のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

短いっ!

2014年03月31日 16時00分05秒 | Weblog
今日は珍しく短めに。
書きたいことが無いのじゃないよ。
その逆。
あまりにも書きたいことがたくさんありすぎる。
本気で書き出したら収拾が付かなくなる予感。
よって今日はこれだけ。
短く。
ゴメン。(^^)

父の異変、胸騒ぎ。

2014年03月30日 05時24分54秒 | Weblog
一昨日の夕方近く。
デイサービスから帰ってきた父に異変を感じた。
元気がないとも違う。
うまく言えないのだが、なんかいつもと雰囲気が違った。

胸騒ぎ。
ほんとうは姪っ子にお願いして外出する予定だったのだが。
急遽中止。
念のため。
大事をとって。

結果。どうってことはありませんでした。
夕食をもりもり食べて。
普通に寝て。
朝、何でもなかったように起きて。

ありゃ。
あれは何だったのだろう。
でもね。
それは今だから言えること。
そのときは凄い不安だったんだ。
「何か」の前兆かもしれない。
その不安はどうしようもなく大きかった。
楽しみにしていた外出予定を取りやめたことを後悔はしていない。
某所の夕食会。
アポを取る直前だったから誰にも迷惑はかけていないし。
あの状態で出掛けても気になって楽しめなかっただろうし。

去年亡くなった母。
脳梗塞、大腸癌。
素人の私が気付いてあげることはできなかったのかもしれない。
けれど、小さな予兆はあったのかもしれない。

同じ轍は踏みたくない。
だから父の様子の変化には敏感になる。

監視とかそういうのじゃないですよ。
先は長い。
完全に監視しようなんて考えたらこっちが潰れてしまう。
父だってそんなことをされたら気持ちよくないだろうし。

無理をしない程度に。
父を見守る。
愛情を持って見守る。

チョコ、お菓子を食べたことをすぐ忘れてしまう、重症糖尿病患者の父。
そして前立腺肥大。
シモの「失敗」が多くなった。
これらも見守りが必要。

まだまだ長く一緒に居たいから。
父を優しく見守る。
いつも言うことだが義務感からじゃない。
家で見る、家で看る。
私がやりたいからやっていること。
自己満足とも言えるわけで。

心から私を愛してくれた両親。
母が亡くなって。
残された父を大事にする。
自分の気持ちを大事に。
今やりたいこと、やるべきことをやる。
それをやらないことで後悔をする。
そんな未来にはしたくないのです。

待つということ

2014年03月29日 03時31分16秒 | Weblog
待てるようになった。
待つのを苦痛に感じなくなった。
大人になって成長した点かな。

我慢でもない。
普通に待てる。
暇つぶしの道具、本であったりKindleであったりiPodやiPadやスマホであったり。
そういうものを持ち歩く習慣も大きいけれど。
そういう「ツール」がなくても待つことは苦痛ではない。
自由な考え事をすれば良いだけのことだ。

退屈も同様。
まず退屈ということがなくなった。
やること、やりたいこと、やるべきこと。
いくらでもあるもん。
退屈なんてしている暇ありませーん。

これも成長なのかな。
だって若い頃はそうじゃなかったから。
待つことは苦痛だった。
退屈は苦痛だった。

今は「何もない」状態も楽しめるようになった。
それがつまり退屈しないということ。

総じて人生が楽しいということ。
とても幸せなこと。
日々悩み苦しみもあるけれど。
楽しみはそれを大きく上回る。

コツとかテクニックの問題ではない。
人生観とか人生に向かう姿勢とか。
そういう大きなものに基因しているのだと思う。
ゆったり生きましょ。
楽しく生きましょ。
みたいな。

人生つまらないという人はいる。
「人生最悪の選択」をしてしまう人がいる。
自らの命を絶つという行為を肯定はできないけれど。
やはりとんでもない苦痛を人生に感じていた、あるいは空虚、無力感といったところか。
いや、そんな単純なものでもないのかもしれない。

そういう人に偉そうに語る言葉を私は持たない。
笑顔で。
感謝で。
笑う窓には福来たる
笑う後には福来たる
笑顔と感謝を忘れなければ人生幸せだ。
それくらいしか言えないよ。

