のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

夜明け前。温泉旅館のノートパソコンより生中継。

2011年12月31日 06時19分02秒 | Weblog
いろんなことがあったよね。
この一年。

まず辛かったこと。
いうまでもなく東日本大震災。
私は直接の被害を受けていない。
被災された方の苦しみ悲しみ。
どれほどのものだったことか。
胸が張り裂けそうになる。

復興は道半ば。
けれどできると信じている。
あの惨状の中だったけれど、
日本人の底力は凄かった。
文句も言わず黙々と働く人たち。
笑顔でいようとする人たち。
それは希望の風景であった。

嬉しかったこと。
筆頭はやはり、なでしこジャパンの活躍かな。
女子サッカーW杯優勝。
あの決勝戦。
生中継を観た。
身体の、心の底から、カーッと熱くなったのは久しぶりの経験。
いいもの観させて貰いました。
ありがとう。

最後に。
会社を辞めました。
一大転機であることは間違いない。
健康上の理由でも仕事が嫌になったわけでもない。
あくまで一身上の都合により。

よっしゃ来年。
いい年にしたいよね。
夢を。
希望を。
笑顔を。
さあ皆さんご一緒に!

お正月にはご褒美を

2011年12月30日 07時30分00秒 | Weblog
はい。
我が家の年末年始の恒例となりました。
温泉家族旅行。
これから出発。
三泊四日。

のんびりしてきます。
こういうときの最近の我が家のポリシー。
「何もしない」をしに行くんだと。
身内の事情もある。
両親がもう活発に動ける健康状態ではない。
いろんな意味で。
母は背中が曲がり、外出にカート、手押し車が手放せない。
父は駅から家に帰ってくるときに、
私の足なら徒歩10分くらいの距離なのに、
大抵タクシーを使う。
たとえばそんな感じのこと。

衰えた両親。
来る時が来た。
正直そんなところ。
でも不満はない。
不安は少しありますが。
それも些細なものだ。
人生前向きに考えなきゃね。
笑顔で行こう。
笑って生きよう。
そうすれば、どんな困難も逃げていく。
そう思っている。
そう信じている。

楽しんできます。
温泉につかって。
本読んで。
ほんとにのんびりのんびりしてきます。
それでは。
いってまいります。

年末三景

2011年12月29日 22時26分00秒 | Weblog
大掃除でございます。
まずはガラス磨き。
泡のスプレーを吹き付けて、
専用のゴムのへらのようなもので泡を拭き取る。
そしてタオルで仕上げ。
うっとりするくらい綺麗に輝くガラス窓。

昼食は外食。
近所の行きつけの中華料理屋が潰れていた。
行きつけっていっても、年2,3回程度ですかね。
思い当たる節はある。
夏、最後にいったとき、
サービスが目に見えて悪くなっていた。
食事も終盤にさしかかり、入口に近い席だったのですが、
入ってきたお客さんに、
「すいません、もうすぐ空きますんでお待ちください」
食事が済みそうな客は私たちの席だけ。
聞こえちゃったよ。
それ、思っていても絶対言っちゃいけないことだろう。
お客様相手の商売として。
こういうことは一事が万事だ。
信用を失って客足が遠のいた。
自営業を始めようとする私としても、
反面教師、心しなければと思ったのでした。

夕方、せっかくだから花を飾ろうということになった。
花だけを買えばよかったのだが、
手頃な花瓶が欠けている。
お正月を迎えるにあたって、
欠けた花瓶に花を飾るというのは縁起がよくない。
で、まず、花瓶を買いました。
そして花屋さんにて、
「この花瓶なんですけど、似合う花束ありますか?」
とある意味丸投げ。
さすがプロ。
即座に見繕って手頃な値段でセンスの良い花束を造ってくれた。
会計。
「あー、奥様に頼まれたんですか?」
悪意のない笑顔の店員さん。
「すいませーん。奥さん居ないんですよ」
と私。
もちろん満面の笑顔で。
お会計が終わって最後に、
「来年は奥さんに頼まれてって言えるように頑張ります!」
「大丈夫ですよ、優しそうだし、その笑顔なら、いいことありますよ。」

