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ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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賢いね!

2016年10月20日 14時44分36秒 | Weblog
10月20日(木)曇り

東京に行っていた、ある数日間だけ、ばばも

「スマホ」なる物を使ってみた。

その時、ラインで数人とやりとりをした。

「期間限定」の「スマホいじり」だと断言したが

帰って来てからも、じじが「これは、ばばのだから」と

しつこく、タブレットをばばの枕元に置いた。

「使うもんですか!」と思っていたが、

たまたま甥のH君が、初外国旅行に行く事になり

娘達がラインでやりとりしているのを、偶然見て

ばばも、同じグループに入っているので2回だけ書き込んでみた。

ガラケーなら、文字入力も大分慣れているが

スマホの文字入力なんて、まだまだ、ばばには出来ない。

数行入力するのに、間違えては消し、消しては入力し・・・の繰り返し。

でも、「身内同士のやりとりだから、少しくらい間違えたっていいや」

って、開き直ってみた。

でも、やはり、ばばにスマホは無理でござんす!



しか~し~、「じじ~、次、携帯買う時は

ばばもスマホ買おうかな?」なぁって、心の隅っこに

ちょっぴりだけある願望を口にしてみた。

その理由はね・・・・



最近、ばばは、午前中の事が多いけど

「農村小唄」という唄が、何故か口をついて出てくる。

ばばの美声を聞かせましょう~っと、朝食準備の時も

夕食準備の時も、何故か口ずさんでしまう。

「農村小唄」って・・・

このブログを読んで下さる方でも、99%の方は知らないと思うけど・・・



数日前の朝、じじが「徳之島小唄」の一節の歌詞、

「芭蕉木陰にが正しいのかなぁ?

芭蕉葉陰が正しいのかなぁ」と聞くので

「芭蕉だから木陰じゃなくて、葉陰だと思うなぁ」と答えた。

その後、じじに「そうだ!じじ、じじのスマホって

音声で聞いた事に答えてくれるんだよね。じゃぁ、聞いてみたら?」と言った。

じじは、すぐにスマホを取ってきて「農村小唄」と言うと

すぐ、画面に作詞者や作曲家の名前が出て、ついでに歌っているのも

聞く事が出来て、「芭蕉葉陰に一切節を・・・」と歌った。

やったね!

続けて「じゃぁ、農村小唄って聞いてみて」とじじにお願いすると

じじがスマホに向かって「農村小唄」と言った。

すぐに作詞者・作曲家の名前に続き曲も・・・・



わぁ~、何十年ぶりだろう?

この「農村小唄」って、ばばが幼稚園生かそれ以前に聞いたと思うが

ゆったりした農村風景が目に浮かぶような曲調と歌詞。

懐かしくて、嬉しくて、それからずっと歌い続けている。

歌い出しが「トウゲの かるしゃ~よ」で始まるが

トウゲとは「鍬」の事。

なぜ、トウゲが軽いかというと「好きな人と一緒に畑を耕しているから」。

「アラジバテ」という歌詞もあり、これは「荒地畑」のこと。

カップルで荒地畑を耕せば、重労働でも楽しいんだなぁ・・とか

想像しながら、歌詞をかみしめながら歌い続けるばば。

ついでに、2番も3番も歌うと、じじが「いい加減な歌詞で歌うなよ」って・・・



そう言えば・・ばばが子供だった頃、集落の集会場で

姉たちが絣の着物を着て、この曲で踊っていたような・・・・



それにしても、スマホのおかげで懐かしい曲の歌詞も

瞬時に分かり・・・ありがたいなぁ。

じじに「ゆううつって言ってみて」と言って、言って貰うと

瞬時に「憂鬱」という漢字が出てその意味も出た。



いちいち入力せずとも、音声に答えてくれるなんて・・・

凄いとしか言い様がない。

スマホ

そうそう、スマホに話しかけて歌って貰う・・・と言えば

数年前、三女さんがスマホにある歌を歌ってとリクエストし

何回も何回もしつこく繰り返したら、ついに器械も怒っちゃったのか?

