のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

ひとり旅で考えたこと

2015年06月30日 02時57分25秒 | Weblog
昨日、二泊三日のひとり旅から帰ってきて。
リフレッシュして。
新しい気持ちで元の生活に戻ります。

ちょっと違うかな。
この旅で本を読み、いろいろ考えました。
環境が良いと本の内容もスッと頭に入ってくる。
クリエイティブになって発想もスムーズだ。

ちゃんとしなくちゃ。
一言で言えばそういうこと。
自分の現状を見直しました。

父の介護に集中していると言えば聞こえはいいが。
働いていない。
父の年金に生活資金を依存している。
父にたくさんの支援が必要。
それは間違いではないのだけれど。
働いていないこと。
父の状態を言い訳にしていなかったか。

今回の旅。
最低限の配慮として、資金は働いていた頃、別枠で取って置いた分をあてた。
父のお金で自分だけ遊び回るわけにはいかない。
そういう気持ちだったけれど。
お金の全体収支で考えれば、やっぱ父のお金で行ったとも言えるわけで。
それは少し心が痛む。

もうひとつは自分の減薬のこと。
今、心の病の薬を減らすステップの最中。
調子がいい。
向精神薬は飲まなくて済むならそれに越したことはない。
心の病から卒業したい。
その一歩として、薬から卒業したい。
切実な気持ち。
そして先生と相談。
いきなりゼロにするのは再発のリスクがある。
徐々に減らして最終的にゼロにしようということになった。
そして第一段階の減薬。
凄く調子がいい。
次の診察で次のステップに進むことを相談しようと考えている。

減薬中の今。
なるべくプレッシャーをかけたくない。
自分に負担をかけたくない。
落ち着いた状態で過ごしたかった。
長い目で見ればプラスになるし。
亡くなった母や今の父も、ちゃんとした状態でいたら許してくれるだろう。
それで父の年金に依存、その生活に甘んじているというのもあった。

今回の旅。
自然の中、素直な気持ちで自分と向き合ってみると。
うん、やっぱり。
父のこと、自分の減薬。
それを言い訳にしていた。
今の状態、父の介護と働くことの両立は無理と。
減薬中は落ち着いたほうがいいと。
それを働かないことの言い訳にしていた。

動こう。
試行錯誤してみよう。
具体的にはね。
文章を書くことを生業にする。
自宅でのパソコン教室をたたんだ段階で決めていたことだけれど。
夢として語るだけで具体的には動いていなかった。

動こう。
生業とするのは大変なこと。
それにビビらない。
実現に向けて具体的に動こう。

困難な道だけれど。
介護と両立したいなら現実的な選択肢だ。
外に出て働くのは実質不可能。
父はデイサービスにお願いする時間以外は家にいる。
その父を、今の状態の父を。
家において外に働きには出られない。

文章を書く。
それなら家でできる。
生業とするなら「片手間」でやることもできないけれど。
それでもできる、家でできる仕事。

動こう。
諦めないでやってみよう。
そう決意させてくれた旅に。
私を支えてくれる人たちに。
改めて感謝。

ひとり旅最終日、帰路です。

2015年06月29日 10時37分49秒 | Weblog
二泊三日の妙高ひとり旅。
最終日であります。

中日である昨日は本を読んで考える日になりました。
雨の予報。
散歩は諦めていたのですが。
幸いよい方向に外れました。
日中、晴れ間ものぞく天気になったのです。

雨の予報でも後ろ向きには考えなかった。
部屋からの眺めはいい。
小鳥が飛んでいる。
素晴らしい環境。
朝食後、窓を開けて、美味しい空気を吸いながら本を読む。
そんな楽しみ方をしておりました。

諦めていた散歩も晴れてくると、やっぱ欲が出てくる。
再度予定変更。
散歩へ。

宿の目の前にあるスキー場を登っていく。
草原、林。
気持ちいい、癒やされる。
これが森林セラピーってヤツか。

宿にあった案内図を外れてみる。
自己責任、慎重に。
百メートルごとにスマホが圏外になっていないか、GPSマップで捕捉されているかを確認する。

最低限の安全策。
基本はスキーのリフトに沿った道を行く。
最近人が通った形跡のない細い道には入らない。

どんどん登る。
案内標識もある。
大丈夫だ。
舗装道に出た。
さらに登っていく。

しばらく眺めもよくない。
自動車のことをメインに考えてる道路を登り。
観光スポットと呼ばれる場所まではまだ遠く、そういう道が続くことがわかった時点で戻ることにした。

