のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

訃報、龍虎さん。大好きだった力士。

2014年08月31日 03時38分29秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#龍虎さん死去 73歳 元小結、タレント(MSN産経ニュースより)

龍虎さん。
好きな力士でした。
豪快な相撲ももちろんだけれど。
不屈のお相撲さんの印象が強い。

小結まで上り詰め。
しかし、怪我で幕下まで落ちる。
まさに不屈。
そこからまた、小結へカムバック。
子ども心にも喝采を送ったものだ。

引退。
この美男子を芸能界が放っておかなかった。
タレント、俳優として活躍。

でもやっぱ私としては、お相撲さんの龍虎関なのです。
子どもの私に素晴らしい思い出をありがとうございます。
龍虎さんのご冥福をお祈りします。

青森からまた、良くない知らせが届いた。
叔母(母の妹)、が脳出血で緊急手術とのこと。
私が幼い頃、我が家で同居していたから、この叔母は「母の次に母に近い人」である。
ほんとうに心配。
私にとって特別な人なのだ。
回復を心から祈ります。

父の、「過食」について昨日書いた。
その後、危ないモノを目に見えないところに移動したところ、なんとマヨネーズを「飲んでいる」衝撃の現場に遭遇。
開けたばかりのマヨネーズが半分くらいまで減っていた。
うーん。
こうなると「ある程度健康的な」飲食物は目立つところに出しておかざるを得ない。
カルピスの原液といいマヨネーズといい。
飲み食いしてよいものといけないモノの判断が付かなくなっている。
何に手をつけるか想像不能の状態になった。

そんなわけで昨夜は牛乳を冷蔵庫の目に付く場所において寝た。
起きて確認してみると・・・
全く減っていない。
その他の飲食物も手をつけた形跡無し。
ま、いいことなんだけれどね。
少し拍子抜け。
これも日によってブームが違うのかなあ。
よくわからん。

てなわけで。
坂本九ちゃんをBGMにいろいろ書いてみました。
今、「上を向いて歩こう」が流れています。
今の気持ちにしっくりくる。
よし。
今日もちゃんと生きるぞ!

スーパー朝寝坊と朝食を食べないという決断。

2014年08月30日 17時18分14秒 | Weblog
超朝寝坊した。
朝10時起床。
抱えている心の病の兆候としてよいことではない。

今日は父のデイサービスがない。
その気の緩みもあっただろうけれど。
それにしても10時起床は寝過ぎだ。
就寝時間も超早いからね。
すげー時間寝てしまったことになる。

さて起きると。
台所が凄いことになっていた。
もちろん遅い朝ご飯の支度をするために行ったわけだけれど。
方針変更をした。

牛乳、豆乳、ヨーグルト、生卵、カルピスの原液
結構な量が消費されていた。
それをするのは父しか居ないわけで。
考えざるを得なかった。
この上さらに朝ご飯を食べさせてよいものか。
重度糖尿病患者。
血糖値を考えると躊躇せざるを得なかった。

結局朝食は出さなかった。
それも忘れてしまう「状態」であることをいいことに。
医者ではないから正しい決断だったかはわからない。

食については可能な限り好きなものを食べてもらう。
それが介護の基本方針。
今さら無理な我慢はさせたくない。
我慢して我慢して、嫌な思いをいっぱいして。
それで今86歳の寿命が数年延びたとして。
それが幸せな人生と言えるかどうか。
そういう思い。

けれど。
まだまだ生きられる命があと数ヶ月の命になる。
そういうレベルのことならば考え込んでしまう。
避けられる早死にを見過ごす。
それは息子としてはちゃんと考えなければいけない。

これからこういうことは増えることはあっても減ることはない。
決断しなければならないことも増えてくるだろう。
日々迷い、生きていく。
父と共に。
けれど。
そして。
いつも笑顔と感謝を忘れずに。

やっぱり、愛を、優しさを。甘っちょろいと言われようと。

2014年08月29日 03時47分14秒 | Weblog
優しくなりたい。
人に優しい人でありたい。
自分に優しい人でありたい。
甘やかすとは違う。
愛するってこと。

