のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

アミノバ○タルは風邪薬?!

2015年01月31日 17時33分25秒 | Weblog
父が風邪を惹いた。
正確に言うと
「風邪を惹いた風邪を惹いた」
と父が言っている。
まあ風邪なんですけどね。
そんな酷いものじゃない。
ちょっと鼻水が多め。
その程度。
熱は平熱、35度台。
悪性の咳もない。
食欲も旺盛。

酷い風邪だと思いたいらしい。
何度も熱を測る。
何度測っても低めの平熱。
「おかしいなあ」と。
私の熱が正常に測れているので体温計の故障ではない。

んでもって
「薬、薬!」
と矢の催促。
あいにく風邪薬の買い置きはなかった。
というか86歳となるとね。
市販の風邪薬はいろんな意味でリスクがあると思うのですよ。

「病院行く?」
と振っても
「めんどくさい」
と、にべもない。

矢の催促の薬は
「毎食後の風邪薬だよ」って言ってアミノバ○タルを飲んでもらった。
アミノ酸だし、広い意味では風邪に効く薬だし。(苦笑)
プラシーボ効果(偽薬効果)ってやつでしょうか。
飲んだら途端に表情が晴れた。
心なしか元気になった気がする。

昨日はデイサービスを休んだ。
「風邪をうつしたら悪い」
そのへんの配慮はしっかりしている。

ほんとうなら今日はオリエンテーリング大会参加の予定であった。
朝、出掛けようとして。
「行ってくるね」
と言ったら、ものすげー不安そうな顔をして。
枕元の私の手を握ってしばらく離さない。
「行かないでくれ」「ひとりにしないでくれ」
のサイン、メッセージを感じ取った。
オリエンテーリングは諦めた。

私がいるとわかって安心したのか。
布団に入ると起きてこない。
「朝ご飯ができているよ」
と声をかけても
「う~~~ん・・・」
起きてこない。
結局起きて朝ご飯を食べたのは11時前であった。

姪っ子が来てくれた。
本来は私が出掛けている間のお世話を頼んだので
「今日はやっぱり来なくていいよ」
と言いたいところだけれど。
そんな状態だからね。
心細かったり人恋しかったりするだろう。
来てもらうことにした。

あれもこれも含め。
致し方ない。
するほうにもされるほうにも、いろんな制約が出てきて。
これが介護というものなのだろう。

介護を理由に何かを諦める。
可能な限り避けたほうがいい。
甘えられる人、甘えられるときにはしっかり甘える。
使えるサービスは使い倒す。
諦めて、無理して。
そんな生活が健全な状態で続けられるわけがない。

今日、オリエンテーリングを諦めた。
今日、姪っ子に甘えた。
要はバランス感覚だと思う。
そうやって続ける。
父の介護生活。
いつも言う通り。
笑顔と感謝を忘れずに。

そしてオチを。
先ほどのお風呂。
普通にお風呂場でウ○チ、ポタポタ。
そんな日常でありました。(^^)

【今日の写真】
庭の夕方のなごり雪であります。

落ち着けない夜、これも父のせい?

2015年01月30日 06時30分44秒 | Weblog
昨日、睡眠について書いた。
最近、睡眠がうまく取れていない。

まあ正直に言うと。
これも父が関わっていることでもあるのです。

最近オシモが特に緩くなった。
ズボンとズボン下を濡らす。
そりゃ気持ちが悪いだろう。
特にズボン下を頻繁に交換する。
極端な話、トイレのたびに「失敗」して、ズボン下を着替える感じ。

ズボン下が足りなくなった。
洗濯の手間、乾かす時間。
それを考えればこの交換ペースでは足りなくもなるわな。

枚数を足らすために。
夜中に起きて洗濯をしなければならなくなった。
ここで洗濯しないと、朝ズボン下が足りなくなる。
夜に外で干すわけにはいかない。
家の中で普通に干したら時間がかかる。
乾燥機もフル稼働である。