「私の歌は聴くに堪えませんで、もう歌えません・・・」と

器械が言うので、可笑しくて、可笑しくて

姉とばばはその時の事を思い出しては、未だに笑っている。



ちょっぴり拗ねてしまう事もあるんだね。

でも、それは、それで可愛いね。



ばば、次はスマホ買う?

うぅ~~~~んんんんんんん・・・分かりません!

「おぼらだれん」に感動!

2016年06月11日 19時25分10秒 | Weblog
6月11日(土)曇り時々小雨(入梅27日目)

昨日に続き、今日も徳之島高校の文化祭に行って来た。

今日の会場は文化会館だった。

今日は各学年の舞台発表や、音楽部の演奏・エイサー隊の演舞・

琉舞・各学年代表による弁論大会・空手部演武・書道部によるパフォーマンス等

盛り沢山の内容だった。

朝9時から始まるというので、早めに家を出て会場へ。



吹奏楽部の演奏でオープニング!

その後次々と発表が続いたが、ばばが気になっていたのは

弁論大会と、書道部のパフォーマンス。

昨日、母校での教え子ちゃんが

「明日は弁論大会と書道パフォーマンスに出ます。」と

教えてくれたので応援がてら出かけたのだ。

高校生ともなると、企画、進行ほぼ生徒達でやっているんだね。

空手部は連続28年って言ったかな?全国大会へも出場しているそうで

男女とも、演武は見る者を圧倒した。



今年は、伊仙町にあった徳之島農業高校と徳之島高校が

一緒になった新生「徳之島高校」になってから10周年で

節目の文化祭でもあった。



文化会館の会場の座席の、ほぼ3分の2は生徒の席で

残りが保護者や一般の席であったが、会場はほぼ満席だった。

スムーズな進行で、午前の部の最後が弁論大会だった。

各学年代表が各1名ずつで、農業クラブから2名、

合計5名による弁論があった。

島の農業について、自分の夢や趣味について

各々が発表し、結果は午後の閉会式の前に行われることになった。



弁論大会の後は昼食。

ばばもサッと自宅に帰り、チャチャッと食事を終え、再び文化会館へ。

ばばが楽しみにいていた、書道パフォーマンス。

10名足らずの書道部の部員達が見事なパフォーマンス!

できあがった作品の素晴らしさもだけど

書かれた内容に胸が熱くなってしまった。

いつも支えてくれる親、友達、教師、周囲の方々へ

「おぼらだれん」と結ばれた書。
おぼらだれん

「おぼらだれん」とは、徳之島の方言で「ありがとう」という意味。

良い言葉だなぁ・・・・と、あらためて思いながら、拍手を送り続けたよ。

部長さんが、「作品はロビーに展示しますので、帰りにゆっくり見て下さい」

と言ったので、「写真に撮ろう!」と即決。

でもね、ばばの腕では、綺麗に撮れなくて残念!無念!



その後も発表は続き、閉会式。

初め、弁論大会の表彰があり、何と!教え子ちゃんが最優秀賞に。

いやぁ~、5名の弁士達、それぞれに素晴らしい発表だったから・・・・

皆、に表彰状あげたいくらい良い発表だったなぁ。



昨日、今日と初めて高校生の文化祭を見せてもらって

本当に楽しかった!



明日は、実家集落の「豊年祭り」があるというので

天気が良ければ、お墓参りがてら行ってこようと思っている。

久しぶりに、忙しいけれど、楽しい週末です!

以心伝心

2016年06月03日 12時11分25秒 | Weblog
6月3日(金)曇り(入梅19日目)
ハエマンサス
以心伝心って言うけれど・・・・・

ここ数年、ばばがメールを送信するのとほぼ同時に

メールが来たり、ばばが何か送ってあげようかなぁ・・・と思っていると

相手から贈り物が届いたりて事が良くある。

その相手を、Sさんとしよう。



昨日、久しぶりに粉1キロを使ってドーナツを作った。

大量に作りながら「Sさんに送ってあげようかな?」と思った。

島のお土産品等も少し買い足して入れようとも。

そして夕方、ひとりで諸田池で鳥見をして

「さぁ、帰りがけにスーパーへ寄って、

Sさんが喜びそうな物を買って帰ろう」と車に乗りかけたら

メールに着信音。

ばば、車に乗る前に、姉にメール送ろうとしたら

間違えてSさんに送信しかけびっくりしてキャンセルした。

キャンセルした途端に、Sさんからの着信音だったので

一瞬「あちゃ~、やはり誤送信してしまったか?」と凹んでしまったけど

メールの内容は「小さな荷物送ったから、受け取ってね~」と。

ビックリ!

