のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

コンカツ中?

2009年05月31日 05時10分18秒 | Weblog
一人はさみしい。
それは当たり前の本音。

もちろん私はひとりぼっちではない。
親兄弟親戚、友だちには恵まれている。
それはとても幸せなこと。

それでも配偶者はいない。
やはり全くさみしくないと言えば嘘になる。

結婚を諦めたつもりはない。
結婚には向いていると思う。
めちゃくちゃ家庭を大切にすると思うし。
45歳になっちゃったけど結婚を諦めたわけじゃない。

反省点はある。
ハードルを上げすぎたかなということ。
選り好みをしているという意味ではない。
結婚という「到達点」を高く掲げすぎていたかなってこと。
この歳になれば逆に安易な気持ちで女性とは付き合えない。
幸か不幸か遊びと割り切って女性と付き合える人間ではない。
私はそういう性格だ。
それはもちろんある意味よいことなのだけれど、
結果として女性に対したとき、
ハードルを上げてしまっていたかなっていう反省。
軽い気持ちで女性と付き合えうと言うと響きが悪いけれど、
先の話は別として、
きっかけは少しくらい軽いものであってもいいんじゃないかと。

結婚となるとリアルな話も出てくる。
一番わかりやすいのは経済問題だ。
今の収入のままでは自分の収入だけでは家族は養えない。
子供を持つとしたらなおさらだ。
現実的な選択肢として結婚しても共働きということになるだろう。

これは日本経済という観点から見ても重要なことだ。
夫がその収入だけで妻子を養うのが美徳、常識という時代は去った。
もちろんそういう人もいるだろうけれど主流ではなくなるだろう。
高齢化の問題は切実だが、
要はリタイアした人一人を労働者何人で養うかということだ。
労働者人口が増えればっていう当たり前の発想。
仮に全ての夫婦が共働きになれば、
少しは改善される問題だろう。

私はなるべく長く世に貢献したい。
病気で働けない次期が長かったから、
長く真面目な納税者におんぶしていたということだ。
恩返しはしなきゃならない。
その無神経な発言はすぐ撤回したが、
自分が子供を二人もうけたことを指して
「ノルマは果たした」
と言った有名政治家がいた。
主に経済的身体的理由で
「子供を作りたくても作れない人」
はたくさんいる。
私もそうなる可能性はあるわけで、
でも可能で、それが許されるならば、
結婚して子供を作り、育てたい。
もちろん夫婦生活は子供が全てではない。
仮に子供を授からなくても奥さんを愛しきる自信はあるよ。

もう一度言う。
45歳になっちゃったけど結婚を諦めたわけじゃない。
流行の「コンカツ」というのは私には似合わないかもしれないけれど、
伴侶を見つける努力だけは怠らないようにしようと思う。

森光子さん。89歳の太陽。

2009年05月30日 19時29分26秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://www.ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#政府は29日、女優の森光子(本名・村上美津)さん(89)に国民栄誉賞を贈ることを正式に決めた。表彰式は7月1日に首相官邸で行われる。(YOMIURI ONLINEより)

凄いですね、森光子さん。
まだまだお若い。
皆に愛されるのは何より性格美人だからでしょう。
森さんの悪口を言う人にお目にかかったことがない。

いつも笑顔で、周囲を明るくし、幸せにする。
しかも89歳で。
見習いたいですね。
って言うか私も狙ってますから、長生き。
目指せ100歳。
それは生気のある100歳。

森光子さん。
あなたは私の目標です。
まだまだ明るい未来があることでしょう。
あなたは昨日も感謝の言葉を忘れなかった。
その優しさ、心配りがまた人を引きつける太陽のような人。

太陽は幸せ。
太陽は必要。
太陽、森光子さんに幸あれ!

楽に生きるということ

2009年05月29日 05時46分49秒 | Weblog
昨日、帰宅が20分ほど遅くなった。
乗っていた電車が途中、急停車したのである。

#ただいま踏切を通過時運転士が異常音を関知いたしました
#安全確認のためしばらく停車いたします
#お急ぎおところ大変申し訳ありません


しばらくしてまたアナウンスがあった。
原因は「置き石」であった。
「お馬鹿さん」のために、多くの人が損害を被った。

世の中、ときどき理不尽が起きる。
いちいち怒っていても精神衛生上よろしくない。
全ての理不尽を許せと言っているわけではない。
言いたいのは「怒ってばかりじゃ始まらない」ってこと。

昨日の理不尽についても
「いつもより本が読めたからいいや」
くらいの気持ちである。

怒っても一生。
笑っても一生。
ならば笑って生きようよ。

寄付のピンハネ?

