烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

イラクサ

2006-04-12 23:42:53 | 本:文学
 短編小説は、長編小説とは違ってストーリーの「うねり」というものがない反面エピソードの「ひねり」のようなものがある。ちょうど海原の風景を眺めていて、全体の大きな波の運動とは別に、個々の波頭の輝きがあるように。
 この「ひねり」の重点がどこにあるかによって、短編小説の色調が変わる。事件の新奇性に重きをおく短編小説は数多くあり、これが重要だと説く人も多い。確かにそうだと思うが、これはあくまで短編の必要条件の一つだろう。これらは読んで「面白い」と感じさせる短編小説である。しかし読んで「うまいなあ」と唸らせる短編小説は、事件よりも登場人物の背景が見事に凝縮され小説の中に組み込まれている。ちょうど象嵌細工のように。
 今度手にした『イラクサ』(アリス・マンロー著、小竹由美子訳、新潮社刊)は、登場人物の彫琢が見事な短編集である。作者は1931年生まれのカナダ人で、表紙の解説には「短編小説の女王」だの、「世界でもっとも影響力のある100人」だのと賛辞が目白押しである。昨晩から読み始め、まだ途中であるが、重厚な読書時間を堪能させてくれる。
 出版社として売りたい気持ちが十分分かるが、この短編集を売るなら、帯や表紙の賛辞はもう少し控えめにしたほうがいいと思う。こういう小説だったら、きちんと評価してくれる人はちゃんと買ってくれます。これでもかという帯の広告はかえってそういう人たちを敬遠させかねない。脱線するけど最近は本にしろ映画にしろ宣伝コピーがやたら鼻につくような、あるいは歯が浮くようなものが多くて辟易する。これはたぶん本を「読む」人と宣伝文句を「売る」人が互いに交流していないというか、別々の回路を廻っているような状態ではなかろうか。
 この短編集はこっそり書棚に置かれて、じっくり読まれてというのが似つかわしいな。前半読んだところでは、私としては「恋占い」が絶品。

必要と欠乏を超えて

2006-04-10 23:45:28 | 本:哲学

 『カント政治哲学講義』の中でアーレントは、人間の社交性が人間の人間性にとっての目的ではなく、起源であることを指摘している。



 人間がただこの世界に属するかぎり、社交性こそがまさしく人間の本質をなすということである。この理論は、人間の相互依存を必要と欠乏(need and wants)のために仲間に依存することであると主張するような、他の一切の理論から根本的に一線を画するものである。


 私はあなたを何かのために必要とするからあなたを頼りにする。私はあなたがいないと困るからあなたにいて欲しい。確かにこうした欠乏から生まれる欲望もあるかもしれない。しかし欠けたものを埋めるために生じる欲望だけでなく、純粋に没利害的に生じる欲望もあるのではないか。これは水が不足していることから生じる渇感を満たすために生じる水への要求というような欠乏が駆動する生物学的な要求とは異なる。



 我々は他者の立場から思考することができる場合にのみ、自分の考えを伝達することができる。さもなければ、他者に出会うこともなければ、他者が理解する仕方で話すこともないであろう。我々は自分の感情や快や、利害を離れた喜びなどを伝達することによって、自分の選択を告げ、自分の仲間を選択する。


 うまく言い表せないが、欠如から生じる欲望ではなく、没利害的な他者の肯定という欲望に基づいた哲学をつくること、これが必要ではないか。なぜなら欠如を埋める対象を追い求める欲望は、決して満たされることはないから。それともこれは無駄な努力なのか。欠如した対象以外に欲望の対象は存在しないのか。


