八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

あれから八年

2019年03月21日 19時58分05秒 | Weblog
画像は、八年前のもの。久ノ浜と大久は、福島第一原発から、30キロ圏内。久ノ浜地区は、大津波に襲われた直後に、火災が発生して、翌朝まで、商店街を、燃やし続けた。なすすべもなく、高台に避難をしていた人は、夜になっても、燃え続けるのをみていたという。このお知らせを配布して歩いていたら、「ここは大丈夫ですかぁ」とか、「放射線とは」など、問われたが、答えることはできなかった。別のことだが、この後、八月に、東京の叔父の葬儀にのために、ホテルに宿泊した。大きなホテルで、フロントが六.七人。宿泊表に、住所を記入。表を手にしたフロントマンが、「いわきからですかあ」と。聞くと、久ノ浜出身という。久ノ浜は大変だったが、どうですかぁと、たずねた。実家は焼失したが、親と兄弟は助かった。親戚では、犠牲になった人がいるとだった。やや一年後に、叔母の葬儀があり、またそのホテルに、宿泊した。「いわき出身のフロントマンは」と聞くと、別の所へ移動したという。「呼び出してあげます」だったが、遠慮した。もし会えたら、大震災の報道写真集を、渡すつもりだった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 平穏はありがたい | トップ | 放射線量 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事