2009年05月28日 05時54分53秒 | Weblog
3日前に寄付の話が出たので、関連したお話を。
寄付はいいことだけど、寄付するところを選ばないとね。

あるんですよ。
立派なダイレクトメールで送ってくるところが。
もちろん内容は寄付依頼。
どうやって私の住所がわかったんだか。

世界の貧しい子供たちを救おうとか立派なことは書いてあるんだけどね。
上質の紙を使った立派な寄付依頼の手紙。
お金のかけ場所間違ってるんでない?

海外を中心に送金や物資の送付の過程で、
例えば支配者や仲介者の横取りなどによって、
寄付が結局無駄になるケースがあることは理解しています。

それでも送金や物資の送付を続けないと、
いつまでたっても必要な人には届かないという現実。
だから結果無駄になる寄付があることは、
寄付をする立場で知っておかなきゃならない。

でも最初の話はこれとは別次元だ。
寄付団体が贅沢にお金を使う。
おかしいでしょ。
そんなお金があったら実質の寄付に使えって話でしょ。

こういうとこには寄付する気にならんね。
ある意味、金持ちに寄付するようなものだから。
散在をするような金持ちが恵まれない人を救うというのは間違いではないけれど、
「過度に豪華な封筒で寄付金を包む」
のは間違っている。
あの寄付依頼の手紙を見てそう思ったのは私だけではないはずである。

税金とか年金とか公共のお金ですべてを処理しようとするからいろんなものが破綻する。
だから寄付は社会に必要。
ささやかな金額だが私も寄付が許される経済状況になった。
社会に少しでも必要とされる人間でありたい。
病気でまじめな納税者におんぶされて生きた時期が長かった私の心からの願い。

辛くも防衛

2009年05月27日 05時58分28秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://www.ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#世界ボクシング評議会(WBC)フライ級タイトルマッチ12回戦が26日、東京・ディファ有明で行われ、同級王者、内藤大助(34)=宮田=は世界初挑戦の同級10位、熊朝忠(26)=中国=を3-0の判定で降し、5度目の防衛に成功した。(毎日jpより)

内藤、やばかったね。
中継、途中までしか見られなかったんですが、
ちょうどダウンしたあたりまで。
正直「負けたかな」と思いましたよ。
相当「いいの」も貰ってましたし。

正直年齢的にきついところに入ってきた。
でもボクシングは、パワー、スピード、スタミナ等の
身体能力だけで勝負が決まるわけじゃない。
大一番では経験がものを言う。
それが劣勢でありながら。
終盤で挽回した内藤の強みであったわけだ。

ボクシングは辛いスポーツ。
勝って引退は基本的にない。
ボコボコにされて限界を悟って引退。
それが一番多いケースだろう。
内藤の勝負はまだまだこれからなのである。

内藤、好きだよ。
いいキャラだし。
こぼれるような人の良さが伝わってくる。
ビッグマウスでもないし。

頑張れよ、チャンピオン、内藤大助。
亀田兄弟のおかげで有名になったようなところがある君だけれど、
今や押しも押されぬスーパースターだ。
みんなに希望を与えてくれよ!

北朝鮮核実験。常識が通じぬ国の愚行。

2009年05月26日 03時35分47秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://www.ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#北朝鮮の朝鮮中央通信は25日、同国が06年10月に続く2度目の核実験を実施したと伝えた。報道文は狙いを「共和国(北朝鮮)の自衛的核抑止力を強化するため」と位置付け、「成功した」とした。(毎日jpより)

常識にとらわれるのはつまらないけれど、
さりとて常識を全く知らない相手というのはやはりやっかいである。

あて、北朝鮮。
この国にはあらゆる常識というものが通用しない。
約束は破るためにするためのものと心得ている。
滅びそうで滅びない。
今や世界中の鼻つまみ者だ。

実は私は怯えている。
戦争の危機である。
だが一般的な危惧とは内容が違う。
北朝鮮が起こす戦争ではなくアメリカが起こす戦争。
言うまでもなく北朝鮮に対し。

米国のオバマ大統領がね。
理不尽に関してはブッシュさんより切れやすいんじゃないかと。
ブッシュさんはさ。
そりゃいろいろ戦争を起こしましたさ。
でもいろいろ理屈はつけてもそこには必ず「利害」があった気がする。
オバマさんがね。
(少なくとも表面上は)正義感溢れる人というのが、
ここに来てネックになると思うわけ。