自分が幸せを感じるだけでは完結しない。
人が幸せを感じられる人生でなくてはね。
人を幸せにするというのはおごり高ぶりなのかもしれない。
それでもね。
無力な私にも少しはできることがあるかもしれない。
それを探す道。
人生という長い旅。

散髪、一時間の悦楽。

2014年03月28日 09時39分33秒 | Weblog
散髪。
昨日、床屋に行った。
なじみの床屋さんである。
床屋に関しては浮気はしない。
記憶のある限り、その床屋さん以外で髪を切ってもらったのは人生で一度しかない。

ひとりで切り盛りしている店。
お姉さんに切ってもらった。
お姉さんといっても若い人を想像してもらっては困る。
私にとっての「お姉さん」であるから年齢はだいたいお察し頂きたく。
数年前、旦那様、私にとってはお兄さんを失ってひとりで切り盛りしている店。

調髪、理容師。
優雅な言葉である。
私はその時間を思い切り楽しむ。
その技術に身をゆだねる。

タップリ一時間をかけてくれる。
何度も出てくる新しい蒸しタオル。
昨日はカウントしてみた。
全工程で四枚。
それだけでも大変な手間。

十分千円とかの散髪もある。
その技術はたいしたものだし、否定する気はないけれど。
私は激安散髪で髪を切る気にはなれない。
一回一時間をかけて楽しむ。
お姉さんとの会話も楽しむ。

人を待たせることは一般的にいけないこととされている。
でも逆もあるのだな。
この散髪屋は容赦なくお客さんを待たす。
待っている人がいてもきちんとひとり一時間を守る。
ああ、こうやって待たせるということは、自分のときもきちんと手を抜かず一時間かけてくれるのだな。
お客さんはそう納得して文句を言わずに待つ、もしくは出直す。
つまりは待たせることで信用を得ているわけだ。

昨日は雨だったこともあって幸い待たずに切って貰えた。
いつものように楽しい一時間であった。
至福の時間をくれる。
この床屋さんに感謝。
一生浮気せずについていきます。(^^)

リアルすぎる母の夢

2014年03月27日 15時13分06秒 | Weblog
寝坊した。
7時起床。
20年前の私なら十分早起きですが、今は寝坊の時間です。

その「原因」なのですが・・・
起きることを許さない夢を見た。
母の夢を見たのです。

母が生き返る夢。
それだけなら何回か体験しているのですが、今日のは凄くリアルだった。
いつもはリアルなりに「しょせん夢でしょ」みたいなところがあった。
今日のはさ。
もうとんでもなく「迫ってくる」内容で。

始まりは(夢の中なのに)私が起きたところ。
すると普通に母がいる。
単に亡くなった母が蘇ったのではなく、10年くらい前の心身共にピンシャンした母がそこにいた。

夢の中でまず私がしたこと。
寝ることだった。
どうせ夢だろうって。
寝れば現実に戻っているだろうって。
一瞬のまどろみのあと起きた。
やっぱり母は普通にいた。
お風呂から上がってドライヤーをかけていた。
そのへんの設定も凄くリアル。

姉に電話をした。
絶句された。
そしてすぐ信じてくれた。
飛んできた。
いっぱいの花束を抱えて。
泣いて、そして笑った。

すぐに現実的な話になった。
役所へはどう届けよう?
戸籍とかどうなるんだろう?
取りあえず必要となる衣類とかどうしよう。
グループホームで使ってもらうために、ほとんと渡してしまったし。
ご近所への挨拶はどうしよう。
特に仲の良かった、はす向かいの奥さん、びっくりするだろうなあ。
珍しい話としてマスコミが取材にきたらどう対応しようか?

ね。
リアルでしょ。
長い夢。
起きようにも起きられなかった。
起きることを許さないというか。

うーん。
やっぱ母のこと、引きずっているのかなあ。
母は心の中でずっと生きているから。
悲しくない忘れないといつも言っている。
母の死は自分の中では割り切れている気でいた。
やっぱ引きずっている?
文字通り現実に戻ってホンマモンの起床をしたあと。
そんなことを考えたのでした。

見下さず、父を「管理」するということ

2014年03月26日 04時11分34秒 | Weblog
父の付き添い。
病院のハシゴをしてきました。
糖尿内科と泌尿器科。
父は糖尿病と前立腺肥大を患っております。

