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タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

 あまり知られていない『もう一つの戦争』

2018-08-14 | その他
昨夜は某局のドキュメンタリー放送、『船乗りたちの戦争』を観た。 太平洋戦争の激戦地ガダルカナル島への軍需物資運搬のために駆り出された(軍部の命令で一つで)、十代(高校生程の年齢の若者)及び20代の一船員達が、軍令一つで、裸同然の無防備な漁船や輸送船に乗せられて、激戦の地南太平洋ガダルカナルの諸島に向かい、約6万人もの尊い命が失われて行ったと言う。 これは誰も知らないもう一つの戦争である。 輸送途中に待ち構えていた米軍戦闘機からの攻撃、魚雷による撃沈。彼らは國を出る時、生きて再びこの日本の地を踏むことは無いであろうと、覚悟の特攻精神で戦地に向かったと言う。 また戦局がひっ迫して来ると、洋上における敵艦船の監視活動を命ぜられる様になり、犠牲者の数は激増して行ったと言う。

洋上で無防備な漁船が、敵艦隊と直接対峙するのですから当然と言えば当然の事。 当時の記録の中では、「敵艦隊発見す。」「我、敵艦に対し突撃す。」と、最後に打電(モールス)し、「天皇陛下万歳」と叫んで、消息を絶ち海の藻屑と消えて行ったのである。 また、無事ガダルカナル島に物資を輸送した船も、敵に物資を奪われ命からがら残っていた乾パン一箱持って、密林に潜入して行った若者達も、やがて食料が尽き餓死、全滅したと、元生き残り船員が語っている。 飽食の時代の今、「餓死」すると言う事がどう言う事なのか、想像すらもできないのではないでしょうか。  開戦3年後には365万トンの漁船等が撃沈されたと言う。これは1級漁船100トンに換算しても、おびただしい数の船が人が、海に沈められたと想像できる。 戦後、これらの任務から帰還、生存している人を訪ね歩き、時代の証言をテープに収めた人がいて、当時の状況をテープで今回放送の中で再現されたのだが、これを今何故公開するのか。。。それは生存、帰還者達は、当時の状況を「自分たちだけが、生還したと言う事を恥じ、口をつぐんできた。」為であり、テープの公開は戦争の悲惨さを後世に語り継ぐためであると語っている。 これは「もう一つの戦争」の記録であった。 転じて、時あたかも憲法九条の改正論議が加速されつつある中で、国民一人一人がよくよく考える必要がある。 これまで世界各地での戦争が、その発端は「自衛戦争」の名のもとに行われたことが何と多いことだろうか。    

真に自衛のための戦争、軍備がどこまで許されるのか。 ただ言えるのは戦争は絶対悪であると言う事である。



当時、戦争賛歌のこんな歌がたくさん歌われている。


美空ひばり:同期の桜

『思い出のサンフランシスコ』聴き比べ~フランク・シナトラ ジュリー・ロンドン トニー・ベネット

2018-08-14 | その他


フランク・シナトラ:思い出のサンフランシスコ










ジュリー・ロンドン:思い出のサンフラシスコ











トニー・ベネット:思い出のサンフラシスコ