のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

笑いの効用

2011年11月30日 04時50分00秒 | Weblog
今幸せ。
今日幸せ。

その幸せがずっと続くか。
明日も幸せでいられるか。

そんなことはわからない。
文字どおり人生何が起きるかわからないからね。

それでもいつでも幸せな気持ちで、
笑顔で生きていこうと思う。

不幸なんてさ。
不幸と思うから不幸なんだ。
いるでしょ。
あの人なんでいつも幸せそうにしていられるんだろう。
そう思える人。
そんな人に私はなりたい。

appleから今持っているiPod Touchを買ったとき、
無料サービスで裏に刻印して貰った言葉。
「笑う窓には福来たる 笑う後には福来たる」
笑っている瞬間に圧倒的な不幸は存在しない。
心から笑っていられれば必ず幸せな未来がやってくる。

偉そうな人生訓を垂れているんじゃないよ。
すべて私の実体験から来ていること。
若い頃、心の病を患った。
統合失調症。
精神病院に入院歴有り。
前向きに、超前向きに、幸せな気持ちで、いつも笑って。
そうやって生きてきたら本当に病が劇的に改善したんだよ。
幸せが向こうからやってきたんだよ。

だから青臭いと言われようが私は言い続ける。
夢を、希望を、笑顔を。
この3つが揃った人生に不幸はない。
断言できます。
怪しげな教えでもなく、
私の実体験だから。
私はそう信じることができる。

これを信じるか信じないかは読む人の自由。
読んでいる人にお任せします。

杉内俊哉投手FA権行使のニュースで思ったこと

2011年11月29日 21時12分24秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#プロ野球ソフトバンクの杉内俊哉投手(31)が国内フリーエージェント(FA)権行使の手続きをとった。29日、代理人が明らかにした。(asahi.comより)

FA、フリーエージェント制度については、
ドラフト制とセットで語られることが多いですよね。
今日はそれについて話してみようと思います。

フリーエージェント権については文句はありません。
結局は財力のあるチームに選手が集まっちゃうじゃん。
そういう意見もありますが、そこまで締め付けるのもどうかなと。
ある程度の年数会社に勤めたら、
実力さえあれば好きな会社または部署に異動できる。
人間は励みが全くないとやっていけないから、
ご褒美的な意味としていいことでしょう。

ただし現行のドラフト制度については疑問があります。
逆の意味でです。
もっと厳しくするべきじゃないかと。
はっきり言えば完全ウェーバー制支持者ですよ。
(意味がわかんない方は調べてくださいね)
新人が全員好きなチームに入れるとしたら、
こりゃ勝負としては確実に詰まらなくなる。
ドラフト制がなければどうなるかは、
過去の例、日本の読売巨人軍やメジャーのヤンキースで、
はっきり結論が出ているわけですよ。

圧倒的に弱い横浜ベイスターズが、
第1巡指名で2度外れくじを引いた今年のドラフト。
一番弱いチームが1巡指名で第3希望の選手を指名する。
不公平ですよ。
横浜市民としての私情が入っていると言われても、
これははっきり言っておかないとね。

阪神が、東海大・菅野智之投手を、
来年ドラフトのリストアップから外さないというニュースは、
至極当然のことに思える。
今秋のドラフトで日本ハムから1位指名され、入団を拒否した。
これで結果すんなり巨人に入団できるなら、
ドラフト制があっても、ごねれば結局好きな球団に入れるんだ。
そういう例を作っちゃいますからね。
ドラフト制度が有形無意味になっては、
文字通り制度が無意味になっちゃう。

ここまで書きましたけどね。
最終的に職業選択の自由とか権利とか、
そういうものを振り回されちゃうと黙るしかないわけで。
日本国憲法で保障されているわけですから。

<日本国憲法第二十二条引用>
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

ただこれに関しては「公共の福祉」という言葉を
どうとらえるかという問題もありますよね。
公共の福祉というのはかなり限定されるべきものであるとは思うのですが、
国民生活が詰まらなくなるという、
無理矢理の拡大解釈をすれば、
この条文にも適用されるのじゃないかなと。

自由というのもね。
たいせつなものであるというのはもちろんだけれども、
やっぱ、やたら振り回しちゃいけないと思うんです。
自由が保障されていても、大人の世界に入ったら、
大人の事情、大人のルールにはある程度従わなくては、
大人の社会は円滑に進まないですから。

