1月25日(日)曇
明け方、変な夢を見た。
友人のJちゃんから電話が来て、指定された場所に行くと
体育館のような広い場所で、周りはみんなカーテンが引かれ
床部分の周囲の部分だけに沢山の反物が積まれていた。
「何で、こんな夢を見るんだろう?」と思いながら目覚めた。
普通なら、4時、5時から起き出しているはずのじじが
まだベッドにいるようだった。
そう言えば、夢を見る前に、じじが唸っているような声も聞こえた。
「じじ~、変な夢を見たよ~」と言いながら、ばばは起き上がり
食事の準備をするため、階下に降りた。
しばらくして、じじも下りてきて「明け方、足がつって・・・
若い頃、バレーで痛めたふくらはぎ、今日は特別痛かった・・・」と言う。
うなされていたのは、ふくらはぎがつっていたのか・・・・
20代、30代、40代・・・とずっとバレーをしていて
じじ自身、夜間バレーにも連夜出ていた。
その当時、一試合でもジャンプを何十回とするので
足を酷使し、ついには「ふくらはぎが、つる」という症状も良く出たようだ。
その古傷が、未だに時々痛むらしい。
「手術とか出来ないの?」とばばが言うと、
「今更手術と言ったって、当時、筋肉の使いすぎで
ふくらはぎがつっていただろうから・・・」って。
そんな話をしながら食事を終え、さて、始動しようか?と
思っていたら、電話が鳴った。
「じじ~出て。もしかして?お母さんの施設からかも・・・」。
不安は的中した。
母が機能から食欲が無く、
今日は右半身(特に手・足)の動きがぎこちないらしい。
それで、これから食事を終わったら準備して、病院へ行きますとの連絡だった。
ばばの胸が、又ドッキンドッキンしだして、心臓もバクバクし始めた。
身支度を調えて、病院へ行こうと思ったら
何故か、断水。
何故?前もって放送があった?
全然聞いていないよ~と思いつつ、急いで準備をし、歩いて病院へ向かった。
母は、既に施設の看護師さんが付き添って、待合室にいた。
呼びかけても反応は無し。
「眠りモード」のようだ。
看護師さんから、ざっと母の容態を聞いた。
食欲が無い。右手、右足が動かしづらいようだ・・・とのこと。
先生の指示で、採血・CT検査・点滴をするとのこと。
最初,CT検査をして、その後、ベッドに寝た状態で採血した。
採血の時、母が大声で泣き出したからビックリした。
その後、点滴を始めた。
点滴は1時間ほどかかるとのことだったので、
看護師さんは一旦施設に戻ってもらい
ばばが付き添っていることにした。
しばらく経つと、何故か又母が声を上げて泣き出した。
掌や肩をマッサージしたり、おでこに手を当てたり、
腕をマッサージしたりしたら10分位で落ち着いたようだった。
その後、左手で自分の右手を持ち上げてみたり
右手で、自分の太もも辺りをトンッ、トンッっと叩いてみたり・・・・・
そして、泣き出すの繰り返し。
ままならない自分の体に苛立っているのだろうか?
「アイッ、アイッ、アイッ」と声を上げて泣く。
何か話したいらしいが、言葉もスムーズに出てこない。
しばらく経って、先生がいらっしゃって、
血液検査結果表を見せながら説明して下さった。
血液検査の結果は、数値が少し高いところが2つ位あったが
そんなに心配することは無いと言うことだった。
CT検査のことを聞くと、今までも小さな脳梗塞の跡は
たくさんあったようですね。今回は、きっと右半身の動きを司る場所の
血管が詰まったんでしょう。もう、この年ですから
入院、治療と言っても、点滴と軽いリハビリしか出来ないでしょうねぇ・・・・と。
「ご家族としてはどう思いますか?」と聞かれたので
「去年入院した時、入院中は3度、、3度家族が食事の介助をしていました。
でも、退院したその夕方から自分で食べられるようになりました。
ですから、病院で、寝たきりの生活よりは、
施設の方でお茶や食事の時間に食堂へ移動したり
周囲の方々の会話を聞いたりして、
メリハリのある生活をした方が良いと思います」とばばが言ったら
先生も「僕も、そう思います」と言って下さった。
1時少し前に、施設の方から迎えに来て下さって
母は、又施設へ戻って行った。
帰宅後、じじにも先生との会話を話したら、
「自分もばばと同じ考えだ」と言ってくれた。
「この年」とか「年のせい」とか、病院ではよく言われる。
ばばも、バネ指になった時、右手で物が握りづらくなった時
左足の下半分が痺れたようになった時、
いずれも「年のせいでしょう」と言われたが・・・
「年のせい」の一言で良いの?