帰りは下り。
よっしゃ、少し走ってみるか。
入念なストレッチの後、ゆっくりと走ってみた。
2キロくらいかな。
行き登ったスキー場もゆっくりと走り下る。
プチトレラン気分。
舗装道とは違う。
足へのクッションが心地よい。

昼食、お弁当を食べて温泉で汗を流す。
その後は読書と考える時間にした。
環境がいいと脳みそが刺激されるのか。
読書のスピードは上がる、すっと頭に入ってくる、どんどん発想が湧いてくる。

夕食は天然黒あわび会席。
美味であった。
もう一度温泉にチャポンと浸かって早寝の良い子チャン。
で、出発の朝であります。
もう宿を出て今は上越妙高駅でコーヒーを飲みながら。

楽しかったあ。
そして感謝。
この旅は姉と姪の協力があって実現した。
父をほっぽり出して旅には出られない。
留守中お世話をしてもらった。
報告によると姪っ子がお風呂を勧めるとあっさり入ってくれたそうだ。
やっぱ女性だと違うのかなあ。

さ、出発。
新しい気持ちで。
生きていきます。

ひとり旅二日目の夜明け前。ぐっすり眠れ、スッキリ起きていい気分~~(^^)

2015年06月28日 04時23分49秒 | Weblog
新潟県の妙高に来ています。
初の北陸新幹線。
上越妙高駅下車。
送迎バスで二泊お世話になる宿へ。
50分と言われていたが、なんてことはない、30分足らずで着く。

チェックイン。
お部屋へ。
「まれ」の再放送に間に合った。
見終わって、さてどうしようかと。

天気予報は最悪。
今日(昨日のことじゃなくてこれを書いている今の今日ね)は日中は雨、それも強い雨の予報。
今日、ずーっと散歩の予定であったが、予定変更。
傘は持ってきたが大雨では濡れてしまう。
楽しみに来た旅行で濡れて風邪を惹いたのではシャレにならん。
散歩は早めに着いた昨日に変更。

ところがどっこい既に天気は崩れ始めている。
外に出ると雨はまだ降っていないが深い霧。
これは崩れる、予感がした。
散歩は早めに済ませないと。
よっしゃ、軽く走るか。
登り坂、走り始めるとすぐに息が上がる。
ん?!これしきの坂ですぐに息が上がるとはどういうことだ。
体調が悪いのかなあ。
すぐに気付く。
あ、標高が高いから微妙に酸素が薄いのかもしれない。
慣れてないからさ。
切り替えて早足で歩くことにする。

不動滝というところまで行った。
うーん、霧はどんどん深くなる。
滝も霞んでよく見えない。
最終目的地はお薦めスポットの「いもり池」というところであったが、このペースだと帰ってくると暗くなっちゃうかもしれない。
基本走ってという前提で夕方までに帰ってこられるという計算だった。
前述の通り走れない。
うーん、戻るか。

その決断を後押し。
雨が降ってきた。
雨雲レーダーを確認。
もっと強くなるかもしれない。
よっしゃ、無理せず戻ろう。

もうひとつの理由。
危険を感じたから。
深い霧。
道往く自動車を見ていると、明らかに歩行者がいることを想定していない。
そりゃそうだよね。
他に歩いている人、いないもん。
事故にでも遭ったらそれこそシャレにならん。
被害者になることはもちろん、加害者を作ってしまったら誰も幸せにならない。

うん、割り切ろう。
雨なら雨でいいじゃん。
宿に缶詰めなどとは考えず、温泉と窓からの雨の風景を満喫して読書三昧。
とにかく今を、この旅を楽しもう。
うーん、お得な前向き思考~~

温泉、夕食会席、そしてまた風呂。
びっくりするくらいぐっすり深く眠れました。
目覚ましよりも早く起きてこれを書いています。

これから朝風呂。
そしてなでしこジャパンの試合生中継をテレビ観戦です。
二泊三日の旅の二日目。
さあ、どんな日になるのかな?
ウキウキワクワク!!

前向きでいこう!それを人に押しつけない。そしてひとり旅出発!