杉内くらいの活躍が出来れば、
将来好きなチームに移籍できる。
それはプロ野球選手の希望になる。
それは確かなことで。
いろいろ毒を吐いたかもしれないけれど、
日本プロ野球の発展を願っての発言であることは承知頂きたく。

友人招待という名目で自分も楽しむ

2011年11月28日 12時08分04秒 | Weblog
友だちと横浜を散策してきました。
地元の観光地を廻るというのは逆にあまり機会がないわけで。
ランドマークタワー。
山下公園。
湾内クルーズ。
中華街で夕食。
マリンタワーからの夜景。
地元なのになんか新鮮だったです。
いわば横浜知らずの浜っ子ですな。

どこもデートにぴったりだなあ。
現段階では100%妄想。
それもまた楽しの日曜日散策でありました。

恥をさらさねばなるまい

2011年11月27日 23時59分00秒 | Weblog
昨日。
ある人に叱られた。
それはもっともなことで。
まさにぐうの音も出なかった。

新しいデジカメを買った。
それで嬉しかったのだろう。
舞い上がっていた。
バシャバシャと撮りまくっていた。

そこでその場所のスタッフに
「人を撮るときには一声掛けましょうね」
とたしなめられた。
ごもっとも。
撮られたくない人だっている。
人を撮るときは一声掛ける。
写真撮影のいろはのいの字だ。

こういうパソコンに関わる仕事をしていて、
そんな簡単なことを忘れていた自分が恥ずかしい。
もちろんその人は「写真を撮るな」と言ったわけじゃない。
マナーをわきまえなさいという
至極常識的なことを言っただけだ。
人は学ぶ。
私も学ぶ。
反省して「パパラッチもどき」になることなく、
「分をわきまえた素人カメラマン」になろうと思う。

叱ってくれた人に感謝。
私よりは随分歳下の人だったから、
言うのは勇気が必要だったに違いない。
それでもちゃんと言ってくれた。
ありがたい。

それが理に適うことならば、
自分を叱ってくれる人は幾つになっても大切にしたい。
歳上歳下は関係ない。
そういう謙虚な気持ちは常に持っていたい。

歳を重ねれば重ねるほど、
人に叱られることは少なくなる。
それはある意味不幸なことかもしれない。
自分のことを考えて叱ってくれる人。
どんどん貴重になってくるわけで。
だからあえて苦言を呈してくれる人は大切にしなくちゃね。

叱られてしばらく恥ずかしさで頭の中が真っ白になった。
それでお礼を言い損ねた。
こういうことはきちんとしなければならない。
次にその人に会ったときは、
きちんと感謝の言葉を伝えようと思う。

生への執着は死と隣り合わせの体験から来ているかも

2011年11月26日 05時38分02秒 | Weblog
死に対しては、ある意味敏感、ある意味鈍感である。
死に対する恐怖というのはあまりない。
正確に言えば恐怖あるのだろうけれど、
心積もりができていると言うべきか。

死の恐怖を味わったことがあるからだろうな。
心の病、統合失調症。
精神病院に入院していたとき、
頭の中がおかしくなって、廊下でのたうち回って、
「俺はこのまま狂い死にする」そんな瞬間があった。
今冷静に考えればそれは妄想でしかないのだけれど、
そのときは、本気で「よくて廃人」みたいな感じで、
死をすぐそこにあるものとして受け止めていた。

それに比べたら今は天国だよ。
私が超前向き、現状に対する文句をほとんど言わないのは、
そこら辺から来ているのだと思う。
「文句を言ったら罰が当たる」それは実感なんだ。

精神病院。
私にとってそんなに悪い場所じゃなかった。
飯は旨いし(結果それで太ってしまったが(苦笑))、
常識行動を守っていれば病院内での制約はなかった。
たまに外泊も許された。

精神病院。
酷い誤解もされている場所だね。
映画やドラマで描写されることがある風景。
真っ白な壁に囲まれた部屋、あり得ないよ。
鍵の束をじゃらじゃら音立てて歩く看守のような人、同じくあり得ない。

