のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

鶴瓶の家族に乾杯、見ました。

2011年10月31日 23時24分02秒 | Weblog
NHK総合テレビ
鶴瓶の家族に乾杯「再会編 間寛平 福島県相馬市」(前編)
見ました。

辛いことのほうがはるかに多いはずなのに、
明るく振る舞おうとする人たち。
そんな人たちに笑いのパワーを与えられる鶴瓶さん、寛平さん。

妹さんが「あの津波」で未だ行方不明なのに、
ロケ中にはおくびにも出さなかったご夫婦。
涙が出ました。

人の思いを自分でも共有できる感受性。
感動、笑い。
人に何かを与えられるという才能、人間性。
素晴らしいと思いました。
レベルの差はあります。
あそこまで凄くなれなくても、自分もかくありたいと。

地震、津波はいろいろな、たくさんの人、ものを奪った。
想像を絶する苦しみ、悲しみ。
何かと知ったかぶりをする私は実は何もわかっちゃいないのだ。

番組中、補償云々の話が出ました。
あれだけの被害が出たのだから国が補償して当たり前。
それは間違いではないのだろうけれど、
そう言える、それが実現されるのは、
世界の常識から考えれば奇跡的なこと。
震災から半年で、ほとんどの希望する人たちに、
一家族に一軒、仮設住宅が支給される。
日本では当たり前の話かもしれない。
適切なたとえかはわからない。
たとえば洪水の被害が出ているタイで、家を失った人々に、
同じ対応(望む国民に等しく仮設住宅を支給)ができるかといえば、
それは無理でしょう。

被災された方々は皆苦しい。
補償を受けたい。
せっかく収穫した作物が福島産というだけで買って貰えない農家。
その他壊滅的な被害、打撃を受けた産業。
壊滅的とまではいかなくとも、
物質的、心理的両面で多大な被害、打撃を受けた人たち。
被災した、だから国家に補償を求める。
それは本音であり、同じ立場に立ったら私も同じなのでしょう。
けれどそれを当然のものとして、当然の権利として、
当たり前に請求し、当たり前に受け取る。
それが奇跡的な幸運であり、
私たちは幸いにそういう国に生まれてきたことも忘れてはならないでしょう。

笑福亭鶴瓶さん、間寛平さん。
感動をありがとうございました。
すべての被災地、被災者に幸大からんことを祈ります。
理屈ばかりの私も「何かをしなければならない」と心に刻みつつ。

最後に、日本国憲法より抜粋。

日本国憲法より

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

今ごろマルモの最終回

2011年10月30日 23時59分00秒 | Weblog
マルモのおきて、最終回観ました。
良かった~。
って、遅っ!
スペシャルのほうじゃありませんよ。
本編の最終回です。

大容量ハードディスクレコーダーを手に入れて、
テレビドラマライフは劇的に変わった。
善し悪しなんて実際観てみなきゃわからないじゃないですか。
すべてのドラマをチェックするほど暇人でもなし。
最近はとりあえずドラマというドラマを全部録っておいて、
面白そうなものだけあとでまとめて観る。
そういうライフスタイルになりました。
流行に乗り遅れないために何が何でもリアルタイムで観たいとか、
そういう考えは無いもので、その点は楽です。
この一年でリアルタイムで観たドラマって、
『Jin -仁- Final』くらいっすかね。

で、今になって、マルモのおきての最終回を観たってわけ。
♪マル・マル・モリ・モリ!
今ごろ?
流行から遅っ!
何とでも言ってくれい。
♪マル・マル・モリ・モリ!
って、ひつこい?(苦笑)

イギリスはでっかいぞ

2011年10月29日 05時58分04秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#英国王を国家元首とする英国、カナダ、ジャマイカなど英連邦16カ国の首脳会議が28日、オーストラリア西部パースであり、男子優先を定めた英王室の王位継承法について、男女に関係なく最初に生まれた子どもが王位につくように見直すことで合意した。(asahi.comより)

ふむふむ。
英国の王位継承方法が変わるってことね。
ん・・・
えっ・・・
ちょっと待った。
「英国王を国家元首とする英国、カナダ、~~~」
カナダ・・・って。
英国王を国家元首とするって。
そうだったの?
カナダの国家元首って英国王だったのか。

