)国家安全保障・国防委員会のパシンスキー委員長が自ら自動小銃で発砲した。



大隊「ドネプル」の将校でウクライナ人民代議員のウラジーミル・パラシュク氏はカービン「サイガ」で撃った。


グルジアのスナイパーらによると、パシンスキー氏とパラシュク氏は武器も持ってきたという。



アレクサンドル・レヴァジシビリ氏の証言。


同氏は、上記のことを証言する用意があるが、命の危険性を感じているため、ウクライナ領内での証言は望んでいない。

スクリーンには、現在レヴァジシビリ氏が滞在しているアルメニアからビデオリンク方式で証言する用意があると書かれている。


https://jp.sputniknews.com/images/457/39/4573938.jpg




アレクサンドル・レヴァジシビリ



コバ・ネルガゼ氏の弁護士への証言。

同氏は、上記のことを裁判で宣誓して証言する用意があるが、命の危険性を感じているため、ウクライナ領内での証言は望んでいないと指摘している。またネルガゼ氏は、「ウクライナで証言するのは危険だ」と述べている。同紙は家族と一緒にグルジアからアルメニアへ移住した。


https://jp.sputniknews.com/images/457/58/4575878.jpg


コバ・ネルガゼ氏の弁護士への証言




スプートニク編集部は、マイダンで事件が起こった時にネルガゼ氏とレヴァジシビリ氏がキエフに到着したことを証明する航空券のコピーを入手している。


https://jp.sputniknews.com/images/457/38/4573854.jpg



航空券のコピー



https://jp.sputniknews.com/images/457/38/4573826.jpg



航空券のコピー












ウクライナクーデターの証言

2018-02-14 20:27:56 | ウクライナ






2.14 「マイダンですべての標的に発砲」:キエフでデモ参加者を撃ったグルジア人スナイパーたちの証言

2014年2月20日、ウクライナの首都キエフのマイダン(独立広場)で何者かが狙撃し、抗議デモの参加者49人と治安機関職員4人の計53人が死亡した。


野党指導者や米国及びEUの代表者らは瞬時に「当時のウクライナ大統領ビクトル・ヤヌコヴィチ体制」を非難した。


だが未だに犯人は見つかっていない。


通信社スプートニクの記者は、マイダン(キエフを中心に発生した反政府デモ)の指導者から発砲を命じられたと主張するグルジアのスナイパーらと会った。


彼らによると、さらに集まっている人々を激昂させ、政治的危機を引き起こすために、警官だけでなく、抗議デモの参加者たちをも射撃せよという直接の指令があったという。



マイダンでの狙撃にグルジアのスナイパーらが関与していることについて最初に発言したのは、グルジアのミハイル・サーカシビリ前大統領のきわだった敵対者で、グルジア軍エリート部隊の元指揮官トリスタン・ツィテラシビリ将軍だ。


ツィテラシビリ氏はスプートニクに次のように語ったー


「マイダンにグルジア出身者がおり、意図的に彼らに発砲を指示したことについて私は2014年の時点ですでに知っていた。

彼らの一部はグルジア軍の私の部下だ。

何人かは今もウクライナ領内におり、戦闘に参加している。グルジアに戻った者たちは、このことを話すのを恐れている!不必要な証人として簡単に抹殺されるからだ」。




〇 マイダンの参加料金


グルジア軍の元将校コバ・ネルガゼ氏は、その1人だ。同氏はスプートニクのインタビューで次のように語った-



「我々は公式的にはトビリシ(グルジアの首都)で行われたデモでサーカシビリ氏の支持者と反対者が衝突しないよう警備をしていた。


だが実際、我々には反政府デモを鎮圧するという任務が与えられた。必要な場合には、指揮官の指示に従って我が部門の職員らが野党指導者らを殴打した。通常、我々はこのような行動を覆面をかぶって行う」。