確かに悲しい現実もあった。
私から見れば、はるかに私より病状の良い人が、
家族に見捨てられ(退院しても家族が引き取ってくれない)、
退院できず結果、治っているのに病院に閉じ込められている。
今そんな酷いことがあるのかは知らない。
でも27年前には確かにそういう不幸があったのだ。

死んだらどうなるか。
死と隣り合わせの感覚だったころ、
それについては随分と思い詰めた。
結論は出なかったよ。
そんなに簡単に結論の出るテーマじゃない。
とにかく死にたくない。
その恐怖だった。
だから私は死に敏感。
そしてその感覚に慣らされてしまったからある意味死に鈍感。
冒頭の言葉に戻る。

死に敏感、かつ鈍感。
それが幸福なのか不幸なのかはわからない。
でも死と真正面から向き合った経験は貴重だったし、
その経験は今までの人生にきちんと「生かされて」いる。
その恐怖もひっくるめて、
死は忌むべきものではなく、今もすぐ隣にあるもの。
そんな感覚である。

FA宣言。男・村田修一、辛い決断を思うと・・・

2011年11月25日 22時52分30秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#横浜の村田修一内野手(30)が25日、横浜市内の球団事務所でフリーエージェント(FA)権を行使する手続きをとった。国内移籍を視野に入れているが、横浜は慰留する方針。(YOMIURI ONLINEより)

万年最下位、横浜ベイスターズ。
村田ほどの打者だ。
優勝を一度でも経験させてやりたい。
かつての同僚、王者ソフトバンクホークスの
多村、内川の活躍も刺激になっただろう。
その気持ちは至極もっともなものだ。

一方、横浜市民としては複雑なところです。
本音を言えばこのまま横浜にいて欲しい。
再生を目指す来期。
村田がいるいないは大きすぎる違いだ。
村田に替わる不動の4番が務まる逸材がそうそういるとは思えない。

でも、今の横浜のチーム状態を考えると強くは言えないな。
弱いチームであるのは認めなくてはならない事実。
勝てないチームでプレーし続けるのはモチベーション的に辛かろう。
やっぱ本人の気持ちが一番だからね。
納得いかないまま残留して中途半端な気持ちでやられるのも困る。
一番はベイスターズが村田が納得して残るに足りるチームになること。
新生横浜DeNAベイスターズはそんな魅力あるチームになって欲しい。
故郷横浜を愛す人間の心からの願いです。

立川談志師匠死去、毒舌の意味。

2011年11月24日 10時34分24秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#独自の解釈を加えた古典落語と、歯にきぬ着せぬ毒舌で注目を集めた落語家で元参院議員の立川談志(たてかわ・だんし、本名・松岡克由=まつおか・かつよし)さんが21日、喉頭(こうとう)がんのため死去した。75歳。(MSN産経ニュースより)

このニュース記事にも書かれているが、
談志さんを語るときに必ずというほどによく出てくるのが、
「毒舌」という表現である。

毒舌というのは悪い意味で語られることがあるが、
毒舌と言われる人の多くは、
正直なだけだと思うのです。
口からこぼれ出る「心」を止めることができない。

談志さんもそうだった。
我々凡人は本当は思っていても、
面と向かって誰かに、
「あなたはバカですね」
という言葉は飲み込んでしまう。
でも談志さんは違った。
「あなたはバカですね」
そのまま口に出してしまう。
それでいて憎まれなかったのは、
立場が下の人に言うだけでなく、
上の人にも臆さず言えたからこそ。

つまりは
「斬っても殺さず」
だったのではないか。
毒舌と呼ばれる人は敵が多くなりがち。
ところが談志さんに悪口を言われた人の多くは、
納得してしまっている。
毒舌でも虚言妄言ではない。
正しいことを言っていた。
だから言われた人も納得する。

分け隔てをしなかった。
本当は優しい人だったのだと思うよ。
相手のことを思えばこその毒舌。

談志の前に談志なし、談志の後に談志なし。
ご冥福をお祈りします。

追記:
今気付きました。
上から読んでも「談志が死んだ(だんしがしんだ)」
下から読んでも「談志が死んだ(だんしがしんだ)」
そこまで考えて高座名を付けたのかもしれない。
自分が死んだときも笑いを提供したい。
談志さんならあり得ることです。