戦争もChangeか。
こんな場面で(戦争を指して)
Yes, we can!
と言うのも物騒な話だ。

正直な話私も、人間、バラク・オバマをよく知っているわけではない。
でも朝鮮半島の危機に関する本当の「戦争のスイッチ」は
「ああ言えばジョンイル」の金正日ではなく、
バラク・オバマが握っている気がしてならないのである。

寄付について

2009年05月25日 03時27分45秒 | Weblog
最近ですよ。
何か世の中の役に立つことに寄付しようという気持ちが生まれたり、
同時にそれが経済的に許されるようになったのは。

人間にはしなきゃならないことが3つあると思う
1.お金をもらってやること
2.ただでやること
3.お金を払ってやること


寄付なんて話題になったけど、
私は別に聖人君子じゃないよ。
人並みに打算で動いたり、汚い部分も持っているしね。

でもさ。
自分だけでお金を独占しようとする。
それはそれで間違ったことじゃないとも言えるけど、
なんかそれだけだと人生ぎすぎすしてくるんじゃない?
寄付って人間的な余裕とも言えると思うんだけど。

売名のための寄付もありだと思うよ。
利益のための寄付はまた別の話。
そのお金が不正な方法で得られたものでなければ、
売名のための寄付であろうと、
恵まれない人、困った人の役に立つのであれば、
それは十分有意義なこと。

寄付に関しては自分なりの決め事がある。
年に1回は世の中の役に立つことのために
「これはちょっと痛いな」と思うくらいの額の寄付をする。
同時にその寄付は必ず匿名で行う。

多くの人がこれを実行すればね。
世の中の抱えている問題はかなり解決すると思うんだけど。
税金とか年金とか公共のお金ですべてを処理しようとするからいろんなものが破綻するのであって。
個人の自由意志による寄付が恒常的にある程度計算できる額になれば、
例えば高齢化問題なんかも解決の糸口が見えてくるんじゃないかと。


寄付っていうのは悪いイメージがあるよね。
私腹を肥やす一部の政治家とかお偉いさんとか。
お馬鹿さんがごまんといるからね。
でも寄付を色眼鏡で見ちゃいけない。
本来善意から発生する、発生するべきものであって、
それを社会に有効活用するシステムはこれからの世の中に必須。

税金とその活用だけではない
例えば
「富の再配分」
「長屋の精神」
があればこの先も暗い見通しだけじゃないと思うんだけどね。

夢を語ること

2009年05月24日 14時26分55秒 | Weblog
ただでできるよ。
夢を語るだけなら。
夢を見ることになんの障害もありゃしない。

夢を実現できるか。
これはまた別次元の話。
これは簡単ではない。
夢見ただけでは夢は叶わない。

夢が叶うというのは夢を見たからだ。
たいていの人は実現可能な夢を見るものだ。
極端な話、明日冥王星に行きたい、なんて夢を語る人はいないわけ。
神様は実現不可能な課題を与えない。
そういうものだと思いますよ。
夢見ることは無駄じゃない。
もちろん夢を叶えるためにはそれだけじゃダメ。
実際にどう動くかにかかってくる。

これはいろんな自己啓発本に書いていることでもあるんだけどね。
夢を紙に書き出してみる。
それを毎日声を出して読んでみる。
声を出せない場所なら黙読する。
これを最低一日十回。
これで夢の可能確率はぐんと高くなる。
私も実感しています。

なんだ精神論じゃないかというなかれ。
ここまでやる人はね。
必ず実現のための具体的アクションを起こすんです。
紙に書くということで、行動が具体的になるんです。
夢を紙に書き出せばね。
その下に「その実現のためには、今こうしなければならない」って書き足したくなる。
夢を紙に書き出すというのは人生の行動計画書を作るってことなんです。

ここまで言えば
「ああ、こんな夢が叶えばいいなぁ」
と漠然と考えるだけの人との差は明らかなことがわかるでしょ。

夢を見ることはただ。
夢を実現させる人はそこで止まらない。
私だって人生の夢を実現させたなんて堂々と言える人間じゃない。
でも夢実現のために努力しているとは堂々と言える。

よく世間で言われているように、
「日本はお先真っ暗」
だとは思わない。
皆が夢を持ち、実現のための努力をする。
それだけで日本の未来は数倍明るくなる。
世界についてもしかりである。