またネルガゼ氏は「料金」についても語った。例えば、野党議員の殴打に対して1000ドルが支払われたという。



マイダンのデモ参加者を支援するためにウクライナのキエフに向かったネルガゼ氏のグループには、1万ドルが拠出された。


出張から戻った後にはさらに5万ドルを支払うと約束された。なお、ネルガゼ氏らは他人のパスポートでキエフに到着したという。



またネルガゼ氏によると、「酔っぱらうことがないよう秩序を守り、規律を維持し、政府側の扇動者を特定するという課題が我々に与えられた」という。



同氏は、すでにデモ参加者の管理下に置かれていたキエフのホテル「ウクライナ」で新年を迎えた。

さらにもう1人、騒動の最中キエフに到着した元グルジア兵がいる。それはアレクサンドル・レヴァジシビリ氏だ。


同氏は、グルジア軍で勤務した後、サーカシビリ氏の支持者団体「自由ゾーン」の活動家になった。レヴァジシビリ氏は自ら「野党の中に入り込んで喧嘩や挑発を仕組んだ」と述べている。




〇 「ウクライナの政治家が武器を持ってきた」

ネルガゼ氏はインタビューで


「2月14日あるいは15日に上級グループがホテル『ウクライナ』の3階の個別の部屋に集まった」、「兄弟民族を助けよとの命令が与えられた。だがその後、詳細は一切伝えられなかった。


その時までに私はすでにデモ参加者たちが猟銃や拳銃を持っているのを目にした」と述べ、さらに次のように語った-


「2月19日夜、ホテルにセルゲイ・パシンスキー氏(ウクライナのスキャンダラスな政治家)と、大きなバッグを持った数人の若者がやって来た。


彼らは、複数のSKSカービンや7.62mm口径カラシニコフ自動小銃、またドラグノフ狙撃銃1丁と外国製のカービンを取り出した。


パシンスキー氏は我々に、武器は『保護のため』に必要となると説明した。だが『誰から守るのか』という私の質問には答えずに部屋から出て行った」。



その時、ネルガゼ氏は、部隊「グルジア軍団」の指揮官マムラシビリ氏と話をした。


マムラシビリ氏は「特別任務」について、そして「すべての標的に対して武器を使用し、マイダンにカオス(混乱)をつくりだす必要がある」ということについて語り、


すべての標的とされる「デモ参加者と警察に違いはない」と述べ、出張に対するお金は「任務」遂行後に支払うと約束したという。


レヴァジシビリ氏によると、武器は同日、キエフ音楽院に運び込まれた。


また同氏は「パシンスキー氏から射撃位置を選ぶのを手伝ってくれと頼まれた。


私は、深夜に『ベルクト』(ウクライナ特殊部隊)が音楽院を襲撃し、デモ参加者を解散させる可能性があると述べた」と語った。




〇 「発砲が終わった後、我々は去るよう命じられた」

レヴァジシビリ氏はインタビューで次のように語ったー



「午前4時あるいは5時ごろ、私は銃声を耳にした。


パシンスキー氏は飛び起き、無線機をつかんで発砲を止めろ、まだその時ではないと叫び始めた。


発砲はすぐに止まった。午前7時30分ごろ、パシンスキー氏は全員に発砲の準備をするよう命じた。


2-3発撃って、すぐに位置を変えろということだった。発砲は約10-15分続いた。その後、武器を捨てて建物から出ろと命じられた」。


その後、レヴァジシビリ氏はマイダンに戻った。


同氏は人々が激怒し、発砲したのは「ベルクト」だと考えている人たちもいることを耳にした。また発砲したのは自分たちの仲間であるデモの参加者だと考えている人々もいた。


レヴァジシビリ氏は次のように語ったー


「私は理解した。これは悪い結果に終わる可能性がある、私は嫌な話に巻き込まれた、皆が知ったら私は今ここで八つ裂きにされる可能性があるということを。もう(祖国へ)飛び立つ時期だと考え、タクシーをひろって空港へ行った」。