生きていることそのものが楽しみ

2011年11月23日 10時48分26秒 | Weblog
ここでもいつも触れているとおり、
私は超長生きするという野望を持っている。
百歳の詩人、柴田トヨさん。
百歳の医師、日野原重明先生。
彼らを超えてやろうって意気であります。

この話をすると引かれる、
もしくは「そんなに長く生きたくない」という人が結構いる。
もちろんよぼよぼになったり、
認知症でわけわからなくなったまま、
ただ生かされているというのは避けたいから、
今から健康に気を遣う。
超長生きを目指す身として最低限の心得だ。

長く生きたいというのは私のお得な考え方から来ている。
酒もタバコもギャンブルもやらない。
私のことを「何が楽しくて生きているの?」という人がいる。
パソコン、執筆、読書、身体を動かすこと。
趣味習慣といえることはたくさんあるが、
確かに普通の人から見たら趣味の少ない、
何が楽しくて生きているかわからないつまらない人生に映るかもしれない。

つまりはね。
生きていることそのものが楽しいんですよ。
極端な話、一日中ボーッとしていても、
「ああ俺、今生きている」
という気分で幸せになれる。
生きているだけで丸儲け。
そんな感覚かな。

生きて生きて楽しんで馬鹿やって。
それで長生きできればチョー幸せ。
長生きは目的でも手段でもなく。
ただ楽しく生きていく先になんとなく自然と存在するもの。

現在47歳。
人生百歳超とするならば、
まだ人生の半分にも到達していないことになる。
そう考えると楽だね。
まだまだ先は長い。
おおいに楽しんで生きなきゃ。

うん。
我ながら得な性分だわい。(笑)

止まるために急ぐ

2011年11月22日 06時05分23秒 | Weblog
止まるために急ぐ。
心がけていることです。
何のこっちゃと思われた方。
もう少しわかりやすい表現にするなら、
止まる余裕を持つために急ぐ、ってところか。

歩くのは遅いほうではない。
っていうか平均から考えたら速いほうだと思う。
昔はその「急ぐ」は一本早い電車に乗るとか。
「急ぐために急ぐ」だったわけで。
正直な話、急ぐあまり、
危ないタイミングで道路を渡ったりもありましたよ。

最近は前述のように「止まるために急ぐ」になってきた。
当たり前といえば当たり前だが、
信号は必ず守る。
見渡す限り車が居ないような場所でも、
歩行者用信号があればそれは必ず守る。
ある意味アホに見えるかもしれないけれど、
こういうことって習慣だと思うんですね。
あとはちっちゃい子どもが見ていたらとか、
そういう想像力を働かせる。
「信号守れ守れって言うけれど、大人が守っていないじゃん」
そう思われたら未来を背負って立つ
日本の子どもの教育上よろしくない。
だから信号は守る。
信号のない場所では、極力横断歩道を渡る。
横断歩道もなければ、本当に細心の注意をもって渡る。
自分なりの目安は、
横断中に転んで動けなくなっても車にはひかれない。
ってところか。

発想も変わったね。
約束の時間は守るのはモットーだったけれど、
その守り方が変わってきた。
普通に家を出て、歩くところはダッシュで行って余裕を持って着く。
だったのですよ、昔は。
今は普通に歩いて信号運が悪い場合を想定して、
そこから更に最低15分余裕を持って家を出る。
15分の余裕を見れば、電車一本の遅れくらいは吸収できる。
時間に関して信用を失うことがない。
更に「絶対に遅刻できない」という、ここぞのときは、
集合場所30分前着を目標に動く。
時間の無駄?
もし待たされたら?
そんなことどうってことないね。
こちとら本好き、本の2冊も持っていけば、
読書の時間が増えて感謝したくらいだ。まったく問題ないもの。

この習慣、生き方は慣れてしまえばとても楽。
何よりせかせかしなくていいから、
生活に心にゆとりが出てくる。
イライラすることがなくなる。
いいことずくめです。

止まるために急ぐ。
冒頭を見て「こいつアホか」と思われた方。
これでも私はアホに見えますか?

