夏前頃から、ガンバの播戸が、楔のボールや、五分のボールを、キープもしくはマイボールにするべく、球際で体を張っている姿をよく見る様になった。
最初は、サッカーをやる上では、決して大きくない体で(ゴメンな ^_^;)、相手に負けず、マイボールにするべく、頑張っている姿を見て、単純に見ていて、応援する者としては嬉しかった。
でも最近、サッカーに於いて『倒れる』、或いは『転がされる』と言った事は、ある意味『プレーの放棄』を意味していると考える様になったんですよね。
誰も最初から、倒されたり、転がされたりする事を望んで、プレーする人はいないでしょう。
しかし相手も勝つ為にプレーする以上、ボールを奪いに来るのは仕方ない事で、その結果、押されたり倒されたりする事もある。
でも結果として、そこで倒れる様な事があれば、その瞬間、その選手はプレーを放棄しているのと同じ事になると思う
倒れた選手には、思う様なプレーができないからね。
だからこそ、播戸の体を張った球際のプレーには、『責任感』を感じる。
いつだったか箱根駅伝で、ある走者が脱水症状になり、フラフラになりながらも、次の走者にタスキを渡すべく、走り切った姿を見た事があるんですが、何でそこまでして走ったかと考えたら、『タスキを、自分で止めてはイケない。何としても次の走者へ…』って責任感から、走り切ったんだと思うんですよね。
上記の播戸のプレーだって、楔のプレーで言えば、味方からのボールを受け、自分が体を張ってキープし、また味方に繋げる……っといった風に、タスキがボールに変わっただけで、そこには『自分のプレーに対する責任感』を持ってプレーしてると思うんです。
もちろん、ヒッカケられたりして、どうしても倒れる事はあると思うよ。
当然人間だから、ミスもある。
でもたまに、倒された時、レフェリーに『何でfoulじゃないんだ!!』ってアピールする選手を見ます。
先ずやるべき事は、それなんかなぁ?
サッカーじゃなく、普通の会社員や職人等、他の仕事の場合、ミスした時は、何をするやろう?
自分でミスをカバーできるんなら、先にソレをしないとダメでしょう。
結局、サッカーも普通の仕事も、手段は違うけど、自分のプレー(仕事)に対するスタンスは、同じなんだと思う。
今回エラそうに書いてしまったけど、書く事によって、自分にとっても、改めて見つめ直せる事でもあるんやと、また1つ勉強になった。
最初は、サッカーをやる上では、決して大きくない体で(ゴメンな ^_^;)、相手に負けず、マイボールにするべく、頑張っている姿を見て、単純に見ていて、応援する者としては嬉しかった。
でも最近、サッカーに於いて『倒れる』、或いは『転がされる』と言った事は、ある意味『プレーの放棄』を意味していると考える様になったんですよね。
誰も最初から、倒されたり、転がされたりする事を望んで、プレーする人はいないでしょう。
しかし相手も勝つ為にプレーする以上、ボールを奪いに来るのは仕方ない事で、その結果、押されたり倒されたりする事もある。
でも結果として、そこで倒れる様な事があれば、その瞬間、その選手はプレーを放棄しているのと同じ事になると思う
倒れた選手には、思う様なプレーができないからね。
だからこそ、播戸の体を張った球際のプレーには、『責任感』を感じる。
いつだったか箱根駅伝で、ある走者が脱水症状になり、フラフラになりながらも、次の走者にタスキを渡すべく、走り切った姿を見た事があるんですが、何でそこまでして走ったかと考えたら、『タスキを、自分で止めてはイケない。何としても次の走者へ…』って責任感から、走り切ったんだと思うんですよね。
上記の播戸のプレーだって、楔のプレーで言えば、味方からのボールを受け、自分が体を張ってキープし、また味方に繋げる……っといった風に、タスキがボールに変わっただけで、そこには『自分のプレーに対する責任感』を持ってプレーしてると思うんです。
もちろん、ヒッカケられたりして、どうしても倒れる事はあると思うよ。
当然人間だから、ミスもある。
でもたまに、倒された時、レフェリーに『何でfoulじゃないんだ!!』ってアピールする選手を見ます。
先ずやるべき事は、それなんかなぁ?
サッカーじゃなく、普通の会社員や職人等、他の仕事の場合、ミスした時は、何をするやろう?
自分でミスをカバーできるんなら、先にソレをしないとダメでしょう。
結局、サッカーも普通の仕事も、手段は違うけど、自分のプレー(仕事)に対するスタンスは、同じなんだと思う。
今回エラそうに書いてしまったけど、書く事によって、自分にとっても、改めて見つめ直せる事でもあるんやと、また1つ勉強になった。