睡眠が分断されるのだ。
いいことじゃないよね。

対策をとらないと。
ズボン下の枚数を揃える。
新たに購入だ。
結構な枚数を。

これで寝るときに安心できるストックがあれば。
夜中に起きなきゃというプレッシャーはなくなる。

これで安心して寝られる。
となればいいのだが。
もうひとつ問題がある。

家庭内徘徊である。
特に私の部屋を。
夜中に私の部屋に来るだけならいい。
「ごそごそ」やるのだ。
電気を点けてタンスや机とか本棚の引き出しを開けて中を「ごそごそ」する。
見られて困るものもないからいいのだが。
さすがに目が醒めてしまうよ。

てなわけで落ち着かない夜です。
睡眠が浅くなる。
それを防ぐため。
昨日書いた、睡眠時間を短くして睡眠を深くする。
それで父が来ても起きないようにする。
苦肉の策でもあるのです。

まあ、しゃあないやね。
どうにかできるものでもないし。
深く悩まず。
ゆったり構えることにします。

今日も今夜も明日も。
愛ある介護。
いつも笑顔と感謝を忘れずに。

寝坊の実態と傾向と対策と

2015年01月29日 13時32分53秒 | Weblog
寝坊した。
8時15分起床。
今の私にとっては立派に寝坊の時間だ。
不眠の頃の話は比較にならない。
お昼過ぎまで寝ているのが普通だった頃があった。
その時期は長かった。
今は違う。
うまい表現が見当たらないけれど。
立ち直ったからさ。
その明らかに病的であった頃と比べて8時15分起床を「早起きした」と言っても意味のない話。

さて寝坊。
もちろん良い傾向ではない。
経験から言ってね。
起床時間の早い遅いは即、心の健康状態とリンクする。
安定して早く起きられれば心は健康。
寝坊が増えれば良い状態へは向かわない。

寝坊するのは身体が睡眠を求めているから。
そういう見方もできる。
すべての寝坊を否定するわけじゃない。
心や身体にとって「必要な寝坊」もあるからね。
最近の寝坊はそういう感じではない。
文字通りの「惰眠」なのだ。

直感的に良くない兆候と来る。
立て直さなくちゃね。
根性論だけでどうにかなるものじゃない。
もちろん早く起きる、その意気、意志は必要。
でもそれだけじゃ問題は解決しない。

起きる意志プラス。
起きるための「仕組み作り」をしなくちゃね。

逆だろって話だけれどね。
こういうときに有効なのは
「一時的に睡眠時間を減らす」
という方策。
人には勧められないけれど。
私の場合に限って言えば有効だ。
経験則、傾向としてはっきりしている。

自分なりに分析するとね。
意図して眠たい状態を創り出して睡眠を深くする。
そうすることによって逆に目覚めが良くなる。
そんなところだろうか。

起きることは生きること。
大袈裟でも何でもなくそういうこと。
究極的に考えるとそうでしょ。
極端な話、ずっと眠っている人生が生きていると言えるだろうか。
否、でしょ。
起きられるから生きられる。

それを心に刻んで。
明日は早く起きる。

最後に。
これは去年から始めた新たな有効な手段。
「苦しいときは母に聞け」
くじけそうになったら、苦しかったら。
仏壇に向かって手を合わせる。
母に相談する、母に誓う。
すると落ち着く、うまくいく。
うーん、やっぱ私、いまだに亡くなった母に縛られている、マザコンなのかなあ?(苦笑)

さあ、日々のランニング、再開です!