日本シリーズ終了。特別なシーズンの終わり。

2011年11月21日 05時17分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#プロ野球「コナミ日本シリーズ2011」(7試合制、4戦先勝方式)は20日、福岡市のヤフードームで第7戦を行い、パ・リーグ覇者のソフトバンクが3-0でセ・リーグ優勝の中日を降し、03年以来8年ぶり5回目(前身の南海、ダイエー時代を含む)の日本一に輝いた。(毎日jpより)

落合さん、いい表情していたなあ。
まずそこから入るか!(笑)
つまりはね。
このシリーズについては中立の立場でいたつもりだったけれど、
退任が決まっている落合博満監督。
下馬評はソフトバンクホークスが有利。
そこで判官贔屓の血が騒ぎ出して、
いつの間にか中日ドラゴンズを応援していた自分に気付く。
内川のバット事件とかもあったけれど、
落合監督は基本的にベンチで腕組みして座っているだけだった。
それでも選手たちは知っていた。
意気に感じていた。
必ず落合監督を胴上げするのだと。
彼が望んでいた両リーグ最強同士の戦いで、
真の日本一を決め最後に胴上げするのだと。
ドラゴンズ並びに落合監督に関する思い入れはこれくらいにしておく。

テレビ中継、解説について。
全部取り上げると文字数が半端なくなるから、
第7戦に絞ってみる。
ノムさんこと野村克也さん。
どこまで冴えているんだこのジジイは。
いや、これは好意的な意味での表現ですよ。
誰のこととは言いませんが、
「2流の選手」と言い切っちゃうのは凄いな。
言えませんよ、普通。
ノムさんが言うから許された。
もうこの人は日本プロ野球界の治外法権ですな。

ノムさんの解説に異を唱える部分があるとすれば、
おっしゃることはごもっとも。
でも両チームは本当にそんなにバカだったのかって話。
データ分析全盛の世の中だ。
ノムさんが分析したことを、
両チームの監督、コーチ、選手が、
まったく把握していなかったなんてあり得ない。
データの分析が出来ていた上で、
「動けなかった何か」があったのではないか。
それもデータに基づいた何かが。

中継ゲストのSMAP中居君、どーよ。
賛否両論あると思うけれど、
私はちょっと否定的な見解。
中居君は大好きだし尊敬もしている。
人間、中居正広に対する文句は一切ない。
ただ昨日の立ち位置に関してはちょっとね。
中途半端な知識で知ったかぶりをする素人。
その匂いを感じてしまったのは私だけでしょうか。
一応ノムさんや梨田さんを立てて振っているんだけど、
ちょっと前に出過ぎだったんじゃないかと。
あとは緊迫した場面、アナウンサーも発言を控えている。
「ここは黙って観させて」ってところでの発言。
あれはきつかったな。
そしてああいう場所で喋る者として絶対にしてはならないミス。
記憶に頼った発言で間違った記録を言う。
中居君、やってもうたよ。

長くなった。
結論。
いいもの観させてもらいました。
大震災に触れた試合後の秋山監督のインタビュー。
感服いたしました。
(あのインタビューを途中で切ったTBSには呆れましたが)
中日を応援していたと書いたけれど、
ソフトバンクの強さには脱帽です。
ケチをつけるつもりはありません。
両チームの選手、監督、コーチをはじめとするスタッフ。
感動をありがとうございました。

最後に。
オーナーの胴上げって初めて見た気がします。
孫正義オーナーの存在。
これもソフトバンク快進撃の一因だったのではないかと思います。

横浜国際女子マラソン。木良子!

2011年11月20日 20時39分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#来年のロンドン五輪代表選考会を兼ねた第3回横浜国際女子マラソン(朝日新聞社など主催)で、木崎良子(ダイハツ)が2時間26分32秒(速報値)で優勝した。(asahi.comより)

この記事の通り書くと木崎良子、正しい字で書くと木良子。
ちゃんとした人だなと感じた。
所属のダイハツのホームページには
「走らせてもらえること、応援してもらえることに感謝する。」
と書いてある。
完走後、疲れているだろうときのインタビューでも、
きちんと感謝の言葉を口にした。

根性も凄い。
40キロでスパートして離されれば、
普通なら諦めてしまうところ。
でも諦めなかった。
まだできるというのは、
きちんとした練習の積み重ねという裏打ちはあっただろうが、
あそこで諦めないというのはやはり並の根性ではない。