満開の桜とアーレント

2006-04-09 23:15:00 | 本:哲学

 特定の花に美しさを認め、その美しさの普遍妥当性を広く主張する能力を判断力として論じたのが『判断力批判』だった。これを審美的な能力に限定せず、政治哲学上重要な能力として捉え論じたのがH.アーレントだった。『判断力批判』につづいて、『カント政治哲学の講義』(法政大学出版局、浜田義文監訳)を満開の桜のときに窓辺で読む。
 彼女は個別的な判断を公共の認識として、多数のひとたちと共有していく上で、「自分の理性を公共的に使用する」ことが政治的自由の条件として重要であると強調している。美しさを互いに同じように認めることができるということと、異なった立場にある他者を認め合うことができるということが根柢でつながっているものだという指摘は斬新であり、私たちを力づけてくれる思想だ。
 この前提条件として欠かせないのが、言論と思想の自由であるが、カントは人が自分で考えたことを公にするという自由がそもそも欠かせないことなのだということを述べている。これをアーレントも重要視している。



言論や執筆の自由は当局者によって我々から奪われるということがありうるが、しかし思考の自由は当局者によって奪われることはありえない、と言われる。しかしながら、もし我々が、自分の思想を他者に伝達し、また他者もその思想を我々に伝達するような、そうした他者との共同体の中で思考しなかったとしたとすれば、我々はどれほどよく、またどれほど正しく、思考するであろうか。したがって我々は、人間からその思想を公に伝達する自由を奪う外的権力は、同時にその者の思考する自由をも奪う、と言っても差し支えないであろう。


というカントの洞察は実に鋭い。どんなに自由が制限されても自分で考える自由は最後まで残ると考えがちであるが、彼が『判断力批判』で示した普遍的伝達可能性が閉じられた世界ではそもそも自由な思考などできないのだ。
 どのような権利で自分がある考えをもち、その考えに基づいて行動するのかということをきちんと第三者に説明し、伝達すること、これがまずできなければならないし、説明者(権力者)は彼の行動が及ぶ人たちにその考えを納得してもらわなければならないのだ。独善的権力は最初からこの公共的伝達可能性に背を向けていることになるし、これを黙認することは私たちが思考する自由を結果的に狭めてしまいかねない非常に危険なことだろう。
 それにしても桜の美しさを共有することと根底的に関連していることなのに、これはどうしてこうも困難なのであろう。


カントの見たハチドリ

2006-04-08 09:18:36 | 随想

 『判断力批判』を読んでいて、ハチドリの美しさのことに触れられている(第十六節)ことについては昨日書いた。原著は未見ながら、岩波書店の『カント全集 第八巻判断力批判上』(牧野英二訳)には単に蜂鳥と書かれてあったが、岩波文庫の『判断力批判(上)』(篠田英雄訳)にはコリブリ[蜂鳥]と記載されてある。
 アマツバメ目Apodiformesハチドリ科Trochilidaeに属する約三百種余りの鳥を総称してハチドリと呼ばれており、属数も116に及ぶ。Doryfera(ヤマハチドリ属)、Androdon(ハバシハチドリ族)、Anthracothorax (マンゴ-ハチドリ属)、Eupetomena(ツバメハチドリ属)、Campylopterus(ケンバネハチドリ属)などなど多数の属の一つに上記訳書に出てくるコリブリColibri(アオミミハチドリ属)がある。
 ハチドリがヨーロッパ世界に最初に紹介されたのは、1555年のことで、フランスの博物学者アンドレ・デヴェの『フランス南対地珍奇物産』の中で取り上げられている。ハチドリはその美しさ故に乱獲され、18世紀にはフランスやイギリスに大量に輸入されたという。当時はフウチョウ(極楽鳥)とともに博物館の目玉展示物であった。1791年に発行された大英博物館の目録中にもハチドリが紹介されていることから、当時多くの人がこの南国の珍鳥を目にしたと思われる。
 カントは1724年生まれで、1804年に没している。『判断力批判』が刊行されたのが1790年だから、その前にハチドリの姿を目にしていたことになる。彼は1770年、46歳のときにケーニヒスベルク大学から哲学教授として招聘され、以後引退まで、この職にとどまっておりこの地でずっと生活していたから、博物図譜か剥製でハチドリを見たのだろう。
 『目の誕生』にもあったが、ハチドリの羽のきらびやかな美しさは光の干渉によって作られるいわゆる構造色によるものである。博物図譜の色彩ではこの色は再現不可能だから、もしカントが実物のハチドリの羽の鮮やかさを目にしていたとしたら、この考察にもさらに力が入ったのではなかろうか。


