画像は、自由国民社刊の「2024現代用語の基礎知識」の見返し。上側は昨年刊。新しい言葉には、追いつけない。書籍の中の、「今日の論点」の中の一つに、「SNSに迅速さが求められ言葉はさらに短くなっていく」がある。文明の利器は、持ち合わせていない。せめて理解すべく、この書籍を購入をした。以前にも購入したが、古紙に出した。歳老いていくのだから、不要だだった。ながら見をしているテレビでも、用語とか、外来のカタカナ文字とか、略語は、メモしておき、見開いている。脇に置いてあれば、ちょっと開いてみる。「?」は、「蛙化現象」、「新しい戦前」、「地球沸騰化」、その他、カタカナ文語、等々、々、。ざる頭と承知しているので、ちょっとだけでも、理解しょうとしている。「知りて知らざれ」の、ご来訪の皆様方は、「DB」ードンビキーしてるのでしょう。
画像は、105歳頃の、にわか散髪。季節の変わり目の、風呂のサービスの日に、急ぎ散髪をしていた。前回に続いて、九十六歳ころの、ひとり語り。ヘルパーさんの世話になっている時にも、「楽しいこと、聞かせてよぉ」と。目をつむり、口をもぐもぐもぐ、にこぉとする、口を半あけして、にこにこしていた。この顔を見て、もらい笑いをしてしまう。声を出している時に、あいの手をいれると、はっきりした声でしゃべる。それを、走り書きして残しておいた。* 五千円札 たぁった一枚ぇしか ねぐなったから こじきになつたんだど めぐんでくださーいって きたがら はい どうぞぉって やつたんだど こぉころが でぇじなんだっぺぇなぁ んだぁ んだぁ。* 可哀そうだぁ 可哀そうだぁ おっぱいちゃん おっぱいちゃん いっぺぇ 飲ませてやれよぉって 云ったんだぁ 喜こんだ 喜こんで 行ったんだぞぉ。* バカチン バカチン バカチンだぁ 泣えてんのに 笑っているバカ どこにいんだぁ 勘弁なんかぁ できねぇぞぉ。 * 死んじゃつたぁ 死んじゃったぁ みいぃんな みいぃんな 死んじゃったぁ おれぇも 死んじゃったぁ。 * 痛てぇし 痒いっし 泣ぇてんだぁ 背中も痒いっし どこも そこも 痒いぃんだぁ 皆んな皆んなぁに 揉んでもらったんだぁ せいせいしたぞぉ せいせいしたぞぉ なぁ。 * しんぺぇして しんぺぇして しんぺぇして たんだぞぉ。亡ばあちゃんが、おしゃべりをしていた頃は、夜のご飯のときに、聞いていた。楽しかった、哀しかつたことは、どんな場面だったのかなぁです。
画像は、故ばあちゃんの百四歳のころ。ご飯前に口の中を、きれいにしてもらっているところ。前回、総合病院の待合室で、ひとり語りと書いた。そのひとり語りを、載せました。* 痛ぇときもあんだぞぉ、痒いときもあんだぞぉ。死んだほうがいがっぺぇなぁ ともちゃん。* 痛てぇし かゆいしぃ 可哀そうだっぺぇなぁ んぅだぁんぅんだぁ。可哀そうだ可哀そうだ 可哀そうだぁぞぉ、なぁ。* 痛ぇし痒いしぃ 泣くときも あんだっちがんなあ、早ぇぐ死んだほうが いがっぺぇって 思っていっときも あんだっちがんなぁ。 * そこも痒ぃぃし ここも痒ぃぃんたぁって 泣くときも あんだっちがんなぁ。* 真っ暗らだぁ 真っ暗らだぁ 世の中真っ暗だぁ。* 泣きぃ泣きぃ 泣きぃ泣きぃ帰ぇったんだぞぉ。* トト ケツコォ トト ケツコォ タァマゴ デキタヨォ トリニキテオクレェ。 * どっから来たぁんだぁ 山がら どがあーって おっこって 来たのがぁ。介護になった頃の、故ばあちゃんは、面白かったです。
画像は、亡ばあちゃんの、在宅介護中で、リフトで車椅子に、ほぼ毎日移乗せさていた。排便のために、オマルに移す時にも、点滴を下げるのにも使っていた。別の事。元気だったころ、定期の通院の時の、罵声や怒号の事は、前回書いた。たまぁーには、ひとり物語を、「ーーだっぺぇなぁ」とか、「んぅ、だぞう」とか「ーーだと、思うよぉ」なと、しきりに喋べることもある。ある時、採血の順番をまっていた。向かい側に、若いお母さんが、女の子を、ねんねこ袢纏の中に背負っていた。その女の子が、袢纏の黒別珍の襟に顔を押し付けるようにして、真ん丸の目を、ぱっちりとあけ、お喋りしているばあちゃんの顔を、見続けいた。「ばぁちゃん、見てごらん。メンゴちゃんが、びっくりしているよぉ」と、耳元に聞かせた。