糖尿の数値は少し下がっておりました。
前回が異常な値だったので、「大幅に異常」が「異常」になっただけなのですがね。
それでも少しホッとしました。

食べるものの制限はできることならかけたくない。
いつも言っていること。
86歳。
食べることは数少ない楽しみのひとつ。
その食べ物を我慢させて我慢させて。
嫌な思いをいっぱいして。
それで数年寿命が延びたからってなんだというのだ。
それは幸せな人生と言えないのではないか。
その気持ちから基本摂取制限はかけていませんでした。

しかし。
数値が異常すぎた。
身近に命の危機が迫っているなら話は別。
それでも極端な食事制限はしたくない。
それで軽めの摂取制限としています。

三度の食事はコントロールできている。
問題は半端じゃない間食。
チョコ、お菓子の類。
箱や袋のまま置くのをやめた。
あればあるだけ食べてしまう。
食べたことを忘れてしまう。
それで。
小出しにすることにした。
最初のうちは矢の催促が来たが、最近は少し収まった。
悪しき習慣ってヤツだったのでしょうね。

こういう状況になって。
親子の立場が逆転したとも言える。
子供が親を管理する、監視する。
そうなったとも言えるわけで。

いろんな意味で衰えた父だけれど。
見下すまい。
それは心がけている。
けれどそれは守れているだろうか。
ときどき感じることがあるのです。
今父を見下しているんじゃないか、おぼつかない父をサポートして優越感に浸っているんじゃないか。

優しく。
愛を愛を。
最後にはそこに行き着く。
母を失った今。
たいせつな家族、父。
愛を持って接する。
お父さん、まだまだいっぱい生きてね。

走らなくては、いや、走ろう

2014年03月25日 03時56分30秒 | Weblog
ハーフマラソンの大会まであとちょうど2ヶ月。
焦りまではいかないけれど。
さすがに危機感はでてきた。
これでは、このままでは、完走は危うい。

走りきるだけなら大丈夫。
漠然としてだけれど、その自信はある。
ただし大会には制限時間がある。
それをオーバーしたら記録として認められない。
どうなるかはわからないが、明らかに制限時間内にゴールできなさそうなランナーは走るのを途中でやめさせられる、そんなこともあるのかもしれない。
制限時間、ハーフマラソン、2時間45分。
これが今の自分にとって実に微妙な時間。

今、8.5kmを7分30秒/kmのペースで走ることができる。
単純計算、このペースで21.0975kmを走りきれば。
2時間38分14秒
制限時間ぎりぎり収まることになる。

参加者は多い。
私は参加者の列のほぼ最後尾からスタートすることになる。
スタートの号砲から計時は始まるが、私がスタートラインをまたげるのは数分後になるだろう。

グロスタイムとネットタイム
グロスタイム:
スタートの合図からゴールラインを通過するまでに要した時間。
ネットタイム:
スタートラインを通過した瞬間からゴールラインを通過するまでに要した時間。

制限時間はグロスタイムで算出される。
ゴールの正式記録も同様。
多くの大会で参加者全員がチップのようなものを付けて、ネットタイムも記録してもらえる世の中になったが、やはり正式タイムはグロスタイム。
ネットタイムのほうが公平のように見えるが、ネットタイムを正式タイムとすると、トップレベルの選手にとってややこしいことがでてくる。
スタート時、列のやや後ろにいたランナー。
スタートの号砲から10秒後にスタートラインをまたいだとする。
ゴール、最前列からスタートした選手がトップでゴール。
前述のランナーがその5秒後にゴールしたとする。
ネットタイムが正式記録になると、トップでゴールしたのにトップじゃない。
そんな現象が起きてしまう。
わかりにくいし、逆に不公平だ。

話が飛んだ。
元に戻す。
制限時間、グロスタイム、2時間45分
つまり2時間38分14秒という私の8.5kmタイムから計算した「理論上ハーフマラソン持ちタイム」は実に怪しいラインなのである。

もっと余裕を持たないとね。
トレーニング時。
もう少し速く走れるようになる。
もしくは同じペースでもう少し長い距離を走れるようになる。
余裕を持って制限時間内に走りきるには必須条件だ。

走らんと。
なんだかんだでサボることが多い最近。
継続は力なり。
結果を出すのに楽な道、近道はない。

走らなくては、ではない。
走ろう、だ。
義務で走るのではない。
走りたいから走る。
その原則に戻る。
今朝もこれから走る。
楽しく走ろう!Fun!Run!
である。

いろいろあります。旅と掃除機。なんだそりゃ?!