即、「明日は、朝から正装して荷物待っていま~~す」と返信したけど

似たような事が、数回続いたので、ビックリしているんです。

同時にお互いが相手のことを思い合っているっていうことがあるんだね。

夕べは、夕食後、Sさんの好きな味噌豆も作って、

朝、あれやこれや詰め込んで荷造りし、送った。

Sさんは、良く言うの。

「ばばちゃんからの後り物って玉手箱みたい。

開けながら踊りたくなっちゃうよ」って。

踊りたくなる位喜んでもらえるって、送った方も本当に嬉しい。

特別高価な物を送るわけでも無し、ちょっとした手作りのおやつとか

お茶請けとか、毎回、似たような物しか送れないけれど

Sさんの喜ぶ顔を想像しながら、これからも時々送り物をしてあげよう~。



さて、今朝は7時頃から洗濯して干したら

10時過ぎにはもう乾いたよ。

カラッと晴れてはいないけど、少し風もあるからかな?



夜は、文化会館で風間杜夫さんの「ひとり芝居」があるので観てきます。

早め、早めに、家事も片付けなくちゃ!

まさか、褒められるとは

2016年04月15日 15時06分19秒 | Weblog
4月15日(金)晴れ

久しぶりに朝から穏やかな天気の徳之島です。

でも、夕べからずっと、熊本県で起きた地震の報道を聞いていると

胸が痛くなる。

災害って、前触れも無く起きる事が多いから・・・・

東日本大震災の後、緊急避難用に準備した品々の点検もしていない、ばば。

早速引っ張り出して、詰め替えるべき物は詰め替えておこう。



昨日夕方、あるお店に行ったら、幼なじみのSちゃん夫婦とバッタリ。

ばばを見るなりSちゃんが「ばばちゃんの髪の毛の綺麗な事!」と言った。

最近、髪の毛を褒められるなんて滅多に無いのでビックリしていると

「黒くてツヤッツヤしているね。」って。

「黒いのは染めているからよ」と言うと「でも、ツヤツヤで綺麗よ。

私なんか見てごらんなさい。赤茶けてバサバサ」と言うSちゃん。

ツヤツヤにするため別に何もしていないし、

髪の毛に良いと言われる食品を摂るように努めているわけでも無いから

ばばの方がビックリした。

自分では全然気づかなかったけど、褒めて貰ったら嬉しいね。



ばばは、子どもの頃から直毛で、それがイヤだった。

幼稚園の頃、仲良しの友達Nちゃんが髪の毛をクリンクリンにして来た。

とても格好良く見えた。

「どうしたの?」と聞くと「お母さんが火箸でパーマかけてくれた」って。

子供心に(凄いなぁ~Nちゃんのお母さんって)と思ったものだ。

かまどの火で焼いた火箸に髪の毛を巻いてクリンクリンにしたのかなぁ?

今なら、ちょっと怖いけど、当時は羨ましかった。



ばばの髪の毛は、いつも長姉が散髪していた。

前髪は眉毛の上でパッツン、横は耳の真下でパッツン。

中学3年生まで、ずっとこの髪型だった。

生まれつき、細くて茶色っぽかった、ばばの髪の毛。

「超」が付くほどの直毛だった。

だから、結婚して娘達が誕生した時

「癖毛だったら良いのにな」と思っていた。

しかいs、長女はほぼ直毛、次女は部分的にちょっぴり癖毛があるかな?