人生は厳しい。
優しさだけでは、やっていけない。
それはわかる。
厳しくするときにも。
内には愛を秘めていないとね。

愛のない叱責は暴力だ。
暴力とは殴る蹴るだけのことではない。
それで苦しんでいる子どもたちもいる。
大人だっているだろう。

甘っちょろいと言われようが。
僕は言い続ける。
愛を、愛を。
優しさを。

愛と優しさに満ちた世界。
不幸せであるはずがない。
自分が正しいと信じる。
そこまではいい。

相手を倒す、排斥する、傷つける。
自分が正しいと信じることのために。
明らかに正しくない行動を取る人たちがいる。

世界に宗教紛争は多い。
あなたの信じる神は
「罪無き人を殺せ」
と教えていますか。

自分は絶対に正しい。
その思い。
正しくもあり、正しくもなし。
自分の意に沿わないことはすべて間違いだ。
残念ながらそういう人。
少なくないよね。
これが国家レベルになると戦争やテロになっちゃう。
ほんとうに泣きたくなる。

優しい人になる。
だから僕はそう願い、行動する。
それも極めようとすると。
とても難しいことだけれど。
それでも愛と優しさに満ちた人になりたい。
平和な世の中にするために。
まずは僕ができることから始めよう。
そう、愛を、優しさを。

心の病の発作、試練であっても不幸ではない。

2014年08月28日 03時55分07秒 | Weblog
昨日の話の続きにもなる。
抱えている心の病、統合失調症。
「発作」のようなもの。

外見は変わらない。
周囲に悟られることはめったにない。
ベースとして回復して、普通に仕事をしている状態。
そういう評価は得られていると思う。
そんな「発作」状態のときでも普通に冗談を飛ばして笑っていられる。
病との長い付き合いで訓練されてしまった。
病が酷かった頃は違ったと思う。
発作になれば表情が固まる、ぎこちなくなる。
わかりやすかったかもしれない。

笑っていられる。
それでも心の中は苦しい。
「発作のようなもの」
後に振り返ればね。
いつもそれは「たいしたことなかった」になるわけだけれど
やっぱ「発作の最中」はいつも死ぬ思いをしている。
気が狂いそうになる。
もの凄い回数を経験したからさ。
慣れっこになっているわけだけれど。
いくら慣れても心地よいものではない。
何回経験しても「とても辛い状態」であるのは間違いない。

そういう状態になったとき。
そういう状態であることを人に言えなくなった。
両親がしっかりしていた頃は。
両親にだけは甘えられた、正直に言えた。
「調子が悪い」
と言って横になれば、それはすなわちそういうことであった。
理解して放っておいてくれた。
身体が何ともないときに私が言う
「調子が悪い」
親子にだけわかるサインのようなものだった。

私が回復して。
両親が衰えて。
状態は逆のカーブを描く。
両親には甘えられなくなった。
疲れている親、とんちんかんなことを言う親、サポートが必要な状態の親。
そんな親の前で身体が悪いわけでもないのに私が
「調子が悪い」
と休むわけにはいかない。

辛いときに辛いと言える人がいなくなった。
これはまさに辛いことなのかもしれない。
今の私はそれが自分にとって悪いことだとは思っていない。
辛いときに弱音を吐かず、自らの力で回復する訓練。
そうなるたびに強く優しくなれる。
そう実感する。
発作は試練であっても、不幸ではない。

心の状態のことだからさ。
説明はとても難しいのだけれど。
あえて書いてみました。
心の病と闘うのではなく。
仲良く付き合っていく。
これは一生続くことなのだと思います。

不安定な状態をトラウマにしない

2014年08月27日 16時00分52秒 | Weblog
昨日は抱えている心の病。
病院のデイケアと呼ばれる場所の夕食会へ。
そこでちょっと心が不安定な状態になった。
心の病、軽い発作と呼ぶべきもの。

悟られることはない。
こんなときでも冗談のひとつも飛ばしながらニコニコしていることができる。
長い闘病生活でそんな風に自分を飼い慣らしてしまった。
自分の辛さが相手に伝わらない。
それは一面楽なこと。
けれど自分の辛さがわかってもらえないとなるとね。
それは厳しいことなのかもしれない。
中途半端な回復も善し悪しってこと。

早めに帰らせてもらった。
この場所での楽しい時間をどんな形であれ辛い思い、トラウマと結びつけるようなことにしたくなかったから。
家に帰って。
留守中の父のお世話をお願いしていた姉がまだ居て。
話しているうちに心の状態は普通に回復した。

父とずいぶん話せたとのこと。
衰えた面を知り。
マイナスだけじゃない、まだしっかりとしている面を知り。
姉にとってはいろいろ思うところもあるだろう。

そして今日。
ダブルの誕生日。
お世話になっている場所のたいせつな人。
元職場の同僚。
はっぴばーすでー!!