2015年06月27日 04時04分51秒 | Weblog
耳の痛いことがあった。
私は前向き人間を自認する。
その前向きが人を傷つけたり不快にさせることもある。

前向きであれと同じくらい。
謙虚であれと思う。
前向きと謙虚は矛盾することではない。
個人的にはそう考えている。

前向きを人に押しつけない。
でもね。
自分の前向き思考はどうにもできない。
やめることなんてできない。

できる、やってやる。
そう口にする、やってみる。
それが私の生き方。

自信なんてないのだろう。
ハッタリなのかもしれない。
人に言っているのではなく。
自分に言い聞かせる、自分を鼓舞しているだけなのかもしれない。

前向き思考で生きてきて。
結果うまくいかないこともあった。
いや、うまくいかないことの方が多かった。
挫折、たとえば心の病。
ぽっきり折れてしまったことがある。

それでも懲りないのが私だ。
笑顔を忘れなかった。
前向き思考を忘れなかった。
それが私が私であるということだったから。
だから生きてこられたんだ。

総じて楽しい人生だ。
挫折があって、でも楽しいことがあって。
前向き思考の私のフィルターを通すと。
普通の人が楽しいと思わないことも楽しくなることはあるかな。

前向き思考。
楽天家というだけなのかもね。
これからもその生き方を続けるよ。

そして冒頭に戻る。
その前向きが人を傷つけたり不快にさせることもある。
それだけは常に自戒として持っていたいです。

--------

さて。
今日から二泊三日のひとり旅に出掛けます。
行く先の天気予報がどんどん悪くなる。
活動的な旅行にしようと思っていたのですが。
土砂降りなら最悪宿に缶詰めです。
まあ、そうなったとしても、それも前向き思考でいきます。
温泉三昧、料理三昧、読書三昧。
楽しんできまーす!(^^)

草むしりをしながらロボットの未来について考える

2015年06月26日 05時53分08秒 | Weblog
昨日、また庭の草むしりをしました。
そこで考えたこと。

この作業、代わりにやってくれるロボットとかいないかな。
そこからまた別の考えが浮かぶ。
少なくとも私の生きている間くらいは。
人間しかできない仕事はあり続けるのじゃないかと。

草むしり。
単純作業ではあるけれど。
結構頭を使うのです。
これは雑草、抜いていい。
これは抜いちゃいけない芽。
そういう選択眼は必要。

ごちゃごちゃの庭の中で雑草だけ抜いてくれるロボット。
簡単にできそうにないからなあ。
庭の手入れに関しては。
ロボットに取って代わられる日は遠いのだと思う。

人間と同じことができるロボット。
人間より凄いことができるロボット。
開発は進んでいる。
性能という点に関してだけいえば実用レベルにあるものも多い。
けれど「安く」という条件がつくとハードルは途端に上がる。

実用として考えるなら。
本気で普及を考えるなら。
これからのロボットに求められるのは高性能より安価であること。

まあね。
金に糸目をつけなければ大抵の機能のロボットってできる世の中なわけじゃないですか。
極端な話。
開発費を一兆円あげます。
これこれこういうロボットを作ってください。
それだけの条件なら大抵のロボットはできるわけじゃないですか。

これからの世の中。
ロボットの競争相手は技術でも他のロボットでもない。
安価で働く人間ですよ。
さっきの話。
開発費一兆円で実用ロボットを作ったとして。
採算を合わせるためには、実社会で使うためには。
一兆円分の人件費で人間がやれることを越えなければならない。

人間より効率よく作業をこなす。
けれど莫大な開発費がかかるロボット。
人間より効率は少し落ちるけれど。
人にやらせた場合の人件費の半額でレンタルできるロボット。
どちらが現実的で需要のあるロボットなのかって話です。

開発費、材料費、維持費。
そして忘れちゃならない開発に関わる人間の人件費。
実用ロボットには莫大なコストがかかる。
開発に一年かかったロボット。
開発に携わった研究者の一年分の人件費がかかっている。
その時点でそのロボット。
価格面で「働く人間」との競争が厳しくなる。

ああ、こんなことをやっちゃうロボットができたんだ。
へえ、凄いですねえ。
ニュースや教養番組の感心レベルなら実現できることは多い。

介助ロボットとか。
人間が装着すると、パワーアップする自立動作支援ロボットスーツとか。
イマイチ現実味を感じさせないのはね。
それ、機械やロボットにやらせるより、たとえば介護者が二人ついてやった方が安くつくでしょ、って話。

今の相場ならばね。
時給二千円で高齢者の介助をしてください。
そういう求人を出せば人はうじゃうじゃ集まる。
つまり二人の人間で代用できることを機械、ロボットにやらせたいなら。
開発費、材料費、維持費、すべてひっくるめて一時間四千円以内でできなきゃ、「人手」との競争に勝てないってこと。