三女は誕生1年後くらいは、クリンクリンの髪の毛だったので

喜んでいたら、いつの間にか表面上は直毛になってしまった。

じじと義妹は癖毛だし、義母も癖毛だった。

ばばの方の直毛遺伝子が我が三姉妹には強く出たらしい。



直毛の人は癖毛に憧れるけど、癖毛の人に言わせると

「癖毛の手入れって大変なのよ~直毛の人が羨ましいわ」と。

人間って、無い物ねだりをするんだなぁ・・・と思う。



今、ばばが欲しいのは「癖毛」とか「豪邸」とかではなく

庭いっぱいの「季節の花」。

花屋さんに行ったら、綺麗な花が沢山あるけれど

いざ、我が家で育てようとすると、なかなか上手く育ってくれない。

これから先は、季節にあった、育てやすそうな花苗を買ってきて

玄関先や庭先を綺麗にしたいなぁ~と言うのが、ばばの夢。



最近のばばって、花の名前とか、すぐに忘れてしまう。

いつも行くお店屋さんの玄関先に黄色い可憐な花が咲いているんだけど

その名前が全然分からなかった。
オキザリス

昨日会ったSちゃんに聞いてみると「オキザリスよ」と

いとも簡単に教えてくれた。

「ガザニア」は憶えていたけど、

「オキザリス」って名前をすっかり忘れていた。

3月に、ウオーキング途中、漁港の隅っこで見つけ

持ち帰ってプランターで育てている花、

「オキザリス」だった~。

何故かしら元気が無くて枯れそうだけど

今度花屋さんで見つけたら、迷わず数は誓ってこようっと。

最近、何故か「黄色い花」が好きになってきた、ばばです。

ありがとう、又会いましょう

2016年03月27日 14時46分09秒 | Weblog
3月27日(日)曇り

3月は別れの季節、4月は出会いの季節。

就職や進学で島を出る若者達、そして転勤で徳之島を離れる人達・・・

島を離れる人達は、荷物を整理したり、残務整理をしたり

忙しい日々を過ごしている事だと思う。

じじもばばも、仕事をしていた頃は春休み中

転出入の方々のお手伝いで動き回っていた。

退職して、大分経つので、最近は異動時期になっても普段と変わらず

のんびりした日々を過ごしている。

今年は、ばばが家族ぐるみでお付き合いさせていただいている方が、島外転出になった。

今朝、電話で少し話して、荷出しと出発は来週水曜日だと分かった。

あぁ~別れの時間が迫っている・・・



今回転出されるのはSさん。

思えば、ばばとは、不思議なご縁で繋がった方。

今から18年前、ばばは単身赴任で加計呂麻へ行った。

そこで出会ったのがSさんファミリー。

Sさんのお子さん2人と関わったが、当時、じじが話してくれたのが

Sさんの奥さんとじじは親戚になるらしい。

まさか、単身赴任で行った地に、じじの親戚がいたなんて・・・

当時、とても心強く思った。

そして、更にビックリしたのが、ばばのご近所さんで

親しくお付き合いしていたご夫婦の、ご主人が加計呂麻の出身で

Sさんのご両親と親戚だと言う事も分かり、

ますます「世間って狭いなぁ」と思ったものだ。



ばばが加計呂麻勤務を終えて島に帰って、暫くしたら

Sさんの奥さんが徳之島へ転勤になった。

そして、職場がじじの職場のすぐ隣・・・・

Sさんのお子さん達3人は、徳之島で中学校や高校を卒業して旅立って行った。

今回の人事異動でSさんは徳之島を離れる事になった。

ご夫婦とも、気さくでとても良い方達だ。

ご主人からは、事ある毎に海の幸、山の幸を沢山いただいた。

奥さんのMちゃんは、スーパー等で会うと

子ども達の様子や、お母さんの事など色々話してくれた。

とても明るくて、ばばが少し元気がない時でも、Mちゃんと話すとげんきになった。