桜の美しさとカント

2006-04-07 10:54:38 | 随想

桜が今年も満開になった。桜の花を見上げながら
私は「美しいね」とつぶやく。
傍らに立つ友人も
「そう、美しいね」と返す。
この時私たち二人は言葉を交わすことによって何をしたのだろうか。

 一人が「この桜は美しい」と対象である桜を観察することにより陳述した内容をもう一人が「それは真なる命題である」と肯定したということなのか。ふつうの感覚なら正しくもあり間違ってもいるという感じをいだくのではないだろうか。確かに認識論的には正しいが、このコミュニケーションにはそれ以上の内容が含まれている。美的な判断だ。カントにいわせれば規定的判断のみならず反省的判断が関わっている。
 今ここで咲いているこの桜に、美しさという普遍を見いだすことである。この発見は私がいまここでなした主観的なものでありながら、同じ桜を見ている人と直ちに共有できる普遍的なものだ。見ていて心地いい、すなわち快を感じる。実に不思議なことだが「桜」という概念を知らない子供とでもこの感じは共有できる。カントはこれを「自由美」といっている。


 多くの鳥類(鸚鵡やコリブリ[蜂鳥]、極楽鳥など)や海中に棲む多数の甲殻類は、それ自体だ  けで美しい、そしてかかる美は、これらの動物のそれぞれの[特殊な]目的に関して概念的に規定されている対象に帰せられるのではなくて、自由にかつそれ自体だけで我々に快いのである(『判断力批判』一六節)。

 カントが指摘していることで重要なのは、この「共通感覚sensus communis」が文字通り誰にでも備わっているということ、そしてこの「ふつうなかんじ」が決して卑俗なものではないことを強調していることだ。彼はさらに共通感覚は知的判断よりもこの種の美的判断により強く結びついていると主張している(『判断力批判』;第四○節一種の「共通感」としての趣味について)。(言葉(象徴)によって表現される美とイメージ(想像)によって表現される美の快感(快楽)の差異というものは当然あるだろうが、ここではイメージとしての美としてまず考えたい)
 私が興味深いのは、カントがこうして例示している美しさが自然の中にある美だということだ。鸚鵡や蜂鳥などいかにも博物学時代らしい例が挙げられていて、これはこれでカントはこれらの生物をどこでどうやって見たのだろうかと想像することが楽しいのだが、より根本的なことは実際にヒトがこうした生物の美しさというものを生得的に認識できる能力をもっているのだろうかという興味である。年端のいかない子供でも生物と無生物の区別は直観的につけているようだし、花の美しさも直感的に知っているような感じがする。花を愛でてその美しさを分かち合えるということはほんとうに驚くべきことではないだろうか。


天才的技能

2006-04-05 23:55:08 | 随想

 天賦の才能は、それをもつ人間が駆使して対象を表現したり生み出したりするものであるが、それをもつ人はあたかも「自然に」生まれたものであるように振舞う。類まれな技術-芸術(技芸)は、既存の規則を機械的に適応して生まれるものではない。むしろその芸術が新たな規則を生み出す。その才能は、まさに自然からの贈与である。


 天才は、その作品を産出する次第をみずから記述したり、或は学的に挙示することができない、むしろ天才自身が自然として規則を与えるのである。それだからかかる所産の創作者は、この作品を自分の天才に負うているにも拘わらず、その着想がどうして彼のうちに生じたかを自分でも知らないのである。