つまり。
遠い未来の話はわからないけれど。
私が生きている間くらいは人間がやるべき仕事は残る。
庭の草むしりをしながらそんなことを考えました。
ええ、想像力だけはたくましい。
呆れるような人間でございます。(苦笑)

コンビニ駐車場案内看板。よく見ると・・・

2015年06月25日 06時44分59秒 | Weblog
この写真。
何の変哲もない風景です。
コンビニの駐車場。

一昨日初めて気付いたこと。
看板の向こうのコンビニスペースは当然コンビニの駐車場なわけですが。
この看板手前の駐車場は有料のコインパーキングなのです。

間違えて手前に車を止める人とかいないのかなあ。
コンビニに苦情とかいかないのかなあ。
心配になっちゃいました。
そのうちこの看板に但し書きがつくと推察。

ファ○リーズの詰め替えパックには
「これは、飲み物ではありません。」
という注意書きが書いてある。
無駄なことは書かないだろう。
つまりはこれを書かないとクレームをつける人がいるということ。

百歩譲ってファ○リーズを飲む人がいるとしよう。
そういう人は「これは、飲み物ではありません。」という注意書きを読むだろうか。
読まない、あるいは読めないから飲んでしまうのだ。

クレームがすべて悪だとは思わない。
クレームによって改善されることはある。
でもね。
私はクレーマーにはならない。
クレーマー気質たっぷりの父を反面教師にしたのかもしれない。

コンビニ駐車場の案内看板。
よく見れば、常識を持って見れば。
すぐにわかることだ。

書くネタになる。
気付いて小躍りした私。
やはり不純である。(^^;)

たとえ勝率五割で優勝だとしてもそれを楽しめればいい

2015年06月24日 15時48分57秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海(http://ikiru.jp/?p=3896
#プロ野球:セ・リーグ全球団勝率5割以下 貯金消滅(毎日jpより)

現実問題としてありえるかはまた別の話ですが。
理論的にはシーズン負け越しでリーグ優勝。
それがありうるということですね。

シーズン負け越しでクライマックスシリーズで勝ち上がって結果日本一。
それは現実的に十分ありうる世界になってきました。
クライマックスシリーズには功罪賛否両方あると思いますが。
「負の部分」なのでしょう。

ただし実際にそういうこと「シーズン負け越し」で日本一というチームが出てきたとしても。
それはそれでいいことだと考えています。
シーズン途中でルールを変えるなら別ですけれど。
そういうルールだと全員わかった上でシーズンが始まっているわけですから。
定められたルールの中で日本一を目指す。
プロとして当然のことでしょう。

始まる前から優勝のことは考えないなんてチームはないでしょうが。
日程が進む中で結果としてクライマックスシリーズ進出のための三位狙い。
それも戦略としてはありでしょう。

勝率五割で首位。
釈然としませんが。
手を抜いているチームも、わざと負けているチームもない。
それだけは信じていい。

八百長がない限り観るほうとして「楽しさ」を持っていればいい。
ぶつくさマイナス面を挙げるだけのスポーツ観戦を私は好みません。
もっと言うなら人のマイナス面だけに注目して生きる人生を私は好みません。
さらに自分のマイナス面だけを考えて生きようとも思いません。

今朝、寝坊しました。
父を笑顔で送り出し。
なでしこジャパンの試合を観ました。
ビューティフルゴールを観ました。
GP海堀選手の凡ミス失点を観ました。

失敗もあるし愉快じゃないこともある。
でも見方を変えるだけでいいことなんていくらでもある。
今日は暑くてうんざりだ。
それも間違いのない感覚だけれど。
晴れてお日さまを拝めて洗濯物が良く乾く。
その感覚も忘れずにいたい。

ひっくるめて人生を楽しめています。
それでいいんじゃないかな。

草むしり。この達成感!

2015年06月23日 02時19分15秒 | Weblog
庭の草むしり。
だいぶ進んできました。
昨日も頑張りました。

これを頑張る。
頑張れる。
なぜだろう。
考えてみた。

父の状態と無関係ではないだろう。
老いた父はもう庭の手入れどころではない。
そして私に自覚が芽生えた。
この庭は引き継がれたのだ。
私が守らなくてはいけないのだ。

両親が造って。
手入れを怠らなかった庭。
可能な限り「ちゃんとした状態」に保ちたい。

そして草むしり。
やってみると、これがなかなかに深い。

やればやるだけ目に見えた成果が出る。
これだけ達成感のある作業がそうそうあるとは思えない。
母の手伝いで母と一緒に草むしりをしていた頃。
なぜ母はこんなに作業が遅いのだろう。
そう感じていた。