最後に、
世の中には病気等で
「頑張ることができない人」
が少なくない数いる。
そういう人の夢を叶えるための行動が、
「取りあえず今は休む」
であっても何ら問題はない。
ただしそんなときでも、
「頑張れるようになったらこういうことをしてみたい。」
くらいの目標は持った方がいい。
例え不治の病の末期だったとしても、
希望は持った方がいい。
その希望が「愛する人と静かなひとときを過ごす」
でも誰も責めはしない。

だから私は希望や夢を語る
「夢見生」
を名乗るのです。

寝てばかり

2009年05月23日 23時59分00秒 | Weblog
久々の惰眠だったな。
惰眠を貪るという表現がぴったりか。

たまにはそれも良いと思っている。
ただしその周期が確実に長くなっているよ。
惰眠がやってくる周期がね。

基本は短眠。
超短眠と言っていい。

そしてその生活習慣を人には勧めない。
全ての人に当てはまる健康の習慣でないのは明らかだから。

ただ私は明らかに短眠生活になってから、
人生が開けてきた。
だからこその短眠生活。

睡眠はたっぷり取りましょう。
たいていの健康関連の書籍には書いてある。
その意味で私は異端児なのだろう。

慣れは怖い

2009年05月22日 05時17分46秒 | Weblog
ときどき書くことだが、
慣れは怖い。

慣れというのは必要だし、
慣れなしに世の中は円滑に動かない。
全員が(職業的な)新米の世の中は存在しない。

その上でね。
慣れは怖いんですよ。

私の例で言うとね。
今パソコンの電話サポートの仕事をしているわけですが、
これに必要なのは半分は技術ではなくハートなわけです。
正確なことを言うが心のない対応はお客様に受け入れられない。
だから常に誠心誠意の対応を心がけている。
例えばどんな電話でも最後に「ありがとうございました」と言うとか。

パソコンスキルはね。
これはあったほうが良いに決まっている。
これも慣れです。
でもね。
ハートの部分が慣れちゃうとこれはやばいわけです。
足を組んでいすにふんぞり返って電話で「大変申し訳ありません」と言う。
ある意味プロフェッショナルだが、
私に言わせれば真のプロではない。
どんな職業でも同じこと。
皆が仕事でこういうことをやりだしたら必ずその社会は破綻する。

慣れて慣れず。
これくらいのほうが大成する。
それが私の理論であります。

モノの値段

2009年05月21日 05時59分32秒 | Weblog
まずは水の値段。
会社では2Lの水を買って一日で飲む。
オフィスはビルの5階にあるのだが、
5階の自動販売機で買うと、水は500mlで100円。
ところが1階のコンビニで買うと、水は2Lで105円なのである。

居酒屋の値段。
先日も飲み放題で2980円というコースだったが、
「安い」という感覚だった。
でもさ。
普通に食事するんだったら一食3000円は間違いなく「高い」と思うだろう。
事実、安いと言われているような居酒屋の単品メニューだって、
スーパーの惣菜売り場の安売りで同じものを買えば半額以下で済む。
居酒屋は高いのだ。
だから居酒屋がぼったくっているかというとそれも違う。
居酒屋の値段の半分は、時間で場所を借りている値段なんだな。
まったく注文しなくたって、居酒屋のスペースは占有され、
他のお客さんを入れることは出来ない。
居酒屋の会計。
料理にだけお金を払っていると思っちゃいけない。
半分はサービス、すなわち人件費を払っている。

つまりはモノの値段は人の値段なのだ。
人件費ってことね。
だから輸入というコストがかかっても、
人件費の安い国で生産されたものが安い。
その意味で
「これの売価はいくらで原価はいくら。こんなに安い原価なのにぼったくりだ」
という批判はナンセンス。
原価に人件費は入っていないからね。

サービス業ともいうべき職場で働いていると自然とこういう感覚が身につく。
粗利、営業利益、人件費、売上総利益、売上原価。
これらの意味は知っておいて損はない。
モノを買うときこれらを即座に計算する感覚もしかり。

商売ということでちょっと話を飛ばす。

トラックでやってくる「無料で粗大ごみを引き取ります」という商売。
心が動かないと言えば嘘になるが私は利用しない。
おそらくまともな手法を使っていないことは容易に想像がつくからである。
ま、善意に解釈すれば、直して国外に売る。
これだっておそらく税金は逃れているわけで。
あとは悪い方向に考えると、
分解して売れる部品をはずして残りは不法投棄。
今の日本では粗大ごみ回収は基本有料。
ただで引き取って、有料のごみ収集に出していたら、
商売になるはずがない。
何らかの「儲かる仕組み」が必ずある。