お馬鹿な私はまったく知らなかったよ。

現在の英連邦王国。
16カ国。
興味があったのでググってみました。

アンティグア・バーブーダ
オーストラリア
バハマ
バルバドス
ベリーズ
カナダ
グレナダ
ジャマイカ
ニュージーランド
パプアニューギニア
セントクリストファー・ネイビス
セントルシア
セントビンセント・グレナディーン
ソロモン諸島
ツバル
英国

イギリスの一員だとおぼろげに知っていたのは、
オーストラリア、ニュージーランド
くらいか。
だって国旗にイギリス国旗が入っているから。
そもそもそれ以前の問題。
初めて聞いた国名も多い。

イギリスという国の正式名称がやたら長い理由がわかった気がする。
幾つになっても人生日々勉強だな。
知らなかった国をひとつでも覚えてみようと思う。
セントクリストファー・ネイビス
あたりにしようと思う。
特に理由はない。
あえていうなら長めだからかな。
ああ、いい加減な俺。(苦笑)

一誤一絵。間違いじゃないよ。

2011年10月28日 23時31分12秒 | Weblog
一誤一絵。
私の好きな言葉です。
一期一会じゃありません。
間違いじゃありません。
私の造語です。

人はひとつは必ず誤って、間違えて、
ひとつの絵、人生を描く。
正しいことをして、正しい過程を経て、正しい結論に達する。
それは理想かもしれないけれど。
人間なんですから、無理ですよ。
必ずどこかに間違いが出てくる。
それは別に恥ずべきことではなくて。
間違いを乗り越えることも大切なわけで。

出てきた結論が間違っていることもあるだろう。
もっというなら、そもそも正しい導入、決断なんてないかもしれない。
間違ったことでも決めなきゃならないことはある。
言い直そう。
正しいか間違いかわからなくても決めなきゃならないことはある。
間違いかもしれないけれど決めなきゃ前へ進めない。
それでもいいのだと思う。
初めてみなければ間違いには気づけない。
ずっとその場所にとどまってはいられない。
今47歳の私がずっと47歳でいられるわけがない。
だから決めなきゃならない。
それが間違った決断である可能性を秘めつつ。

過程にも間違いはつきもの。
人生はぶれまくりだ。
あっちに行きこっちに行き。
揺れて、間違えて。
若い、純朴なころは、それが許せない。
何が何でも正しい道を追求しようとする。
でも40代も半ばを過ぎると、
正しいことだけで人生は動かないことがわかってくる。
それは悲しい悟りかもしれないけれど、
いいんだそれで。
弱さ、間違いを受け入れる度量。
それを身につけることが歳をとるってことかもしれない。

結果だって正しいとは限らない。
結果は正しくなくてはならない。
それは理想論。
人生は数学の方程式や証明じゃない。
間違った結論はいっぱいある。
いいじゃないか。
間違ったら間違ったで。
やり直せばいいんだ。
間違えて正しい方向に修正する。
学習。
人間に与えられた偉大な才能。

そうです。
人生一誤一絵。
そうやって生きていく。
誤り、間違いを抱えて生きていく。
そうして人生という一枚の絵を描く。
楽しいじゃないですか。
人生万歳!

NHKドラマ「神様の女房」に触発されて

2011年10月27日 06時03分23秒 | Weblog
Twitterでもつぶやいたのですが、
NHKドラマ、常盤貴子さん主演、筒井道隆さん出演。
「神様の女房」
観ました。
松下幸之助さんの言葉。
「成功の秘訣は成功するまでやめないこと」
言う人が言うと実に深い。

言い方を変えれば、
「成功するまでやめなければ成功する」
ってこと。
もうそれは道理以外の何物でもないのですが、
これはなかなかできることではない。
大抵の人は成功するという確信が消えた瞬間、
自信喪失、実現のための努力を怠ってしまう。

努力なしの偉人はいない。
松下幸之助さんは諦めなかった。
どんなときも。
どんな困難があっても。
そして成功した。
前述の言葉は後付けの理屈じゃない。
間違いのない事実だと思うわけです。

成功といってもレベルの差はある。
松下幸之助さんほど凄いことをできる人はほんの一握り。
私の追う夢など微小なものかもしれない。
それでも松下さんの言葉は重い。
「成功するまでやめない」
志を立てたからは、この意気でいかんとね。

