のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

帰路。新幹線車中より。

2006年11月30日 18時28分14秒 | Weblog
さすがに寒かったです、青森は。
雪にも少しだけ遭遇しましたし。

故人の笑顔の遺影にほろっとなったり、
久々に会う親戚たちと、話が弾んだり、
「こういう時でなければよかったのにね」
と、またほろっとなったり。

あっと言う間の旅でした。昨日も書きましたが、
今日はこの日記のみの更新で、
裕遊字的本編の更新はできません。
明日からは、また日常の、「毎日更新」
に戻ります。

以上、携帯電話から失礼しました。

締め付けと解放

2006年11月28日 23時01分37秒 | Weblog
職場のビル。
玄関に巨大なツリーが飾られ点灯。
もうそんな季節になったのだ。

省エネ推進。
無駄な電力消費は抑えよう。
そんなことは判っている。


ただ、
節制だけでは息が詰まる。
ささやかな贅沢はあっていい。


野放図な電力消費はもちろんいけない。
よく言われるところの、
「今アフリカの子供達は~」
に対し、
明確で筋の通った反論をして、
それでも電力の無駄使い、
そんな人は稀だ。
(逆に「稀」ということはそういう人は確かにいるってこと)
節制が間違っているという
アメリカ的な考えはこれからの時代には、
少なくとも日本ではそぐわない。

京都議定書の定める数値、
主催国であったはずの日本が逆行しているのは皮肉なものだ。
これだけは人間の欲望の成せる技だから、
長い目で見て、自由とは逆行する「規制」は必要だろう。
例えば(車を必要としない人の)自動車の個人利用の制限、
真夏に長袖を必要とするほどの冷房設定温度の法律での規制、
それくらいのことをしなければ、
CO2排出は減らせない。


それでもエネルギーは使わなくてはいけない。
必要最小限の電力では生きていけない。
先進国と言われる国はそういう体質になってしまった。
だったら、電力消費のメリハリはあっていい。
締めるときは締めて、使うときはある程度解放する。


紅白歌合戦の
小林幸子さんの衣装が華美すぎるうんぬんの批判は、
個人的な趣味以外の意味なら、
的外れだと思う。
(個人的には「趣味として」あのセンスにはついて行けませんがね)
あの程度の電力消費で、
暗い世相を吹き飛ばせるなら、
そう感じる人が多いのなら、
無駄であると断言できない以上、
「あり」でしょう。

主張がバラバラになってしまったので
最後にまとめます。

贅沢は敵だ。
贅沢は素敵だ。

この2つは決して矛盾ではなく、
共存させることが地球の未来につながる。

賢い定期の買い方

2006年11月25日 06時40分31秒 | Weblog
私の言うことですから
定期預金の話じゃありません。
電車の定期券であります。


会社に行くのに使っている
今月22日まで有効の定期券がありました。
もちろん「継続」定期券は買いませんでした。
翌日、祝日で使いませんでしたから。

私の選択は27日の月曜日から有効な定期を新規で購入。
昨日は普通に切符を買って通勤しました。
(正確に言えばパスネットとイオカードですが)
また土日で2日、あいてしまうから。

ちょっとややこしいので、
後々見たときに訳がわからなくなってしまいそうですから、
日付をわかりやすく書いておきます。

11月22日、水曜日。出勤
11月23日、木曜日。祝日でお休み
11月24日、金曜日。出勤
11月25日、土曜日。お休み
11月26日、日曜日。お休み
11月27日、月曜日。出勤

これが健全な節約というものだと思います。
それとも「ケチ」なのかなぁ。
判断は皆さんにお任せしますが、
これが私の金銭感覚です。

健康一番!

2006年11月24日 04時37分07秒 | Weblog
昨日が祝日で休み。
今日は谷間の金曜日。
今日働けば土日の休日。

休日が多いのは
複雑なところである。


こちとら派遣社員。
時給換算で働いているわけだから、
休日が多ければ、
そのまま実入りの少なさに跳ね返ってくる。

こちとら起業準備の資金貯め中。
単純に
「休めていいや」
とはならない。

それでもやはり祝日はうれしい。
土日だけだったら、たぶん頑張れない。
たまの休みのボーナスで、
ホッとするのは事実である。

お金より健康。
身をもって知っている私は、
やはり
「祝祭日必要!」
と言わねばなりません。

懲りないギャグマン

2006年11月23日 21時13分16秒 | Weblog
ギャグマン(←たぶん造語)にとってつらいのは、
ギャグを馬鹿にされることではなく、
ギャグをスルーされることである。
意図的、そうでないを問わず。


この間の友人との会話。
友人:「携帯なに使っているの?」
私 :「D○comoの最新、●906iだぜ」
友人:「ふーん、凄いね」(普通に感心している口調で)
私 :「え・・・いや・・・その・・・」(急に慌てる)

これは痛いです。
ギャグマンの私の話をまともに受けとめんでくれ!