2014年03月24日 14時24分13秒 | Weblog
4月6日(日)から4月8日(火)
旅行に行くことになりました。
甥っ子との旅行です。
甥っ子のためという口実の元、自分もちゃっかり楽しんでくる。
便乗商法、ですな。

完全に浮かれていた。
4月6日(日)のスケジュールが頭からすっ飛んでいた。
改めてGoogleカレンダーを見たら。
なんと。
自治会の総会の当日じゃありませんか。
いろんな予定を立てちゃったし宿や電車の予約もした。
もう変更はできない。
委任状をしたためて会長さんのところへ。
無事解決しました。
地域の付き合いって大事ですから。
本来、出席が当然なんですがね。
仕方がないです。

もうひとつ。
4月26日(土)から
一泊で青森へ行ってきます。
これは父の付き添いです。
父の中学の同期会。
東北新幹線が開通して青森から到着するのが新青森になって。
いろいろ変わったし父も心許ないだろうからってことで。
同行することになりました。
父の歳になると友だちと会う機会って、そうあるものではないでしょう。
土日とか散歩に誘っても「面倒臭い」と断ってくる状態だけれど。
家とデイサービスと病院だけの日々では、さすがにつまらないだろうし。
ちょうど叔父の三回忌の時期ともあう。
良い機会です。

ダイソンの掃除機、買いました。
掃除機は二台あるのですが。
一台は割れてガムテープで何とか補強して使っている状態。
もう一台は「安物買いの銭失い」をしてしまったもの、吸引力や使い勝手がお話にならない。
ダイソンとしては明らかに安かったのでえいやっと買ってしまいました。
長く使うものだし。
掃除の度にストレスを感じる今の生活もなんだかなって感じだった。
それを考えればこれくらいの出費は仕方ないかという値段でしたので。
うーん。
さすがの吸引力。
コードレスというのも素敵。
お掃除が楽しくなってしまいそうです。
それで家の中が綺麗になれば出費も報われるというもの。
キレイキレイ、ステキステキ、であります。

今日はそんなとこ。
旅と掃除機。
全然関係のないことだったけれど。
たまにはこんな脈絡のない日記もいいでしょう。(^^)

将棋。すぐそこに来た。最強の地位が逆転する日を悲観しない。

2014年03月23日 10時11分52秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#電王戦:将棋ソフトが連勝…佐藤紳哉六段敗れる(毎日jpより)

コンピューターの将棋が人間の将棋より強くなる。
いよいよ現実のものになってきました。

私は悲観しない。
そうなったからといって、人間の指す将棋がつまらないという理屈にはならない。
人間の将棋をコンピューターが解説して展開や最善手を指摘したりする。
そういうことも今後はあるだろうけれど。
やっぱり人間の指す将棋は面白い。

コンピューターには強さは出せても「人間味」は出せないものね。
「誰々風将棋」みたいな、棋風さえプログラミングされた将棋も出てくるだろう。
じゃあ、幼なじみの爺さん同士の縁側将棋がなくなるか。
違うでしょ。

先手の有利はプロ将棋の実戦で数値(勝率)となって証明されている。
行くところまで行けばね。
コンピューターの将棋ってさ。
先手初手2六歩
後手そこで投了(降参)
そういう世界だと思うんですよ。
つまんないでしょ、そんなの。
人間の指す将棋の面白味は絶対に消えることはない。

コンピューター将棋が強くなる。
それでも人間の将棋の価値は変わらない。

どんどん進化する技術。
感情を持つ(正確には感情をプログラミングされた)ロボットとかも私が生きている間に出てきそうな気がする。
よく映画に出てくる、ロボット(コンピューター)が人間を支配する世界。
ほんとうにやってくるのかもしれない。
考える。
いわゆる「ロボット三原則」なんて空虚なものだ。
現実に殺人ロボットのようなものは使われている。
無人爆撃機とか。
操作、プログラムする人間が「原則」を守れないことがあるのだから、もうどうしようもない。

また話が飛んだ。
悪い癖だ。
元に戻す。

コンピューター将棋、将棋を指すロボット。
人型ロボットが正座して将棋を指す。
少々気味の悪い想像ではあるが。
負けたら「負けました」と頭を下げる。
勝っても礼をする。
そのへんは押さえていて欲しいな。
それもちょっと気味の悪い風景とも思えるけれど。
無味乾燥な単なる機械よりはいいんじゃないかな。