一本筋の通った人生。
それはサポートした妻、松下むめのさんにも言えること。
「神様の女房」
高橋誠之助さんの原作本も手に入れた。
読むのが楽しみである。
華麗な成功だけではない。
貧乏時代のこともちゃんと書いている。
だから薄っぺらな内容にならないわけで。

「成功の秘訣は成功するまでやめないこと」
この言葉は当分頭から離れそうにない。
大袈裟な表現ではなく、
人生訓のひとつになりそうだ。
よっしゃ、頑張る。
成功するまでやめない、頑張る。
凡人なりの決意でありました。

どくとるマンボウの死

2011年10月26日 23時27分25秒 | Weblog
>今日のニュースより
#大河小説「楡(にれ)家(け)の人びと」やユーモラスな「どくとるマンボウ」シリーズで親しまれた作家で日本芸術院会員の北杜夫(きた・もりお、本名・斎藤宗吉=さいとう・そうきち)さんが24日午前6時2分、腸閉(へい)塞(そく)のため東京都内の病院で死去した。84歳。(MSN産経ニュースより)

躁鬱病を患っていたお医者さん作家。
それくらいの知識です。
北杜夫さんに関しては。
その知識はというと、遠藤周作さん経由なんですな。
狐狸庵先生であります。
狐狸庵先生のエッセイの中に結構頻繁に出てくるんですよ。
北杜夫さんが。

私は遠藤周作さんが好きだった。
結果、知らず知らずのうちに北杜夫さんの知識はすり込まれた。
「沈黙」を読んだのは中学生のとき。
随分ませたガキですな、今考えると。

さてさてその頃、躁鬱病に関する知識は皆無だった。
精神病全般知識ゼロ。
将来自分が苦しめられることも知らずにね。

私の話ばかり続けて申し訳ない。
20歳にして統合失調症(当時の名称:精神分裂病)に。
何だかんだあってちょっとは回復して今に至る。
明るいですよ、私は。
心の病の仲間が集う場所があるのですが、
そこで冗談で「私、躁躁病だから」って言っていたら、
マジで信じられて困ったことがある。

よって躁鬱病の知識はごまんとあるが、
その苦しさは理解していない。
病としての明るさ。
それでもそこで「どくとるマンボウ」シリーズは生まれた。

人生、何がどうなるかわからない。
だからこそ人生は面白い。
躁の北杜夫さんと、鬱の北杜夫さん。
生きて評価され、死して評価され。
私には真似できそうにないが、
それでも人生は希望に溢れている。
私はそう思いたいのである。

私と野球に関する無駄話

2011年10月25日 23時59分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#セ・リーグは25日、レギュラーシーズンの全日程を終了した。中日が球団史上初のリーグ連覇を達成し、2位ヤクルトは2年ぶりのクライマックスシリーズ進出。横浜は4年連続の最下位だった。(asahi.comより)

プロ野球とはまったく無関係。
私だけの野球談義。

野球少年だった。
オリエンテーリングをたしなみ、アメフトを愛す。
野球は「たまに観るだけ」の存在になってしまったけれど、
スポーツを愛する私の根幹には野球がある。

小学校のころ、日が暮れるまで白球を追いかけていた。
草野球。
9人対9人なんて夢の夢。
キャッチャーミット?なんだそりゃ?
白線?無理無理。足で土を削ります。
大雑把なルールだった。
外野までは人手が足りず、内野の頭を越せるかが勝負。
それでは全部ランニングホームランになっちゃうから、
ワンヒットノーエラーなら三塁打。
今考えると凄いルールだな。

ちゃんとした試合なんて数えるほどしかしたことがない。
中学ではまったく野球をしなかった。
高校は一日入部。
軽い気持ちで野球部の門を叩き、
そのあまりの本気度に仰天して逃げ出した。
情けない話だ。

それでも野球はずっと好きだった。
原体験っつーか。
すべてを忘れて懸命に何かをやる。
それは草野球を通じて学んだこと。

一度きりの殴り合いの喧嘩も、
野球友だちとだった。
本気の付き合いなればこその喧嘩だった。
「殴る」という行為そのものが否定されてしまったような今日の教育。
確かにイジメはいけないことだけれど、
私自身、殴り合いの喧嘩からも学んだこともあった。
たとえば人の痛みを知ること。
理屈だけではわからないと思うのだけれど。
うーん、難しいです。