2015年01月28日 05時33分50秒 | Weblog
久々に朝走った。
記録を見たら最後に走ったのは12月30日。
ほんとうに久々だ。
この時期に新年初走りだものね。

正月。
プチぎっくり腰をやって。
復帰はさすがに慎重になったよ。
去年の失敗で懲りているからね。

去年の失敗。
レースが迫って。
焦って無理な距離を走って。
膝を痛めた。
治っていないのにまた走った。
結果膝を本格的な故障にしてしまった。

エントリーしていたハーフマラソン大会も断念。
しばらくは走れず治療に専念。
まさに数日を焦って数ヶ月を無駄にしたのだ。

だから今回は慎重になった。
人間なのだから学ばなきゃね。
慎重の上にも慎重を。
違和感がなくなってもしばらくは自重した。

三日前の日曜日のオリエンテーリング。
テストケースだった。
少しずつ負荷をかけて回復度合いを測る。
それがテーマのレース。

結果。
大丈夫だった。
これなら問題ない。
で、ゴーサインであります。

故障明けだからね。
今日は距離もペースも抑えたよ。
身体が重いのももちろんだけれど。
走る「感覚」が鈍っていた。
時計を見なくても
「だいたいこのくらいのペースだろう」
っていうのはわかるものなのだけれど。
その感覚と実際のペースにズレがあった。
って言うか、わかんなかった。
どれくらいのペースで走っているのだろう?と

ま、焦らないことだ。
徐々に戻ってくるだろう。
身体と相談しながら。
徐々に距離を伸ばしてペースを上げていく。
無理しない無茶しない。
笑顔で。
笑顔で走れるペースで。

走ることは楽しい。
それを改めて実感した。
それだけでも今朝のランニングは大収穫。
笑顔で走れる。
幸せだなあ。(o^^o)

お父さん、それはもはや刺身とは呼べませんよ。

2015年01月27日 02時55分56秒 | Weblog
父の味覚。
昔から変わらないのはね。
猫舌。
そして冷たいものもダメ。
つまり熱い食べ物も冷たい食べ物も受け付けない。
適温が難しい。
亡くなった母も苦労しただろうと思う。

最近それに拍車がかかった。
特に冷たいもの嫌いのほうが。

先日は生トマトを「温めて」と言った。
チンして温めて食べた。
それはまだいいほうだった。

昨夜。
スーパーで買ってきた鰯の刺身を出した。
「お刺身温めて!」
「え?!お刺身を温めるの?」
「うん、熱めでいいよ」

うーん。
お父さん。
それはもはや刺身とは呼べませんよ。

突っ込みたくもなるが黙っていた。
父の味覚は父の味覚。
人がどうこう言うものでもないから。

「じゃあチンする?」
「うん、熱めで」

刺身を半分、父の分だけ取り分けて。
電子レンジにかけるため台所に持っていこうとすると。
「そんな少しじゃなく全部温めてくれよ」
と言われたがそこは私も折れなかった。
「俺は温めないのが食べたいからお父さんの分だけチンさせて」

で、チンした。
リクエストにお応えして。
電子レンジの中でジュウジュウと音を立てて色が変わるまで。
そして父に出す。
「これでいい?」
「うん」
箸をつけた。
さすがに美味しくなかったらしい。
黙ったまま。
一口で食べるのをやめた。

するとなんと。
私の「普通の刺身」の皿を持って自分の前で抱え込んだ。
そして食べる。
「温めた刺身とは呼べない食べ物」には目もくれず。
完食。
もう、なんも言えねえ。

私に残されたのは
「温めた刺身とは呼べない食べ物」
やむを得ず食べる。
お、美味しくない。
ってか、不味い。

残すのは背徳感がある。
全部食べた。
結果私は「普通の刺身」を一口も食べられず。
うーん、この理不尽。
まあしゃあないか。
こういうことも含めての介護だ。
笑顔で続けましょう。
父と平和に過ごせる日々に感謝して。
笑顔で続けましょう。

それにしても。
「ちゃんとした」刺身、食べたかったよー!(苦笑)

オリエンテーリング。ミスもまた楽し、であります。

2015年01月26日 15時56分35秒 | Weblog
今朝は意図しての寝坊でした。
昨日、オリエンテーリング参加。
なんだかんだで疲れが溜まっている自覚があった。
今日は父の糖尿と泌尿器科の通院なので、朝食の準備が間に合う時間までは寝てもいい。
タップリ寝よう、心と身体を休めようと。
保険としてタイムリミット30分前に目覚ましをかけた。
案の定そのときまで目は醒めず。
つまりは意図しての寝坊でありました。