つい先日会った時は、今回の異動では確実に動く事、

でも、まだ何処へ行くかは分からないと話した。



いよいよ異動の発表があった。

希望通りの異動ではなかったかもしれないけれど、

Mちゃんは「きっと、この地があなたの最後の勤務地ですよと

神様が決めて下さったと思うから、喜んで行きたい」と話した。

Sさんのお母さんも大分高齢であるが、今も加計呂麻で元気で暮らしておられる。。

徳之島からよりは、今度の異動先からの方が加計呂麻へも近い。

Sさんのお母さんは、ばばが加計呂麻で暮らしていた時も

徳之島へ帰ってきてからも、我が子のようにばばを可愛がってくれている。

Sさん夫婦が徳之島で生活している間は、お母さんの様子も時々聞く事ができ

「加計呂麻と繋がっている」という感が強かった。

でも・・・Sさん夫婦が徳之島を離れたら・・・・寂しいなぁ。



今朝は、Sさん夫婦にお手紙を書いた。
手紙

今夕、届けに行く。

Sさん夫婦に渡す前に、じじにも読んで聞いて貰った。

読みながら、なぜか自分の書いた文章に声が詰まってしまった。

あと3日後、Sさん夫婦は徳之島を離れる。

今の時代、会いたいと思えば、いくらでも会いに行ける。

Sさん夫婦が新天地で活躍して下さいますように、

そしてSさんのお母さんが、ずっとお元気でおられますように・・・祈りながら、



Rちゃんからのプレゼント

2016年03月07日 22時13分44秒 | Weblog
3月7日(月)晴れ

お日様の光が気持良い徳之島でした~



今日は一体一日何をしたんだろう?

とにかく忙しかった!

外出したのは2回だけど、今、この時間になって

やっとパソコンの前に座れた。

あと15分で10時だぁ~

頑張ってブログ書き上げよう~



さて、昨日徳之島のジャガイモの事を書いた。



一昨日、お昼前、「こんにちは~」と声がするので

玄関を開けると、同級生のKちゃんが立っていた。

手にはビニル袋を持っている。

「これね、Rちゃんが、あなたへって。Rちゃんのお姉さんが

届けてくれたから持って来たのよ」と。

袋の中身は新ジャガ。
ジャガイモ

Rちゃんとは、昨年11月末、50年ぶりくらいに再会した中学時代の同級生。

他の同級生二人と一緒に我が家へ来てくれた。。。。。

中学卒業以来、本当に半世紀ぶりの再会だった。

Rちゃんは、その日、一緒に来てくれたKちゃんやTちゃんに

「ばばちゃんに会いたい」とずっと言っていたそうで

ばばは、その話を聞いてビックリした。

Rちゃんと仲が良かったのは憶えているけれど、

ばばの実家にRちゃんを連れて行って遊んだとか、勉強を一緒にしたとか

色々話してくれたが、詳しい事をばばは殆ど憶えていなかった。

ばばは、ごくごく普通に接していたつもりだが、Rちゃんは

「ばばちゃんが、とっても親切にしてくれた」と友人にも話し

どうしてもばばに会いたがっていたそうだ。

50年もの間、「会いたい」と周囲に言っていたと聞き

ばばは、ただただ感動し、驚くばかりだった。

11月末は、2時間近くお喋りをしたりして別れたが、Rちゃん達が帰る時

「もう、家が分かったから、近くを通る時は気軽に寄ってね」と、ばばは言った。

Rちゃんは、車の免許は持ってないそうで、ばばの住む地区へ出てくる事も少ないらしい。

先日は、Rちゃんのお姉さんが、たまたま用事でばばの住む地区へ出てくる用事があり

Kちゃんの家にジャガイモを預けたらしい。

大きなジャガイモ、小さなジャガイモ・・・・

このジャガイモを育てるのに、Rちゃんはどれだけの労力を要しただろう?

種芋の植え付けから収穫まで、どれだけの日数がかかっただろう?

