のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

辛いこと、本当にずっと続くだろうか。

2012年05月31日 22時22分00秒 | Weblog
楽しくないことは長く続けられない。
間違いないことだと思います。
いや、私は辛いことを続けているよ。
そういう方も多くいらっしゃるでしょう。
世の中楽しいことだらけではないし、
辛いことを避けられないことは多々あります。

でもね。
辛いことを続けられるのは、
ほんの一筋の細い光りでもいい、
その先の希望を信じられるから、もしくは信じたいから。

それすらもない。
本当に辛い、一筋の希望もない。
そんなことを続けている人もいる悲しい世の中です。

信じる者は報われる。
それは100%の真実ではないのかもしれません。
それを完全に信じるほど私はお人好しではありません。
現実は厳しい。
辛いから、本当に辛いから。
人生最悪の選択をしてしまう人もいる。

それでも私は信じたい。
信じてみようと言いたい。
希望を見いだしづらい世の中だからこそ。
最悪のシナリオに怯えるだけでなく、
先にある希望、楽しいことを信じようじゃないか。
それができない人生は悲しすぎるよ。

「人生最悪の選択」をしてしまった知り合いが何人かいる。
心の病を抱えていると、本当に悲しいことだが、
そういう現実にぶち当たることが普通の人より多くなる。

だからこそ、命の重さというものはよくわかる。
絶対に生きなきゃ。
生きられる限りは「自発的に」生きなきゃ。
そう強く思う、決意する、実行する。

生きること、生きることそのものを楽しみにする。
明石家さんまさんの有名な言葉。
「生きているだけで丸儲け」
本当にいい言葉だ。

生きていること、生きていることそのものに楽しみを見いだせたら。
悲しすぎる選択をする人はいないはず。
それは理想論かもしれないけれど、
このことに関してだけは理想を譲らないよ。
生きなきゃ。

楽しいことを信じよう。
楽しいことを考えよう。
辛いときにこそ希望を持とう。
ちっぽけなことでもいい。
荒唐無稽な夢でもいい。

夢を、希望を。
馬鹿な理想主義者。
夢見生のつぶやき、いや、叫び。

p.s.
「苦しくない自殺の方法」「死にたい」
とかでネット検索をかける暇があったら、
騙されたと思って、少しでも楽しいことを考えましょうや。
無理栗でもいいから笑ってみましょうや。
夢や希望って、そんなに自分にそっぽを向き続けるもんじゃありませんから。
食って寝て薬飲んで病院行くだけ。
そんな日々が通算10年以上。
今48歳でちっぽけながら夢と希望を持って生きている。
私には語る資格はなくても、経験則なら言えますから。

本ブログへのコメントについての見解

2012年05月30日 07時36分00秒 | Weblog
ありがたいことに、拙ブログにコメントを付けて頂くことがあります。
コメントに対する姿勢はいろいろな段階がありました。
せっかくコメントを付けてくださったのに、
お返事をせず不義理を重ねた時期もあった。
今はなるべく1回はお返事をすることにしています。

「お喋りレベル」のコメントについてはやりとりが続くこともあります。
考えてしまうのは、主義主張思想信条が絡む内容。
特に私と意見が違う方とのやりとりです。
現在の対応は
「1回だけお返事。相手の方の再反論があった時点で終わる」
です。

一番避けたいと思っているのは、
自分の意見で最後を締めて「言い逃げ」すること。

私は本ブログの管理者ですから、
やろうと思えば、自分の都合のいい意見を書いて、
以後の他者の意見反論をシャットアウト。
そんな暴挙もやろうと思えばできるわけです。

それを避けるためにも、反論があった時点で止める。
必ず相手の方の意見で締めくくる。
それで先に書いた私の意見がかすんでしまうのなら、
それは私の表現力不足です。

明らかにその場限りの方に関しては、反論そのものをしないことがあります。
そのときだけ訪れたその場限りのお客様なら、
私が書いた反論が議論の最後になってしまう可能性が高いわけで。
よってそういう場合はお返事しないこともあり得ます。