旅行記、其の弐

2014年08月26日 12時26分53秒 | Weblog
青森から帰ってきて。
まだ体重計に乗っていない。
ちと怖い。

お通夜、お葬式。
食事がたんと出る。
その他、高カロリーの食べ物飲み物がどんどん出てくる。
こういう席だから、強く断ることもできない。
結果、相当量食べた。
一昨日の夜帰ってきて。
昨日今日節制して。
よし、明日は体重計に乗るぞー。

叔父の葬送。
実は去年、私の従姉妹、つまり故人の娘が亡くなっていた。
さすがに言えなかったそうである。
年老いていろんな意味で弱っている人に。
「娘が亡くなりました」
とは言えなかった。
娘が来ないことにもさして疑問を持たない状態。
そう言えばご理解いただけるだろうか。

従姉妹たちと話しているとき。
「今ごろ叔父さんビックリしているだろうね」
となった。
そりゃそうだ。
天寿を全うして天国へ行ってみたら。
なんとそこに居るはずのない娘が先着して待っている。
ビックリもするわな。

お通夜の夜は斎場に泊まった。
凄い斎場で、控え室に泊まれる部屋、3ベットの部屋が2つ付いている。
まさにホテル並みという感じ。
これはとても助かった。
何せ父が「あれな感じ」ですからね。
足腰弱り、オシモが緩い認知症。
ホテルに移動というのも大変なこと。
ご厚意に甘えて斎場に泊まらせてもらった。

葬送に参列して。
一昨日も書いたことだけれど。
感じるところが変わってきた。
若い頃はどんなに親しい人が亡くなってもどこか人ごとだった。
うんと歳をとると人は亡くなるんだ、のような。
この歳になると変化が起きる。
自分の問題として考えるようになる。
母を看取って、五十歳になって。
死は身近なことになった。
いつ自分に起きても不思議がないこと。

自分の通夜葬儀を想像する。
親しかった人たちにそこにどんな思いで集まってもらいたいだろう。
そこに自分はいないのだけれど。
そこはまさに自分の人生、集大成の場所とも言えるわけで。
#終わりを思い描くことから始める
「7つの習慣」という本から得た発想。
自分の葬儀をイメージして。
なりたい自分の終いをイメージして。
そこから今の自分を始める、生きる。
とてもたいせつなことだと思います。

旅行記、其の壱

2014年08月25日 15時42分26秒 | Weblog
一昨日昨日と叔父の通夜葬儀に参列してきました。
青森県の弘前へ。
父と一緒に。
まあ正直に言えばひとりで行くより数倍疲れたと思うのですが。
父はもっと疲れたと思うので。

今朝は寝坊しました。
午前8時半起床。
朝食の支度、洗濯、荷物の片付け、父デイサービス送りだし、買い物。
それだけで今までかかってしまいましたよ。

私も疲れていたのでしょうね。
布団に横になってから眠りにつくまでの記憶がない。
ばたんきゅーだったということ。

この旅行を振り返りたいと思います。
やはり父には辛い日程だったようです。
この歳ではただ電車に座っているだけでも体力を使うようで。
行き、新幹線の車中、仙台の手前で
「布団で寝たい」
と言われたときはどうしようかと思いましたがね。

父のことばかりも言えない。
恥をさらします。
新青森から「リゾートしらかみ号」で弘前まで行ったのですが。
弘前駅で降りて、先方へ連絡しようとポケットを探る。
あ゛っ゛・・・え゛っ゛!!!
携帯が・・・無い・・・
青くなった。
車中で落としたのだろう。
あまり穿かないお出かけ用のズボン。
考えればポケットは浅めだった。
座っているときに落としたと思われる。
結局見つかりました。
お通夜のあと、忘れ物センターみたいなところに連絡。
弘前駅まで取りに行き、事なきを得ました。
父が呆けてるとか言えないよな。
私もボーッと抜けていたわけで。