そんなとこ。
私と野球に関する無駄話。

快挙!森内寿春投手、完全試合。

2011年10月24日 23時29分01秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#社会人野球の第82回都市対抗大会第3日は24日、京セラドーム大阪で1回戦があり、JR東日本東北(仙台市)の森内寿春投手(26)が三菱重工横浜(横浜市)戦で完全試合を達成した。(asahi.comより)

社会人といえど全国レベルの大会での完全試合は、
ピッチャーとして物凄い偉業である。
興味があって少し調べてみた。

森内寿春投手。
八戸工大一高校 - 青森大学 - JR東日本東北
という野球歴。
特筆すべきは、青森県の高校野球がとかく悪く言われがちの、
県外からのいわゆる野球留学生ではなく、
純粋な青森県出身者ということ。

八戸工大一高校、青森大学。
共に野球は強い。
けれど冬は雪に囲まれてしまうことを考えれば、
(ま、八戸は青森県としては雪の少ないところではありますが)
学生時代、恵まれた練習環境だったとは言えないわけで。
才能と共に努力が大だった。
(努力を続けられるのも一種の才能ではありますが)

私。
両親が青森県自同士の見合い。
本籍も青森県。
半青森県人の感覚を持っている。
だから単純にこのニュースは嬉しいわけで。

完全試合、してやられた、
負けたのが、私の生まれ育ちの地である
横浜市のチームというのが複雑なところではありますが。
私としてはこれを横浜との縁ととらえ、
ドラフトで横浜ベイスターズが引いてくれないかなという、
勝手な願望を持っております。

ああ日本プロ野球のドラフトが完全ウェーバー制なら・・・
愚痴になりそうなのでこの辺でやめておく。

私は私がなりたいような人になる

2011年10月23日 15時18分03秒 | Weblog
自分のことを人がどう評価するかなんて気にしなくていい。
半分正しくて半分間違い。
自分を貫くのはいい。
人に否定されても続けるのは必要なこともある。
けれど他人の評価も少しは気にかけなきゃね。

オリジナリティを追求した。
とんがっていた。
結果、人はそれを評価した。
人に受け入れられると信じていたから彼は頑張った。
つまり我が道をゆくでありながら、
人の幸せを願っていたから、
人の求めるものを追求していたから、
彼は成功した。
評価されるための努力だったかもしれない。
評価されるための努力ではなかったかもしれない。
半分半分だったかもしれない。
必要とされるものを作る。
評価を気にする気持ちは必ずあったはずだ。

それがスティーブ・ジョブズ氏だったわけで。

人の評価ばかり気にして自分をがんじがらめにするのは愚かなこと。
一方、自分のことだけ考えて生きることを間違いとはいわないけれど、
その生き方は私には愚かに思える。
人を思い、自分を思い、人を活かし、自分を活かす。
そんな生き方ができればいいなと思う。

偉大な人物になれなくても、
意外な人物になれればいい。

ナンバーワンになれなくても、
オンリーワンになれなくても、
愚直なまでに何かを続けられる人になれればいい。

これらは決して矛盾することじゃない。
完璧な人間というわけでなく、人間味溢れる人間に。
スティーブ・ジョブズほど凄い人間にはなれないけれど、
一歩でも近づける努力はしたい。
死に至る心構えも見習いたい。
これほどのことを自分に要求する。
私はやはり欲張りな人間なのでしょうか。

そこのけそこのけ橋下が通る?

2011年10月22日 22時43分01秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#大阪府の橋下徹知事(42)は22日未明、府議会の浅田均議長に辞職願を提出し、府議会本会議で同意された。辞職は31日付。橋下知事は本会議終了後、大阪市長選(11月13日告示、27日投開票)に出馬すると表明した。(毎日jpより)

なんか最近、橋下さんの驕り(おごり)を感じちゃうの、私だけですかね。
言っていることの正当性は別として、
俺がルールだ、目的のためなら手段選ばず、みたいな。

不勉強で申し訳ないのですが、
大阪都構想については、
行政の無駄を省けるのかなあ、
くらいの認識で、本当に正しいのかはよくわかっていない。
大阪府、大阪市、大阪都。
その違いを理屈で説明せよと言われたら私はお手上げです。
仮に正しいことだとして、
それを通すためなら、合法的なことならなんでもしていいっていうのは、
ちょっと強引すぎると思うんです。