はい。
今日。
幸せでした。
来年も。
幸せになろう。
必ず。

静かに優しく見守りたい

2011年12月28日 19時49分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#女優の宮崎あおいさん(26)が28日、夫で俳優の高岡蒼佑さん(29)との連名のファックスを報道機関などに送り、2人が離婚したことを明らかにした。年内最後の仕事を終えた同日、離婚届を区役所に提出したという。(MSN産経ニュースより)

基本的にここでこの手のニュースに反応することはありませんが、
マスコミの暴走が目に余るので、
苦言のような意味で取り上げます。

そりゃいろいろありますよ。
人生ですから。
いいことばかりじゃない。
結果、添い遂げるという選択肢を
捨てざるを得ない夫婦もいるでしょう。

身近にもそういう選択をした夫婦もいますので、
離婚、必ずしもマイナスにあらずだと思っています。
けれど喜ばしいことでないことだけは確かなわけで。

おもしろおかしく取り上げるマスコミは如何なものかと思いますよ。
「結婚秒読み」
という推測記事まで完全否定はしませんが、
今回、少し前に、この件について、
「離婚秒読み」
の見出しを掲げたマスコミがありました。
こういう姿勢ははっきり「嫌い」です。
相手が芸能人なら何を書いてもいいという姿勢は、
もっと嫌いです。

芸能マスコミといっても、
慶事、弔事等の基本を押さえた報道は否定しません。
別れる別れないを噂話レベルで個人が口にするのも、
百歩譲って良しとしましょう。
完璧に口にチャックは疲れますから。
けれど、視聴率、売り上げ部数を上げるために、
人の不幸をおもしろおかしくネタにする。
この神経は好きになれませんね。

宮崎さん、高岡さん、双方、
苦渋の選択だったことは間違いない。
FAXの内容にもあったとおり
「別々の道を歩むこととなったふたりの今後を、静かに見守り」
たいと思います。
更にいうなら、この場合、「ほっておく」ことが、
まだ若いふたりに対する最大の優しさだと思いますよ。

私はなぜ戦争を笑いにしたのか

2011年12月27日 20時11分00秒 | Weblog
昨日はドラマ「坂の上の雲」の話をしました。
ちょっとおちゃらけた内容にしたのは、
戦争という深刻な内容を、
暗く切り出して真っ暗にしたくなかった。
あえて明るく希望が持てる内容で締めたかった。

戦争はと言えば、当然嫌いです。
戦争には必ず理屈が付く。
戦争を始める国にとっては大義名分が必要らしい。
やっていることは結局殺し合いなのにね。

自由と民主主義を守るため。
民族の解放のため。
いろんなもっともらしい理屈を掲げても、
目の前に敵が居るときに引き金を引く理由は
「死にたくないから殺す」
だけでしょ。

そして戦場では、
「殺す」という行為さえも会話の中で笑いになったりする。
恐怖の裏返し。
極限の状況だかえらこそ、
笑いがなければやっていけないというのもあるかもしれない。

私も昨日、大嫌いな戦争を笑いの対象にした。
真っ暗な世の中になって、
徴兵なんてことになったときに、
罰として「殺」があるかもしれないときに、
戦争が嫌いだからと言って拒否することが出来るだろうか。
日本ではあり得ない。
戦争は狂気。
あり得ないなどと言えるのか。

私にも信念はある。
命を賭けても守りたいもの。
そう言うのは簡単。
極限状態で殺されたとしてもその信念を守れるか。
そう問われるとにわかに自信がなくなる。

悲惨な戦争のシーン。
秀作「坂の上の雲」は
いろんなことを私に考えさせ、与えてくれたのでした。

「坂の上の雲」の感想のつもりが・・・

2011年12月26日 08時00分02秒 | Weblog
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」
最終回 「日本海海戦」
観ました。
ありきたりの感想ですが、
戦闘シーンの迫力が物凄かったですね。

ところが・・・

母は実に冷めているんですな。
「どうせ作り物なんでしょ」
みたいな。

つまりは迫力がありすぎて、
「これが実写で出来るわけがない」
ってバリバリの先入観から入ってしまったのですね。
ま、確かに。
あの軍艦がすべて本物で、
あれがすべて実物大の実写だったら・・・
怖い。
怖すぎる。