お通夜。
私の伯父さんである父のお兄さんも参列していました。
この人が父と対照的にまだしゃんとした人で。
まあ現存する父が逆らえない唯一の人であるわけで。
お通夜の最中、足を組んで座ってきょろきょろしている父。
父は叱られていました。
父が人に叱られてシュンとする。
父には申し訳ないけれど。
ちょっとした爽快感を味わえました。

お通夜のあと。
親戚一同集まって軽食。
いろんな話で盛り上がりました。
もうすぐ故人の初曾孫が生まれるという話になり。
つまり私の従兄弟たちはもう孫がどうのこうのの世界なわけで。
「ところでケンちゃんは・・・」(私のこと、本名:健一)
きたーっ!
飛び火です、炎上です。
「皆さんをお呼びできるように頑張ります!」
高らかに宣言しました。
故人も天国で笑っていたことでしょう。
まったく当てもないのによく言うよな、私。

長くなりそうなので続きはまた後日。
気まぐれなのでこれでお終いかもしれませんが。(^^;)

弘前の朝

2014年08月24日 06時13分44秒 | Weblog
父との弘前旅。
朝です。

昨夜は叔父さんのお通夜。
こういう言い方は変なのかもしれませんが「いいお通夜」でした。
今風で生ピアノ演奏、故人の写真のスライドショーが流れるという。
国会議員から弔電が届いたのには仰天。
改めてすごい人だったのだと。

父はいろいろと「やらかして」くれていますが覚悟の上、織り込み済みのことなのでビビってはいませんよ。
今日は葬儀の前に、故人の妻たる叔母に会いにいきます。
施設にいるのですが、認知症もあり、酷だろうということで亡くなったことは伝えないとのこと。
息子たる従兄弟も辛い決断だったのでしょう。
なんか切ないです。

この歳になると葬送に参列しての思いも変わってきます。
ああ、やがて自分もあっちへ行くのだな、と。
悔いのないように生きないと。
思いを新たにしました。

葬儀のあと、帰路です。
父のサポートをしつつ、故人を偲びます。
魂よ、安らかに。
そして父と無事、帰れますように。

訃報、ああ、あれはそういう意味だったのか。

2014年08月22日 04時13分37秒 | Weblog
昨日、訃報がありました。
青森(弘前)の叔父。
父の妹の旦那様です。

優しかった人。
笑顔の似合う人。
酒、タバコ、バリバリ。
豪快な人だった。
親戚が集まり酒を飲む。
大きなくしゃみが限界のサイン。
わかりやすかった。
皆で笑ったものだ。

こうなってくると先日の父、突然の
「今日、青森に行けないかな」
が、にわかに意味のあることに思えてくる。
虫の知らせってヤツだろうか。
血縁の力って凄いな。

葬送。
父と一緒に行くことになります。
いろんな意味で衰えた父。
そのサポートは大変かもしれないけれど。
何とかなるでしょう。

故人を偲びつつ。
合掌。

良薬多量は身体に毒?

2014年08月21日 03時16分03秒 | Weblog
父の食事以外の食欲。
大変なことになっています。
牛乳をよく飲む。
豆乳をよく飲む。
いいことじゃん。
そう思うでしょう。
私も最初はそう思っていました。
度を超しているのですよ。
一日牛乳2リットルと豆乳2リットル。
要はなくなるまで飲んでしまうということだから。
もっと冷蔵庫に入っていたらもっと飲んでしまうかもしれない。
栄養学には詳しくないけれど。
ここまで来ると身体に良くない部分は出てくるでしょう。
育ち盛りの時期ならまだしも。
86歳が牛乳豆乳合わせて一日4リットルって。

かと思うとそれらを全く飲まない日もある。
認知症によるところが大きいのだろう。
意識の中に入らなければいい。
意識の中に入ってしまうと止まらない。

できればこの歳になって、あれ食べるなこれ飲むな、はなるべく言いたくない。
そもそも言って聞く人でもない。
「隠す」って手段もなるべく使いたくない。
飲食って数少ない楽しみのひとつだからね。
さりとて健康食品も度を超せば・・・
難しいお話でございます。