(あり得そうもない仮定ですが)
超人気ブログになって、物理的に量的に、
すべてのコメントにお返事できない状態にならない限り、
前述の「その場限りさん」以外にはお返事いたします。

基本的にコメントは掲載しますが、いくつかの例外はあります。
営業行為(リンクのみ、あるいは参加の意思のない文章とリンクの書き込みを含む)、
法令または公序良俗に反するもの、
明らかに事実と反する、または事実と確認できないもの、
多くの人が不快に感じられるであろうもの、
個人情報、管理者が著しく不利益と判断する記事や
他人を誹謗中傷するコメントは、
失礼ながら掲載そのものを致しません。
ま、早い話が最低限のマナーさえ守ってくれれば何を書いてもかまいませんよ、ってことです。

これからも本ブログ“のんきいきいき”をよろしくお願いいたします。

幸せになるために。恋愛と結婚について。

2012年05月29日 07時36分00秒 | Weblog
別に人生巧者を気取るわけでもなくてね。
それなりに長く生きてきて周囲を見ていて思うこと。

恋愛は事故、結婚は勢い

偉そうにかく言う私。
「勢いが必要な事故」
にはいまだかつて遭っていない。
一度くらいは。
ってか一度だけ、
なるべく遭ってみたいものです。
そういう、人生一世一代の大事故に。

好きな曲。Yesの"Owner of a Lonely Heart"

2012年05月28日 05時15分00秒 | Weblog
iTunes、お気に入りの曲の中に
Yesの"Owner of a Lonely Heart"
があります。
曲名は直訳すると
「孤独な心の持ち主」
といったところか。

この曲とは若い頃に出会いました。
今改めて調べたら、リリースは1983年。
つまりまだ私が十代だった頃ということ。
意味なんかわからず聞いた第一印象で好きになった。
プロモーションビデオも鮮烈だった。
するとやっぱり意味を知りたくなる。
レコードの(←歳がばれる(苦笑))歌詞カードを見れば済む話だが、
この曲に関してはなぜか最初に自分で調べたくなった。
当時、Webなんて便利なものは存在しなかったから、
辞書と首っ引きで調べた。
英語力のなさだけは自信があったから、
相当時間がかかった記憶がある。
で、結局はやっぱり自信がなかったから
歌詞カードで答え合わせ。
だいたいは正しかった。
嬉しかったよ。

で、その歌詞の内容。
思い切りかいつまんでいえば、
「孤独か、傷心か」
ってこと。
うーん、実に深い。

これに関しては人生の途中で考え方が変わった。
昔はこの曲が言うように、
傷つくよりは孤独のほうがいい。
だった。
今は違うな。
これはもう理想論者と言われようがかまわないのですが、
ひとりぼっちで部屋の隅に向かっていたら
何も起こらない、何も変わらない。
傷ついてもいいからやってみよう。
そう考える、そう考えられるようになった。

抱えている心の病。
この考えになってから好転した。
簡単に言ってしまえばネガティブ思考からポジティブ思考になったってこと。
でもそんな簡単に片付く話じゃないよ。
紆余曲折、葛藤があったもの。
だって孤独って、ある意味すごく楽だしさ。
自分も傷つけない、他人も傷つけない。
世の中丸く収めるものでもあるわけ。

なんで変わったのかというと。
うーん。
正確なところは思い出せない。
でも「このままじゃダメだ」と強く思ったことは確か。
病気は治らない。
働けない。
友だちできない。
恋すらできない。
八方塞がりだったから。

完全解決したなんて言わないけれどね。
少しは良い方向に向かったときに何をしたかというと、
傷つくことを怖れずにまず一歩進んだ。
一歩踏み出したら、私の人生はガラガラと音を立てて回り出した。
気付いた。
孤独は楽でもあるけれど、傷心は辛くもあるけれど、
最後に笑うためには傷心を怖れずに行動すること。