母は91才。
5年前に脳梗塞を起こし、左半身は不自由になった。
でも、施設に入ってから、車椅子で移動でき、
左手で食器を持って食事も出来、好きだった編み物も出来るようになった。
最近は出来ないことの方が、だんだん多くなっている母ではあるが・・・・
血圧は高めだし、大きな脳こそくは起きなくても
気づかないうちに、小さな脳梗塞は普通の人でもよく起こすと
数年前に聞いたことがある。
特に寒い季節は、ばば自分のことも心配している昨今だ。
施設の方々には、今まで以上にお手数もかけると思うが
少しでも、母が元気に暮らせるように祈るばかりだ。
今は「インフルエンザ流行のため」面会も出来ないが
子どもとして、家族として、出来る限りのことはしたい。
今朝の不安な夢が正夢になったようで、
ちょっと気分が晴れないけれど
人生、こんな日もあるよね。
明日は、「ピッカ~ン晴天」になりますように。
明け方、変な夢を見た。
友人のJちゃんから電話が来て、指定された場所に行くと
体育館のような広い場所で、周りはみんなカーテンが引かれ
床部分の周囲の部分だけに沢山の反物が積まれていた。
「何で、こんな夢を見るんだろう?」と思いながら目覚めた。
普通なら、4時、5時から起き出しているはずのじじが
まだベッドにいるようだった。
そう言えば、夢を見る前に、じじが唸っているような声も聞こえた。
「じじ~、変な夢を見たよ~」と言いながら、ばばは起き上がり
食事の準備をするため、階下に降りた。
しばらくして、じじも下りてきて「明け方、足がつって・・・
若い頃、バレーで痛めたふくらはぎ、今日は特別痛かった・・・」と言う。
うなされていたのは、ふくらはぎがつっていたのか・・・・
20代、30代、40代・・・とずっとバレーをしていて
じじ自身、夜間バレーにも連夜出ていた。
その当時、一試合でもジャンプを何十回とするので
足を酷使し、ついには「ふくらはぎが、つる」という症状も良く出たようだ。
その古傷が、未だに時々痛むらしい。
「手術とか出来ないの?」とばばが言うと、
「今更手術と言ったって、当時、筋肉の使いすぎで
ふくらはぎがつっていただろうから・・・」って。
そんな話をしながら食事を終え、さて、始動しようか?と
思っていたら、電話が鳴った。
「じじ~出て。もしかして?お母さんの施設からかも・・・」。
不安は的中した。
母が機能から食欲が無く、
今日は右半身(特に手・足)の動きがぎこちないらしい。
それで、これから食事を終わったら準備して、病院へ行きますとの連絡だった。
ばばの胸が、又ドッキンドッキンしだして、心臓もバクバクし始めた。
身支度を調えて、病院へ行こうと思ったら
何故か、断水。
何故?前もって放送があった?
全然聞いていないよ~と思いつつ、急いで準備をし、歩いて病院へ向かった。
母は、既に施設の看護師さんが付き添って、待合室にいた。
呼びかけても反応は無し。
「眠りモード」のようだ。
看護師さんから、ざっと母の容態を聞いた。
食欲が無い。右手、右足が動かしづらいようだ・・・とのこと。
先生の指示で、採血・CT検査・点滴をするとのこと。
最初,CT検査をして、その後、ベッドに寝た状態で採血した。
採血の時、母が大声で泣き出したからビックリした。
その後、点滴を始めた。
点滴は1時間ほどかかるとのことだったので、
看護師さんは一旦施設に戻ってもらい
ばばが付き添っていることにした。
しばらく経つと、何故か又母が声を上げて泣き出した。
掌や肩をマッサージしたり、おでこに手を当てたり、
腕をマッサージしたりしたら10分位で落ち着いたようだった。
その後、左手で自分の右手を持ち上げてみたり
右手で、自分の太もも辺りをトンッ、トンッっと叩いてみたり・・・・・
そして、泣き出すの繰り返し。
ままならない自分の体に苛立っているのだろうか?
「アイッ、アイッ、アイッ」と声を上げて泣く。
何か話したいらしいが、言葉もスムーズに出てこない。
しばらく経って、先生がいらっしゃって、
血液検査結果表を見せながら説明して下さった。
血液検査の結果は、数値が少し高いところが2つ位あったが
そんなに心配することは無いと言うことだった。
CT検査のことを聞くと、今までも小さな脳梗塞の跡は
たくさんあったようですね。今回は、きっと右半身の動きを司る場所の
血管が詰まったんでしょう。もう、この年ですから
入院、治療と言っても、点滴と軽いリハビリしか出来ないでしょうねぇ・・・・と。
「ご家族としてはどう思いますか?」と聞かれたので
「去年入院した時、入院中は3度、、3度家族が食事の介助をしていました。
でも、退院したその夕方から自分で食べられるようになりました。
ですから、病院で、寝たきりの生活よりは、
施設の方でお茶や食事の時間に食堂へ移動したり
周囲の方々の会話を聞いたりして、
メリハリのある生活をした方が良いと思います」とばばが言ったら
先生も「僕も、そう思います」と言って下さった。
1時少し前に、施設の方から迎えに来て下さって
母は、又施設へ戻って行った。
帰宅後、じじにも先生との会話を話したら、
「自分もばばと同じ考えだ」と言ってくれた。
「この年」とか「年のせい」とか、病院ではよく言われる。
ばばも、バネ指になった時、右手で物が握りづらくなった時
左足の下半分が痺れたようになった時、
いずれも「年のせいでしょう」と言われたが・・・
「年のせい」の一言で良いの?
母は91才。
5年前に脳梗塞を起こし、左半身は不自由になった。
でも、施設に入ってから、車椅子で移動でき、
左手で食器を持って食事も出来、好きだった編み物も出来るようになった。
最近は出来ないことの方が、だんだん多くなっている母ではあるが・・・・
血圧は高めだし、大きな脳こそくは起きなくても
気づかないうちに、小さな脳梗塞は普通の人でもよく起こすと
数年前に聞いたことがある。
特に寒い季節は、ばば自分のことも心配している昨今だ。
施設の方々には、今まで以上にお手数もかけると思うが
少しでも、母が元気に暮らせるように祈るばかりだ。
今は「インフルエンザ流行のため」面会も出来ないが
子どもとして、家族として、出来る限りのことはしたい。
今朝の不安な夢が正夢になったようで、
ちょっと気分が晴れないけれど
人生、こんな日もあるよね。
明日は、「ピッカ~ン晴天」になりますように。