いやー、困りました。
ギャグは説明をしたら惨めだし、
かといって、嘘をつきっぱなしって訳にもいかず。
結局説明しましたがね。

意図的なスルーならこのままでよいわけですよ。
ある意味ギャグのギャグ返し。
両者合意の上でのことですから。

それでも懲りないギャグマンは、
今日も救いようのないつまらないギャグを言い続けるのであった。


注:
D○comoの携帯なんぞに興味は無い。
「ナンノコトヤラワカラナイ」という方のために。
D○comoの携帯は新しくなるごとに、
下一桁が1ずつ上がっていきます。
本当の最新機種は●903iであります。
つまり・・・私は・・・そういうことです。

お得な体験

2006年11月22日 21時30分49秒 | Weblog
非常にためになりました。
昨日今日の研修。

ルータを好きなだけいじれる。
無線LANのセキュリティ対策について。

仕事でもプライベートでも
すぐにでも生かせそうなことがてんこ盛り。

講習と名のつくもの、
可能な限り最前列に陣取るのが私の習慣。

これって緊張感も高まるし、
(↑多少眠いときでも眠気が吹き飛ぶ効果あり)
講師のオーラを真っ直ぐ受けとめられて、
理解度に直結すると思うのです。

楽しかったですよ。
いくつになっても
学ぶ、学べるというのはいいものですね。


この貴重な時間、
まるまる時給を「貰っちゃって」いるのが、
複雑な感じです。

授業料を貰って学校に行く、ようなもの?!

2006年11月21日 04時42分25秒 | Weblog
今日明日は研修である。
たかだか一派遣社員に過ぎないのに、
つくづく人材育成に手間を惜しまない会社だ。

会社以外の場所に出勤するというのはなんか変な気分。
時給を貰いつつ研修を受ける。
いい加減な態度では臨めない。
よっしゃ、頭良くなって帰ってくるぞぉ!

昨日一昨日と同じ人間が書いたとは思えない?!

2006年11月20日 22時24分43秒 | Weblog
職場、終業後、エレベーターホールにて。
「張り切ってるね」
同僚に声をかけられた。

「そうっすか。」
苦笑いで
そう答えるのが精一杯。

いや、今日も普通なんですよ。
当人は普通にしていたつもりなんですよ。

どうやら
「異常に常にテンション高い人」
という評価が固まりつつあるようだ。

これは会社の人ではないが、
「いつもラジオ体操のお兄さんみたいなテンションだね」
言われたことがある。
その時も苦笑いするしかなかったね。

いいじゃん。
明るいんだから。

正直職場内に、
「あなたのテンションにはついて行けません」
と、呆れている人もいると思う。
でも私を決定的に嫌っている人はいない。
たぶん。

私宛の電話を転送されても
「はいー!○○でございますー!」
いつでもこう。
そりゃ呆れるわな。

いいんだ!
能天気は楽しいぜぃ!

昨日書いたことの補足

2006年11月19日 21時34分27秒 | Weblog
昨日のコメントにも書きましたが、
あれを書きっぱなしじゃちょっと、
理想論に過ぎる、ええカッコしー、なので。

老い、死には、確かにマイナスの面がある、
っていうかマイナス面が大きい。


動けなくなった。
呆けた。
でも生きている。
その場合、介護する人の負担、
計り知れないです。


不十分な経済状況のまま老いを迎えた場合、
楽しいなんて言っていられない。

判りやすい例なら、
今私が既に老いの時期を迎えているとして、
ネット環境、大げさに言えば、
ペンと紙さえ事欠くほど、
いっぱいいっぱいの生活だったら、
もしかしたら、
昨日自分で言ったことを全部ひっくり返さなきゃいけないかもしれない。

でもそれでも自己弁護のために言わせてもらうと、
そういう老い方でもいいと思うんですね。

文章を書けなくなったとしたら確かに私には大きなダメージです。
でもいいんです。
どんなになっても私は私。
詩を書けなくなっても
私は私以外の何者でもない。


松井秀喜から野球を取り上げたら、
彼はもはや彼ではない。
と言った人に遭遇したことがあるけれど、
私はそうは思わない。
ただの顔面ブツブツ男(失礼!)になっても彼は彼。
確かに注目してくれる人は劇的に少なくなるかもしれないけれど、
松井秀喜は松井秀喜であり続ける。
その価値と存在意義はいささかも揺らぐことはない。
その面で、財産というのは確かに参考にはならないかもしれない。
極端な話、彼が呆けて高潔な人柄を取り上げられたとして、
彼は彼であり続ける。

ちょっと脱線したので戻します。

老いて人に迷惑をかける。
あるいは自分らしくあるために必要なものを、捨てざるを得なくなる。

「迷惑だ。こんなヤツ早く死ねばいいのに。」
そう思われて介護されている人も皆無ではないでしょう。

自分が自分でなくなっても生きなければならない。
恐ろしいことかもしれない。

それでも長く生きるためには、
老いは必ず受け入れなければならない。

それでもいい。
いろんな不具合を抱えつつ生きている。
それは若い時代でも同じ事。
老いで不具合が形を変えるだけだ。
生きてりゃ必ず何かあるのですよ。
例え呆けて自我が無くなったとしてもね。


マイナス面がどんなに大きかろうと、
どんなにかっこ悪くても、
生きる、
生きたい、
生きなければならない、
それが人間だと思います。

Let's 老い!

