ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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善意・感謝

2010年03月14日 20時17分54秒 | 日常生活
3月14日(日)曇り風強

一昨日、お隣のおじちゃんが突然亡くなり

今日まで仮通夜・お通夜・告別式と続き、「火葬場まで・・」と

声をかけていただいたが、失礼して一旦帰宅した。

今夕の船でおじちゃんの生まれ故郷へ発たれるとのことなので

夕方、また港へ見送りに行くつもりだ。


今回は、姉と一緒にささやかなお手伝いをしているが

姉は、おじちゃんとお隣さんでもないし親戚というわけでもない。

でも、姉は「Y姉さんの代わりと思って出来るだけのことはしたい」と

お手伝いに参加している。



姉に詳しく話を聞いた。

Y姉さんは姉の嫁ぎ先の縁戚で数年前に80歳代で亡くなられた。

そのお姉さんと、今回亡くなられたばばの隣のおじちゃんご夫婦には

「人間の善意」「感謝」という言葉がピッタリするような

エピソードがあったのだ。


Y姉さんの実家はばばと同じ集落。

Y姉さんが4,50歳代のことだったろうか。

Y姉さんは車の運転が出来ないので、用事があって亀津へバスで出てきた。



そして、全ての用事を済ませ、ばば宅近くのバス停留所からバスに乗って帰宅した。

ところが,Y姉さんは重大な忘れ物をしてしまっていた。

何と、お財布や印鑑のような重要な物一切合切入れたバッグをバス停に忘れたらしいのだ。

探しに帰ろうにもバスは1時間に一本。

おまけに片道30分近くはかかる。

その間にバッグは誰かに拾われる可能性が高い。

だって、忘れたバス停があるのは人通りも多い中央通りだったから・・・・

きっと頭が真っ白になったことだろうY姉さんのもとへ

その時一本の電話が・・・・・

「あなたのバッグをお預かりしています」と。

その電話をして下さったのが、今回亡くなられたおじちゃんの奥様。

電話を受けた時のY姉さんの心中は容易に察することが出来る。


それ以来、Y姉さんは今回亡くなられたおじちゃん・

そして、おばちゃんを恩人として感謝の気持ちを持ち続け

都会に住む息子さん夫婦にも何度もこのことを話していたそうだ。

それ以来、自宅近くにも美容室もありながら

ヘアーカットにもわざわざバスに乗って亀津まで出て来て

おじちゃん、おばちゃんの理容院でカットして貰っていたそうだ。

又、別の用事で近くまで出てきた時も必ず顔を出すようにしていたとか。

交流は何十年も続いたがY姉さんは数年前亡くなられた。


こういう経緯があってY姉さんと縁戚になるばば姉は

「Y姉さんの代わりに出来るだけのことをしたい」と。。。。。


このエピソードは、ばばにもいろいろなことを教えてくれている気がする。



おじちゃんのお骨は生まれ故郷のお墓に埋葬されるため

ご家族と一緒に夕方の船で徳之島を後にされた。

島は今、ジャガイモ出荷の最盛期で出航は大分遅れた。

ばば達はずぅっと見送っていたが、お嬢さん達が

「寒いから、もう帰って下さい」と船上から携帯で電話をくれた。

荷役があまりに遅くなりそうなので、ばば達も帰ることにはしたが

後ろ髪引かれるようで、なかなか歩き出せない。

その時、船上からお嬢さんがおじちゃんの遺影をばば達に向けた。

いつもの優しいおじちゃんが、ばば達に向かって微笑んでいる。

船上の人たちがばば達に手を振った。

ばば達も溢れる涙をぬぐいながら手を振った。

お嬢さんが、おじちゃんの遺影を左右に振る。

「おじちゃ~~~ん!!!!」大声で叫びたい衝動に駆られた。

おじちゃんは、徳之島での生活55年で、生まれ故郷へ帰って行かれた。

何だか、おじちゃんが遠くなるような気がするけれど、

おじちゃんも、きっと故郷で安らかな眠りにつかれることでしょう。

おじちゃんの故郷はばばにも思い出深い加計呂麻島。

いつの日か、きっとばばも再訪したいと思っている。

おじちゃんのこと、ずぅっと、ずっと忘れないからね~~。