私の言うことを信じられないのは当たり前。
私は金持ちではないし、「明確な成功者」でもない。
それでも成人してから、病気で働けなかった時期が通算で軽く10年を超える。
そんな自分の経験談として語れることがある。
今日は好きな曲を足がかりにしてそれを語っただけ。

僕に良き人生を
君に良き人生を
すべての頑張る人に
素晴らしき未来を
今頑張れない人に
いつか踏み出せる勇気を

竹内洋岳さん、8千m峰14座制覇の快挙。命の重さについて。

2012年05月27日 16時56分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#竹内洋岳さん、日本人初の8千メートル峰14座制覇(朝日新聞デジタルより)

努力。
ひたすら努力。
この偉業を支えたのが愚直なまでの努力であることは想像に難くない。
すべての偉業は地道な努力の積み重ねである。

命を危ぶまれる大怪我も経験。
背骨にボルトを入れて山に復帰。
凄いで片付けられることではない。

自分がとてもできないことをやり遂げる人に単純に憧れる。
何かに命を賭ける。
尊いこと。
それが戦争ならばとても悲しいんですがね。

死は自分を落とすだけでなく、周囲の人に迷惑をかける。
明らかな命の危険を冒してまで、
山に登ることはどうなのか。
賛否両論別れるところ。
誤解を怖れず私見を述べさせていただくと、
私の経験上、命を賭けての登山に否定的な見解を述べるのは、
男性よりも圧倒的に女性に多いように感じられる。
身近なところでは私の母もそう。

男のロマンで片付けるつもりはない。
いうまでもなく命は重い。
ならば登山家は命を軽んじているのかといえば、またそれも違う。
登山家の言動を見ていると、ずっしりと重い命を感じさせる。
命の輝きを感じるというかな。

懸命に何かをする。
命を賭けて何かをする。
安全と平和にどっぷりと浸っている私たち。
それが悪いことだとは言わないが、
行動に命がかかっている人たちがいることを忘れてはならない。
このクラスの登山は遊興ではない。
命の輝き。
明日がある保証などどこにもない。
この快挙の報を聞き、感じたこと。

無人宇宙輸送機ドラゴン、ISSへのドッキング成功。私の危惧。

2012年05月26日 22時16分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#米国の宇宙ベンチャー、スペースX社が打ち上げた無人輸送機「ドラゴン」が日本時間26日午前1時ごろ、民間企業が開発した輸送機として初めて国際宇宙ステーション(ISS)にドッキングした。(毎日jpより)

字遊航海ではのんきなことを書いてしまいましたが。
以下、私の本音として。

私はこのニュースを宇宙における価格破壊が始まったと理解しています。
大きく的を外れた見方ではないでしょう。
価格破壊。
宇宙にこの言葉を持ち込んでよいのだろうか。

はい、今建前を言いました。
事実、現実の自分も告白しなければ卑怯でしょう。
スーパーで同じ商品同じ品質で、
安い商品と爆安の商品が並んでいたら、
爆安の商品を選びます。
楽天市場でのお買い物の時、基本的に一番安い店を選びます。

その卑怯な本音を抱えた上で言います。
宇宙に価格破壊を持ち込むのは危険ではないか。
安全第一のものに価格競争を持ち込むのは如何なものか。

おそらくこの道を突き進むのだと思います。
そして事故が起きて初めて気付く。
その最悪のシナリオが待っている。

有人宇宙飛行の死亡事故率は、
電車や飛行機と比べて桁がいくつも違うものと認識しています。
無人宇宙飛行だけ価格を追求し、有人宇宙飛行だけ安全第一。
それも無理な話だ。

何事にも無駄はつきもの。
削減できる経費というものはある。
それを削るのは間違いではないけれど、
一事は万事。
予算を削るという姿勢はいろんな意味で余裕をなくす。
余裕のない、いっぱいいっぱいの姿勢で、
「開発」という事業を進めるといつか破綻する。
宇宙開発はスーパーや楽天でのお買い物とは違う。