ロボット将棋名人が人間の将棋名人を打ち負かす。
私にとっては楽しい想像ではないけれど。
近い将来必ずやってくる世界。
将棋だけでなく何事においても。
止まらぬ進化、変化を受け入れる。
これから生きていく人間には避けて通れないことなのでしょうね。

タモさん、ついに国(首相)を動かす。

2014年03月22日 03時56分54秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#安倍首相「笑っていいとも!」出演詳報(MSN産経ニュースより)

凄い。
ついに内閣総理大臣ですよ。
安倍首相ですよ。
バラエティー万歳ですな。

偉大なりタモリさん。
馬鹿馬鹿しいこと、くだらないこと。
世の中には必要なこと。
真面目ばかりでは肩が凝る。
ガス抜きは必要だ。

「やる気のある者は去れ」
名言です。
過去「笑っていいとも!」には救われました。
大人になって働けない時期。
お昼の「いいとも」毎日見ていましたもん。
心の病。
笑いは必要だった。
私が笑顔で居られたのは「馬鹿馬鹿しい笑い」のおかげでもあるのです。

馬鹿馬鹿しいを馬鹿にするなかれ。
この世から馬鹿馬鹿しいことがなくなったら。
ゾッとする。
息が詰まる。

私は馬鹿馬鹿しいを馬鹿にしない。
馬鹿になれる人間でありたいと思う。

笑っていいとも!
平成26年3月31日(月)最終回。
生で見られるかはわからないけれど。
必ず見ます。
笑いをありがとう、タモリさん。
これが終わりじゃないよね。
益々の活躍を期待します。

琴欧洲引退。いろいろ話は飛びますがご容赦を。

2014年03月21日 03時28分02秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#「お相撲さんになって良かった」元大関・琴欧洲が引退(朝日新聞デジタルより)

引退会見は見ていない。
記事レベルでしか知らない。
けれど。
その涙に嘘があったとは思えない。

「お相撲さんになって良かった」という言葉。
思うような相撲が取れない苦しさ。
こんなところで嘘をついても仕方が無い。
本音だったのだろう。

言葉も文化も違う世界に飛び込んで。
相撲界は良くも悪くも閉鎖された空間。
外国出身力士にも日本人になることを強要する。

引退後、親方になるための年寄株は日本国籍がなければ取得できない。
個人的にはこの制度はいかがなものかと思う。
大相撲は国技。
それはわかる。
だから年寄株は日本国籍を持っていないといけない。
それはわからない。
形じゃないでしょ。
要は相撲を心からたいせつにする、たいせつにできる、心技体を持っているかだ。

諸外国にもそれぞれ国技と言われるものを持つ国はある。
その指導者になるためにはその国の国籍を取得しなければならない。
そんな話は聞いたことがない。
国籍だけ持っていても国技にふさわしくない人物は居る。
誰とは言わないけれどたとえば相撲界にも居たでしょ、そういう人。
逆に言えばね。
国籍うんぬんは関係ないと思うんだ。
その国技を愛する気持ち。
その愛が本物なら、それはその国技にふさわしい人物ということになる。

相撲を愛する気持ちはたいせつ。
相撲を愛する日本人。
美しい伝統だと思う。
賛否両論ある愛国心も、それが平和的なものである限り私は肯定する。

日本人としての誇りを持つ。
それは否定しないけれど。
日本人がなんでも一番というか純血主義のようなもの。
それは「あれれ?」と思っちゃうんだ。
言うまでもなく日本は単一民族国家ではない。
そうなる必要もない。

自分が一番。
利己主義。
自分以外を排斥する。
危険なことだ。

人間は個々が違うからおもしろい。
思想信条宗教。
違いと呼ばれるものは様々ある。
違うものなのだから、それを受け入れるのは難しいこともあるけれど。
違いを認め合う。
それならできるんじゃないだろうか。

なんかうまく言えないのだけれどね。
わかり合えなくても認め合う。
自分を通すこともたいせつだけれど。
ときには相手の視点に立って考える。
皆がそれをできれば世界にある争いごとのほとんどは解決する。
私はそう思う。

