5月14日(土)曇り
毎月、1日と15日はお墓参りに行くことにしている。
今日は、お昼2時過ぎに姉から「お墓参り行く?」とメールが来たので
すぐに準備をして、出発した。
お墓に付くと、アカヒゲとアカショウビンの鳴き声が
交互に間近で聞こえ「姿が見たいなぁ・・・」と願ったけど
残念ながら、鳴き声だけ聞かせてくれ現れてはくれなかった。
アカショウビンもアカヒゲも名前に「アカ」が付くだけあって
綺麗な赤い鳥。
今年も、そろそろ遠出して撮影に行きたいな。
お墓参りから帰ったら、やけにお腹が空いている。
そう言えば、お昼抜きだった~。
お昼の準備しながらヨーグルト食べたから
いざ、じじがテーブルについても、ばばは全く食欲無し。
だから、正面からじじの食事の様子を見ながらお喋り。
最近、時々じじが「ばばは女弁護士になれば良かったのに。
そして、じじの弁護をしてくれたら良かったのに」と言うので
「ばばが弁護士だったら、じじはもう前科何犯になっているだろう?
裁判の度に、有罪にするよ。先ずは怠慢罪。かな?」と返した。
なぜ、ばばが女弁護士?と言うと、
子どもの頃、ばばがあまりにお喋りなので
ばばの家の製糖場で、黒糖を作っていた時に
従姉妹兄さんに言われたの。
小学校入学前だったけど、製糖時期になると、ばばも一丁前に
家族と一緒に畑にある製糖場に通っていた。
子どもだったばばが出来ることと言えば、
キビを圧縮して絞る機械を回すために、牛を使っていた。
ばばは、その後ろに付いて、牛を休めず歩かせる事ぐらい。
小さなムチみたいなのを振り回しながら「フイッ、フイッ」と
かけ声を掛け、ずっと牛の後ろについて歩くのだった。
お茶の時間とかになると、皆一カ所に集まってお茶やお菓子をいただきながら
暫く休憩するのだが、その時は、ばばの独壇場と言わんばかりに
ばばは、喋る、喋る・・・一体何を喋ったかは分からないけれど
親戚所お兄さん達は、ビックリしたり、呆れたりしたんだろうね。
ある日、K兄さんが「○○は、そんなにお喋りが上手だから
大きくなったら女弁護士にならんといかんね」と言った。
弁護士が何なのかなんて、全く知らなかったばばは
軽く聞き流していたはずなんだけど・・・・
綾小路きみまろさんが、「あれからウン十年!」と良く言うけれど
ばばは、半世紀を遙かに超える位時間が経っても
従姉妹兄さんの言葉を、たまに思い出す。
大人になるにつれ、弁護士という職業のことも少しはわかり
ちょっちゃそっとの能力では合格できない難しい仕事であることもわかり
ばばが何度生まれ変わって勉強し直しても、とうてい就ける仕事では無いと
中学生の頃、分かった。
まぁ、ばばは小学校1年生の頃から「将来の仕事」は決めていた。
これは、前にも書いたと思うけれど、母に洗脳されていたと思う。
でも、ばばの大好きな仕事だったし、退職間際になっても、
出来るこことなら、あと10年位は続けたいと思うほどだった。
本当に「天職」だと思える仕事に導いてくれた母には感謝している。
「女弁護士」にはなれないと分かっていたし、なりたくも無かったが
K兄さんが言った言葉は、何十年経っても忘れられない。
言ったK兄さんは、ばばのそういうことを言った事を憶えていなそうだが
言われたばばは、今でも年に数回は思い出して、ひとりでクスッと笑ってしまう。
今や、「我が家裁判所」で、毎日「じじに罰を与える」裁判官になってしまったよ。
画像は記事とは関係ありません。
去る3月、鹿児島に行った時に赤信号で待っている間に写したよ~
毎月、1日と15日はお墓参りに行くことにしている。
今日は、お昼2時過ぎに姉から「お墓参り行く?」とメールが来たので
すぐに準備をして、出発した。
お墓に付くと、アカヒゲとアカショウビンの鳴き声が
交互に間近で聞こえ「姿が見たいなぁ・・・」と願ったけど
残念ながら、鳴き声だけ聞かせてくれ現れてはくれなかった。
アカショウビンもアカヒゲも名前に「アカ」が付くだけあって
綺麗な赤い鳥。
今年も、そろそろ遠出して撮影に行きたいな。
お墓参りから帰ったら、やけにお腹が空いている。
そう言えば、お昼抜きだった~。
お昼の準備しながらヨーグルト食べたから
いざ、じじがテーブルについても、ばばは全く食欲無し。
だから、正面からじじの食事の様子を見ながらお喋り。
最近、時々じじが「ばばは女弁護士になれば良かったのに。
そして、じじの弁護をしてくれたら良かったのに」と言うので
「ばばが弁護士だったら、じじはもう前科何犯になっているだろう?
裁判の度に、有罪にするよ。先ずは怠慢罪。かな?」と返した。
なぜ、ばばが女弁護士?と言うと、
子どもの頃、ばばがあまりにお喋りなので
ばばの家の製糖場で、黒糖を作っていた時に
従姉妹兄さんに言われたの。
小学校入学前だったけど、製糖時期になると、ばばも一丁前に
家族と一緒に畑にある製糖場に通っていた。
子どもだったばばが出来ることと言えば、
キビを圧縮して絞る機械を回すために、牛を使っていた。
ばばは、その後ろに付いて、牛を休めず歩かせる事ぐらい。
小さなムチみたいなのを振り回しながら「フイッ、フイッ」と
かけ声を掛け、ずっと牛の後ろについて歩くのだった。
お茶の時間とかになると、皆一カ所に集まってお茶やお菓子をいただきながら
暫く休憩するのだが、その時は、ばばの独壇場と言わんばかりに
ばばは、喋る、喋る・・・一体何を喋ったかは分からないけれど
親戚所お兄さん達は、ビックリしたり、呆れたりしたんだろうね。
ある日、K兄さんが「○○は、そんなにお喋りが上手だから
大きくなったら女弁護士にならんといかんね」と言った。
弁護士が何なのかなんて、全く知らなかったばばは
軽く聞き流していたはずなんだけど・・・・
綾小路きみまろさんが、「あれからウン十年!」と良く言うけれど
ばばは、半世紀を遙かに超える位時間が経っても
従姉妹兄さんの言葉を、たまに思い出す。
大人になるにつれ、弁護士という職業のことも少しはわかり
ちょっちゃそっとの能力では合格できない難しい仕事であることもわかり
ばばが何度生まれ変わって勉強し直しても、とうてい就ける仕事では無いと
中学生の頃、分かった。
まぁ、ばばは小学校1年生の頃から「将来の仕事」は決めていた。
これは、前にも書いたと思うけれど、母に洗脳されていたと思う。
でも、ばばの大好きな仕事だったし、退職間際になっても、
出来るこことなら、あと10年位は続けたいと思うほどだった。
本当に「天職」だと思える仕事に導いてくれた母には感謝している。
「女弁護士」にはなれないと分かっていたし、なりたくも無かったが
K兄さんが言った言葉は、何十年経っても忘れられない。
言ったK兄さんは、ばばのそういうことを言った事を憶えていなそうだが
言われたばばは、今でも年に数回は思い出して、ひとりでクスッと笑ってしまう。
今や、「我が家裁判所」で、毎日「じじに罰を与える」裁判官になってしまったよ。
画像は記事とは関係ありません。
去る3月、鹿児島に行った時に赤信号で待っている間に写したよ~