今ならわかる。
母は遅かったのではない。
母は手を抜かなかったのだ。

やらされている感で草むしりをやっていた頃。
綺麗になればよかった。
草むしりは人格が出る。
表面だけむしっても、根っこから引き抜いても。
そのときは見てくれは同じ。
綺麗になる。

根っこから抜けば、そのときは同じでも、再び雑草が生えてくるスピードは格段に遅くなる。
長く綺麗な庭を保ちたいなら、雑草は根元から引っこ抜くことだ。

たとえばドクダミ。
抜いても抜いても生えてくる。
いたちごっこだ。
それでも根元から抜くのとそうでなく、上っ面だけ綺麗にするかで結果は変わってくる。

根元から抜こうとする。
そうすれば運が良いと、文字通り芋づる式に深く張った根をずーっと、まとめて抜くことができる。
そして一通り抜いた後、仕上げをする。
根元が見えていたら、一本一本手をかけてその根元を引っこ抜く。

綺麗になっていく庭。
気持ちよい。
成果が目に見えれば続ける上でのモチベーションも上がる。

そして。
最後にこれも書いておかなくてはならない。
草むしりは殺生をすることでもある。

土の部分。
長く伸びた雑草を抜く。
今までじめじめした影の部分にいた虫たちがうじゃうじゃ。
逃げ惑う。
そう、私はそこにできあがっていた生態系を乱した。
逃げ惑う虫たち。
他の場所で生き続けるものもあるだろうけれど。
行き場所、生き場所を失って死に絶えるものも多いだろう。
そして植物である雑草の命も奪う。

ご飯を食べるときの「いただきます」
命を殺して「いただきます」ということ。
草むしりをして。
それに近い感覚。

ありがとう。
庭が綺麗になりました。
あなたたちの命をいただいて綺麗になりました。
最後にはその感謝で締めくくるのです。

夏至ですね。考えたこと。

2015年06月22日 05時47分44秒 | Weblog
夏至ですね。
昼間が一番長い日。
昼間が長い。
明るい時間が長い。
得した気分になる。

心の太陽。
いつも夏至でいることはできない。
いつも長く明るさを保つことなんてできない。
暗闇に入ってしまうこともある。

それでも太陽を信じていたい。
明るさを信じていたい。
過去の僕のちっぽけな試練。
それで乗り越えてきたのだから。

心の光を信じられなくなったら。
お日さまを見てみよう。
そこに光はあって。
その光は永遠になくなることはない。

僕はちっぽけで。
全然凄くなんかなくて。
しょっちゅうつまずいて。
それでも光を信じている。

僕に太陽は必要。
心の太陽も、リアルお日さまも。
これからも光を信じて歩いていこう。
光に向かって歩き続けよう。

今日、夏至。
そんなことを考えました。

コンサートは楽しい。父のことは心配。そして夜は更けていく。

2015年06月21日 19時40分05秒 | Weblog
昨日、父のお世話を姉にお願いしてコンサートに行ってきました。
十分楽しんできましたよ。

JAバンクpresents 松下奈緒コンサートツアー2015 Music Box supported by アイフルホーム
東京公演(Bunkamura オーチャードホール)

出掛ける前。
父が腰が痛いと言う。
心配するなというのは無理というもの。
自分勝手なんですがね。
さりとて行くのをやめるという踏ん切りもつかず。
姉にサポート願いのメールをして出発。

土曜日の渋谷。
さすがに混んでいる。
地下通路。
弓道の格好で腕を組んで歩く若い男女。
軽い違和感があるが微笑ましさも感じる。
いちゃいちゃという感じではなく「わきまえて」いたからだろうな。

開場25分前、会場に到着。
もう入場列ができている。
係員の意思不統一。
今はまだ並ばないで開場時間に近くなったら並んでくださいと言う係員。
こちらに並んでくださいと言う係員。
並ばないでくださいという案内と、並んでくださいという案内があったら。
そりゃ並んじゃうよねえ。

16時45分、開場。
今日は握手会はない模様。
握手会があるのが当たり前。
その慣れは怖い。
そもそも手が商売道具のピアニストが握手会をやるということ自体に無理がある。
文句を言っている人を見かけたが、個人的にはそういう見解。