なんか話がどんどん飛んじゃったね。
話の始まりは、大相撲、琴欧洲の引退。
彼は日本国籍を持っている。
せっかく自分の意思で得たものならそれを活かして欲しい。
琴欧洲の今後に幸あれ。
心から願う。

友の大きな決断。そして声援。

2014年03月20日 13時04分25秒 | Weblog
友だちが。
大きな決断をした。
今の仕事を辞めるという決断。
開いていた商売をたたむという決断。

その友だちとは先月会った。
今思うと「ああそういうことだったのか」というような話もした。
先月会ったときの段階で、これだけの大きな決断の前触れがまったくなかったとは考えづらい。
悩みの最終段階だったのだろうな。
直接は切り出せなかったのだろうな。
それでも。
私は彼の話をちゃんと聞けていただろうか。
彼の決断の手助けをできていたであろうか。

人生、変化と決断はつきものだ。
大きな変化。
大きな決断。
ある程度長く生きれば必ずやってくるもの。
人ごとではない。
私だって決断しなければならないことの渦中にいる。
今しかできないこと。
それを大事にした友人。
私も見習いたいな。

現状を変える。
それはとても勇気の要ること。
「ある程度の安定」を捨てて冒険の旅に出る。
半端じゃない勇気が要るよね。

そしてね。
彼の宣言の中に。
なんか「解き放たれた」というような清々しさも感じたんだ。
呪縛から解き放たれた、そんな彼の「ワクワク感」も伝わってきたんだ。

高校時代の付き合い。
友人は縛り付けられるのは嫌。
良い意味での自由人。
昔からそんな人だった。

その決断を祝いたい。
新しい旅立ちを応援したい。
良き友だちとして。
これからも良き友だちでありたい。

お疲れ様。
おめでとう。
ありがとう。

いろんな気持ちが去来する。
君に幸せあれ。
僕も君に負けない人になる。
大きな決断をした、大きな決断をできた。
心から誇れる友の、友でいられることを誇れる。
そんな人になりたい。

立派な人間にはなれないかもしれない。
それでも良き友でありたい、良き家族でありたい、良き隣人でありたい。
人の評価だけを気にするということじゃない。
評価ではなく、感じてもらえる、人の心に響く人になりたい。
長い道、険しい道。
けれどそれは楽しい、ワクワクする、そんな道、そんな人生である気がする。

友よ。
共に希望を持とう。
それは同じ道ではないけれど。
新しい道を進んでいこう。
友へ。
そして私自身への。
心からのエール。

フラれた。ここでちゃんと書くのは初めてかな。

2014年03月19日 16時02分52秒 | Weblog
好きな女性がいた。
告白した。
そしてフラれた。
去年のことです。

こういう気持ちって簡単なものじゃないからさ。
フラれた、じゃ、忘れましょって。
少なくとも私はそんなに簡単に割り切れる人間ではない。

無理に忘れることはない。
忘れられない、割り切れない。
そんな自分の気持ち。
向き合って、大事にしようと思う。

ストーカーにはなりたくないから。
つきまとうことはしたくない。
その人を静かに優しく見守る。
こうなってしまった以上。
私がその人と結ばれる可能性はなくなったわけで。
その人の幸せを願う。
強がりでもなんでもなくね。
素直にそういう気持ちになれるんだ。
愛しているから。
心から愛しているから。
その人の幸せは私の幸せ。

告白してよかったと思っている。
Yesが帰ってくる可能性は最初から低かった。
身分違いともいうべき恋だったし。
そのまま胸の中にだけずっと抱えている。
そんな人間には、なれそうになかった。
曖昧な状態が嫌だった。
何らかの結論が欲しかった。
いわばフラれるために告白したようなもので。

その人もね。
さすが私が好きになった人。
真摯に受け止めて。
誠意を持って断ってくれた。

その人は「生活圏内」にいる人なので「前から完全に去る」ということができない。
フラれてなおかつ会うということ。
苦痛じゃないんだ。
その人の笑顔。
接する充足感。

フラれた、じゃ、次の恋に。
そう切り替えられたら楽なのだろうか。
いいんだ。
今愛している人を心から消すことはできない。
無理して消すこともない。
その人の笑顔を見られるだけで幸せ。
満足を感じられるのです。
ゆっくりとゆっくりと時間をかけて。
ですかね。
加藤いづみさんの曲ではないけれど
「好きになってよかった」
です。

あーあ。
こんなのだからいつまでたっても彼女ができないのかなあ。(苦笑)

主電源を切ってリモコンを使う方法?!