おしゃべりをやめて、メンゴちゃんをみたのかも。小声が聞こえたのか、すると、若いお母さんは、ねんねこ袢纏をはらりとして、背負いひもをはらりと解いて、メンゴちゃんを膝の上に抱いた。メンゴちゃんは、見上げながらも、真ん丸顔の、真ん丸目でまばたきしないで、見つめていた。ばあちゃんはおしゃべりをやめ、うつろな目だが見続けていた。「ばあちゃん、メンゴイメンゴちゃんだねぇ」と聞かせた。採血の順になった。そのあとは、妻が礼を述べ、九十八歳になると、後ろから聞こえた。待合室に響いていたばあちゃんのお喋りはなく、ざわつきだけだった。あの時の若いお母さんに、ありがとさん。あの時のメンゴちゃんは、中学生になったのかなぁと、思い出している。
画像は、亡きばあちゃんの102歳頃の顔。96歳頃から、頭のスイッチが入れ違うと、暴言、怒号、殴る、引っ掻くをしてしまった。在宅介護だったので、ヘルパーさんや看護師さんには、「寅が暴れだしました。知らんぷりで」と。総合病院への定期の診察日に、これが始まると、大きな待合室に怒号が響いて苦慮をした。先日、小生がワクチン接種で、医院の待合室に、すぐ後から入ってきた40歳くらいの男性が、怒号、暴言をしながら、母親に手を引かれながら、そろりそろりと、受付に向かった。その間も、怒号、暴言だった。待合室は、椅子には十数人でほぼ満席。小生の脇は、三人掛の椅子で、女性が中ほどに掛けていた。その女性は、「さぁどうぞと」、二席に男性と母親をかけさせた。怒声、暴言は続き、自分のマスクを、横向きなっている小生に向かって投げ捨てた。太ももに当たり椅子に落ちた。横目で見えていたが、知らんぷり。母親は、「すみません」と。亡ばあちゃんと同じだぁ、マスクを外して、投げ捨てていた。床に落とせば代品を付けさせていた。すぐに看護師さんに呼ばれ、怒号、暴言の男性は、痩せ形で、長身で、小柄の母親に手を引かれ、そろりそろりと、診察室へ歩んでいった。好き好んて病になるわけではない。両親は、どんな思い悩んでいるのかと、思うと涙が出そうになった。
画像は、当地方の、海側の小名浜と、陸地側の山田町の、10月の気温。上側の緑色の右下がりの点線は、日中の最高気温の平年値で、下側の水色の点線は、日中の最低気温の平年値になる。日中は温暖でも、夜間は冷えたようだ。日本の季節区分によると、11月3日頃は、秋晴れで、11月24日頃は、しぐれ、12月28日頃は、年末の悪天と、特異日になると読んだ。秋とはと、ぺらぺらめくって読んだものには、「五穀や果実が実り、やがては葉が落ちる。草花は枯れ、冬に向かう」と読んだ。統計をみると、災害をもたらす台風は、二個か三個発生するが、接近か上陸は、無いとある。秋は、太陽暦では、9月から11月まで.陰暦では、7月から9月までをいい、今年は、11月の12日までになる。二十四節気では、立秋から立冬の前日までて。天文学上は、秋分から冬至の前日までと、読んだ。仕事をしていた時は、この期間を、帯グラフにしていた。また、カレンダーに、陰暦での月の期間を、太い線を引いていた。年末までは、しぐれがあり、年末の荒れがあるだけで、温暖なのかも。小春日和という温暖な期間は、世界の所々にもあると読んだ。寒さが厳しくなる霜月は、12月の13日からになる。
画像は、先月の14日にカシャッとしたもの。夏井川溪谷の篭場の滝付近の岩場。水量は少ないようだ。紅葉には早かった。今年は、「紅葉不鮮かも」だったと思う。出歩くことが、ほとんどないので、季節の巡りを愛でることはない。今年は、「小春日和」という旧暦の10月が13日からになる。穏やかなお天気が続くのかも。捨て残してあるメモ書きで、過去の10月は、「雨少ない」、「中旬に待望の雨」、「高温、南岸多雨」、「北暖、西冷傾向」などと読んだ。暦には、八日が「立冬」とある。二十四節気の一つで、春夏秋冬の区分の、10月からの冬になる。七十二候をめくると、「みずがこおりはじめる」、「だいちもこおりはじめる」、「つばきはじめてひらく」、「きんせんかさく」とか、五日毎の区分の、初候、次候、末候が、数種の書籍で、前後している。22日の「小雪」になっていく。旧暦の11月の異名は、霜月で「仲冬」になる。今の時代に、旧暦なんて、時代遅れを書いている。