コンサートの内容は行った人の特権だと思うので申し訳ないが割愛。
大T屋で夕食、帰宅。
心地よく寝る。

で、今朝は寝坊。
昼も惰眠。
私としては遅いこの時間の更新になっている。

父の日。
夕食後、ケーキを食べた。
姉が昨日残していってくれたもの。
先週、勘違い父の日をやってしまった。
当然父はそんなことは覚えていない。
それはそれでまたよし。

お風呂に入らなかった父。
昨日も入っていないと姉が言っていた。
かったるいからと。
強い拒否。
これからはこちらのほうが当たり前になるのか。
そういう新たな「ステージ」に突入したのか。

何とか着替えにだけは誘導。
熱いタオルで身体を拭く。
そちらにシフトすることになるのかな。

着替えはしてくれた。
オムツは凄いことになっていた。
シーツも濡れていた。
布団を濡らす。
そういうことが増えてきたので防水シーツに移行した。
こんなときでもシーツを替えればいい。
布団を気軽に干せないこの梅雨時期にはありがたい。

どうも調子も悪そうだ。
夕食も半分残し、食後のケーキも寝ながら食べた。
熱があるという感じではない。
これは「何かの予兆」なのか。
明日もこの体調不良が続くようなら。
たとえばデイサービスも行けないとか。
そうなってくると病院受診も考えないといけないな。
この歳だ。
サインには敏感にならないとね。

さて私。
たっぷりすぎるくらい寝てしまった。
今夜は寝られないかもしれない。
最近成功していること。
眠たくないときに無理に寝ようとしない。
布団と眠れないを結びつけない。
夜寝る時間になっても眠れないなら読書。
眠気を覚えて初めて布団に入る。

さあ今夜はどうなるでしょうかねえ。(^^)

死んで星になるとはよく言ったものだ。近しい人の死も受け入れられる

2015年06月20日 06時41分16秒 | Weblog
誤解を怖れずに言うならば。
悪い意味ではなく、近しい人の死をスッと受け入れられるようになった。
ショックを感じないというかね。
そりゃ少し混乱はしますよ。
でもダメージにはならない。

単なる前向き思考とも違う。
母を看取った経験が大きいかな。
身近な人を失っても。
亡くなっても無くならない。
自分の中にはちゃんといる。
いつも気持ちの中にある。
それは関係が深ければ深いほどとなる。
だから。
亡くなっても無くならない。
そういうこと。

いつも言っていることだけれど。
具体的に場所として存在する死後の世界は信じていない。
けれど死後の世界はあると思う。
残された人の心の中に存在し続けるなら。
それは亡くなっても「ある」ということ。
その意味での死後の世界は信じている。

亡くなって。
人が亡くなって。
それだけでその人は無くならない。
その人の生きていたときの記憶を持つ人がこの世から消えて。
そのときその人はこの世から真の意味で消える。
それが真の「成仏」というものなのかなとイメージしているよ。
仏教的には間違ったことなのだろうけれど。
私の中では亡くなって周囲がそれを受け入れたとき、「仮の」成仏。
亡くなった人の記憶を持つ人もこの世からいなくなって。
そのとき「真の」成仏。
私の感覚としてはそうなのです。

死は怖くない。
近しい人の死も。
自分の死。
これは昔はとても怖かった。
ませたガキですがね。
小学生の頃は死の恐怖におののきながら生きていた。
ああ僕いつか死んじゃう。
この気持ちも無くなってしまう。
それはとてつもなく怖かった。
今はこういう考えを持つようになって。
吹っ切れました。

歳を重ねるたびに死が怖くなくなる。
不思議な感覚です。
たいせつな人を失っても。
心の中でちゃんと生き続けるから。
なにも死は忌み嫌い怖れるばかりのものではない。
そんな風に考えるのです。

大きな心配事。それでも今まで通り自然に生きる。

2015年06月19日 05時46分49秒 | Weblog
とても心配なことがあります。
ある人の顔を思い浮かべる。
その人を信じる。
その人が今ここにいたら。
何を望むか。
私がどうすることを望むか。
それを想像して行動する。

善意なのか悪意なのかわからないことがある。
そんなにお人好しではないから。
すべて善意という前提では動けない。
もしこれが悪意だったら。
その想像もしなくちゃならない。

信じる。
その人を信じる。
たとえその人がどうなったとしても。
気持ちは揺るがない。
何があっても私は今まで通り普通に生きればいい。
それがその人の望むこと。
その人はそういう人だ。