五輪代表を当確にするには記録が平凡との声もある。
でも今日は悪条件が重なった。
この時期としては暑かった。
早々にペースメーカーが脱落。
あの展開では、どの選手も、
「記録より勝負」
の選択をするしかなかっただろう。
だからこその中盤での永尾薫の賭け、
結果失敗に終わった尾崎好美のスパートがあったわけだ。
私はこれを平凡な結果とは思わないよ。

あの笑顔は素敵だったな。
ゴールテープを切る寸前、サングラスを外した。
アントキノ笑顔。
泣きながら笑うって、いいものだよね。

レース中の駆け引きなんて結果オーライだ。
永尾薫、尾崎好美の選択は不発に終わったが、
もし勝っていればそれは良しとされ賞賛される。
おのおのがその実力の仲で精一杯のことをやった。
だから誰も責めるまい。
素直に勝者、木良子を称えよう。
ありがとう、感動を。

必要なものを造るということ

2011年11月19日 23時59分00秒 | Weblog
踏切。
危ない。
近所の踏切の話である。
警笛が鳴り始めてから
遮断機が下りるまでがちと短すぎる。
踏切だから当然線路のところに凸凹がある。
複線だから、踏切の中に計4つの凸凹があるわけで。
私の母が足元が危なくて、
手押し車をいつも使用している。
最近は私が同行することがあるから何とかなっているが、
ひとりのときに踏切の真ん中で警笛が鳴り始めたらと思うとゾッとする。
それくらい高齢者には危ないと思えるタイミングで遮断機が下りてくる。
障害物センサーの付いている踏切だから、
最悪でも電車はきちんと止まってくれるはずだが、
やはり精神衛生上よろしくない。

こんな愚痴をこぼせるのも改善策が施されるから。
今月末の30日に、踏切をまたぐ歩道橋の、
エレベーターが完成する。
つまりは、お年寄りとか車椅子の方とか、
交通弱者にも踏切を渡らないという選択肢が与えられるわけだ。
考えることは誰も同じだったわけだ。
ここは危ない。
だからこそ行政や鉄道会社も動いた。

今、区役所の庁舎が新築中。
今建っている庁舎の隣に新しい庁舎を建てる工事の真っ最中。
再来年の3月完成予定というから、
あと一年ちょいと考えていいだろう。
これもバリアフリーという観点が大きいと思われる。
現庁舎。
エスカレーターなし。
エレベーターは車椅子1台と介護者が入るのがやっとの広さのものが1機だけ。
トイレもお世辞にもバリアフリーとは言い難い。
この不景気に立て替えなんて。
という声も一部にあったらしいが、
私は仕方がないと思った。
何より築後40年を経て建物の老朽化が激しい。
大地震の時に、拠点となるべき区役所庁舎が、
真っ先に壊れてしまうのではシャレにならない。

つまり今日、何が言いたいのかというと、
不景気だろうが何だろうが、
使うべきところにお金をけちってはならないということ。
最近流行りの行政の「仕分け」は、
この辺をはき違えているように思えてならない。
赤字のままではいけない。
それはわかる。
ただし行政機関というのは民間企業と違って、
少々の赤字では「倒産」とはならない。
赤字をなくすために必要な予算まで減らすのでは本末転倒。

だから我々も払うべき税金を惜しんではならない。
行政にわがままを言うだけで払うものを払わないのは、
身勝手というものだ。
歩道橋のエレベーターも、区役所の新庁舎も、
税金で造られている。
自然に降って湧いたように出来るわけではない。
皆そこら辺は忘れちゃならないと思う。

勝負!?

2011年11月18日 18時36分12秒 | Weblog
勝負。
人に関して言うなら大きく分けて2つある。
他人との勝負。
自分との勝負。

他人との勝負。
重要です。
民主主義社会、資本主義社会。
生きていくことは競争の連続。
負けたら誰かの後塵を拝す。

ただしこれに関しては別の価値観もある。
前を突っ走る必要は無い。
勝つことは物凄いエネルギーと努力が必要。
だから寄らば大樹の陰じゃないけれど、
誰かの後ろをついて行って楽に生きる。
割り切ったそういう生き方もある。

勝負。
もうひとつ。
自分との勝負。
これはもうどうしようもない。
他人との勝負なんて比にならないくらい避けることのできないもの。
自分との勝負は難解だ。
相手が自分自身だから、手を抜こうと思えばいくらでもできる。
だからって手を抜くと、それはそのまんま、
人生の結果となって返ってくる。

