八十路徒然なるままに

山吹のきよげに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思い捨てがたきこと多し。徒然草より

むせて死することも

2021年11月13日 13時15分59秒 | Weblog

画像は、浄土宗の月刊ペーパーに、載っていたのを載せました。発行所は、大本山増上寺教務部。今月始め頃、義父の命日に墓参に行った。和尚さんに会い、ねぎらいとカレンダーと暦をいただいた。法然上人の御詞と読んだ。「往生」、「無量」、「無常」の言葉を読み、意味深い文字と、思った。在宅介護中のばあちゃんは、まだまだ元気なのだが、いつどのようになるのかは、解らない。看取りという状況になっている。先日、ちょつと危なくと題して、ばあちゃんが、ご飯の時、半眠りして、気管支に異物を吸い込み、苦しかったこと、載せました。昨日は、車いすからベットへ移し、ベットに腰を掛けさせて、背中のマッサージ。マッサージは、気持ちよさそう。うつむいているが、声をかけた。「せんじ、じっちさんは、みち子ぉ、元気でいっかぁ」とかと、「おこう、ばっばさんは、みち子ぉ、旨いもの、いっぱい食べってかぁ」とかと。「のぶあき兄んちゃは、こねぇなぁ」とかと、「つぐえ姉ぇちゃんも、来ねぇぐなったなぁ」とかと、「ただし兄んちゃんは、早稲田大学だなぁ」とかと、「もとよ姉ェちゃんは、死んじゃたなぁ」とかと、耳元で云うと、じいーっと聞いていた。ばあちゃんは、末っ子。親兄姉の入院や介護、葬式も全部、記憶していると思う。ベットで、眠り入りしてからは、口をもぐもぐ。うす笑いの顔、しかめっ面と、なにかを、思いを巡らせていたようだった。

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