八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

煩悩

2016年12月31日 22時48分22秒 | Weblog

気が付けば、北風は冷たいが、静かな大晦日。あと一時間で、今年も終わる。テレビで、お寺の除夜の鐘が響く。107つの打鐘は、今年の分。108つ目の鐘は、来る年の最初に打鐘するという。新たな年は、煩悩にまどわされぬようにとの、意味がある読んだ。煩悩とは、「心を煩わし、身を悩ます心の動きであり、悟りである」と、読んだ。思い出して、筆ペンで書いてみた。まあ、そうありたいと、来る年を、生きていく。

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門松

2016年12月31日 22時31分58秒 | Weblog

ほんのお印の門松と、自嘲をしている。門松は、松と竹を一緒に飾るのが、正式のようだ。一休禅師の狂歌と云われている、「門松は 冥途の旅の 一理塚」と、大樹林で読んだ。門松は、死に一歩ずつ近ずくしるしとみるべきであるとある。下の句は、「めでたくもあり、めでたくもなし」とも記載してある。在宅のばあちゃんは、これにあてはまる。小生だって、よわい八十二歳になる。先々のことなどに、苦悩をしていても、仕方のないこと。野暮なことをかんがえるより、今を精一杯生きるのが、前向きの考えだと思う。新年はめでたい、めでたいと、祝う。それで、新年を迎える。

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ばあちゃんの正月飾り

2016年12月31日 21時02分09秒 | Weblog

ばあちゃんは、百三歳をめざして、越年をする。年末も新年も、看護師さんやヘルパーさんの世話になっている。まずは感謝だ。別の話しだが、寅さんの「男はつらいよ」を見ていた。寅さんの甥が寅さんに、「人間はどうして、生きているのか」と、問うた。すると寅さんは、「そんな難しいこときくなよ。人間が生きている間に、しあわせだなぁと、思うことがある。その時のために、生きている」と、答えていた。今、在宅のばあちゃんが、しあわせに思っていることは、なんだろうか。あの世への旅立ちか。ちょっと前のおしゃべりの時、「おれ、死んだほうがいがっぺえなぁ」という。「ばっぱぁさんが、みちこ、来たのがぁと、云うから、それまで待っていなねぇ」と、言いきかせた。「そしたら、ばっぱぁさんの、おっぱいちゃん、呑めっかんねぇ」と、慰めている。ばあちゃんが、「しあわせだったなぁ」と、思うまで、ご飯を美味しく食べさせる毎日が続く。食事のあとの、まんじゅぅやプリンは、大好物だ。目を細めて満足気の顔をみている。新年を迎える飾りをした。

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