昨日のレース。
腰の調子を見るテストケースだった。
つまらないミスをしてしまったよ。
「遅いがミスが少ない」が私のオリエンテーリングの身上。
あんなミスをしちゃあねえ。

言い訳でも何でもなく冷静に分析するとね。
腰の状態、身体の状態のチェックに神経を取られた。
それで地図読みがおろそかになった。
地図読みがいい加減になればそれはミスもするわな。

楽しかったですよ。
あそこでミスをしなければ・・・
なんて仮定は言いっこなしだ。
ミスも含めてのオリエンテーリング。
まったくミスをしないオリエンテーリングなんてつまらないと思う。
ミスも楽しい。
ミスをして、そこから正しいルートに修正する過程もオリエンテーリングの醍醐味だもの。

若い頃はこうじゃなかったな。
つまらないミスをすると猛烈に悔しかった。
若かった、まだ青かったんだ。
今考えると微笑ましい気持ちになる。

「ただ走る」のも好きになってきたけれど。
やっぱり考えながら走る。
オリエンテーリングが大好き。
公園でのレースもいいけれど、やっぱり昨日のような山の中、林の中のほうが楽しさは数段増す。
与えられる課題、レベルが高い。
走り終わったときの達成感も段違いだ。

昨日は大きなミスをした。
それでも心から楽しめた。
テストケース。
おっかなびっくりのところもあったけれど。
結果、腰は大丈夫だった。
何よりもそれが大収穫。

さあ。
もう大丈夫。
日々のラン、再開です。

オリエンテーリング~~楽し楽し楽しみ!

2015年01月25日 03時33分58秒 | Weblog
今日。
これからオリエンテーリングに参加であります。
限りなく始発電車に近いので出掛けます。

今日はテストケースですね。
正月に痛めた腰はもう大丈夫か。
日々のランは念のため自粛してきた。
焦って本格的な故障にするのはつまらないから。

今日オリエンテーリングで走って大丈夫だったら日々のラン再開。
順番が逆だろって話ですがね。
だからテストケースってことです。
徐々に上げていく。
最初は慎重に。
大丈夫だったら少しずつ負荷をかけていく。

登り、そして下り。
そこである程度スピードを上げて身体に負荷をかける。
最終目標はそこです。

正直なところね。
走りたくて身体がウズウズしているのだよね。
でも去年の失敗で懲りました。
膝が完調でないのに無理をして。
故障を本格的なものにしてしまった。
感覚としてね。
数日無理をして数ヶ月を棒に振ったってところかな。

だから慎重に。
無理しない。
慎重の上にも慎重に。
走ること。
長く続けたいから。
ハーフマラソン、そしてフルマラソン完走という目標が控えているから。

あとはね。
久々の本格的なテレインなんだ。
里山、森林。
格好の舞台だ。

走るのはもちろんだけれどね。
オリエンテーリングも大好きだからさ。
もう“like”じゃなく“love”の世界だね。

では行ってきます。
怪我のないように。
楽しく走ってきます。

日本代表敗退。敗者を責めないという美学。

2015年01月24日 07時33分58秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#サッカーアジア杯:日本PK戦でUAEに敗れる(毎日jpより)

ほんとうに残念だけれど。
これがサッカーだ。

惜しかったは言い訳にならない。
シュートやコーナーキックの数では圧倒したって?
それがなんだというのだ。
サッカーはシュートの数を競う競技ではない。
何回惜しいシーンを演出したかを競う競技ではない。
点取ってナンボだ。

今の日本代表に足りないところがあったということ。
それは認めなくてはいけない。
そこから始めなくてはいけない。

ここから先は私だけの話、もしくは少数意見かもしれないが。
私はね。
よく甘いと言われる。
でもさ。
日本代表を責める気になれないわけですよ。
プロだから結果を出すのは当たり前。
それもわかるのだけれどね。
精一杯やって結果を出せなかった人を罵倒する気になれないわけです。