民主主義っていうのは最終的には多数決で物事が決まる。
「51対49」で物事が決まったら、
負けた49のほうは従わなければならない。
そういうルールがないと何も決められない。
それはわかります。
でもね。
議論に議論を重ねた上で。
その前提は必須でしょ。
とにかく数的優位に立てばいい。
どうせ数的優位なんだから、なんでもやっていい。
その発想はとても危険なものに感じるのです。

橋下さん。
弁護士出身っていうのもあるのかな。
誤解を怖れずに言えばね。
裁判の判決って、法律に基づいてとか、判例とかいろいろあるにしろ、
まあ最後には裁判官の私見で決まるわけじゃないですか。
最後は人が決めなきゃならないのだからそうせざるを得ないわけで。
あくまで合法的な手段でという前提の元、
とにかく自分の主張が人を納得させられたら勝ち。
そういう世界でしょ、裁判って。
橋下さんが実際に法廷の現場に立ったことがあるかとかは知らない。
でもそういう「世界」を生き抜いた上で、
大阪府知事選挙に立候補して当選したのは間違いない。

カダフィ大佐と同列に論じるつもりはないけれど、
民主主義の世界にも独裁者というのはいる。
そこのけそこのけ橋下が通る。(←ありゃ、ダジャレになっている(笑))
今は笑ってみていられるけれど、
橋下さんが「合法的独裁者」になる姿は見たくない。
それは人間的なアクの強さとはまた別もの。
「おごる平家は久しからず」
歴史は繰り返すのだろうか。

北川悠仁さん、高島彩さん。結婚おめでとう!

2011年10月21日 04時06分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#人気デュオ「ゆず」の北川悠仁(ゆうじん)さん(34)は20日、フリーアナウンサーの高島彩さん(32)と結婚したと自らのホームページで発表した。(MSN産経ニュースより)

嬉しいね。
私、横浜生まれ、横浜育ち、横浜市民。
ゆずは横浜のヒーローでもあるわけだから。

北川悠仁さん、高島彩さん。
本当におめでとう。
うまく言えないけれど、
なんか応援したくなるカップルだね。
多分ふたり共が「陽の人」のイメージがあり、
結果周囲も明るくするってことではないかと。

もちろんのこと。
結婚はゴールでもありスタートでもある。
恋人としてのゴール。
夫婦としてのスタート。
これから長い夫婦生活。
笑って、泣いて、喧嘩して。
喜怒哀楽をふたりで共有して。
悲しみは分け合って半分に。
喜びは一緒にして倍に。

幸せはふたりで作っていくもの。
降って湧いてくるものではない。
勝手なイメージなのだけれど。
結婚しても、毎日キスして毎日愛しているって言う。
子どもができてもふたりのときは名前で呼び合う。
ふたり、そんな夫婦像が見えてしまう。
それは私が理想とする夫婦像でもある。

もう一度。
本当におめでとう。
北川悠仁さん、高島彩さん。
ふたりの未来に幸多からんことを!

タバコ、吸わない自由と吸う権利。

2011年10月20日 22時27分20秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#厚生労働省は19日、すべての事業所と工場に「全面禁煙」か、喫煙室以外での喫煙を禁止する「空間分煙」を義務づけることなどを盛り込んだ労働安全衛生法改正案をまとめた。(YOMIURI ONLINEより)

「全面禁煙」
「空間分煙」
なぜここに
「全面喫煙」
を入れないのかな。

私は喫煙者ではない。
タバコは生涯を通じて一本も吸ったことがない、遊びでも。
タバコは大嫌い。
タバコの煙に飲まれると、
大袈裟な表現でなく、死にそうな気分になる。

だから事業所とかで分煙化を進めるのはおおいに賛成。
多くの人が集まる公共の場所の禁煙化も賛成。
ただし喫煙者からあれだけ税金をふんだくるなら、
喫煙者のためのスペースを作ることにも踏み込まなければ、
フェアじゃないと思うんだけどね。
ちゃんとした告知、合意の元なら、
「喫煙喫茶」とかあっていいんじゃないかなと。

吸わないからこそ、
タバコが大嫌いだからこそ、
タバコの煙に飲まれない権利を主張するなら、
タバコが大好きで、タバコを吸う権利も大事にしたい。
多額の税金を払ってでも吸いたいというなら、
喫煙者の「気持ち」も大事にしたい。
歩きタバコ、ポイ捨て、もってのほか。
非喫煙者に配慮して、喫煙マナーを守って吸える人。
そういう人の吸う場所はちゃんと守ってあげたい。