2006年11月18日 16時55分51秒 | Weblog
加齢と共に加齢が怖くなくなってきた。
年をとる、確実に死へのカウントダウンされているわけだが、
別にどうってこと無い。
もちろん死を達観した高尚な人間になったわけではない。
煩悩はむしろだんだん増えているんだけどね。


死を一番恐れていたのは、
小学校中学年くらいだった気がする。
(随分ませているが。)
死というものの実態を認識し、
それが避けられない、自分にもやがて来るものだと知ったその頃は、
本当に恐怖だったね。
「死ぬなんていやだなぁ、気持ちも無くなる。」
そう考えた。

だから私は、
どんなに幼くても
「いっぱしの考えはちゃんと持っている」
と身をもって知っている、
相手がどんなに幼くても、
ちゃんと話を聞くって姿勢は持っていたいと思う。
もちろんその際、
なんでも「うんうん」と聞くわけではなく
正当な意見なら従うが、
幼さゆえの、稚拙で筋の通らない話なら諭す。
それは前提ですがね。

老いは楽しみですね。
自分がどのように老い、衰えているか、
そのプロセスを感じることは今から楽しみだ。
若いときにしかできないことがあるのだから
老いてからしかできないこともあるはずだ。


俳優のクリント・イーストウッド氏がインタビューで、
「若い頃にしかできなかった役があったように、
老いた今でしか演じられない役もある。」
みたいなことを言っていた。
まさにそう、
20代の役柄は若い頃しかできないが、
リアルな70代の役は老いてからしか演じられない。
その時々しかできないことは必ずあるわけだから、
老いは忌むべきものではない、
そう思えるようになったわけ。
物書きの立場の私で言えば、
(今の)40代で書ける文章、
70代で書ける文章、
明らかに違うだろうから、
老いてから自分の文体がどう変わるか、
今からワクワクものである。

あ、70まで生きられるって前提で書いていますね。(苦笑)

病気でも事故でもどんな死に方にしろ、
死の瞬間、人間は恐怖はともかく、
痛みは感じないで逝けるらしい。
自然に老いてちょっと「呆けて」しまえば、
恐怖すらも感じないだろう。
自分が老いて呆けるかは今からは知る由もないし、
本当に本格的に呆けてしまえば、呆けたことそのものがわからなくなる。
例えば平均寿命を過ぎた年齢になって、
「クリアな意識」のまま死に至ることは稀だろう。

今が不満で不満のまま死ぬことは嫌かもしれないけれど
不幸や絶望と同じくらい
幸福や希望って、そこら辺に転がっていると思うのね。
それを探そうっていう姿勢さえ持って、前を向いて生きていれば、
死ぬまでずっと不満の人生なんてあり得ない。

まるっきりその反対で
今がすごく幸せで、死ぬのが嫌だって人もいるでしょう。
でも考えてもご覧なさい。
だったら幸せに終われるのですよ。
映画やドラマ、小説で、皆が大好きな、
「ハッピーエンド」
なのですよ。

つまり、生きることも老いることも死ぬことも、
怖いことなんか何にもありゃしない。
「老後を楽しむ」
って表現は「老後」という部分が好きじゃないけど、
気が若ければ永遠に青春。
のんきいきいき生きてみましょうよ。


Life is beautiful !
Aging is wonderful !

時候のあいさつ

2006年11月17日 05時34分33秒 | Weblog
めっきり寒くなったねぇ。
でも冬が一番好きな季節の私。

冬の寒さはどうにかなる。
(東京程度の寒さならという仮定がありますが)

運動するとか、
厚着するとか、
温かい食べ物を食べるとか。

薄着には限界があるけれど
厚着は基本的に限界がない
これが夏より冬が好きな理由のひとつ

冬が好き。
ウキウキワクワクは夏の専売特許ではない。

万札が飛びました

2006年11月16日 05時13分40秒 | Weblog
昨日、会社帰り、
まとまった買い物をしました。

>ヨ●バ●カメラにて
置き時計、アラームタイマー、電卓。
そしてオンラインショップとのポイント統合手続き
>本屋にて
文庫本ブックカバー、来年の卓上カレンダー、
年賀状素材集、雑誌、文庫本。

これ全部を店への移動時間を含め、
通常帰宅時間プラス1時間ですべてこなした。

決断が早くなったのはいいことだ。
「死に時間」が減って、
創造的なことに費やせる時間が増えるって事だからね。


そして今週に入ってから「冴えて」いる。
早く起きられ目覚もいい。

但し順調とは多少気味が悪いものである。
しっぺ返し無し、望む。