延長戦に点を取れなかった理由はね。
正直言って長友選手の故障で、実質一人少ない状態で戦っていたというのもあると思う。
それでなんで彼を彼らを責められるでしょう。

笑って帰ってこいとは言えない。
けれどね。
結果ベスト4に進めなかったわけだけれど。
君らは堂々と戦ったんだ。
それは恥じることではない。
胸を張って帰ってこい。
そう言いたい。

アギーレ監督の件でいろいろ雑音は入ってきただろう。
けれど集中を切らさなかった。
団結した。
PK戦の前の円陣、掛け声。
あれに嘘はなかった。

一生懸命やれば結果なんてどうでもいい。
そんな綺麗事は言わないさ。
結果は大事だ。
特にプロスポーツの世界なら。
でもさ。
君たちは恥じることなんてないんだ。

そう。
君たちは誠実だった。
誠実に戦った。
尊敬する。

課題は山ほどある。
これからそれぞれのチームに戻って切磋琢磨。
実力向上に近道はない。

最後に。
君たちは日本の誇りです。
選手、スタッフ、関係者の皆さん。
お疲れ様でした。
感動をありがとうございました。

心の軽さ。お金を頂かないでパソコンを教えるということ。

2015年01月23日 17時28分25秒 | Weblog
今日は友人が来訪しました。
高校大学時代の友人。
親友です。

パソコンのデータ。
クラウドへのバックアップについて聞きたいとのこと。
ぱたぱたと話が進み。
急遽決まった来訪でした。

父の介護を抱えている。
そのへんの事情も理解している人で。
「平日昼間にうちへ来て」という依頼も快く了承してくれました。

お土産はコーヒー豆。
私の思考、嗜好もよくわかっている。
甘いものを選ばなかったのは糖尿の父への心遣いか。
私の思い過ごしかもしれないが、それくらいの気遣いはしそうな人だから、ほんとうにそうだったのかもしれない。

バックアップについての話。
すらすらと話は進む。
余計なことを話さなくてもいい、質問も的確。
相変わらずの「頭の良さ」を感じさせた。

これは「講習」ではない。
もう教えるプロではない。
お金を頂かないのだから。
プロではなくなったのだ。
それってこういうことなのだな。
改めて実感しました。

それで感じたことは。
「心の軽さ」
だったのですよ。
ついこの間まではパソコン教室の講師として教えていた。
敷居を低くは心がけていたけれど。
やはりお金を頂いて教えるということは「責任」を伴ってくるわけで。
今日はそのへんを考えなくて済んだ。
無責任と取られても仕方のない物言いもした。
パソコンのことを教えるにあたって、責任という呪縛から解き放たれた。
その心の軽さ。
久々に感じたこの感覚。
いいものだと思いましたよ。
良い経験をさせてもらいました。
友に感謝。

帰りに近所のお薦めの小さなコーヒーショップで昼食。
コーヒーは一杯500円。
高いと思われる方もいるだろう。
でもブラジルコーヒーです。
ブラジルコーヒー一杯500円で飛びつく感覚を共有できる。
私と同じく自宅で豆を挽いて自分でコーヒーをいれて飲む彼。
ブラジルコーヒーとミートソースパスタ。
サービスでパンとスープが付く。
友人の会計、1080円也。
「安い」
と言ってもらえた。
自分の行きつけの店を褒めてもらえる。
嬉しいものです。

駅で別れました。
さて今日の話のオチ。
パソコンの話ではない。

帰り、スーパーで花束を買って帰った。
実は今日招待した自室に飾ってある花は仕舞っておいた。
ちょっと元気がなくなっていたから。
久しぶりの親友との再会に枯れかけた花は似合わない。
で、隠しておいて、花無しの部屋でした。