タバコは健康に悪い。
そんなことは皆わかっている。
それでも吸いたいという人が多いのだから。
私は心の病を患っているから、知り合いに喫煙者が多い。
「心の安息」という一面を知っていれば、
「身体に悪い」と一刀両断に切り捨てる気にはなれない。

ここまで書いたが、本音の部分で、
「世の中からタバコなんてなくなっちゃえばいいのに」
と思うエゴが自分に存在するのも感じる。
だから偉そうなことは言えないのだが、
やっぱり自分の中の理性として、
喫煙者の気持ちを守りたいというのはやっぱりあるのである。

平野達男復興担当相、これは失言か?

2011年10月19日 23時59分00秒 | Weblog
>昨日のニュースより
#平野達男復興担当相は18日、福島県二本松市で開かれた参院民主党の研修会で講演し、東日本大震災の津波被害に関連して、「私の高校の同級生のように逃げなかったばかなやつもいる。彼は亡くなったが」と発言した。(毎日jpより)

不快な思いをされた方もいらっしゃると思いますが、
私の個人的な考えでは、
この発言を政争の具にするのは間違っていると思います。

「馬鹿」というのは敬愛を込めて言う場合もあるでしょ。
この発言も前後をちゃんと見ていれば、
蔑視の意味での「馬鹿」でないことは明白だ。

例を挙げたいと思う。
身近な人が亡くなったとする。
「俺たちをおいて先に逝っちまった。本当に大馬鹿野郎だよ。」
涙ながらにこう言ったとき、
発言者を非難できるだろうか。

いつも言っていることだが、
発言のセンセーショナルな一部だけ切り取って、
非難するのは慎重にならなければね。
一部を切り取られることも前提に発言しなければならない。
この意味では政治家に同情する。

今回の失言とされる騒動は、
松本龍前復興担当相の失言とは一線を画すべきだ。
悪意があったか否か。
どんな気持ちでその言葉を発したか。
それはちゃんと理解してから非難の対象にするかは定めたほうがよいと思うよ。

非効率?不器用?

2011年10月18日 05時59分14秒 | Weblog
スーパーのレジにて。
私の前に並んだお客さん。
買ったもののうち、明らかに同じ缶コーヒーが15本くらい。

店員さん、ピッと読み取り機械を通す。
それを15回くらいひたすら繰り返す。
おいおい。
1本だけ通して、掛ける15くらいの機能はあるだろう。
実際この店で私が複数の同じ商品を買ったとき、(他の店員さん)
ひとつだけとしてキーボードを叩いて処理したことがあったから、
この逆サービスは、この店員さんオリジナルのものだろう。

間違いではないが融通が利かないというか。
こんなことが気になる私が間違っているのですかね。
別に怒ったわけでも見下すわけでも何でもなく、
単に疑問を感じた出来事でした。

2日続けて、諦めないということ。

2011年10月17日 05時51分00秒 | Weblog
諦めない力。
諦めないで努力を続ける力。
これはもう一種の才能かもしれない。

できると信じられるからこそ努力を継続できる。
いや、それは違うのだろう。
できる確信なんかなくても努力を続ける。
結果は後から付いてくる。
つまり諦めないこと。

昨日の話と通じるが、
人生何らかの理由で諦めなければならないことはある。
諦めるなら前向きに。
諦めた瞬間に何か新しい目標を作る。
つまり諦めない「何か」を持ち続けるってこと。

追い続ける。
諦めない。
その姿勢が人生を豊かにする。
私は何かの世界で大成功を収めた人間ではない。
そう今のところ。
成功してやる。
その意気は常に持っている。

目下、私が諦めていないことの筆頭は、
女性とお付き合いすること、結婚すること、可能なら子供をもうけること。
うん、諦めていないよ。
47歳。
普通に考えれば婚期を逃したということかもしれない。
でもね、今はさ。
これから必ず結婚できるって信じられるんだ。
自分が幸せになりたいっていうのももちろんだけれど、
誰かを幸せにしたいと強く願っている。
具体的に一人の女性をね。
彼女なしの現段階では「取らぬ狸の皮算用」だって?
ごもっとも。

そこで冒頭に戻る。
確信がなくても諦めない。
結果は後から付いてくる。
夢を諦めないで。
あ、昨日と同じ最後になっちゃった。
ご勘弁を。