情報不足。
ジレンマではあるけれど。
ただ信じる。
今はそれだけ。

なんか意味のわからない文章になっちゃってごめんなさいです。

痩せた。健康数値オタクになるまい。けれどやっぱりいい気持ち。

2015年06月18日 06時42分35秒 | Weblog
身体が締まった。
具体的数値的変化。
体重が減った。
ずっと走っていれば当たり前の話なのではあるが。

母の看取りのときも体重は減った。
あのときとは痩せ方が違う。
会う人会う人に
「痩せた?」
と言われるのは一緒だが、
あのときはその後ろに必ずと言っていいほど
「大丈夫?」
が付いた。
運動せずに介護で痩せた。
走って痩せた。
その痩せ方が根本的に違うのは当然だよね。

日々走っている。
走らないと気持ちが悪い。
そうなってくると効果は「たまに気が向いて走る」ときとはまったく違ってくる。

日々のラン以外の運動。
意識してエレベーターエスカレーターを使わなくなった。
余程の階数、もしくは急いでいるときでなければ階段を使う。
たとえば駅のホーム、両側の昇り。
片方は階段だけ、片方はエスカレーターだけ。
たとえエスカレーターの目の前に電車が止まったとしても反対側に回り込んで階段を使う。
急いでいるときは別のお話。

数値的に過去の体重減と違うこと。
体脂肪率も減っている。
目に見えて減っている。
そりゃそうだよねえ。

食生活を変えたことも大きいかな。
朝食、夕食はしっかりとる。
カプサイシンを意識してキムチを添える。
昼食は野菜果物たっぷりのスムージー。
おやつ、プリンをヨーグルトとピーナッツに変えた。
それプラス、タンパク質、つまり肉を意識してとるようになった。
サプリメント、ア○ノプロテインを始めた。

結果、摂取カロリーは以前より増えた。
それでも体重が増加に転じる気配はない。
摂取カロリーを上回る運動をしている。
基礎代謝が上がった。
いろいろ原因はあるのだろうけれど。
とにかく自分の身体が目に見えて締まるというのは嬉しい変化だ。

嬉しい悲鳴。
以前、シャツはLサイズであった。
ちょっと痩せて。
ある時期からMサイズでもよくなった。
今はね。
Lサイズだと「ぶかぶか」に見えるようになってしまったんだ。
せっかく締まったのだから身体にフィットする服を着たくなるのは人情というもの。
今は安い趣味の合うMサイズシャツを見つけると衝動買いをしてしまうことが多い。
そしてこれは痩せたこととは直接の関係はないのだけれど。
地味な柄を選ばなくなった。
スッキリとか明るい色調を選ぶようになった。

ズボンはもっと深刻。
まだ痩せるまだ痩せると買いそびれていくうちにぶかぶか感がどんどん増していく。
もう買わないといけないね。
スーツを着る機会とか考えると頭がくらくらする。
だぶだぶのスーツって超格好悪いでしょ。
そのときは新調しなくちゃいけない。

以上、身体の数値的変化。
嬉しい悲鳴のお話。
我ながら笑える、そして笑えない話でもある。

まあ、いろいろですわ。ダメダメな自分も愛おしいのです。

2015年06月17日 14時24分47秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海(http://ikiru.jp/?p=3868
#サッカー日本代表:ハリルJ 屈辱ドロー…シュート23本も“不吉”0点発進(毎日jpより)

コメントはなしです。
何せ試合を観ていない。
報道以上の情報を持っていない。
録画はしていますが、この結果を知ってしまうと、見てみようという気が起きない。

サッカー通じゃないからさ。
ダイジェスト映像と記事のインプットだけで、ここがダメだったとか、したり顔で言えないよ。
ただ一言。
サッカーは結果がすべて。
サッカーは惜しい場面を何回作ったかを競うスポーツではない、と。

今日書きたいことは他にある。
すげー書きたいことがあった。
実際長い文章を書いた。
けれどそれは消去して、今書き直している。
騙された、と、恨み節のネガティブな長文になっていることに気付いたから。

よくよく考えればほんとうに書きたいことは短くまとめられた。
メルマガの定義。
相互依存の迷惑メール発信用メールアドレス収集システム。
気を引く文章、けれどよく読めば昔から言われている当たり前のことを言い方を変えて書いているだけ。
そうやってメールアドレスを収集して稼ぎを得ている輩はいる。
私が書きたかったのはそれだけのことだった。

一昨日、失態を演じた。
父の糖尿内科と泌尿器科の通院。
デイサービスの送り迎え付き。
午前、病院巡りが終わって。
私は途中で車を降ろしてもらい、父はそのままデイサービスへ。
両方とも院外処方。
いつもの薬局へ処方箋を提出。

