のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

Windows8だあ

2013年01月31日 04時28分25秒 | Weblog
報告が遅れました。
プライベート用メインのデスクトップパソコン。
OSをWindows8にしました。
正確にはパーティションを切ってWindows7とWindows8のデュアルブートです。
わかりやすく言うと、Windows7とWindows8を1台のパソコンに入れたってこと。

Microsoft OfficeはOffice2010 Professionalをインストール。
発売と同時にOffice2013を入れますが、直接2013を買うより、
今ならいったん2010を買って無償アップグレードした方が安く付く。
というわけでそういうまどろっこしいことをしました。
Windows8といえばタッチ操作ですが、
予算的にタッチ対応のディスプレイまでは手が廻らず、
Logicoolのタッチパッドを購入しました。

Windows8の環境がメインのパソコンにどうしても欲しかったというわけではありません。
操作に慣れたかった、それが一番の理由。
教える立場の人間として最新のWindowsを「知りません」では済まない。

一通りの環境は揃っています。
WindowsXp-Office2003
WindowsVista-Office2007
Windows7-Office2010
Windows8-Office2013
同じくMSの公式サポートが続いているOSを「使えません」では済まない。
問い合わせが来たときに環境がないでは話にならない。

自宅でパソコン寺子屋(スクール、教室)を個人経営。
正直こういう職業に就いていると技術進化と勉強のいたちごっこという面はある。
でもそれを避けていたらこの仕事は続けられない。

でも負担には感じないな。
楽しんでいますよ。
パソコン、好きだから。
好きなことをやっている。
だから勉強も苦にならない。

パソコン寺子屋「ゆうらくパソコン」経営。
何より生徒さんのため。
そして自分のため。
これからも自分磨きを怠らず頑張ります。

容量アップのiPadのニュース。iPadも教えるパソコン教室の理想。

2013年01月30日 04時15分42秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#iPad、容量倍増 128ギガ版、2月5日発売(朝日新聞デジタルより)

私は64GB版iPadを所有している。
私の使い方であれば余裕の容量だが、
例えば動画を漁りだしたら64GBはあっという間だ。
マルチメディア端末として使うなら、
文字通り容量はいくらあっても足りない。

パソコン寺子屋を開業している。
パソコンがメインなのは間違いないけれど、
パソコンはいらない。
そういう方もいらっしゃる。
iPadで十分と思われる方には積極的に勧めていき、
使い方をサポートする。
そういう場所にしたい。

パソコン教室がiPadを勧める。
もしかしたら儲からない、禁断の一歩なのかもしれない。
そう考えた時期もあった。
今は前向きに捕らえている。
生徒さんの立場、目線に立った講師。
それが信頼に繋がるのだと。

お金がいらないなんてきれい事は言わない。
けれど人に喜んで貰いたくて始めたこと。
その志の根っこは忘れずにいたい。
誠意溢れる対応の先にお金はついてくる。
そう信じている。

長文だけど本当に言いたいのは一番下の一段落だけ

2013年01月29日 04時38分10秒 | Weblog
そりゃ日々大変なことは多々ある。
楽なだけの人生はない。

自分を信じてやる。
最終的にはそこに行き着く。

もし本当に自分が信じられなくなったら。
それこそ「人生最悪の選択」も視野に入ってきてしまうわけで。

誰が信じなくても、自分で自分のことは信じてあげないと。
信じられないと思っても、無理やりにでも信じてあげないと。
「自分の可能性」「希望」と置き換えてもいいかな。

なぜ偉そうにこんなことが言えるかというと、
過去の自分がそうだったから。
人生どん底と呼ぶべき時期は長かった。
病気で働けなかった時期は10年以上。
細かく数えてはいないが通算すると15年くらいにはなるかもしれない。
そういう時期を乗り越えられたのはさ。
やっぱ希望を失わなかったからなんだよ。
ある程度復活した今。
美化された思い出なのだろうか。
否(いな)。
私はかっこ悪かった
かっこ悪い生き方をしていた。
それでも自分を信じていた。
だから本当に辛い時期を乗り越えられた。

諦めたら終い。
逆に諦めなければ怖いものなし。
これは経験則として言えること。

そして笑顔、笑顔で。
辛かった頃、笑顔の頻度は少なかったけれど、
それでも笑うことを忘れなかった。
その効用を知っているから。
今でも私は笑う。
周囲に笑いをあげられる人になる。
人生の一大ミッションだ。
大袈裟でも何でもないよ。
自分を信じ、笑いを忘れず。
幸せになるためにはね。

