日暮れに、送り火を焚いた。送り火の大規模なのは、京都の「大文字焼き」を、思い出す。物の本を、ぺらぺらと、めくって読んだ。京都では、「妙法」「船型」「左大文字」「鳥居型」があって、順に、火がつけられてるという。「大文字」が最後になるという。そういえば、テレビの報道で見たかも。井桁に組んだ松の割り木600本に、松葉と麦わらを、それぞれ100束が、使われるという。戒名や願主を書き入れた護摩木を、火床に積み、弘法大師堂の灯明を親火に移し、一斉に点火すると読んだ。「大」の字は、仏教では、人体を表し、その人体に巣食う、七十五の煩悩を、焼き尽くすという意味もあると、読んだ。またまた、へぇーだった。年越しは、108の煩悩を、鐘で、打ち払うという。どんな煩悩なのかは,わからない。盆の火を焚いていた、昨日までは、汗が噴き出ていたが、先ほどは、涼風が、ふうーっと、ほほをなでていた。西の空には、ちょこっと、明るさが残っていた。
以前から、市街地でも、2メートルの深さで、浸水すると、市役所からの、「お知らせ」の、ハザードマップで、理解をしていた。昨年の夏井川の決壊と越水の八か所で、流域の地区が、大きな被害があった。画像は、今回、届いたもので、避難行動判定フローに、避難の例外の項目に、浸水する深さよりも、高い部屋がある場合、浸水しても、水がひくまで、我慢できる、水、食料などの、備えが十分ある場合は、、自宅の二階に避難もいいと、解釈をした。自己判断と、責任で、浸水被害に、備えをする。
自治区の方の世話になって、盆送りをした。盆棚に供えたものを、川に流すという風習は、川が汚れるので、お焚き上げになっている。真菰に包むと、舟の形になる。胡瓜の馬と、茄子の牛は、造りものだが、向かう方に向けて、包んだ。迎え火に使った松の木枝を五本と、線香と、経文が書いてある木片を束ね、燃え上がりやすいだろうと。暑い最中だが、お盆が終わると、秋が気分的に、感じたいが、「九夏三伏」という、夏の九十日間のなかで、最も暑い、初伏、中伏、末伏という、三伏の三十日間の、「末伏」は、昨日十五日から、始まった。暦によるとです。そろそろ、暑さも峠に差し掛かるのが、今年は、あと、一か月、残暑が厳しいと、思う。
盆の十六日。精霊ー[おしょうろさん]ーを、送った。盆中に供えたものと、供えた菊の花と、線香と焚木と、経文の薄い板を束ね、作り物の馬と牛を、ハスの葉にのせ、真菰に包んだ。舟の形に、造った。朝のうちに、集積場に、おさめた。