ネルガゼ氏は次のように語っているー

「2月20日午前8時ごろ、音楽院の方向から銃声が聞こえた。

それから3-4分後にマムラシビリ氏のグループがホテル『ウクライナ』の3階の窓から発砲した。


発砲は2人組で行われた。発砲した後、別の部屋に移動してまた発砲した。すべてが終わった時、我々は去るよう命じられた。その日に私たちはトビリシに戻った」と語った。


ネルガゼ氏は、約束のお金を受け取らなかった。同氏は今、元「同僚」たちからの復讐を恐れている。



コバ・ネルガゼ氏とアレクサンドル・レヴァジシビリ氏は、ウクライナの裁判所で自分の証言の正しさを確認する用意がある。




コバ・ネルガゼ氏





アレクサンドル・レヴァジシビリ氏



https://jp.sputniknews.com/opinion/201802144573995/























中東からウクライナへ移動  

2017-12-24 15:16:25 | ウクライナ


アメリカ国務省のヘザー・ナウアート広報官は12月22日、同国がウクライナに「強化された防衛装備」を提供することを明らかにした。


その一方、アメリカの有力メディアは対戦車ミサイルのFGM-148 ジャベリンを含む兵器をキエフのクーデター政権へ提供すると報道
している。

https://www.washingtonpost.com/news/josh-rogin/wp/2017/12/20/trump-administration-approves-lethal-arms-sales-to-ukraine/?utm_term=.d8ff3bcbe2d8







http://abcnews.go.com/Politics/sources-trump-expected-announce-approval-plan-sell-anti/story?id=51957745




この報道が正しいならば、アメリカ政府の決定はロシア政府に対する挑発行為。


実際、ロシアのセルゲイ・リャブコフ副外務大臣はアメリカが一線を越えたと発言している。



このところウクライナはジョージアの大統領だったミハイル・サーカシビリにかき回されている。


今年9月10日にバスを使ってポーランドからウクライナへ入り、12月5日に逮捕されたが、この時はサーカシビリ支持者が奪還に成功、8日に再び逮捕された。保釈されたのは11日のことだ。


ジョージア時代のサーカシビリはイスラエルの強い影響下にあり、ウクライナで結びついているユリア・ティモシェンコは2007年12月から10年3月にかけてウクライナの首相を務めていた人物で、そのパトロンは投機家のジョージ・ソロスだった。


ソロスはロスチャイルド家に近く、ヒラリー・クリントンを操っていたことでも知られている。


ティモシェンコが首相だった時代の大統領はオレンジ革命で実験を握ったビクトル・ユシチェンコ。


2010年に行われた大統領選挙ではティモシェンコもユシチェンコもビクトル・ヤヌコビッチに負けた。




そのヤヌコビッチをアメリカのネオコンは2014年2月にクーデターで倒している。


その手先として活動したのがネオ・ナチのグループだ。


2月18日頃、ネオ・ナチはチェーン、ナイフ、棍棒を手に、石や火炎瓶を投げ、ブルドーザーなどを持ち出しただけでなく、ピストルやライフルを撃つ人間も出始めた。


そして22日に広場では狙撃で市民側にも警察側に多くの死者が出ている。




これを西側の政府や有力メディアは政府側の仕業だと宣伝したが、2月25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相の報告は違う。パエトは26日にキャサリン・アシュトンEU外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話、反政府側が実行したと強く示唆しているのだ:



「​全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。


同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。​」



その当時、広場をコントロールしていたのはネオ・ナチの幹部として知られているアンドレイ・パルビー。


この人物はソ連が消滅した1991年にオレフ・チャフニボクと「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」というネオ・ナチ系の政党を創設、クーデター後には国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任、2014年8月までその職にあった。



当時から外国のスナイパーが関与しているいう話が流れていたが、イタリアのドキュメンタリーに登場した3名のジョージア人は自分たちが狙撃したと認めている。


ウクライナのクーデターは、ミヘイル・サーカシビリがジョージアで実権を握った2003年11月の「バラ革命」と同じシナリオだったとも語っている。



この3人によると、彼らは狙撃者の一部で、治安部隊のメンバーとしてジョージアから送り込まれたいう。


狙撃の指揮者はアンドレイ・パルビーだとも語っているが、これもクーデター直後から言われていた。

ジョージアの狙撃者はウクライナ行きを命じたのはサーカシビリだとしているが、この人物は2013年11月17日に大統領を辞めているので、その前の決定だということになる。