良くない知らせ、それでも日常はやってくる。

2014年08月20日 12時31分35秒 | Weblog
プライベートなことで。
良くない知らせが届いた。
近いうちに何かあるかもしれないという。

辛い思いをしている人がいる。
電話口のいつもと変わらぬその笑い声が逆に痛々しかった。

明日はいいことあるさ。
そう信じたいけれど。
人生長く生きていれば。
必ず良くないこともやってくるわけで。
辛い出来事も必ずあるわけで。

祈るような思いで。
今日を過ごす。
明日を迎える。
そうして生きていくしかないのですね。

改めて。
今、生きている。
今、生きていられる。
そのことに感謝。

三度考え直しました

2014年08月19日 03時45分06秒 | Weblog
昨日、朝食のとき。
父が突然言い出した。
「今日、青森に行けないかな」
強い口調で。

「うーん、さすがに今日の今日では宿とか電車の切符とか無理かな。日を改めてじゃダメかな?」
と返す。
「じゃあいい」
と不機嫌になる。
「○○くん(青森在住の従兄弟)とか、仕事の調整しなくちゃいけないから直前だとちょっと無理かな」
とご機嫌を伺いつつ続けると
「言わないで行けばいい」
とそこら辺は知恵が働く。
でも無理だ。
諦めてもらうしかなかった。

自室に戻り、念のためパソコンで調べる。
なあんだ。
贅沢は言えないけれど、お盆も終わったし、今日でも、宿も切符も取れるじゃん。
考え直す。
幸い生徒さんの予約も入っていない。
急ではあるが父の意思を尊重したい。
一緒に行ってみるか。

父の所に行く前に冷静になって考える。
今の父に青森旅行はハードルが高くないか。
今の足元がよたっている体力状態で長距離旅行は危険を伴わないか
そもそも今、父のオシモの状態。
尿、便、ポタポタ。
自宅ならいいが、ホテルでやったらシャレにならない。
我々だけの問題ではない。
いろんな人に迷惑をかける。
やっぱり行くのは無理だ。
そう結論が出た。

夜、また考える。
今の父の気持ちを大事にしたほうがいいのではないか。
今なら体力的にはギリギリ行ける状態。
数ヶ月後にはどうだろうか。
これは「今しかできないこと」ではないのか。
たとえば尿、便のことで迷惑をかけるからというのは、
「自分が恥を掻きたくない」
という私のエゴ、言い訳ではないのか。
よし、やっぱり行ける。
迷惑をかけた人には謝り倒そう。
父の気持ちを大事にしよう。

行けない⇒行ける⇒行けない⇒行ける
結局三回考え直したことになる。
昨日の「青森へ行きたい」が一時の気持ちでなければまた言い出すだろう。
故郷に帰りたいという気持ちは当然だ。
昨日の発言が気まぐれなものでなく。
今度また父が言い出したなら。
スケジュールは何とかやりくりして父と一緒に行こう。
そうだ!青森へ行こう!

困難にくじけ、そして立ち上がり、また歩き出す。

2014年08月18日 03時31分33秒 | Weblog
日々困難はある。
どんな困難にも動じない。
そう言えたら格好良いけれど。
あいにくこちとらそんなに出来た人間じゃない。

日々迷い、日々つまずきの連続だ。
それでいいじゃん。
そう思えるようになった。
少しは成長したのかな。

私のこと。
きちっとした人。
そう評価する人がいる。
とんでもない!
たとえば部屋の散らかりようを見てもらえれば。
先日来てくれた姉が、母の写真に埃が被っていると突っ込みを入れ、拭いてくれた。
実にずぼらな人間である。

それとは別にね。
確かにきちっとしていなければ気が済まない部分はある。
その意味で知人の指摘は間違っていないのだと思う。

たとえば親の介護。
私がいくら「ずぼらです」「適当に手を抜いています」と言っても。
「ちゃんとしていないと駄目な人だよね」
という評価をもらうことは多い。
自己評価と人の評価は違うから。
私がどうあがこうと、それは一面の事実なのだろう。

つまりは立ち直りが早いのだと思う。
いい加減な部分は多い。
手を抜いているのも間違いない。
失敗も多い。
自画自賛になるが立ち直りが早い。

直言をしてくれる人がいる。
ありがたいことだ。
それが私のためを思って言ってくれていると感じ、信じられるのであれば。
それで不快になることはない。
心からの「ありがとうございます」である。