人に勝つ前にまず己に勝て。
よく言われること。
一流の勝負師、アスリートもよく口にする。
ちょっとキツイもしれないね。
だから私は曲解する。
自分と仲良く付き合おうと。
勝たなくてもいい。
自分の中で白黒付けなくていい。
仲良くしよう。
誤解されると困るのだが、
馴れ合いになって甘やかすのとはまた違うんだ。
自分と向き合うと言えばいいかな。

今日のまとめをする。
人生勝たなくていい。
他人にも自分にも。
でも真剣に向き合おう。
他人にも自分にも。
うまく立ち回るとかそういうことでもない。
向き合えば乗り越えられる。
昨日の話に戻っちゃうのだけれど、
解決しなくてもなんとか乗り切れる。

私は人生の途中からそうして生きてきた。
これからもそうして生きていく。
批判は受けるけれど間違った生き方だとは思わない。
馴れ合いではないけど楽に。
しかも真剣に向き合う。
すべて矛盾することじゃないと思うよ。

すべての問題は乗り越えられる

2011年11月17日 08時37分35秒 | Weblog
ここに来て眼前に迫ってきた問題がある。
誰もが避けられない問題。
いつかはやってくるとわかっていた問題。
そうわかっていてもいざ現実になってくると、
やはり心穏やかではいられなくなる。

試練ともいえることだけれど。
それでも逃げずにいたいと思う。
前向きにとらえたいと思う。

すべての問題に解決策はある。
とある自己啓発本に書いてあった。
読んだときは、そんなもんかなと思ったが、
最近それは嘘だと思うようになった。

すべての問題は乗り越えられる。
それは感じるな。
解決できるとは限らない。
逃げるという選択肢であったり、
褒められたものではない選択肢であったり。
それでも乗り越えられるんだ。
皆が乗り越えられない問題の山を抱えていたら、
この世は「人生最悪の選択」をする人の山になる。

頑張れ。
自分に言い聞かせる。
今、抱えている問題も、必ず乗り越えられる。
そう信じる。
希望を捨てなければ、希望の未来は必ずある。

結婚、妊娠は目出度いことという当たり前を考える。

2011年11月16日 23時59分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#女優、伊藤裕子(37)が一般男性と結婚したことを15日夜、自身のブログで発表した。同時に現在妊娠6カ月であることも明らかにした。(SANSPO.COMより)

こういうニュースは、
気持ちを明るくさせますね。
伊藤裕子さん、おめでとうございます。

下世話なことを書かずにいられない人たちは放っておけ。
結婚、妊娠。
目出度いことであるのは間違いないこと。

妊娠に関して言えばね、現実問題として、
本人たち、周囲が望まなかった妊娠はあると思うんです。
それでもさ。
やっぱ妊娠と聞いたらおめでとうって言ってあげないと。
授かった親に言えなくても、授かった新しい命に対して。
生を受けて、誰からも一回も祝ってもらえない命。
そんなの悲しすぎるでしょ。
その後どんな悲しい運命が待ち受けていたとしても、
そのときは必ず新しい命に対しておめでとうって言ってあげないと。

どうしても産めない事情っていうのはあるでしょう。
基本は賛同できないのだけれどね。
それでも産めない事情があるのは認めざるを得ない。
そこに悩み、苦しみがあるのなら。
悲しい選択も認めようと思うんです。
ただ、
「しまった。出来ちゃった。堕ろそ。」
と、まるで、ゴミを捨てるかのごとく、
気軽に堕胎する親は納得できない。
法律的に許されたとしても私は納得できません。

産む産まないは女の権利、自由。
そういう人には明確な反論ができる。
授かった命の「生を受けたのだから生まれる権利」はどうなるのか。
だから。
悩んで悩んで、苦しんで苦しんで。
その結果の悲しい選択は認めよう。
自責の念のまったくない親は軽蔑します。

私自身。
母親は姉に続き二度目の帝王切開。
私がお腹にいるときに盲腸の手術。
医師から出産に際し自らの命の保証もできないと言われた。
それでも文字通り命を賭けて私を産んでくれた。
心から感謝しています。
だからどうしても、新しい命の話題には敏感になる。
長々書いてしまったことをお許し頂きたく。