笑えないという人も多いと思う。
何もないのに無理して笑えとは言わない。
それって虚しいことだから。
現状が厳しければなおさら。
でもさ。
笑えること、笑ってもいいこと、笑いたくなること。
本当に人生に皆無だろうか。

つまんない顔をして、つまんなく生きていると。
つまんない大人になり、つまんない人生になっちゃう。
笑える場面、笑ってもいい場面、笑いたくなる場面。
無理してしかめっ面を続けることはない。
笑おうよ。

いかんいかん。
また長文癖が。
ひっくるめれば言いたいことは、
『自分を信じ、笑いを忘れず』
だけだ。
なんだ自分。
一行でまとめられるんじゃん!(苦笑)

リニューアルであーる!

2013年01月28日 04時28分05秒 | Weblog
抱えているふたつのホームページをリニューアルしました。
プライベート用とパソコン寺子屋用ですね。

ペンネーム「夢見生」としてのページ。裕遊字的(ゆうゆうじてき)

パソコン寺子屋「ゆうらくパソコン」

自画自賛になっちゃいますが、納得できる仕上がりになりました。
今流行りのWordPressってヤツを使用。
パソコンがなくても更新できるようになったのが嬉しい。
見てくださる方へは、スマートフォンへも最適化された表示。
そしてパソコンからもだいぶ見やすくなったはずです。

更新作業に時間をかけなくても済むというのは、
生産的なことに、より多くの時間を割けるということ。
両方とも「見てくれだけのサイト」にはしたくないですね。
これからも自分磨きを続けていきます。
皆様よろしくお願いいたします。

裕遊字的。
スマートフォン以外の携帯電話等からは見づらいかもしれません。
見づらい方はテキストのみで構成の、裕遊字的シンプル版へどうぞ。

福士加代子は笑顔の人。笑顔はとても大切です。

2013年01月27日 19時33分22秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#福士、日本選手トップの2位…大阪女子マラソン(YOMIURI ONLINEより)

福士加代子、独走態勢から最後失速。
2時間24分を切った日本人トップの選手に与えられる
世界選手権代表切符の獲得はならず。
とても責める気になれない。

自分を振り返ってみる。
学生時代、体育の時間の長距離走。
今考えると長距離とも呼べない1500mとかなんだけど。
「最初から失速」してたもんな。

学校のグラウンド外周をひたすら廻るのだけれど、
トップがゴールして、私が2回ゴール地点を通過。
先生:「●●(私の名前)周回遅れだろ、もういいぞ」
私:「いえ、あと1周です」
つまり広めのグラウンドでトップと2周遅れの差を付けられた。
そういうレベル。
ばれやしないのに正直に申告して走り続けた
自分の馬鹿正直は今微笑ましいが。

つまり長距離で負ける。
ということに関しては人を責める気になれないのだ。
その苦しさを知っているから。
国の代表レベルでもそれは変わらない。

今、私はときどき朝ジョギングに出かける。
オリエンテーリングのトレーニングとして始めたことだけれど。
いずれはフルマラソンも。
そんなことも考えている。
それでも歯を食いしばっては走らない。
苦しくなったらペースを落とす、もっと苦しかったら歩く。
笑顔で走れるレベルで。
もう走ることを苦行にはしたくない。
心の中でつぶやきながら走る。
Fun Run!

人間の限界ギリギリのスピードで42.195キロを走る人たち。
負けたと言って責める気にはなれないな。
日の丸を背負って走る。
そのプレッシャーは相当なもの。
「もっと楽に笑顔で走ったら」
と言う訳にもいかない。

福士加代子は笑顔の似合う選手。
グラウンドでインタビューで。
よく笑う。
それを私は好意的に受け止める。
へらへらして、とは思わない。
人生、笑顔は大切。

笑う窓には福来たる
笑う後には福来たる

注文の時アップルに頼んでiPod touchに刻印して貰った言葉。
心にもそれを刻んで生きていこうと思う。

言葉はときに無力である

2013年01月26日 05時51分00秒 | Weblog
どれだけ難しい言葉を知っているかより、
玉子一パックの相場を知っているかが大切。

どれだけたくさんの言葉を持っているかより、
どれだけ深い愛を持っているかが重要。

こういうこと(言葉の発信)をやっている私が言うのも変ですが、
人生において言葉は役立たずになることが多々ある。
自分が間違っていることをしているとは微塵も思わないけれど、
言葉を大上段に振りかざして自分を偉いと思い込む。
そんな勘違い野郎には、なりたくないな。