苦労して育て、収穫したジャガイモを、わざわざ、ばばに届けてくれたRちゃん。

ばばは、すぐお礼の電話をしようと思ったが、思い直して、手紙を書く事にした。

中学時代の事や、色々な自分の思いを書き綴った。

そして、翌日投函した。

50年の時を経て再会できた同級生。

その同級生が、ずっとばばに会いたがっていた。

「ありがとう!Rちゃん」以外言葉が無い。

まだ1回しか会っていないけれど、実家のお墓参りに行く時にでも

Rちゃんを訪ねてみようかな?と思ったりしている。

もしかしたら、ばばが車を運転中、ひょっこりRちゃんと会えるかもしれない。



友達って、大事にしなくちゃいけないなぁ・・・

Rちゃんとの再会を機会に改めて思ったばばでした

へぇ~、他

2015年08月02日 22時01分09秒 | Weblog
8月2日(日)晴れ

一昨日夜から、少し体調を崩し、昨夜は熱が上がってしまい

フラフラだったじじも、やっと復調。

やはり、じじが元気でないと、イジメ甲斐がない。

じじが病気の時だけ優しくするばば。

だから、じじは「いつも、病気だったら良いのにな」

なぁんて、言ってるけど・・・

お互い、健康で、バカなことを言いながら、

笑い転げていられるのが一番幸せだよな~と思う。



昨夜は、8時前になって、やっと部屋から出て来たじじ。

あまりにグッタリしていたじじに熱を計ってみて・・・と

計らせてみたら、まさかの38度近い。

平熱が低いじじだから、高熱だ~

「病院行く?」と聞くと「いや、大丈夫」と言う。

じゃ、食べて体力つけなくちゃ!

でも、じじは、いつも欠かせない刺身でさえ食べたくないという。

「お粥炊く?」と聞くと「うん」と・・・・

健康な時は、決して食べないお粥を食べたいとな?

こりゃ、重症じゃないか~。

急いで圧力鍋でお粥を炊き、

ばば母が「お粥さんはね、かき回すほど美味しいのよ」

と言っていたので「1,10,100,1000、1,10,100,1000」と

言いながらかき回す。

かき回していると、お米の油見?が出て美味しいんだよね。

おかずは、梅干しとか、奈良漬けとか、ニンニク漬け・・・

タンパク質は半熟卵で良いというので

これ又慌てて作った。

食後、早めに寝て、今朝、目が覚めたら

体が大分スッキリしたようだと言う。

夕べのお粥や半熟卵がが良かったのよ~じじ。

ばばの愛情がタップリこもっていたからね・・・

とにかく、一晩で回復して良かった、良かった~

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日中はあまりに暑いので、ばばは夕方涼しくなってから

買い物に出るようにしている。

今夕も姉と一緒に買い物に出た。

ホームセンターに向かっている途中、

亀徳集落の海岸通りを走っていたら、

舟溜まり周囲に、約20本の七夕飾りが・・・・

毎年通っている場所なのに、ばばは初めて見る光景だ。

車から降りて写真を撮ったよ。

ボケボケばかりだけど・・・

何故写真を撮ろうと思ったかというと、

何か字が書いてあったから・・・・

何と「亀徳湾岸通り」「七夕」「街道」と書いてあるよ~
七夕飾り

へぇ~珍しい!

更にひとつひとつ飾りを見ていると

発泡スチ-ロールに「世界自然遺産登録」と書いた短冊?や

「恋人募集中」と書いてある短冊、

他にも色々な願い事が書かれていたよ~

「世界自然遺産登録」と書いてある

発泡スチロール短冊を撮ろうとするけれど

クルクル回って、なかなか写せなかった。
世界自然遺産

短冊の文もユニークだったが、飾りもペットボトルをつなげたり

ペットボトルの蓋だけをつなげてあったり

見ているだけで楽しくて、ホッコリした気分になった。



ばばが現在住んでいる地区でも、

月遅れの七夕飾りを作って、お盆前に立てる風習がある。

ご先祖様が、家の七夕飾りを伝って下界に下りて来るんだって。

我が家では、母が元気だった頃、簡単な七夕飾りを作ってはいたが

ばばは、まだ一度も作ったことがない。

今年は、どうしよう・・・・・

じじの両親・ご先祖様、ばばの両親・ご先祖様

七夕飾りが無くても、帰って来てくれるかなぁ?


どの位の確率だろう?

2015年07月21日 21時24分20秒 | Weblog

7月21日(火雨後曇り)

5日前だったかな?

長女からメールがあった。

妹(我が家の三女)と同級生の○○ちゃんのお父さんって

家のお父さんと同級生だよね」と。

○○ちゃんって、確かに我が家の三女と

同級生がいたことは覚えている。

でも、そのお父さんが、じじと同級生かどうか、ばばは分からない。

早速じじに聞いてみると、確かに同級生だという。

娘が、なぜ、このようなメールをくれたかというと

実は、○○ちゃんのお子さんと、我が家の娘の次男が同じクラスだという。

ビックリ!