そこからがいつもと違った。
一昨日は15日。
母の月命日。
処方箋を出したあと墓参りへ。
思うところはいろいろある。
体調が良い。
いろんなことに感謝したい。
母に手を合わせた。

地元の駅に戻って。
買い物をして。
それで・・・
父の薬を受け取ることが頭から吹っ飛んだ。
薬局をスルーして帰宅してしまった。
うーん、これじゃ、父の認知症、物忘れを笑えんぞ。
帰宅してすぐ気付いたが、それだけのために薬局に出直すのも癪に障った。
そして改めて昨日、薬局へ行った。

これがスムーズにいかなかった。
泌尿器科の薬。
一日一回2錠服用の薬が、なぜか、一日二回1錠ずつ服用になっている。
ずっと一日一回2錠服用で先生にも「同じ薬を出しておきます」と言われたんですけど。
そう言っても薬剤師さんは、薬を引っ込めてしまった、薬を人質に取られてしまった。
先生に電話で確認します、と。
まあ、問題にはなっているから、万が一の投薬ミスを避けたいという薬局の事情は理解するけれど。
30分、放置プレイ。
あーあ、黙って受け取っていればよかった。
当然のごとく先生から薬局への回答は「今まで通り一日一回2錠服用」とのこと。
帰りました。

今朝、また寝坊。
深くは悩まない。
総じて体調は凄く良い。
この寝坊を引きずらない自信はある。
日課のパン買いだし。
小さな喫茶店で自家製のパンも売っている。
営業日は焼き上がりの時間を見計らっていく。
全粒パンを二個。
そのとき焼きたてを食べて、あとは翌朝の早朝分。
そんな日課。
焼きたてパンを食べ、コーヒーを飲み。
笑顔。(^^)
はい、おしまい。

お父さん、それ、セクハラです!

2015年06月16日 02時41分40秒 | Weblog
一昨日の夜。
ベッドに入った。
なかなか眠れなかった。
朝寝坊のあとの夜。
睡眠をタップリ取り過ぎて眠れない。
ベッドの中で目が冴える。

どうにもならない。
最近こういうときは無理をしないことをしている。
無駄な抵抗はしない。
眠れないのに無理に眠ろうとしない。
ベッドと眠れないことを結びつけないことだ。

ベッドから出る。
読書。
内容がスッと頭に入ってくる。
一時間。
ようやく眠くなった。
再度ベッドに入り。
今度はスッと眠りにつけた。

昨日。
父の糖尿内科と泌尿器科の通院。
まずは糖尿内科。
診察の前に採尿採血。
看護師さんに予備知識。
「昨日、父の日と亡くなった母の誕生日で夜ケーキを食べちゃったので・・・血糖値は・・・」

「父の日は来週じゃありませんでしたっけ?」
「え!?!?」
調べたらその通りで会った。
父の日は6月の第3日曜日。
つまり今年は来週、6月21日(日)であった。
あちゃー、やってもうた。
うん、来週もケーキだな。
締めてばかりではねえ。
二週連続でのケーキだってたまの特別だ。
深く考えないことにする。

されど昨日の血糖値は当然高め。
血糖値300を切っていると今日は高くないなあと感じる。
怖い慣れである。

診察が終わって。
待ち合わせ室で父がやらかした。
待っている他の女性患者さんの胸元を見て、さらにセクハラ発言。
制止してもやめない、しつこく続ける。

看護師さんとかデイサービスのスタッフとか。
そういう人に言うのだって社会通念からいえばアウトだけれど。
認知症だってわかっているから、笑って済ませてくれることが多い。
一般の人だとそうはいかない。
父はセクハラという概念がない時代の人。
こういう発言が場所によっては一発退場であるという認識がない。
最悪訴えられても文句は言えないことがわかっていない。

私が平謝り。
幸い寛大な人で許してくれた。
それでも愉快ではなかったはずだ。

セクハラの概念がないと書いたけれど。
認知症が進む前は最低限の常識を持っていた。
病院の待ち合わせ室でセクハラ発言をする人じゃなかったのです。
たがが外れてしまったのだろう。
エロ化する。
認知症の一症状でもある。

これからも平謝りが増えそうである。
やらかしても一切罪の意識がない父。
これでまた父を積極的に外に連れ出せない「理由」がひとつ増えた。
悲しいことだ。
やっかいを避けたい。
私の都合なのかもしれない。
その胸の痛みを忘れずにいること。
だよね。