冷たい風のような火

メモ書きですが、それにしても何で公開の場で書くんでしょうね。

「メタ倫理学入門 道徳のそもそもを考える」

2018-04-07 12:05:17 | 社会

メタ倫理学入門 道徳のそもそもを考える

この本、とても面白かった。倫理学の教科書なのかな。とても読みやすいけど。
私は経済や経営のど真ん中を勉強してアメリカで学位を取った身であり、キャリア的にも資本主義のど真ん中だと思うけど、アダム・スミス自身が元々は倫理学者だったってことを考えると、倫理学ってのは意外と身近であるべきものなのかもしれない。
それはともかく、この本では以下のような問題提起がされ、基本的にそれに対して異なる2つの考え方(およびその折衷案のような第3の道)が紹介され、どれが最も有力な考え方であるかというような一種の答えは用意されません。従って、メタ倫理学の基本的な問題意識がどのようなものであるかを理解できる上、それに対して専門家はどのように考えてきたのかがよく整理されていて無理に一つの考え方を押すようなことがないので、自分なりの考え方を発展させながら読み進めることができてとても面白いです。

メタ倫理学っていうのは、倫理学の中でも「何をなすべきか(なすべきではないか)」を論じるものや、それを受けて実際の場面で「こういう職業上の場面ではこうすべき(すべきでない)」などを論じるものではなく、そもそも「どうしてなすべきことやなすべきでないことが決められるのか」「そんなの本当に決められるのか」、みたいなレベルで倫理・道徳を考えるものです。

実生活の中でも、ある瞬間にある行動を取るべきかどうか考える瞬間はありますね。もちろん、本書の中にも挙げられるような例としての状況、例えば脳死状態に陥った子供の臓器を親として他人に提供するべきかどうか、などの難しい状況もそうですが、単にちょっとした嘘を言う、交通規則のようなものを破る、なども含めると、いろいろと道徳的な判断をしているのでしょう。日常的に。そして、それらの中には、本当は道徳的にあるべき行動や判断はこうである、とある程度分かるものもあるのですが、それが分かりにくいものもある。そして、そもそも何故ある種の行動や判断こそが道徳的にあるべき行動や判断なのか、それ以外の行動や判断はなぜダメなのか、こういうことを考えるのがメタ倫理学ですね。

そもそも倫理学ってとっつきにくいというか、学問領域としては自分にはあまり関係ないとか思うかもしれないけれど(私も昔はそうだった)、倫理学、特にメタ倫理学で問われることは哲学の王道というか、哲学が千年単位で考えてきたことと重なりますね。例えば、
・道徳的な真理はあるのか、道徳的な問いに対する答えはあるのか
・倫理的な判断とは何か
・道徳的な真理は認知できるのか
・そもそも道徳的に行動しなければならないのか
などなど。こうしたことに対して、本書では以下のような立場が解説されていきます。

A1) 道徳的真理・事実は実在する。絶対的なもの、普遍的なものである
A2) 道徳的真理・事実は実在しない。相対的なもの、人それぞれ、文化それぞれなものである

B1) 道徳的真理は自然科学的なものとして説明可能である
B2) 道徳的真理は自然科学とは異なる次元のものとして説明されるものである

C1) 道徳判断とは、道徳的事実を認知し、それに基づく信念を形成するものである
C2) 道徳判断とは、道徳的態度を表出するものである

私の昔からの問題意識というか、自分の頭の中での整理は以下のようなものでした。もちろん、私はメタ倫理学の専門家ではないので、これまでに哲学に加え心理学とか大脳生理学的なものに関連する書籍から得た知識も交え、自分の生活体験に立脚して得た考え方です。
・道徳的な真理はある。それは、絶対的な善悪で示され、人の脳にはそれを判断する機能が生まれながらに備わっており、自然科学的な知識の増加に補助されて判断能力は広がる
・一方、普段の生活の文脈においては、その社会的文脈における真理が道徳的な真理とは別に存在する。それは、正誤で示され、人の脳はこれを社会的な交わりの中から経験的に学んでいく
・生活の中では、往々にして道徳的な真理と社会的な文脈における真理が一致しない。というか、上記の善と正、悪と誤が一致しているならいいのだが、善が誤、悪が正の場面に遭遇することが結構ある
・その際、善悪と正誤のどちらを選択するか、我々は意思決定しなくてはならない。これが道徳的な葛藤である

こうした自分なりの考え方があれば、それとメタ倫理学の様々な学説と言うか考え方と対比させることによって、さらに深く思考を掘り下げることができてとても面白いです。
実用書やビジネス書に飽きた時には、この本、とてもよいリフレッシュ読書になるのではないでしょうか。