というわけで花が必要。
いつも買う花屋さんは少し遠回りになる。
父がデイサービスから帰ってくる時間も近い。
なので駅ビルのスーパーで久々に安い花束を買いました。

世の中すべからず安かろう悪かろうなどという偏見は持っていないけれど。
その花束、帰宅して飾ろうと包みを剥がした瞬間に花がばらばらとふたつ落ちた。
乱暴に剥がしたわけではない。

安いのにはそれなりのわけがある。
うん、花屋さんに関してはもう浮気はしないぞ。
そう決意したのでありました。

父、大皿を抱え込み、食べる食べる。あのお、重度糖尿病患者なんですけれど。

2015年01月22日 05時36分32秒 | Weblog
一昨日の夜。
私が出掛けたので、姉が父のお世話に来てくれた。
父はとても嬉しそうだった。
精一杯の誠意で介護しているけれど。
何だかんだ言っても男の私にはできないことがある。

父が嬉しいのは「料理」もあるのだと思う。
姉の手料理が食べられる。
毎日、ワ○ミの宅食。
メニューは毎日違うけれど。
味付けの傾向は似通ってくる。
やっぱ飽きるよね。

だから姉の手料理。
父はとても楽しんでいる。
もちろん私もそうである。
姉が来れば、多めに作って置いていってくれる姉の手料理が食べられる。
昨日の夕食の楽しみのはずであった。

だがしかーし・・・
昨日の夕食の食卓。
姉の料理の大皿と取り分け用の小皿を父と私用の2枚を置いたのですが。
ここで・・・
食事が始まるなり父が大皿を文字通り「抱え込んで」しまった。
抱え込んで。
黙々と、ひたすらに。
食べる食べる。
汁の最後の一滴まで食べ尽くし飲み尽くし。
仕上げに皿を隅々まで舐め回す。
完食でありました。

食べることは数少ない楽しみ。
86歳。
日常生活に不自由はないが。
ほとんど歩かない。
寝てばかり。
身体はどんどん衰えている。
活動は減ったからね。
食べることは大きな楽しみなのだ。

こういうことを見てしまうから。
重度糖尿病患者であるにもかかわらず。
強い食事制限をする気が失せてくる。
甘いものも大好き。
そんな父から食の楽しみを奪って。
それで少々長生きして。
それで父の人生は幸せだったと言えるだろうか。
考え込んでしまう。

もちろん完全無制限にするわけにはいかない。
チョコレートを見えるところに置いておけば、あるうちは食べてしまう。
認知症。
食べたという記憶が消えるのだ。
放っておけば箱単位で食べてしまう。
さすがに血糖値的に、ねえ。
隠しておいても
「チョコレートは?」
は数限りなく矢の催促。

そこで。
「チョコレートは?」
と言われると
「ちょっと待って」とか「買っておくね」
でやり過ごす。
実際にチョコを渡す一日数回以外はこの対応になる。
けれど完全に絶つことはしない。

人生を楽しんでもらう。
食も楽しんでもらう。
我慢ばかりさせて。
「後に」残るのは後悔ばかりだろうから。
笑顔でいられるように。
可能な限りのサポートは惜しまない。

ああ、それにしても。
昨日、私も姉の手料理、食べたかったなあ。
それだけは。
大皿をひとりで抱え込んで完食した父に対する恨み節でありました。(苦笑)

世にも貴重な物語

2015年01月21日 13時45分20秒 | Weblog
昨日は私の通院。
そして病院のデイケアと呼ばれる場所での夕食会。
珍しい体験をしました。

夕食を食べて。
サッカー日本代表の試合を観て。
そこまでは普通だ。

なにやら私と同じくらいの年代のメンバーが集まっている。
ABBA(アバ、表記が違うが「B」をひっくり返した表記は文字ベースでインターネット上では表現不能)
というキーワードが聞こえた時点で「ん?!」となったが。
サッカーが良いところだったので首を突っ込まなかった。

