ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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母親の愛情

2012年07月08日 19時11分12秒 | 日常生活

7月8日(日)雨後豪雨

今朝の雨は凄かった・・・って何名かから聞いたけど

ばばの中では「そんなに凄い雨ふったっけ???」っていう感じ。

雷はゴロゴロ鳴ったけど。

久しぶりに今朝の室内温度29度で、涼しかったよ。

普段の夜は、35度前後。

6度温度が上がるって、大変な暑さの差なんだね。

夕方6時半現在の室温、30度。

朝と1度しか違わないのに、すっごく蒸し暑く感じるのは何故??

1度でこれだけ違うんだから、6度も違えば、大変なことじゃぁ!!!

 

明日は、朝から姉とふたりで隣の町へ

大型客船「にっぽん丸」の船内見学に行くよ~。

大工さん達は明日も来てくれるけど。。。。

ごめんなさい。

工事がいつから始まるか分からなかった時点で

申し込んでいて、参加決定の葉書も数週間前に届いていたから。

ちゃんとお茶の準備とかしていかなくちゃね。

 

10日ぐらい前かな?

ある友人と会ったら、「大型客船に乗る時は艀で行くんだってよ」と聞いた。

ほんとかなぁ?

だったら、波があったら恐いなぁ。。。。

「艀」に関して、今日ある先輩からこんな話を聞いた。

 

この先輩はばばより約10才年上だが、名前はA姉さんとしよう。

A姉さんが奄美大島にある高校受験のため、

夕方の船で出発した時のこと・・・・かれこれ50年以上前のこと。

当時、徳之島も大型船が接岸できる港の設備が出来て無くて

沖の方に泊まった船まで艀で行っていた、

艀は小さくて、波のある日はとても恐かった。

艀から船に乗り移る時、または逆に船から艀に乗り移る時

上手くタイミングを合わせないと乗り移れないことがあった。

ある時は、タイミングを外した母親が、

赤ちゃんを背負ったまま、海中に落ちたこともあったらしいよ。

船と艀の間にはタイヤも下がっていたけど、

それでも悪天候の時は恐かったはず。

ばばの朧気な記憶でも、乗り移りを

補助してくれる人たちが居たような気がする。。。。

 

A姉さんは、艀に乗って沖に止まった船に向かった。

この日は、波が荒くて艀は上下に大きく揺れたそうで

時には艀が波間に消えて、見えなくなる瞬間もあったらしい。

港でA姉さんを見送っていたお母さんは、

時々、波間に消える艀を見ているうちにとても心配になり、

お姉さんが船に乗り移り、そして出港していくまで見送っていたそうだ。

ところが、見送った後、いざ帰ろうとしたら、もう最終バスは出た後だった。

当時、徳之島にバスは走っていたけれど1日に、何便走っていたのだろう?

A姉さんの家は、ばばと同じ地区でバスで当時は1時間くらいかかっていた。

港のある集落周辺に知人は無し、歩いて帰るには時間が遅すぎた。

バスで1時間っていうことは、歩けば3時間かそれ以上かかったかも知れない。

船の出航は夕方だから、夜のくらい悪路を女の人が

ひとりで歩いて帰るのは至難の業。

 

思案の末、A姉さんのお母さんは、

港の待合室近辺にある建物の軒下で一夜を過ごしたそうだ。

家で待つご主人や、子供達に連絡もせず、

港へ行った母親が一晩帰らない・・となると、

当時は固定電話も全家庭には無かったし、家族も心配するよね。

受験の時期だから、季節は冬かなぁ。。。。

ある建物の軒下で、まんじりともせず一夜を過ごしたお母さん、

翌日、始発のバスで家に戻ったそうだが。

A姉さんは、何十年も経って、お母さんからこの話を聞いて

胸が熱くなったんだって。

当時、旅館とかもあったかも知れないが

宿泊料が足りなかったのかも知れない。

暗い闇の中で、恐怖と寒さと戦いながら一夜を過ごした母親。

いつの時代も、子供を思う親の気持ちは同じだなぁと思った。

じじのお母さんや、ばばの母も自分のことよりも

「まず、夫・子供」という考えで行動していたと思う。

・・思うと書いたけど、実際そうだった。

それに引き替え、現在ばばはどうだ!

何でも「自分が一番」で行動していないだろうか?

 

A姉さんのお母さんの話を聞いて、反省したばばだけど

実際の生活で、なかなか実践できないんだよね~。

 

いつも思うよ。

「親は偉大だったなぁ」って。

そして、一生、ばばは両親を超えられないだろうなって。


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