世間は広いというか?

狭いというか?

いや、この場合は「世間は広いようで狭い」が当てはまるのかな?

 

広い東京の、おそらく何百とある小学校のうちの1校で、

お母さんが徳之島出身の子ふたりが

偶然同じクラスになるなんて。

娘の言によれば、学校で○○ちゃんと何回か顔を合わすうちに

「何処か懐かしい感じがするなぁ・・・」とは思っていたらしい。

娘と○○ちゃん、共通の友人がいて、

○○ちゃんも、我が家の娘も徳之島出身と分かったので

「お互い知っていますか?」と連絡くれて

始めて同郷の後輩、それも自分の妹の友人

ということが分かったんだって。

ビックリ~~~

こんな事ってあるんだねぇ。

 

あと1つ。

ばばが、加計呂麻へ3年間単身赴任したことは

ブログに何回か書いている。

その加計呂麻で出会った子のお母さんが

実は、じじと「二従兄弟」だったの。

ばば、全然知らなくって。

でも、ばばが3年間加計呂麻にいたことで、お付き合いが始まり

今では家族ぐるみのお付き合いをしている。

「家族ぐるみ」・・・っていうのはね、

ばばが加計呂麻勤務を終えて徳之島に帰ってきた数年後

じじの「二従兄弟」さんが、加計呂麻から徳之島へ赴任してきたの。

人間の繋がりって、本当に不思議だなぁ・・・と、特に思う昨今である。


シマンチュ(島の人)の心

2015年06月15日 14時54分34秒 | Weblog
6月15日(月)晴れ

今日の写真は、ブログの内容とは関係ないけれど

2日前、車で通った道路脇に

アジサイがきれいに咲いていたので撮った。
アジサイ

ばばが写した場所は、沢山のアジサイがあったけれど

もう既に開花が終わり、萎れかけているのが多かった。

聞く所によれば、近隣の老人クラブの方々が

道路の景観のためと、通る人達の目を楽しませようと

季節季節の花を植えているんだって。

ありがたいね。



昨日昼過ぎに電話があった。

電話をくれたのは、知り合いのE姉さん。

開口一番、「ばばちゃん、ごめんね~」と、お詫びの言葉。

ばばちゃんの、お母さんがが亡くなったのを知らず、

弔問に行かずにごめんなさい」と。

続けて「自分もね、ちょっと島を留守にしていたものだから・・・」とも。

「E姉さん、もしかして?体調崩されていたんですか?」

「まぁね・・・・。明日、午前中、弔問に行くからね。

その時に家の前に行ったら、

又連絡するからね」と言って電話は切れた。

そして今朝、10時前に電話が来た。

「ごめんね、12時半には行くからね」と。

そして、約束の時間を少し回過ぎた頃、

「今、家の前まで来ているんだけど」と電話が来た。



慌てて走って行くと、運転しているのは姪御さん。

そして、助手席にE姉さん、後部座席にはご主人が・・・・

「どうぞ・・・」と我が家へ案内しようとしたけれど

E姉さんの顔色が優れないし、何か病み上がりのような・・・・・

「体調悪いんじゃないですか?」と聞くばばに

「実はね、ある日、急に股関節が痛くなり、

鹿児島の病院で手術してもらい2ヶ月入院していたのよ。

退院してきて、まだ間もないし・・・・歩けなくなくなってしまって・・・」と。

どうりで・・・・今年になって、いつもなら会える場所へ行っても

E姉さんと全然会ったことが無く、気にはなっていた。

年明け早々、大変でしたねぇ・・・・

歩けないと言うことで、車の中から、ご香典を渡して下さり

「早く車を乗れるように練習しないとね」と言いながら

「帰って行かれた。



E姉さんご夫婦とは、親戚ではない。

住む集落も違う。

3年前だったかな?