サーカシビリは2015年5月から16年11月にかけてオデッサの知事を務めたが、このオデッサでは14年5月2日に反クーデター派の住民がネオ・ナチのグループに虐殺されている。


クーデター政権がドンバス(ドネツクやルガンスク)へ戦車を突入させて民族浄化作戦を始めたのはその7日後。


オデッサの虐殺で脅し、逃げ出すことを狙ったのだろうが、ウクライナの軍や治安機関でクーデターに反対していた人びとが終結したこともあり、アメリカの思惑通りには進んでこなかった。



現在、ウクライナで最も平穏な場所はクリミア



ここはほかの地域より早くクーデターに対抗する動きがあり、周囲を海に囲まれていることから軍事侵攻を防ぐことができた。


ここでは2014年3月16日、ロシアの構成主体としてロシアに加盟するかどうかを問う住民投票が実施されている。


投票率は80%を超え、そのうち95%以上が加盟に賛成したという。


住民の意思は明確に示されたのだが、西側では憲法違反のクーデターを支持、クリミアの民意を否定する人が今でもいる。有力メディアはその姿勢を崩していない。



アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟は2011年春にリビアとシリアを制圧するため、アル・カイダ系武装集団を送り込んだ。


リビアではアル・カイダ系武装集団とNATO軍が連携して体制転覆に成功、今では瓦礫の中を武将集団が跋扈する破綻国家で、奴隷売買も行われている。


そうした状況を作り上げたのは三国同盟だけでなく、西側の国々が含まれていることを忘れてはならない。


しかし、シリアでは体制転覆に失敗、このままではイランを破壊することも難しい。


最大の障害はロシアであり、ウクライナで戦争を始めればイランをロシアが守れないのではないかとネオコンあたりは考えているかもしれない。


本ブログでも指摘したが、2018年にアメリカが新たな戦争を始めると懸念する人は少なくない。


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201712240000/







サーカシビリが逮捕された  オデッサの虐殺

2017-12-18 16:08:26 | ウクライナ


ジョージアの元大統領で オデッサ州知事も務めたサーカシビリが ウクライナに密入国した後 逮捕



2014年2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除したクーデターの後、ウクライナは破綻国家と化している。


そのウクライナでジョージアの元大統領、ミハイル・サーカシビリが混乱に拍車をかけるような行動を展開している。



サーカシビリは2013年にジョージアを離れ、その直後に指名手配されたが、15年5月29日にペトロ・ポロシェンコ大統領からウクライナの市民権を与えられ、5月30日にオデッサ州の知事に任命され、12月4日にジョージアの国籍を失っている。



オデッサでは2014年5月2日に反クーデター派の住民がネオ・ナチのグループに虐殺されている。

ネオ・ナチの後ろ盾はアメリカ/NATO。西側と連携したオリガルヒが資金を提供していた。



虐殺はその日の午前8時、「サッカー・ファン」を乗せた列車が到着したところから始まる。


赤いテープを腕に巻いた一団がその「ファン」を広場へ誘導するのだが、そこではネオ・ナチのクーデターに対する抗議活動が行われていた。


誘導した集団はUNA-UNSOだと言われている。



不穏な空気が漂う中、広場にいた反クーデター派の住民は労働組合会館の中へ誘導される。

危険なので避難するようにと言われたようだが、実際は殺戮の現場を隠すことが目的だったと推測する人もいた。



外から建物の中へ火炎瓶が投げ込まれて火事になり、焼き殺された人は少なくない。



建物へ向かって銃撃があり、内部でも殺戮が繰り広げられた。


48名が殺され、約200名が負傷したと伝えられているが、これは確認された数字で、住民の証言によると、多くの人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名だろいう。