物の値段が安いのに越したことはないが、
宇宙に価格破壊の発想を持ち込むのは
ある意味、負の財産を後世に残すことになる。

今は決定的な悲惨な事故が起きないことを祈るのみです。

努力は生きるためのエネルギー

2012年05月25日 06時17分00秒 | Weblog
報われる努力。
報われない努力。
両方あると思う。

結果だけに焦点を当てるとそうなるが、
努力したという事実は揺るがないし、
「努力したこと」が無駄になることはないし、
その意味で無駄な努力というのはない。

不可能を可能にするのは自分の努力
世界でたった一つの自分をたいせつに
生涯は一度、努力は一度の積み重ね


努力でかいた汗は無駄にならない。
その後の自分に何らかの形で必ず生きてくる。
それは信じていい。
っていうか信じたい。

いくら正当な努力をしてもまったく報われないのなら、
それは努力したことが間違いだったのではない。
自分を卑下するな。
何度も努力すれば、努力は報われる。
つまりは報われるまで努力すること。

私はまだまだ努力が足りない。
こんな偉そうなことを書いてしまったのだから、
私も精一杯努力しないとね。

将棋名人戦、ニコニコ生放送という強い味方

2012年05月24日 06時28分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#羽生挑戦者が勝ち、2勝2敗のタイに 将棋名人戦第4局(朝日新聞デジタルより)

森内俊之名人と羽生善治挑戦者の熱戦。
ニコニコ生放送という強い味方により、
最後まで生観戦することができました。
最初から終局まで生放送ですから、
もはやNHK BSプレミアムの生放送の上をいっています。

終局直前の音抜けや音ズレ等のトラブルは
現時点では仕方がないかと。
初めての試みですし、アクセス集中によるサーバーへの負荷は、
予想を超えていたのでしょうね。
しかしこれが続くと言い訳が効かないでしょう。
有料会員もいるのですから。
かく言う私も、無料会員だと頻繁に回線を
ぷつりと切られてしまうのに辟易し、
有料会員に移行しました。
運営者の善処に期待します。
ああいう形態の商売をするなら、
アクセスが集中してもサーバーがパンクしない対策は必須かと。

画質はハイビジョンのNHK BSプレミアムの生放送とは比べるべくもないが、
私が将棋と出会った頃から考えると、
夢のようなシステムであることは間違いない。
だから少々の中継トラブルがあっても、
がつがつ文句を言う気になれないのかもしれない。
ああ、いい世の中になったものだ。
おじさんの感慨。

東京スカイツリー、初日の災難に学ぶ。

2012年05月23日 04時37分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#東京スカイツリー(東京都墨田区、高さ634メートル)は開業初日の22日夕、強風のため二つの展望台を結ぶエレベーターの運行を一時停止し、地上約450メートルの第2展望台「天望回廊」の営業を予定より約2時間半早く午後7時36分に打ち切った。(毎日jpより)

事前の説明不足があったと思います。
強風なら安全のためにエレベーターを止めたり、
営業そのものを打ち切ることがある。
考えてみれば当たり前のことなわけで。
安全第一。
営業優先は逆に信用できない。

ただし説明不足であった。
こういうことがあり得ることは、
事前にもっとはっきり告知すべきだったね。

いつか必ず来る日。
それがたまたま営業開始初日だっただけのこと。
訪れる人、訪れようとしている人にも、
いい教訓になったと思う。
場所が場所だけにこういうリスクは伴って当然。
曇りや雨で、登ったはいいが見えるはもやばかりなり。
そんな日もあるだろう。
そういう日でも文句を言わず受け入れる。
その度量が必要だ。