後、モックン。
本木雅弘さんを見て一言。
「この人、50過ぎてる?」
私が
「俺より歳下なんだけど」
と返したところ、
「随分老けてるわねぇ」
だって。

これは私は喜ぶべきところなんでしょうか。
実に微妙。
モックンって今でもジャニーズなんですかね。
モックンというのも本人呼ばれたくないか。
どちらにしろ見事なイメージ戦略でしたね。
アイドルからの脱皮。
180度の路線転換。

シブがき隊の「スシ食いねェ!」
の映像、YouTubeで観たんですが、
凄いな、この線転換は。
別人です。
本人はお望みじゃないかもしれませんが、
興味を持った方は
「シブがき隊 スシ食いねェ!」
で検索して動画を観てみることをお薦めしますよ。

あ、何の話していたんだったっけ?
あ、「坂の上の雲」の話だったぁ。
また脱線だ~。
ごめんなさいです。

やっつけたなんて言っちゃいけないんですが

2011年12月25日 20時57分00秒 | Weblog
年賀状。
やっつけました。
構想、印刷まですべてひっくるめて作成所要時間3時間と少し。
以前なら考えられないこと。
パソコンと年賀状作成ソフト、高機能プリンタあればこそです。

私なりの工夫はある。
パソコンで作成といっても全員同じ文面ではつまらない。
差し込み印刷機能という強い味方がある。
大元となる基本は一緒だが、
個々の人にオリジナルのメッセージを添える。
実はそれが一番時間のかかる作業だが譲れない部分だ。
パソコンで作っても血の通った年賀状。

両面自動印刷なので、印刷はあっけなく終わります。
なんだかんだで一番師走を感じる時間かな。
2011年、もうすぐ終わり・・・

今日は何の日だっけ?

2011年12月24日 23時59分00秒 | Weblog
これを書いている今現在。
暇暇で家にいるというのは、
独身男子として大問題だと思うのですが。
はい、今年も彼女なし、家族と過ごすクリスマスイブであります。

この状況は最善でないのは確かですが、
特に不満を感じていないのも事実。
生きていられるだけでも幸せ。
それも実感であります。

恋人と過ごすイブ。
今とは別の意味での家族と過ごすイブ。
夢見、憧れ、いつの日か。

スカイツリーは日本の誇り

2011年12月23日 23時59分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#東京スカイツリー(墨田区押上)で23日夜、発光ダイオード(LED)照明によるライトアップが行われた。(YOMIURI ONLINEより)

なんか心が温かくなる映像でした。
このご時世。
確かに節電は大切だけれど、
節制ばかりでは息が詰まる。
家庭で少し我慢してもいいから、
こういう希望の灯りは消さないで欲しい。
そう思うのは私だけではないはずだ。

いうまでもなく大震災のあった年。
国民みんなが我慢した。
みんなのためだからと我慢した。
今年確かに日本国民はひとつになった。
社会にために自分(個人)を犠牲にするということは、
欧米から見れば奇異なことかもしれないけれど、
それは間違った国民性ではなかった。

工事中にもかかわらず、
あの大地震にびくともしなかった東京スカイツリー。
日本の誇り。
日本の希望。
それは大切に。
決して忘れてはならないものだと思います。

上田馬之助死去、昭和のプロレスの灯がまたひとつ消えた。

2011年12月22日 23時40分01秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#元プロレスラーの上田馬之助(うえだ・うまのすけ、本名・裕司=ひろし)氏が21日午前10時7分、窒息のため大分県臼杵市の病院で死去した。71歳。(MSN産経ニュースより)

学生時代。
プロレスには通い詰めたもんだ。
蔵前国技館。
後楽園ホール。
よく行ったよな。

そのスタイルとは正反対に、
「常識人」「お人好し」を感じさせる人だった。
悪役レスラーとして暴れるのは当たり前なのだが、
あの「気を遣った暴れ方」は並じゃなかった。
お客さんには絶対に怪我させない。
タイガー・ジェット・シンと一緒に暴れているときも、
観客と一定の距離を置くようにシンと観客をコントロールした。
プロフェッショナルだった。

私が生涯初めてはまった漫画、唯一と言っていいかな。
小林まこと先生による「1・2の三四郎」。
迷わず全巻買って、いまだに所有している漫画はこれくらいだ。
重要な登場人物、悪役レスラー、桜五郎。
そのモデルは間違いなく上田馬之助だったように思える。
お人好し。
悪役でならしているが実は凄く強い。
あれは絶対上田馬之助を意識していた。
同じく登場人物に元アマレスの名手、西上馬之助というのが出てくる。
プロレスというグラウンドで偶然に「馬之助」という名前を使うはずがないのだ。

