億萬山七福尊真延寺境内の七福尊碑
『七福尊からみた東日本大震災について』
「七難七福とは」
七福尊の役割は七難即七福即生である。七難は法華経の中にある観音経に説明されているが七福は説明されていない。七難を回避することが七福と理解すべきなのか、七難とは火難、水難、羅刹難、刀杖難、悪鬼難、枷鎖難、怨賊難である。
東日本大震災に七難がどのように現れてきたか考えてみる。この災害は巨大で今までに経験していない放射能被害も発生した。この地帯は津波の常習地帯であり、過去の経験がいかされなければならない。
しかし、今回も明治三陸大津波と同様な規模の災害になった、多数の溺死者が発生した水難である。地震により火災を誘発した火難でもある。さらに福島第一原子力発電所の事故で放射線が漏出し拡散した羅刹難は風害のようなもので、目視できない放射線や病原菌が風に乗り被害を与えること、多数の死者と瓦礫の山に、生存者は胸に刀が突き刺さり再起する気持ちも失う刀杖難である。
以前の景色が一変して平常心を失い、些細なことでも動揺する、悪鬼につきまとわれている状態であり悪鬼難である。放射線により強制避難、仮説住宅での生活、環境の変化は自由を拘束され牢舎に拘引される枷鎖難である。復旧復興が進むにつれて行政や東電への恨みがつのる怨賊難である。これらの事実からこの災害は天災ではなく人災である。津波の常習地帯に承知して住む人達の自己責任が問われるが、自分の生命まで津波に流されたのはあまりにも残酷な仕打ちだ。
「現世利益とは」
七福尊の信仰は人々に福利を与えると信じられている。神仏は超然ととして黙して語らない、俗人の生活姿勢に反省を求めるために海を守護している恵比須尊の逆鱗にふれたのか。七福尊は一芸に秀でた特技を持っているが大悟した仏ではない。信仰は自己反省を求めて小我を捨て大我を求め幸になることだ。神仏はいつも俗界に戒の信号を送り続けている。七福尊の福利は戒めであって、それも気付くことか現世利益なのだ。
南無釈迦牟尼七福尊 南無釈迦牟尼七福尊・・・・・
平成23年10月 引丘 土井慈功 敬白
『七福尊からみた東日本大震災について』
「七難七福とは」
七福尊の役割は七難即七福即生である。七難は法華経の中にある観音経に説明されているが七福は説明されていない。七難を回避することが七福と理解すべきなのか、七難とは火難、水難、羅刹難、刀杖難、悪鬼難、枷鎖難、怨賊難である。
東日本大震災に七難がどのように現れてきたか考えてみる。この災害は巨大で今までに経験していない放射能被害も発生した。この地帯は津波の常習地帯であり、過去の経験がいかされなければならない。
しかし、今回も明治三陸大津波と同様な規模の災害になった、多数の溺死者が発生した水難である。地震により火災を誘発した火難でもある。さらに福島第一原子力発電所の事故で放射線が漏出し拡散した羅刹難は風害のようなもので、目視できない放射線や病原菌が風に乗り被害を与えること、多数の死者と瓦礫の山に、生存者は胸に刀が突き刺さり再起する気持ちも失う刀杖難である。
以前の景色が一変して平常心を失い、些細なことでも動揺する、悪鬼につきまとわれている状態であり悪鬼難である。放射線により強制避難、仮説住宅での生活、環境の変化は自由を拘束され牢舎に拘引される枷鎖難である。復旧復興が進むにつれて行政や東電への恨みがつのる怨賊難である。これらの事実からこの災害は天災ではなく人災である。津波の常習地帯に承知して住む人達の自己責任が問われるが、自分の生命まで津波に流されたのはあまりにも残酷な仕打ちだ。
「現世利益とは」
七福尊の信仰は人々に福利を与えると信じられている。神仏は超然ととして黙して語らない、俗人の生活姿勢に反省を求めるために海を守護している恵比須尊の逆鱗にふれたのか。七福尊は一芸に秀でた特技を持っているが大悟した仏ではない。信仰は自己反省を求めて小我を捨て大我を求め幸になることだ。神仏はいつも俗界に戒の信号を送り続けている。七福尊の福利は戒めであって、それも気付くことか現世利益なのだ。
南無釈迦牟尼七福尊 南無釈迦牟尼七福尊・・・・・
平成23年10月 引丘 土井慈功 敬白