東京近郊に住んでいて「いつでも行ける」人はまだいい。
地方から出てきて、その日に狙いを定めてきた。
極端な話これを逃したら一生登れないかもしれない。
そういう人もいるだろう。
海外からの観光客の方とかね。
それでも安全はすべてに優先する。
それが大原則。

光有るところに必ず影有り。
正確には
光とものが有るところに必ず影有り、か。
好ましくない不運も受け入れる。
東京スカイツリーに登る資格の第一は、
「人間力」なのかもしれません。

東京スカイツリーオープン、登るべきか登らざるべきか。

2012年05月22日 21時46分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#高さ634メートルを誇る世界一の自立式電波塔、東京スカイツリー(東京都墨田区)と商業施設「東京ソラマチ」などがある街区「東京スカイツリータウン」が22日、開業した。(毎日jpより)

東京スカイツリーオープン。
騒ぎすぎの感がしなくもない。
興味はあるよ。
そりゃ世界一だからね。
登ってみたい気持ちはある。

でもそれに費やす労力、手間。
考えると二の足を踏む。
同じ流行り物でも金環日食観測とは、
費やす手間、費用等が桁違いになる。

あとは感覚の問題なんだけどね。
スカイツリーブームについては「うまく持っていかれている」気がしてしまう。
大人の思惑もぷんぷんするし。

それをわかってなおかつブームに乗っかろうとする人を否定する気はないし、
それはそれで凄いことだし、ある意味健全な神経だと思う。
私がひねくれているだけというのは十分自覚していますし。

で結局、登れないというよりは、
「能動的に登らない」
という選択肢になる。

彼女、もしくはかみさんとデートとか、
幼い我が子に
「お父さん、スカイツリーに連れて行って」
とかで行くのは嬉しいことだし、
心から憧れていることでもある。
どっちも現段階では予定も見通しもないのが口惜しいところ。

なんだかんだで、結局お前登りたいんじゃん。
はい、返す言葉もございません。

明日金環日食、晴れるといいな。

2012年05月20日 07時20分00秒 | Weblog
明日4月21日、金環日食。
東京では1839年9月8日以来173年ぶりとな。
江戸時代ですよ、江戸時代!
こりゃほっとけん。
こういうことには敏感だから、観測準備は完了。
ヨドバシカメラにて観察サングラス購入済み。
どんと来いって感じ。
(誤変換で最初「どんと恋って感じ」になった。ナイスATOK!)

ところがどっこい。
天気予報、びみょー。
こればっかはどうにもなりませんからね。
まさに「運を天に任せる」ってやつか。

調べた。
国内で見られる次の金環日食は、18年後に北海道で。
東京での次回は300年後、2312年4月8日。
うーん、これを見にわざわざ北海道に出かけるほどのこともなし。
さりとて348歳まで生きるのはちとキツイ。
って無理じゃん。
それまで生きていたら私の存在のほうが観測ものだ。

晴れろ、晴れろ。
念じてみる。
願えば叶う。
ほんまかいな?
ま、信じて明朝を待つこととします。

ロンドン五輪の聖火、英国に到着。私の五輪への思い。

2012年05月19日 15時58分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#ロンドン五輪の聖火、英国に到着 70日間リレーへ(朝日新聞デジタルより)

いよいよですね、五輪。
4年に一度の大イベントです。
夏冬あわせれば2年に一度とはなりますが。

私はこの手のイベントに実に弱い。
スポーツが織りなす感動というのにキュンとくる。

地球の裏側での開催というのは逆に好都合。
夜、深夜、早朝の時間帯のテレビ中継なら、
睡眠時間のやりくりで何とかなる。
北京とシドニーは逆に難儀しました。
時差がないから、仕事の時間と被ってしまい見られない。
古くは小学生時代の札幌冬季五輪は、
仕事をしていないんで問題なしだったんですが。

