
原敬首相の襲撃現場
東京駅の丸の内南改札ホールに原敬首相の襲撃現場が記録されています。 床にポイントで示されており、すぐそばの壁には襲撃の模様が掲示されています。
1921年11月4日。原敬首相は、立憲政友会の大会に向かうため、東京駅の改札口へと向かう途中、右翼の青年に暗殺される。
原敬が首相になってから行った財閥などに利益を誘導するような政策、普通選挙法への反対、ロシアによる日本人約700人を含む住民虐殺事件「尼港(にこう)事件」への対応などに不満があったと伝えられる。
原敬は1856年盛岡藩で生まれた。首相になった際には「平民宰相」と呼ばれるが両親は武士の家柄。成人後に分家して平民籍になっている。
新聞社や外務省への勤務を経て、1900年に立憲政友会に入党。1918年には、米騒動で辞任に追い込まれた寺内内閣が総辞職。
立憲政友会の党首として首相に任命されるという、日本で初の本格的な政党内閣を組閣する。