八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

47年前の

2018年07月08日 15時11分46秒 | Weblog

画像は、福島民報より。高校野球は、現代は現代なりの、感動がある。47年前の、磐城高校の準優勝の感動は、今も思い出す。後日に聞いた感動的な場面がある。夏の大会の閉会のセレモニーが、すべて終わり、選手も退場の隊列を組み、待っていたとき、主将の田村投手が、小走りにマウンドに向かい、しばし、ホームベースをじいーっと見たという。ざわついていた、応援団も、その瞬間、しぃーんと静まりかえっていたと聞いた。小生の父親は、大正12年だと思うが、県を勝ち抜き、東北大会に出場。しかし、2対1で、敗戦。その時の、1点は、父親のヒットだと、聞かされていた。父親の法要が、今年の、二月に行ったが、八つ手の葉っ葉みたいの、ぼろぼろになつた、グローブがあったなあだった。磐城高校が、春夏の甲子園に出場するときは、「先輩」って、奉加帳が、回ってきたと。「子どもさんも、皆、磐高だねぇ」と、言うので、野球部ではないが、5人分の額だと、言って笑っていた。小生の末弟は、今でも、シニアのクラブで、汗をかいている。


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1 コメント

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ありがとうございます (toboketa⒢)
2018-07-12 16:18:59
拙ブログへのコメント先ほど拝見しました。
ありがとうございます。当面の心配が消えたので気分良い一月でしたが、月曜日から右の首筋が痛み出し、今日は首が回りません。
終日家で本を読んでいます。中村彰彦著「名君の碑」という本です。江戸初期の名君として知られる保科正之に記した本です。詳しいことは知らないので読み始めたのですが思わぬ事実を知りました。正之の正妻は御地磐城平藩内藤家の姫君だったんですね。一子をもうけたが、20歳前後で母子共々労咳で亡くなっているようです。正之が三代将軍家光の異母弟であることは広く知られています。当地高崎藩は将軍の同母弟忠長自裁の地です。
街中の寺に古びてはいますが、葵の徳川紋がはっきりと判る格式高い墓が現存します。
何かご縁を感じます。
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