虐殺の詳しい調査は現時点でも実施されていない。




虐殺の前、アメリカ政府の高官がキエフを訪れていた。


まず4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問、4月22日にはジョー・バイデン米副大統領もキエフを訪問し、それにタイミングを合わせるようにしてオデッサでの工作が話し合われている。



この会議に出席したのは大統領代行、内相代行、SBU(治安機関)長官代行、ネオ・ナチの中心的な存在だったアンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長代行、そしてオブザーバーとしてドニエプロペトロフスクの知事になるイゴール・コロモイスキーだ。



コロモイスキーはウクライナのほか、イスラエルとキプロスの国籍を持ち、スイスをビジネスの基盤にしている。


会議の10日後にオデッサで虐殺があったのだが、その数日前、パルビーは数十着の防弾チョッキをオデッサのネオ・ナチの下へ運んでいる。



ところで、ウクライナをクーデターは2013年11月、キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で始まった。

当初はカーニバル的な抗議活動で、混乱をEUは話し合いで解決しようとする。



そうした方針に怒ったのがアメリカのジェオフリー・パイアット大使やビクトリア・ヌランド国務次官補。


このふたりが電話で話し合う音声が2014年2月4日にインターネット上にアップロードされている。



パイアットとヌランドは電話で次期政権の人事について話し合っていたのだが、その中でヌランドが強く推していた人物がアルセニー・ヤツェニュク。


実際、クーデター後、首相に就任している。その会話の中でヌランド国務次官補はEUが話し合いで解決しようとしていることに怒り、EUに対して「くそくらえ(F*ck the EU)」と口にした。



その音声が公開された頃からキエフでは暴力が激しくなるが、その中心はネオ・ナチ。


2月18日頃から棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始めた。


ネオ・ナチは広場へ2500丁以上の銃を持ち込んでいたとも言われている。



その当時、広場をコントロールしていたのはネオ・ナチの幹部として知られているアンドレイ・パルビー。


この人物はソ連が消滅した1991年にオレフ・チャフニボクと「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」というネオ・ナチ系の政党を創設、クーデター後には国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任、2014年8月までその職にあった。



ヤヌコビッチを暴力的に排除する切っ掛けになったのは広場における狙撃。治安部隊の隊員も抗議活動の参加者もターゲットになり、少なからぬ犠牲者が出た。



西側の政府やメディアはヤヌコビッチ政権側が狙撃していると宣伝したが、2月25日にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は事実が逆だと報告している。


反大統領派で医師団のリーダー格だったオルガ・ボルゴメツなどから聞き取り調査をした結果だという。


その結果を26日にEUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったキャサリン・アシュトンへ電話で、狙撃手は反ヤヌコビッチ派中にいると報告した。



「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。


同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。


スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としている。



パエトはクーデター派が狙撃したとアシュトンへ知らせているのだが、この報告は無視された。


先月、この報告を裏付けるドキュメントがイタリアで放送されている。


https://www.youtube.com/watch?v=wR1NFI6TBH0








その中で自分たちが狙撃したする3人のジョージア人が登場、警官隊と抗議活動参加者、双方を手当たり次第に撃つよう命じられたとしている。




この3人は狙撃者の一部で、治安部隊のメンバーとしてジョージアから送り込まれたいう。


また、彼らによると、キエフのクーデターはジョージアで実行された「バラ革命」と同じシナリオだった。


狙撃の指揮者はアンドレイ・パルビーだとも語っているが、この人物が指揮していたことはクーデター直後から指摘されていた。


ジョージアの狙撃者はウクライナ行きを命じたのはサーカシビリだとしているが、この人物は2013年11月17日に大統領を辞めているので、その前の決定だということになるだろう。



2016年11月にサーカシビリはオデッサ州知事を辞任、今年7月にウクライナ国籍を剥奪された。一旦出国したが、今年9月10日にバスを使ってポーランドからウクライナへ入った。


12月5日に逮捕されたが、この時はサーカシビリ支持者が奪還に成功、8日に再び逮捕された。保釈されたのは11日のことだ。



https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201712170000/