毎日、野鳥の定点撮影に通うじじに、E姉さんのご主人が

豊作だからと、ドラゴンフルーツを下さった。

その後も、野菜とか果物を頂くことが何回かあり、

ばばも、お茶請けとか余分にある時は、

じじに言付け届けてもらっていた。

たったそれだけのお付き合いなのに、わざわざ体調が万全でもないのに

弔問に来て下さったEさんご夫婦。

じじとばばより、だいぶ年長でもあり、申し訳ないという気持ちでいっぱい。



E姉さんが手術をする前、「お餅を作ったから・・・・・」

「今日は、集落の行事で料理を沢山作ったから・・・」と

わざわざ自分でトラックを運転し、ばばの家まで届けてくれたE姉さん。

その後も、ずっと交流は続き、スーパーの前辺りで会うと

必ずE姉さんが先に気づき、声をかけて下さった。

いつの間にかまるで「親戚のおばさん」か、

「年の離れたお姉さん」のような存在になっているE姉さんだ。

ご主人も、温厚でいつもニコニコ、ばば達に話しかけてくれる。

ほんの2,3年のお付き合いだけど、

ずっと昔から知り合いだったような気がする。



じじがひょんな事から知り合った大先輩のご夫婦。

E姉さんが、又元気に車の運転も出来るようになると良いなぁ。

後しばらくしたら、野鳥観察がてら、

E姉さんと色々お話をしに行って来よう・・・・・・・・


行きたかったなぁ~

2015年06月14日 19時53分51秒 | Weblog
6月14日(日)晴れ

今朝、朝食準備のため階下に下りたら

テーブルの上に、何故か1円玉が2個。

昨夜、テーブルの上も片付けて2階に上がったはずなのに・・・・・

準備が終わって、じじを呼び、下りて来たじじに

「この1円玉2個どうしたの?」と聞くと

「ばばにあげるよ」だって。

何故?朝からばばに2円くれるの?

出所不詳の1円玉2個、まさか?

ばばが昨日1万1500円の鍵をプレゼントしたお返し?

まぁ、「あげる」と言うんだから、もらうことにしましたけど・・・・。



明日は15日。

毎月1日と15日に実家のお墓参りに行く姉とばば。

天気も気になるし、早くては良いだろうと

昨日、4時頃からお墓参りに行き

実家の周辺変わりはないか、見てきた。

長姉のお墓参りをしている時に、どこからか島唄が聞こえてきた。

お墓の近くの集落で、芸能大会でもしているのかな?と思った。

両親の墓参りをし、姉の婚家のお墓参りをしていると

島唄は、実家集落の方から聞こえてきた。

今の時間、何故島唄が?と思いながら

墓参りを終えて、実家集落への坂道を上がった。

上がりきり、右折すると実家へ続く道がある。

右折してすぐ左手に研修館がある。

右折する前ふと上を見ると、横断幕が掲げられている。

「上花徳豊年祭」と書かれていて、青空をバッグに揺れていた。

「きれい!」

車から下りて写真をパチリ。
豊年祭

姉が、しきりに研修館の方を指さすので見ると

「上花徳百笑村」と書かれている横断幕も。

それも、パチリ!

そして、研修館の方へ車を走らせると、

集落の方々が御神輿や車の飾り付けをしていた。



明日は豊年祭だと、

集落の方が昨日のフェイスブックに書いてあった。

集落の人口も減りつつある昨今、青年や小中学生の数も激減している。

でも、毎年、集落の方々が協力して、伝統行事を続けている。

「豊年祭」だから、農作物の豊作を祈りながら

又集落の方々の家内安全等も祈る行事となっているのだと思う。



今日は、何とか豊年祭を写真にでも収めて来たいと思ったが

母の喪も明けていないので、思い止まった。

来年でも、是非出かけて写真に撮ってこよう。

年々廃れ行く郷土の伝統行事。

人口減少、高齢化、継承者不足などなど、問題は山積。

でも、出来る形で、引き継いでもらって、ずっと続いていったら良いなぁ、

ふるさとの、昔ながらの色々な行事。



今日は「わっしょい、わっしょい」のかけ声も勇ましく

青年団や子ども達が担ぐ御輿が、

隣集落などを回るコースを練り歩いただろうな。

沢山の方々が、法被姿で参加しただろうな。

懐かしい「ふるさと、上花徳」。

離れて何十年も経ってしまったけれど、心の拠り所となっている。

「ふるさと」があるって、嬉しいし、ありがたい事だよ