それでも言葉の力は信じている。
軽い言葉かもしれないけれど、
たとえ見る人がいなくなっても発信を続けたい。
自己満足?
それでもいい。
公序良俗に反しないことならば、
自分に正直にやりたいことをやる。
理屈だけじゃなくそれが健康に繋がる。
私はそれを知っているのです。

小学一年生と戦う?

2013年01月25日 07時09分00秒 | Weblog
普通のスピードで道路を歩いていたら、
普段通らないその道は通学路だったらしく、
見るからにぴっかぴかの小学一年生という集団に遭遇。
元気だなあ、と好感を持ちつつ追い越す。

ところがこれが彼らの「ファイターモード」に火を付けてしまった。
ムキになって抜き返してくる。
私の歩くスピードは変わらないが、
何せ小学一年生の足だから、
せっかく走って私を抜き返しても、
歩きに戻るとまた私が抜いてしまうことになる。

「負けちゃうよお」と叫びながら私を抜き返す。
それでまた私に追い越される。
その繰り返し。

急いでいたわけじゃない。
私も大人です。
大人げなく小一とバトルはしません。
歩くスピードをグッと落とす。

かくして平和裏に小学一年生たちは私の先を小走りに去っていったのでした。
あーなんか楽しかったな。
私も笑顔になった昨日の出来事でした。

NHKテレビ番組「おとうさんといっしょ」開始。素敵なニュース。

2013年01月24日 04時46分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#NHKは23日、4月から幼児向けの新番組「おとうさんといっしょ」をBSプレミアムで放送すると発表した。(YOMIURI ONLINEより)

素敵な発想ですね。
ってか、なぜ今まで誰も思いつかなかったのだろう。
NHKにだけ言っているのじゃないよ。
私自身、目からウロコで、この発想はなかった。

「おかあさんといっしょ」があるなら「おとうさんといっしょ」があってもいい。
至極当たり前の発想なんだよな。
子育ては女性、母親に任せておけっていうのは明らかに時代遅れ。
男性、父親も積極的に育児に参加しなきゃ。

マジな話ね。
仕事が忙しくて育児どころではないというお父さんも多いと思うのですよ。
でもさ。
たいせつな子供の教育、一緒に居る時間を割けない忙しさってなに?
子供を育てるって人生の一大ミッションでしょ。
それに少々の時間も割けないというなら、それは仕事のほうが間違っている。
週末の一時間も子供のために時間を確保できないってのは、
明らかに仕事のしすぎ、ワーカホリック(workaholic)、仕事中毒でしょ。
ましてやネグレクト(neglect)、育児放棄などはもってのほか。

子供にとって、「おかあさんといっしょ」の記憶もたいせつ。
「おとうさんといっしょ」の記憶もたいせつ。
親と過ごした楽しい時間が子供の悪い思い出になるはずがない。
何らかの事情で片親、あるいは両親が居ない状態で育つ子供も居るだろう。
両親が居なくても「育てる人」親代わりは必要なわけで。
その場合、子供一人に親一人以上がハードルが高いこともある。
それでも、子供に心からの愛を注いであげる大人。
居たほうがよいに決まっている。

親が居なくても立派に育った人は居る。
両親が揃っている私は恵まれている。
将来もし子供を持つことが出来たなら、
精一杯の愛情を注いでやりたい。
私も我が子に「おとうさんといっしょ」の記憶をプレゼントしたい。
このニュースを聞き、そんなことを考えたのでした。

寝ない子は育つ?

