画像は、豊間の海水浴場。冬の荒波に、監視塔の土台も、洗われている。街の中の大きな建物の周りも、地盤が沈下しているところもある。全体に地盤が下がっているのかも。このあたりの家屋も、大津波の被害が、甚大だ。いわき七浜の、新舞子浜の大陥没の道路も、走行ができる。それよりも、放射線の影響は、悪いなりに、落ち着いているのか。あの日、11日から20日までの、生活状態を、もう一度、再現をして、生活をしてみようと、思うと、ぞおぉっとする。街の中から、車も消え、人の姿も見えなかった。家の中にいた人もいれば、避難をして、脱出した人もいるのだろう。あの日の、15日の昼頃までは、避難は考えていなかった。昼過ぎになって、人づてに聞くと、また、市役所からのお知らせをみたりして、不安になった。隣組の人に、市役所からのお知らせを、渡している時に、聞かれても、テレビの情報を、頼りにするようにしか、答えられなかった。幸いに、電気の灯りは助かった。断水していたので、煮炊きは、不自由だつた。どうにも不自由な年配の人には、避難所へ行くように、話しをした。あの日の、11日、12日は、市役所からのお知らせは、給水場所の連絡があって、助かった。災害の時の救援の態勢は、一番ひどかったところからなので、体が動けば、まず、自分の安全の確保だ。そんなことより、放射線のことだが、このいわき市は、安全。人の姿も多い。行き交う車も、普段よりも、多い感じがする。普通に生活ができる、ありがたさを、感謝している。