脱線した。
昭和の古き良きプロレス。
私が好きだったもの。
現代のプロレスは二極化した。
極端に強さに偏り、「秒殺」当たり前。
またその正反対の極端にエンターテイメント化したもの。
正直どっちもついていけない。
だいぶ前の話を蒸し返して恐縮だが「空中元彌チョップ」で
プロレス素人の狂言師が勝っちゃうようなプロレスは論外。
昭和のプロレスには「考える楽しさ」があった。
ガチと言われたUWF系だってその遺伝子は継いでいたのだ。
ホントにガチでプロレスやったら、
1987年4月29日。
伝説の前田日明vsアンドレ・ザ・ジャイアントのような試合になる。
ま、あれはあれで私は楽しめるのだけれど。

また外れたかな。
上田馬之助の話だった。
大好きなレスラーだったよ。
人間として尊敬していた。
だから寂しい。
心からの哀悼。

上田馬之助。
最後に今日終始、上田馬之助と呼び捨てにしたことをお許し頂きたく。
私の中では親しみを込めて「上田馬之助」が最大の賛辞である。
「上田馬之助さん」だと別の人になっちゃうから。

私の考える死後の世界

2011年12月21日 23時59分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#11月21日に75歳で死去した落語家、立川談志さんのお別れの会が21日、東京都千代田区のホテルで開かれた。(MSN産経ニュースより)

見出しは付けてしまったが、
談志さんからは離れた話になることをお許し頂きたく。

いうまでもなく東日本大震災があった。
たくさんの人が亡くなった今年。
談志さんもそのひとり。

ちょっと深めに、でも構えることなく、
死について語ってみたいと思う。
主に死後の世界について。

霊界とか具体的な場所としての天国とかは信じていない。
でも漠然と「天国のようなもの」は信じている。
死後の世界があるとすれば、
残された人たちの心の中にあるものだと思う。
残された人の心に残れば、それは確かに存在するということ。
そこに確かに天国はある。
そんな感じ。

具体的な話をしよう。
母方のおじいちゃんとおばあちゃんは私が成人してから亡くなった。
思い出がたくさんある。
だから亡くなっても心の中に残っている。
深く深く。
おじいちゃんもおばあちゃんも私の心の中に残っている。
確かに存在している。
骨になって墓に入ってしまったかもしれないけれど、
今も私の中に確かに「居る」のである。
子どもは三人娘。
で、私は唯一の男孫。
だから随分可愛がられた。
ふたりともある意味偏屈な人間だったかもしれないけれど、
悪い思い出は皆無。
自分が死ぬという現実はイメージしづらいことかもしれないけれど、
私が死ぬということはおじいちゃんとおばあちゃんのそばに行くこと。
そういうイメージだけはできあがっている。

私が生きる間に為し成せることがあるとすれば、
残す人の胸に思い出を作ってあげること。
楽しい思い出で満たしてあげたい。
「馬鹿ばっかやってたオヤジだったよな」
でもいいんだ。
葬式に笑いがあればそれが本望。
そして私を知る人がすべてこの世から居なくなったとき、
私は初めて成仏する。

それが私が考える死、死後の世界。
一般的な考えではないのかもしれない。
説得力のない戯れ言かもしれない。
でも私が心から信じていること。
そして私の望む死に向かう日まで、
私は精一杯生き続ける。

毎日書くから日記

2011年12月20日 07時04分00秒 | Weblog
白状をしよう。
毎日更新とは言っているけれど、
裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)本編については、
更新に時間をかけられないときに、
「ストック」使うことがある。
でも基本はそのときどきに考えた詩を使う。
私にとって毎日更新とはそういう意味だ。

ここ、のんきいきいきについては、
それ以上に、毎日書くことを心がけている。
いやでしょ。
日記と唄っている以上、書きためたものを使うなんて。
日記に10日前に考えた文章を使うっておかしいでしょ。