2013年01月23日 21時06分00秒 | Weblog
なんだかな。
ここ数日体調が安定しない。
精神的にきっついこともあったしね。
普通でいろというのも無理な話なのだけれど。

それでも独立開業しているとなると、
おちおち休んでいられなくなる。
特に替えの効かない自分自身、ひとりでやっているから。

つまりは「我慢」という表現が良くないのなら、
自分を鍛えていくしかないわけで。
自分を鍛えて損をすることはそうそうないわけで。
(鍛えると敵が増えるようなケースもありますが)

幸いなのが不調なのが体調であって、
心の調子「心調」ではないということ。
私の場合、ここ結構重要です。
根本に心の病を抱えているからさ。
これが暴れ出すと、もうどうしようもないわけ。
ここ数年は単発的な「軽い発作」のようなもので済んでいますが、
この先ずっと調子が良いという保証もない。

おかしな話のようだけれど、
調子が悪くなるのは決まって惰眠、過眠した、つまり寝過ぎた、
そういう日の当日か翌日。
逆に睡眠時間が短い分には
少々「眠い」というだけで逆に心の調子は絶好調となる。
これは統計を取っているから偶然でも何でもない。
間違いのない事実なのです。
寝るとよくない。
私の心の健康にとっては不思議な法則が当てはまる。

もちろんある一定の睡眠時間は必要だけれど、
私の睡眠時間が短いのはそういうところからきている。
適度な睡眠、適眠ですな。

だから調子が悪いとき、
(風邪とかの明らかに身体の調子が悪いときは別ですが)
私は普通の人と違って、睡眠時間を削ってみる。
それで実際良くなる方向に向かうことが多いのだ。

理論的におかしいのはわかっている。
気のせい。
だけど事実。
そんなところなのだと思う。

睡眠時間が長すぎると健康に悪い。
これは別におかしくはないが、
睡眠時間が短いほどいいというのは自分で考えても、ちとおかしい。
つまり経験則で体と心にすり込まれてしまったのだ。
睡眠時間が短い⇒だから大丈夫
みたいな。
つまりは思い込みですな。
これも馬鹿にならない。
思い込みだろうが心の健康に関しては有効なこと。
信じる、信じ込む。
そして自分の中ではそれが正しくなる。
私の睡眠時間の短さに関して言えばそういうこと。

健康のため。
さ、じゃあ今日も早寝早寝。
んでもって早起き早起き。
なのだあ~。

頭を下げてきました

2013年01月22日 04時22分00秒 | Weblog
身内が犯してしまった過ち。
誠意を持って頭を下げてきました。
相手の責は0パーセント。
こちらが全面的に悪い。
反論などできないのです。
ひたすら謝る、誠意。
これしかなかった。

切り替えていこう。
謝ったことで問題が全面解決はしないけれど、
いつまでも引きずっていくわけにもいかない。
反省の上で、前向きに。
これからも生きていかなきゃならないのだから。

生の号泣を見たことがない

2013年01月21日 04時25分00秒 | Weblog
引いてしまう映画とかドラマ。
号泣シーンである。

小さな子ども以外の大の大人が号泣するところを、
私は生で一度も見たことがないのである。
葬送も何度か体験している。
泣いている人は何度も見たことがある。
でもそれは静かな涙だった。
号泣は見たことがないのだ。

日本人って基本的に、
悲しみは静かにこらえるもの、
そういう価値観の人が多いのじゃないだろうか。
東日本大震災のときだって、
控えた悲しみのほうが多かった。

号泣するのと、静かに涙を流すの。
どっちが良い悪いの問題じゃない。
どっちが自分の価値観にしっくりくるかと問われれば、
私の場合やはり後者なのです。

私の本能が韓流ドラマを受け付けないのは、
そういうところなのだろうな。

日本人は世界から見れば特殊なのかもしれない。
けれど私はおかしな国民性だとは思わない。
少なくとも外見では静かに抑えた悲しみ。
けれど悲しみが浅いわけじゃない。
内面では深く悲しんでいる。
そういう悲しみだって周囲にはちゃんと伝わる。

静かな悲しみ。
本当に本当に悲しいけれど、
悲しいことを受け入れようとする努力。
号泣する人、国、文化を否定はしない。
あくまでこれは私の価値観。
私自身は一生号泣することはないだろう。

続いた訃報。大鵬、柴田トヨさんの死。

2013年01月20日 21時02分00秒 | Weblog
>昨日のニュースより
#元横綱・大鵬の納谷幸喜さん死去…優勝32回(YOMIURI ONLINEより)

>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#101歳の詩人、柴田トヨさんが死去 本紙「朝の詩」から生まれたベストセラー詩集「くじけないで」の著者(MSN産経ニュースより)