サッカーが終わって。
まだガヤガヤやっているところに参加する。
洋楽の曲名がわからないということだ。
「ABBA」の曲。
聞いて一発でわかった。
「Lay All Your Love On Me」
まかせとけ、ですよ。

CD読み込ませてデータベースで調べればわかるじゃん。
と思われた方。
残念。
音源はカセットテープベースだったのです。

Webにはありがたいサービスがある。
音として曲を読み込ませて曲名を判定する。
そんなサービスもあるがそれでもヒットしなかったとのこと。
なんだ。
すぐ傍にいる私が一発でわかったんじゃん。
灯台下暗しじゃん。
って話ですわ。

その後、話は昭和トークで盛り上がる。
中村あゆみさんの話になった。
「涙のTwistin' Heart」という曲の話に。
悔しいがこれは持っていなかった。
もともとレコードでしか発売されなかった曲で、近年ベストCDに収録されたが、それは税抜き一万円也。
好きなアーティストとは言え、一曲のために一万円超えはさすがに今、手は出しづらいよね。

オールナイトニッポンの話にもなった。
今も続くニッポン放送の看板深夜ラジオ番組。
鶴光師匠の話とか。
今どき話題を共有できる人は少ないですよ。

学生時代聞いていたオールナイトニッポンのパーソナリティを思い出してみる。
月曜深夜一部:くり万太郎さん
火曜深夜一部:所ジョージさん
水曜深夜一部:タモリさん
木曜深夜一部:自切俳人さん
金曜深夜一部:つボイノリオさん
土曜深夜一部:笑福亭鶴光さん

あー懐かしい。
昭和回顧。
世にも貴重な物語でありました。

ロードレースで走る私の写真、どうっすか?(^^)

2015年01月20日 06時11分56秒 | Weblog
先月に参加した10kmロードレース。
写真が送られてきました。

無料じゃないですよ。
有料サービスです。
へなちょこ写真だったら安かろうがお金を払ってまでして頼みません。
自分なりに納得できるショットだったから。
決して安い金額ではなかったけれど。
心から欲しいと思ったから。
注文したのです。

笑顔で走る。
走りきる。
それがテーマだった10kmレース。
それは守れました。

じゃあ全然苦しくなかった?
やっぱ走っているわけだから。
まったく苦しくないってことはない。

それでも嬉しさが勝っていた。
走れる喜び。
風を切る感覚。
想定より速いペースで走れている自分。
だからちょっと苦しそうだけれど笑顔。

そんな感じが映し出された一枚。
どうですか。(^^)

いつか私も通る道だから

2015年01月19日 18時18分42秒 | Weblog
昨日。
日曜日。
父が珍しく時計がお昼を廻った頃に自分からお風呂に入りたいと言い出した。

拒む理由はない。
清潔はいいことだ。
すぐに沸かして入ってもらった。

服を脱いでわかった。
そりゃお風呂に入りたくもなるよ。
納得。
オムツの中。
惨状。
余程気持ちが悪かったのだろうな。

オシ○コ、ウ○チ。
最近またさらに締まりが悪くなった。
トイレに行くとき。
廊下で既にスタンバイオッケー。
トイレの前に水たまり。
そんなこともある。

「小」ならまだいいが「大」のほうも所構わずするようになった。
我慢ができないんだな。
お風呂から上がるときが要注意。
暖まると「そういう気分」になるらしい。
上がって素っ裸のまま居間へ行ってそこで介助して服を着る。
そういう手順なのですが。

居間へ歩いていく途中。
廊下で立ち止まって「いきむ」
「お父さん!ちょっと待った!」
制止も虚しく「ビッグベン」をその場でポタポタと。
あちゃー、であります。
これが「小」のほうなら日常茶飯事状態。

こんなこと。
私だからできることなのかな。
心を許しているのかな。
ときどき私が出掛けるときお世話に来てもらう姉や姪。
ここまでの報告は受けたことがない。
息子だと思う甘え。
見せられる気持ち。
そう考えることにしましょう。

先ほど入った今日のお風呂。
上がって。
ふらついた。
足元がおぼつかない。

衰えていく。
少しずつ。
そして確実に。

見下さないことだ。
面倒だなんて思わないことだ。
長く生きれば人は必ず老いるのだ。

「子ども叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ」

この言葉が心に響くこの頃でありました。

君の名は・・・何?