商売にするのだったらモノはただでは売れない。
フリーペーパーとか、ただで配るものもあるが、
消費者からお金を取っていなくてもどこかに必ず収入の道はある。

モノの値段を深く考える感覚は持っていたほうがいい。
単なる値段の比較ではなく、
これは本当の意味で安いのか。という計算。
それは金勘定でありながらも「健全な計算」なのだから。

新型インフルエンザ。マスクは自分のためだけにするのではない。

2009年05月20日 05時59分38秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://www.ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#豚インフルエンザから変異した新型インフルエンザの世界の感染者が日本時間20日に1万人を超えた。(NIKKEI NETより)

さて新型インフルエンザの影響。
身近なところでは、
会社のフロアの入り口に手にすり込むアルコール消毒液のポンプが置かれた。
いつも使うコンビニの店員が全員マスクをしている。

私は今首都圏に住み、働いているが、
街の中、電車の中でのマスク着用率はまだそれほどではない。

マスクをするのは自分のため?
私はそうは思っていない。
私がマスクを着用する理由でもある。
自分が介在者にならないためなんだ。
今私が感染したって死ぬことはないと思うよ。
だから自分の感染には怯えていないわけ。
でもね。
少し想像力をふくらませると、
自分が加害者になるケースが見えてくる。
糖尿病とかの疾患や妊婦がかかるとやばいことになる可能性が指摘されている。
自分が感染して、感染に気付いていない段階で、
それらの人にうつしてしまうことは十分考えられる。

患者は今のところ関西圏に集中しているが、
他の地域だって安全じゃない。
少なくとも私の知り合いは皆この見解だ。
移動の制限が事実上ない今の日本では、
全国への感染の広がりを防ぐのは難しい。
多くの人が感染しないためと関西圏への出張とかをキャンセルしている。
逆に考えればね。
ここにいては危ないから他の地域に移動しよう、
と考える関西圏に住んでいる人も当然いるだろう。
そうした人が感染者だったら・・・
簡単な想像力の問題だ。

だから個人的には今流行していない地域でも、
少なくとも人混みや電車内とかの密閉された空間ではマスクはした方がいい。
そう考えている。
過度に怯えたりパニックになったりする必要はないが、
自分の感染はすなわち自分が加害者になる可能性を意味する。
それは頭の片隅に置いておいた方がいい。

オリジナルの原点と疑問

2009年05月19日 06時01分10秒 | Weblog
職業作家も含めいろいろな物書きがいる。
推敲を重ねて良いものにしていくという人も多いだろう。
少なくとも私の詩の場合は違うな。
こねくり回して良いものができたためしがない。
このブログの場合はまた別なんだけどさ、
短い詩作の場合はほとんどインスピレーションで決まるのね。
だからこねくり回さない。
10分考えて「?」の付く詩作はさっさと永久削除する。
それが私の基本方針。

発想、独創について。
密閉した無菌状態で細菌が繁殖しないように、
人間も無からは何も作り出せない。
独創にしてもその人の中に何かがあったから生み出せる。
その人の中にあったものがその人以外の影響でできあがることもある。
良い文章を多読するうちに自分でも良い文章が書けるようになる。
そこで生み出されるその人の文章は間違いなくその人の独創だけれど、
100%その人の力だけでできあがったものかっていえばそれも違う。

だから盗作と独創の境目も難しい。
私がよく使う例え。
「あなたを愛している」
を最初に考えついた人がいるとする。
「愛しているあなたを」
を考えた人は、盗作が独創か。
使っている言葉だけを見れば完璧な盗作だが、
このふたつの文章は明確に視点が違う。
その意味では独創だと思うのね。

もっと微妙なのはさ。
見たり聞いたりしたものが、
いつの間にか自分の中で自分の作品になっちゃうってこと。
とあるラジオパーソナリティが言っていたんだけど、
時々以前紹介したのと全く同じ内容のネタ葉書が来るんだそうな。
もちろん違う人からね。
頭の中で「これ面白い、これ面白い」と反芻しているうち、
自分がこの情報を外から取り入れたという情報が抜け落ちて、
いつの間にか「自分が考えた面白いネタ」になってしまうってことだろうな。

