今日はふたつの大きな予定があります。
まるっきり正反対の方向性のものなのですが。
母の四十九日と納骨の法要。
母が土へ還る日。
ひとつの区切りですね。
葬儀のあと、荼毘に付されて。
生身の身体が、骨と白木の位牌と写真になって。
それが母が亡くなったということを最初に実感した時だった。
そして今日。
家にあった骨がお墓に入る。
やっぱ特別なことです。
亡くなっても骨という「実体」が家にあった。
それがなくなるのだ。
それでもやっぱりね。
悲しいとか寂しいという気持ちがないんだ。
私、薄情なんですかね。
母は胸の中でずっと生きている。
思い出とかそれだけのレベルじゃなくてさ。
母は私の中にいるのですよ。
それはずっと変わらない。
一親等の人を失う。
人生初めての体験。
近い人だから辛い。
それはもちろんあるのだけれど。
近いからこそ胸に深く刻まれている。
亡くなってもずっとそばにいる。
自分の胸の中からは決して消えることがない。
だから今日も私は泣かないだろう。
「喪失感」はあっても寂しくはない。
何物もどんな力も。
私が生きている限り母を私の中から消すことは出来ない。
さてもうひとつの予定。
大学の同期の飲み会。
納骨から飲み会へ直行。
いいじゃん。
日常だよ、日常。
元気で今までのような日常を過ごす。
母はそれを望んでいる。
下を向いて生きることを母は願っていない。
大学卒業以来という友達もいる。
はい、思いっきり楽しんできます。
まるっきり正反対の方向性のものなのですが。
母の四十九日と納骨の法要。
母が土へ還る日。
ひとつの区切りですね。
葬儀のあと、荼毘に付されて。
生身の身体が、骨と白木の位牌と写真になって。
それが母が亡くなったということを最初に実感した時だった。
そして今日。
家にあった骨がお墓に入る。
やっぱ特別なことです。
亡くなっても骨という「実体」が家にあった。
それがなくなるのだ。
それでもやっぱりね。
悲しいとか寂しいという気持ちがないんだ。
私、薄情なんですかね。
母は胸の中でずっと生きている。
思い出とかそれだけのレベルじゃなくてさ。
母は私の中にいるのですよ。
それはずっと変わらない。
一親等の人を失う。
人生初めての体験。
近い人だから辛い。
それはもちろんあるのだけれど。
近いからこそ胸に深く刻まれている。
亡くなってもずっとそばにいる。
自分の胸の中からは決して消えることがない。
だから今日も私は泣かないだろう。
「喪失感」はあっても寂しくはない。
何物もどんな力も。
私が生きている限り母を私の中から消すことは出来ない。
さてもうひとつの予定。
大学の同期の飲み会。
納骨から飲み会へ直行。
いいじゃん。
日常だよ、日常。
元気で今までのような日常を過ごす。
母はそれを望んでいる。
下を向いて生きることを母は願っていない。
大学卒業以来という友達もいる。
はい、思いっきり楽しんできます。