訃報が続きました。

横綱大鵬は私と大相撲の縁のきっかけになった人です。
大好きでした。

今でも残念なこと。
父に連れられて初めて蔵前国技館へ大相撲を観に行ったのは、
1971年(昭和46年)5月場所の中日。
貴ノ花に敗れた現役最後の取組が同場所5日目ですから、
私は3日の差、ギリギリで生大鵬を見逃したことになる。
そして私は後を継ぐように台頭した貴ノ花にのめり込むことになる。
(横綱貴乃花じゃない、お父さんの故大関貴ノ花のほうです)

今カウントしてみると、私は当時わずか7歳だったのですね。
わずか7歳のガキを大相撲に熱狂させた。
大横綱大鵬はそれほど偉大な人だったのです。

大鵬と共に大相撲の柏鵬時代を築いた横綱柏戸が引退したのは、
1969年(昭和44年)7月場所。
当時私は5歳。
私の最古の記憶は3歳で居間で家族と集っている場面であるから、
5歳なら覚えていてもよさそうなものだが、
柏戸の記憶はなぜか無く、やっぱり大鵬なのである。

柴田トヨさん。
言うまでもなく101歳の詩人。
私の目指すところであります。

年齢に関しては柴田さんを追い越してみせる。
(ジョークではありませんよ。本気です!)
そう強く決意させた今日。

2人の偉人の死を私は深く受け止めたのでした。

安全のために万全を期すということ

2013年01月19日 04時29分00秒 | Weblog
私の行動について。
そんなに昔からの話ではない。

ある程度交通量の多い道路を渡るとき。
必ず立ち止まって、右左右を見てから渡る。
小学校のお手本のような渡り方。
横断歩道であっても、信号が付いていても同じだ。

ちょっと待った。
信号が付いている場所なら、青信号なら、
そこまでする必要はないんじゃないか。
そう思われた方も多いでしょう。

青信号ってそんなに安全なのでしょうか。
稀にではあるが信号無視をする暴走車はある。
信号の変わり目では、逆にスピードを出して
急いで通過しようとするドライバーは居る。
重要なのは信号を無視する自動車というのは
大抵スピードオーバーをしているということ。

責任云々の話をしているのではない。
交通事故。
自動車が信号を無視して歩行者である私が被害者となったなら、
悪いのは一方的に自動車の方。
でもさ。
つまらないじゃん。
責任がないならなおさらのこと。
車にぶつけられて怪我をする、もっと言うなら命を落とす。
「私は悪くない」
と正義を振りかざしても、怪我や命に関わることになったら、
つまらないよ、やっぱり。
死亡者、交通事故犠牲者になったら文字通り人生お終いなんだ。
もちろん相手たる加害者にとってもいいことではないわけで。
その後の人生を狂わせちゃうでしょ。

コンプライアンス(法令遵守)というのもあるけれど、
良い子ちゃんの発想だけでこう言っているのではないのです。
自分の身体を、命を守る。
道路横断時、立ち止まり、右左右を見てから渡る。
3秒ですよ。
3秒で命を守れるなら、確実に元を取れる「時間の投資」である。
危機、リスク管理(マネジメント)ですね。

小さくて大きな習慣。
安全のために万全を期す。
超長生きを目指しているからこそ、とても重要なこと。

阪神・淡路大震災から18年。あの日の決意を思い出し、祈る。

2013年01月17日 20時35分00秒 | Weblog
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分発生
阪神・淡路大震災から18年。

18年前のあの日。
僕は家にいた。
自宅開業した今とは違う意味でね。
働いていなかった。
心の病はまだ暴れていて僕を許さなかった。

テレビの前で泣きたい気持ち。
でも涙どころではなかったのかもしれない。
文字通り唖然。
僕はなにもできなかった。

飴細工のようにいとも容易く倒れた高速道路。
炎に包まれる街。
刻々と増える犠牲者の数。
なのにテレビの前の僕はなにもできなかった。
情けなかった。

正直テレビを消したかった。
見るに忍びなかったけれど。
この映像を目に焼き付けるのが義務なんだと。
東日本大震災のときと同じ気持ち。

でも僕はあの日決めたんだ。
ちゃんと生きようと。
あの日安全な場所にいて。
幸いに生かされたこの命。
大切にしないと。
生きて生きて生ききるのだと。

今の僕はあの日の気持ち、決意に応えているだろうか。
改めて考える。
今日。
特別な日は何事もなかったように過ぎていった。

ああ僕は生きている。
感謝。