テレビ中継の時間が正式に決まったら、
まずスケジュールを組みます。
日常生活にテレビ中継を組み込み、
睡眠時間のやりくりをする。
腕の見せ所です。

健全なナショナリズムの元、
日本選手中心の応援になるでしょうね。
あー、考えるだけでドキドキしてくるぞー。

聖火がらみで開会式にひとつだけ注文。
普通の聖火点灯が見たい。
最近、五輪の聖火点灯は凝りすぎです。
聖火を持った人が普通に階段を駆け上って人が普通に点灯する。
この普通が感動だと思うんだけどな。
私に言わせりゃ、機械仕掛けは邪道の極みですよ。
時代が進化したのだからコンピューター制御の機械仕掛けのほうが見栄えがいい。
そういう発想なのでしょうけれど、
懐古趣味と言われようが私は伝統的な普通の聖火点灯が見たい。
機械に頼らない人の手によるという点では
アーチェリーでの聖火点灯ってのもあったけれど、
私はしっくりこなかったな。
アテネでの聖火の採火式はずっと変わらない方式な訳でしょ。
五輪本番の点灯だって人が直接点火するっていう
ずっと変わらない方式のほうが感動を呼ぶと思うのだけどなあ。

最後には愚痴になっちゃいましたね。
オリンピックに関しては否定的な言葉で締めたくないので、
明るい希望を。
スポーツに国境はないというのは間違いなのだと思う。
オリンピックだって基本は国別対抗であり、
表彰式では国歌が流れ国旗が掲揚される。
国境があればこその盛り上がりと言えるわけで。
ならば国境があっても同じ舞台で戦える素晴らしさ。
そう考えることはできないだろうか。
キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒。
世界には様々な宗教があるけれど、
それぞれ陸上競技のルールが違うなんてことはない。
国の体制また然り。
スポーツに国境があるとしても、
スポーツを愛する「心の部分」は同じはず。
理想論者と言われようと、
私はスポーツがもたらす平和というものを信じたいです。

止めとけよ自分、サッカーを偉そうに語るのは。

2012年05月18日 18時03分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#日本サッカー協会は18日、アゼルバイジャンとのキリンチャレンジカップ(23日・エコパ)に臨む日本代表23人を発表した。(YOMIURI ONLINEより)

最終目標がブラジルでのW杯であることは言うまでもない。
簡単に行けるものではないし、
簡単であっては面白くもなく意味もない。

23人のうち実に10人が欧州でプレイしている選手であることは実に興味深い。
日本のレベルが上がった証明であるとともに、
Jリーグはまだ世界の中では段違いの格下扱いなのだなという寂しさ。
本当に日本のレベルが高ければ、
一流選手だって多くは日本でプレイするはずなのだ。
そして一流の証明はピッチでしかできない。

ことサッカーに関しては女子が先を行ってしまった。
なんたって世界一になったのだから。
男子代表もW杯に何回か参加したが、
「目標は優勝」と言ったことは一度もない。
それほどハードルが高いのだ。

私自身、サッカー通を気取るつもりはさらさらない。
サッカー生観戦は生涯ただ一度。
アメフト、野球、プロレスとは桁が違うのである。
だから偉そうにサッカーを語る資格はない。
でも語ってしまう。
「語り病」はどうにもなりませんな。
生粋のサッカーファンの方、気に障ったら申し訳ないです。

ああ勘違い、照れ笑い。

2012年05月17日 06時47分00秒 | Weblog
最近ね。
近年まれに見る大勘違い、早とちりをやらかしました。

大恥を掻く寸前まで行きました。
空気を読んでその勘違いを察知。
危ないところだったあ。

まあ良しとしよう。
なんとか人に迷惑はかけずに済んだし、
自分に関する勘違いじゃないし。
自分を偉いと勘違いするとか、
その手の勘違いではないので、
自分を許すことにします。

勘違い。
うっかり。
人生にはつきものだ。
いちいち落ち込んでいたら身が持たない。
っていうかこれは、失敗を誤魔化す照れ隠しなのさ!(苦笑)

失敗の内容は・・・
本当に恥ずかしいから教えなーい!(^^;)