ICANまにらブログ~第二巻~

日本のNGOアイキャンまにら事務所の日記。

「生きる力」を学ぶ日本とフィリピンの子どもたちの交流

2008年08月01日 | 子どもの参加
ゆきよ@まにら。

今年、日比間の子どもたちの交流をすべく準備をすすめている。自分にとって楽しかった経験を描いてメッセージを添えて海の向こうの同世代の子どもたちに送る「絵手紙大会」を愛知とマニラ近郊で行い(写真はそのポスター)、またその大会に参加した日本の中学生数人が、フィリピンに渡り、ICAN事業地の子どもたちと交流する。「子どもが描く地球のカタチ事業」の一環である。

【子どもが描く地球のカタチ事業の詳細は以下へ】

http://www.ican.or.jp/childrens_participation.html


先日お世話になっているフィリピンの方が、似たような交流をしたことがあるということで、お話を聞いていたら、その絵手紙を描くフィリピンの子どもたちは、パヤタス事業地の子どもではいけない、と言われた。ミドルクラスの子どもたちを選ぶべきだということだった。というのも、そもそも日本の子どもたちは、「フィリピン」というと、よくないイメージしか持っていない。「ジャパゆき」、危ない、汚い、貧しいなどというネガティブな先入観をもって、フィリピンにはじめてやってくる。そういう日本の子どもたちに、パヤタスなどの経済的に困っている地域、家庭の子どもと会わせるのは、ただ同情心を助長するだけでよくないとのこと。パヤタスの子どもは、フィリピンの子どもの代表にはなりえないからだそうだ。

階層社会のフィリピンには格差があまりにもありすぎて、同じ国民でもまったく違う世界に住んでいる。日本を行き来するミドルクラスのフィリピン人の中には、同じく日本にいるエンターテイナーの同国人を眉をひそめて見る人もいる。上にいる人たちには、下にいる人間の存在自体が問題であり、その下にいる人たちも潜在的に力をもっている敬意をもつべき人間であることは忘れられているかのようだ。一方的に、日本におけるフィリピンのよくないイメージを押し付けられるフィリピン人の戸惑いや憂いはとても理解できる。それは改善していきたい気持ちは私も同じにある。だが、だから「貧しい」フィリピンの子どもたちは、日本の子どもたちに会わせるべきではないのだろうか。

以前、日本の子どもたちとフィリピンの子どもたちが、自分を楽しくさせてくれるものを絵に描いたのだそうだ。日本の子どもたちが、カラフルなお祭りの絵や、花火大会の絵を描いていたのに対して、フィリピンの公立学校出身(フィリピンではミドルクラスの子どもたちは当たり前のように私立の学校に通わされる)の子どもたちは、シンプルな食べ物の絵や、素敵な家の絵を描いていたという。それを見た日本人教師がこれらのフィリピンの子どもたちは、なんてかわいそうなんだと言ったのだそうだ。

私たちの予定している「交流」では、日本の子どもたちは、フィリピンの子どもたちがどんなに大変な経験を経ているか知ることになるだろう。でも、それで終わらずに、そんな大変な経験を子どもなりに乗り越え、今も希望をもってよりよい未来を作るためにがんばっていることも、知ることになるだろう。それは、「生きる」ということの大変さとすばらしさを知る交流になると私は信じている。多くの日本の子どもたちには見られない、みなぎる「生きる力」を、私たちICAN事業地の子どもたちは持っていると思う。そこからたくさんのパワーをもらって、日本の子どもたちは帰っていくことだろう。

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