2015年01月18日 06時46分32秒 | Weblog
君は僕を裏切らない。
決して僕を裏切らない。

君に裏切られたと思ったことがあった。
君は僕に忠実じゃないし。
僕のことなんかどうも思っちゃいない。
君と僕は所詮無関係。
そう考えた時期もあった。

まだ十代の頃。
君に誠実であろうとした。
そしてそれは大抵報われた。
君を大事にすれば。
僕は必ず成功する。
そう信じていた。

けれど。
それは破綻した。

二十歳のとき。
僕は心の病に罹った。
君を大事にした。
ずっと大事にして生きてきたのに。
君はいとも容易く僕を裏切った。

僕はどん底に落ちた。
トンネルは長かった。
光の射さない人生のトンネル。
通算すれば15年にもなるだろうか。

僕は持てあました。
自分を持てあました。
寂しかったよ。
辛かったよ。

やっとトンネルから抜け出せた。
そのときはその理由はわからなかった。
いつの間にか抜け出せた。
そんな感じだった。

何だかんだ言っても。
僕は君を大事にした。
裏切られたと思ったときも君を大事にした。

今わかったこと。
君に誠実だったから。
裏切られても君を大事にしたから。
僕はトンネルから抜け出すことができたんだ。

今また僕はトンネルに入った。
仕事を辞めたんだよ。
でも今度のトンネルは短いよ。
すぐに抜け出せる。
そう信じられる。
なぜなら君を大事にするから。
君を大事にしているから。
君は僕を裏切らない。
決して裏切らない。
今はそれを心から信じているから。

君に忠実な人生に間違いはない。
君の名は・・・
努力。

阪神大震災から20年。記憶の風化という「能力」と決して忘れてはいけないこと。

2015年01月17日 16時45分09秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#静かな祈りに包まれた被災地…阪神大震災20年(YOMIURI ONLINEより)

ほんとうに僕は無力だった。
あのとき僕はプー太郎だった。
つまり働いていて当然の年齢で働いていなかった。
僕の中で心の病が暴れ回っていた。
僕なりに戦っていた。
働けないことも仕方がなかったのだけれど。

いい歳をして両親に養ってもらっている。
真面目な納税者に頼っている。
罪悪感にさいなまれた。
後ろめたさは常にあった。

そしてあの日。
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分
阪神大震災。
やっぱり僕は無力だった。
家でテレビにかじりついた。
倒れた高速道路。
燃え上がる街。
刻々と増えていく犠牲者数の情報。
やっぱり僕は無力だった。

働いてお助けします。
いくばくかの寄付をします。
心の病を抱えてプー太郎の僕にはその選択肢もなかった。
ほんとうに無力だった。
あれは人生最大の無力感だったかもしれないよ。

あのとき産まれた赤ん坊が成人式を迎えた。
凄い時の流れだよね。
赤ん坊が成長したように。
僕も少しは成長できたのかな。
そんなことを考える。

犠牲者を悼む。
被災者に寄り添う。
決して忘れないこと。
それはもちろんのこと。

記憶の風化。
それも必要なことなのかな。
あの日の恐怖、痛み、苦しみ、悲しみ。
それが少しも減ることなく今日まで続いていたら。
人間はそんなに強くない。
耐えられるわけがない。

正直に言おう。
私の中にも記憶の風化はある。
20年前の阪神大震災はおろか、まだ4年も経っていない東日本大震災の記憶ですら。
あの時の鮮烈はだいぶ薄れてしまった。

記憶の風化は人間が生きていくための偉大な能力かもしれない。
けれど決して忘れてはいけないことがある。
それをたいせつに。
心に刻み。
これからも生きていきたいと思う。