間違った方向に行きかけても。
修正してくれる人がいる。
本当に感謝しなければいけないこと。

そして自らも、以前より冷静に自分の言動を見られるようになったかなと思う。
落ち込むこと、調子に乗ること。
両方あるよ。
けれど両方とも引きずらない。
確かにこれは進歩、進化なのだろう。

最後に曲の歌詞引用。
今日のまとめにはこれがふさわしいと思うので。

KANさんの楽曲「愛は勝つ」歌詞より引用。
「どんなに困難でくじけそうでも 信じることさ 必ず最後に愛は勝つ」

お父さん、食べ過ぎ飲み過ぎに注意しましょう。

2014年08月17日 14時39分56秒 | Weblog
タイトルはソフトにしてみました。
今朝、起きたことをストレートにタイトルにするのは。
さすがに・・・ねえ・・・

いつものように。
超早朝に起きた。
自室を出て居間を通過して廊下があって父の寝室の前を通ってトイレへ。
そういうレイアウト。
居間に行くとその時点で異臭。
ウ○コ発見。
悪い予感。
踏んづけてなすりつけ状態にならないように注意しつつ家中を廻る。

尿、便があちらこちらに。
トイレは当然のこと。
居間、廊下、洗面所。
セーフは客間と台所くらいか。
父の寝室は大変なことになっていた。
とんでもない異臭。
その中、父は寝ていた。
さすがに眠りが浅いのか。
私の雰囲気に気付いて。
眼を開けてうーんと背伸びをする。

シャツにも便が付いている。
間違って便が口に入ったりしたら大変だ。
とにかく掃除せねば。
ストレートに言って動く人ではない。
とっておきの必殺技。
「チョコ食べる?牛乳もあるよ!」
速攻で台所に飛んでいってチョコと牛乳をセッティング。
熱い濡れタオル、ウエットティッシュを用意。
父のところに戻り。
「汗掻いているから着替える?」
着替えと身体拭き。
陰部は凄いことになっていた。
そして台所に誘導。
時間がかかるようにお菓子もセッティング。
「ゆっくり落ち着いて座って食べる?」
と誘導。
その間に父の部屋に戻り。
シーツ交換、床清掃。
除菌スプレーを吹き付ける。
異臭は根深く、クンクンと臭いを嗅いでいくと「あら、こんなところも!」状態。
汚れた手を突いたらしくタンスや壁も汚れておりそれも清掃。
仕上げに消臭スプレーを散布。
そう簡単に消える臭いではないが先ほどまでは数段まし。

台所で父は歌を歌いながら早朝プチ食事の最中。
重度糖尿病患者。
本来なら甘いものの食べ過ぎは良くないんだけどね。
ま、飲み物は牛乳だから良しとするか。
お話にお付き合い。
父の子供時代の飲酒の話とか。
(ん?この時点で法規的にアウトだぞ!ま、時効ってことでご勘弁)

父は寝室に戻りすぐにすーすーと寝付く。
いつでもどこでもいくらでも寝られる。
父の特技である。
そして家中の清掃。
こちらも家中「あら、こんなところも!」状態。
時間はあっという間に過ぎる。
早朝散歩どころではなかった。

洗濯機全開。
さすがにこの状態が続くと・・・
危機感が募る。
失禁が普通にある、尿も便も。
それだけならまだしも衛生感覚が抜け落ちている。
汚れるのは問題ないとは言わないが笑い話で済む話。
不衛生から発生する病気というものがある。
父の年齢だとそれが文字通り「致命的」になることもあるだろう。

まあ深く思い悩んでも仕方がない。
なるようにしかならない。
楽に構えるしかないやね。
完璧な介護などない。
そんなもの目指したとしても無理な話。
父を監視、管理しようなんて考えないことだ。
お互い不幸になるだけだから。
こちとら自分で呆れるほどの楽天家。
汚れたら拭けばいいじゃん!
くらいの気持ち。

オチは用意している。
いい加減、日も昇ったというのに。
雨戸を開けるのを忘れた。
慌ただしさの中でボッと抜け落ちていた。
父が居間の雨戸を開けた。
ハイ。
そこは父のほうがしっかりしていました!(苦笑)