他人事ではない。
物書きとして心しなければならない。
私も本はよく読む。
本を読んで気に入ったフレーズがあったとして、
時が経ってそのフレーズを思い出したとする。
その時自分の中でいつの間にかそれが「自分の作品」になっていることが、
全くないと言い切ることはとてもできない。
ここをノーチェックで素通りするとこれは完璧に盗作になっちゃう。
これは危ない。
私の中の予防策として、
良いフレーズが出てきて少しでも「あれ?」と思った時は、
必ずネット検索するように心がけています。

結局盗作か否かっていうのは、
心の中の問題になると思うのだけれど、
今言ったばかりの例もあるとおり、
「悪意のない結果として完璧な盗作」
っていうのもあり得るわけで。

私としてはもちろん一度も盗作をした覚えはない。
幸いなことに今まで盗作をされた覚えもない。
盗作をしようなどという不埒な気持ちは微塵もないけれど、
前述の理由からこの先
「結果として盗作」
を生涯一度もしないと言い切る自信はない。

オリジナリティというのは、
「その人が生み出したもの」
で簡単に片付けられるものではない。
オリジナル、盗作の問題は今後も世にちょくちょく出ることだろう。
「自分は関係ない」と言い切れる人はいないはずだ。
全ての作家、アーティストは心しなければならない問題だと思う。
もちろん私自身も含めて。

新型インフルエンザ。大流行の兆しでも落ち着いて。

2009年05月18日 03時45分46秒 | Weblog
>今日のニュースより
#新型の豚インフルエンザの感染者は、兵庫県に続いて大阪府でも相次いで確認されるなど17~18日未明に新たに84人増え、厚生労働省や自治体によると、18日未明までで累計96人(成田空港の検疫で見つかった4人を含む)にのぼった。(asahi.comより)
#国立感染症研究所の田代真人インフルエンザウイルス研究センター長は17日、滞在先のジュネーブで記者団に対し、日本国内で新型インフルエンザの感染が確認されたことについて、「(感染者数は)すでに1000人レベルを超えた可能性がある」と述べた。(YOMIURI ONLINEより)

大変なことになってきた。
一週間前私は
「たぶん、今回の新インフルエンザに関して言えば、日本国内では何万人規模の大流行にはならない。」
と書いた。
早くもそれが揺らいできたわけで。
おのれの不明を恥じたいです。

私としては自己防衛策として、
取りあえず電車内ではマスク、毎朝体温を測る。
そこらへんから始めたいと思う。
マスクをストックしておいてよかった。

ただしパニックになるまい。
現状私が感染しても死に至る可能性は低い。
ただ糖尿病患者や妊婦の方はそうも言っておられない。
命の危機だからね。
私としても少しでも「その兆候」が出れば会社は休む。
そう決めている。

その上で言います。
皆さん、冷静になりましょう。
ニュース等を頻繁にチェックし状況の把握に努めた上で、
落ち着けばケースバイケースでやるべきことも見えてくる。
日本人はそれができる国民のはずなのですから。

青森一泊旅行のショートショート

2009年05月17日 16時01分49秒 | Weblog
山にはまだ雪が見えた
東京に住んでいれば、5月にはもう雪という言葉はぴんと来ない。
なんだかんだで日本は広いな。

バスの窓から見かけた店舗
「ミシンデパート」
どう見ても広さ三畳だ。
こういうのは名乗った者勝ちだな。

墓地の入り口あたりに建っている建物。
「老人憩いの家」
うーん、ブラックだ。

従姉妹の小学1年生の息子。
パソコンの先生をやってしまった。
ペイントでお絵かき。
親もWindows標準の機能でここまでできるとは知らなかったようだ。
慣れるとこっちがびっくりするような絵を描く。
子供の発想は無限だね。

特急電車のトイレ、2両にひとつしかない。
並んでいたのだが前の人がいくら待っても出てこない。
時間を計り始めて20分、やっと女性が出てきた。
入ったときと顔が変わっている。手にはポーチ。
つまりトイレで20分以上かけて化粧していたのだ。
私も含め列に並んでいた5人の非難の目線を気にする風でもなく、
去っていったおばはん。
私は女性じゃないからよくわからないし、
トイレで化粧、そのものは否定しない。
でもこのケースは明らかにルール、マナー違反だろ。

私の97歳になるおばあちゃんの入っている施設にて。
ロビーでばあさまたちが一心にテレビドラマを見ている。
いわゆる昼メロってやつだ。
「これって地上波でセーフ?」っていうような性的描写。
私も直視がはばかられるようなきわどいシーンを、
80はとうに超えたばあさま3人が目をそらすことなく食い入るように見ている。
正直「どん引き」した。
ばあさま軍団、恐るべし!