と書いたが特例はある。
たとえば重たいテーマを扱うとき、
事前に考えた下書きを使うことはある。
気合いの必要な文章。
下書きをするのは心理として間違いではないかと。
わかりやすい例では、
抱えている心の病について書くときとかね。
それでも当日コピペしてそのまま載せるということはしない。
たとえ1,2行でもその日考えたことを付け加える。
そうしないと私の中でのんきいきいきが日記でなくなってしまうから。

幸いに今まで書くことが枯渇するという経験はしたことがない。
スランプの経験がない。
物書きとしてまだまだ甘いという証拠かもしれませんがね。
書いていて楽しい。
それが一番の理由だと思う。
楽しいから続けられる。
文章を書いていると幸せ。

仮に老齢で書けなくなったとかそういう物理的な理由以外で、
毎日更新の裕遊字的やのんきいきいきを閉じることがあるとすれば、
書くことが楽しくなくなったとき、
書くことが義務以外の何物でもなくなったときかもしれない。

書くことが幸せ。
エセ物書き、夢見生の真骨頂でありました。

金正日総書記死去、彼は天国へ行ったのか?

2011年12月19日 23時35分04秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の最高指導者、金正日(キム・ジョンイル)総書記が17日朝、急死した。69歳だった。朝鮮中央テレビが19日正午、特別放送で伝えた。(asahi.comより)

ビン・ラディン殺害を無邪気に喜ぶ米市民を批判したことがある。
人が死んだことを喜んではならない。
譲れない信念である。
けれどこの死に対して、悲しみは感じないし、
心からの弔意を表そうという気にもならない。
矛盾だらけの人間である。

一国の最高指導者、死去から発表まで51時間半。
何も勘ぐるなというのも無理な話だ。
もとより北朝鮮が好きな国であるわけがない。
拉致、核兵器、国民の飢餓。
この国の指導者を好きになれといわれてもね。

せめて前向きに考えて、
これがこの国の転機になればとは思う。
これだけ虐げられて何も気付かないほど、
北朝鮮国民も馬鹿ではないはずだ。
この国のこの体制は長くは続かない。
確信であり、そうあって欲しいという願いでもある。

ネットによる暴力の実話

2011年12月18日 23時59分00秒 | Weblog
インターネットで中傷され続けた10年 スマイリーキクチさん

たまたま見つけた記事なんですが、
ネットに携わることをしている人間として、
これは心しなければならないと思いましたね。

暴力以外の何物でもない。
力による暴力よりもたちが悪い。
こういう誹謗中傷をしておいて、
捕まって反省のそぶりも見せなかったり、
責任転嫁をする人がいるというのも驚きだった。

馬鹿で片付けるのは簡単。
でも間違いを犯したのは同じ人間なのだ。
こんなことはすまいとは思っているけれど、
私も馬鹿な人間である以上、
間違いを犯さないという保証はまったくない。
やった人間に自分は馬鹿であるという自覚はなかったようだし。

ネットを全否定するわけじゃない。
が、その内包する問題に目を背けたまま付き合ってはならない。
この件は被害者がお笑い芸人であったというのも、
何かの示唆であるような気がしてならない。

プレイステーション・ヴィータ発売。私のゲーム考。

2011年12月17日 21時51分02秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#ソニー・コンピュータエンタテインメントの新型携帯ゲーム機「プレイステーション・ヴィータ」の発売が17日、始まった。(毎日jpより)

プレイステーション・ヴィータ。
はい。
一切興味ありません。
まったくです。

元々ゲームというものをやらなかった。
ファミコンもプレステもゲームボーイも、
まったくプレイ経験なしというゲーム音痴です。
今現在、Nintendo DSとWiiは持っていますが、
最近はさっぱりご無沙汰ですね。
DSはたまに気が向いたときにレイトン教授をやるため。
WiiはWii Fit専用マシンですが、
ウォーキングの習慣がついてからはホコリを被っています。

極論を言ってしまえば、
世の中からテレビゲームというものが消滅しても、
私はまったく困らないでしょうな。

ただテレビゲームが好きな人を否定する気はないんです。
読書と同じくテレビゲームも立派な文化だと思っています。
コントローラを自在に操って、
画面上のキャラクターを意のままに動かす。
素直に尊敬の念を抱きます。
自分ができないことをできる人って凄い。
そんな感じ。

ゲームは今や一大産業。
ゲームなしの人生は考えられないという人もいる。
そして私はゲームをやらない。
どっちの人生もありじゃないですかね。