2014年03月18日 02時33分40秒 | Weblog
悩みは尽きない。
父に関して困っていること。
テレビについてです。
居間の父が見るテレビ。
主電源についてです。

このご時世、主電源を切るのがベストであるのはわかるのですが。
父がリモコンしか扱えないので、主電源は入れたままにしています。

最近その主電源の赤ランプが気になると言い出した。
あの赤いランプを消してくれと言う。
あの赤ランプを消すということは主電源を切るということ。
そうするとリモコンで電源が入れられなくなると言うと「それは困る」と言う。

そこで考えた。
主電源が見えなくなれば良いのではないかと。
テープでランプを目隠ししてみた。
今度はそのテープが気になると言う。
背景と似た色に塗っても駄目。

うーん。
どうしましょ。
主電源を切ってリモコンで操作ができる方法。
そんな都合の良い方法は私には思いつかないのだけれど。

実害も出てきている。
父と私では寝る時間がずれている。
私にとっての「夜中」に「テレビが付かない」と起こしに来ることがある。
そこら辺の心遣いは失われてしまった。
容赦なく寝ている私を起こす。
言い訳がましくなるけれど最近の私の寝坊にはこんな側面もあるのです。

愚痴ばかりでもつまらないので今度は軽い話題を。

先日「推しメン」なる言葉を初めて知りました。
某所の夕食会でのこと。
話題の中にしきりに「おしめん」という単語が出てくる。
あまりに普通に出てくるので意味を聞くのは憚られる。
聞くのが恥ずかしいので、隠れたところでスマホで調べた。
おしめん⇒推しメン
「イチ推しメンバー」の略だったのですね。
そういえば話題は「なんちゃら48」の女の子のスキャンダルのことだった。

勉強になりました。
流行には「ある程度」敏感でありたい。
流行に敏感になるのは疲れるけれど、流行りを知る追いかけるというのは、若くある秘訣の一つでもあると思うんだよね。
頭を使う⇒老化防止になるし。
もちろん流行に鈍感な長生きの仕方はあるけれど。
私は流行りの話題についていけるいつまでも若々しいジジイになりたいのです。
紅白歌合戦でAKB48を「卒業します」と宣言した人。
名前も顔ももう忘れてしまった。
元々知らない人だったし。
いかんな、これじゃあ。
疲れない程度に少しはこういうことも気にすることにしまっす。

閉会式・・・やっていない・・・そして感謝の併走

2014年03月17日 13時25分53秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#【ソチ・パラリンピック】閉幕、日本メダル6個 アルペンで狩野が2冠(MSN産経ニュースより)

ソチパラリンピック閉会式。
見る気満々だったのだけれどね。
生中継がなかったのよね。
当然あるものだと思って、念のためってことで録画予約しようと思い調べたら・・・
どこでもやっていない・・・
がっかりでした。

ふて寝ですよ。
で、寝坊。
おいお前、仮に生中継があっても見られなかったじゃん。
自分にツッコミ。

昨日は楽しかった。
久々のオリエンテーリング。
これはほんとうに久々の人を巻き込んでの参加。
前回に続き、始めて2回目という人と一緒に走りました。
指導なんておこがましくて言えないです。
指導者の資格を持っているわけでもなく、全く我流での教え方。
でも「面白かった」と言ってくれました。
私のほうこそ面白く楽しかったです。
ありがとうございます、と言いたいのはこっちのほうですね。

次のミッションはその人を独り立ちさせること。
ひとりで走らなければオリエンテーリングのほんとうの魅力はわからない。
ひとりで走って「ミスする」という経験をしなければ上達しませんから。
長くやっていて「迷う」という経験をしていないオリエンティアはいない。
ミスから立ち直って、ロストした現在地を自分の力で回復する。
それがオリエンテーリングの醍醐味のひとつなのです。

長くオリエンテーリングをやってきましたが、「普及」という面では今までほとんどお手伝いできていませんでした。
マイナースポーツの普及。
地道な努力、新しい参加者の発掘。
そのお手伝いができたのかな。
そう考えると嬉しい昨日の併走でありました。

さ、リフレッシュできました。
今日からまた、頑張ろー!!