 カントの『判断力批判』では、天才はもっぱら芸術を中心に論じられているが、こうしたことは芸術に限らず、スポーツなどにも関係しているだろう(もっともカントは「なんらかの規則にしたがって習得され得るものに対する生得の器用さのようなものではない」としているが、ここでは天才の定義をもう少し拡張してみたい)。天才的打者は、他者が手を出せない難球をやすやすと打撃し、ヒットを飛ばす。この過程を一連の規則で表現しつくすこと(「学的に挙示すること」)は、その打者本人にも不可能だろう。既存のコードに還元できないものがあることは、本人にとってもそれ以外の人にとっても確実だ。同じように鍛錬を積んでも皆が同様に達成できるわけではないからだ。だから天才的打者の打撃マニュアルというものがもしあったならば、自己撞着的だ。本人さえもわからない優れた技に私たちは、「神」的存在を感じる。だから「神技」と呼んでこれを讃える。それは「美しい」ものだ。
 ロボット工学技術が格段に発達したとして、そうした優れた打者と同じような打撃ができるロボットが作られたとしたら、私たちはそのロボットを天才と呼び、その打撃を神技と呼ぶだろうか。私たちがそうした人工物を造りだせるということは、その制御運動系をコンピュータのコードに還元できるということになるから、上の議論からいけばそれはいかに優れていても天才とは呼べないはずである。あくまでも天才の模倣者にすぎない。
 では私たちはそれを外から観察して区別できるか(人とロボットの外見的差異の問題ではない)。区別できるとすれば、できるということを説明しつくせるか。
 説明はできないけれど区別ができるということはありうる。生物と無生物をその区別を教わっていない子供でも直観的に区別できるように。模倣できない「自然な美しさ」というものを私たちはどうして直観的に感じ取ることができるのだろう。「神技」を天からの授かり物という純粋に無償の贈与だとどうして私たちは分かることができるのだろう。そしてなぜ同時にそれを美しいと直感することができるのだろう。天才ではない私たちが、こうしたことをできること自体も実に不思議な天賦の才能であるように思われる。


美しさという判断

2006-04-03 22:44:28 | 随想
 美的判断は、悟性による認識ではなく、美しいと判断する主観の感情であり、客観の概念ではないことをカントは、『判断力批判』で説いた。美はその形式により美しい。
 自然に存在する花鳥風月を私たちはだれに教わるわけでもなく美しいと感じることができる。花はそれが生殖器官として機能的に洗練された形態をとっているかどうかに関わらず、それ自体として美しい、と私は感じる。生物学的な目的とは無関係な根源的な美しさというものがある。これは生物学を教わってから感得する花の形態の美しさとは異なる。まったく主観的な判断であるにもかかわらず、この美しさは広く共有できることは実に不思議なことだ。

 カントはこれをア・プリオリな判断であるといったが、これは人間の神経細胞のネットワークの普遍的な布置を反映したものではないのか。言語は異なっても自然と言葉をしゃべるようになるのと同様に、表出の仕方に差はあっても自然と美しさを感じ取れるようになるということには、何らかの客観的な基礎があるはずだ。
 しかしもしそうした生物学的基礎があるとしたら、それはどのような仕組みで進化してきたのか。普遍的な美しさというものを感じ取れる能力をもつ個体は、それをもたない個体よりもより繁殖できたというのだろうか。個別的な美しさの判断能力であれば、あるいはそうかもしれない。それをすばやく判断できる個体のほうが、できない個体よりもより多くの子孫を残せたという可能性を想像することはできる。しかし美しさ一般というものも同様な形で進化的に獲得できるのだろうか。ありうることの一つは、個別性を超えた普遍性により判断がより柔軟になるという利点があるということではないだろうか。ある神経ネットワークの布置が普遍性をもたらすと同時に、そのネットワークの可塑性が普遍性を保証するのである。

 互いに異なった個体どうしが美しさという普遍を共有できること、互いのコミュニケーションを支えるものもこの可塑性を保証された普遍であるに違いない。地理的に隔離されていても、あるいはどれだけ時間的に隔離されていても美しさを理解できるというこの驚くべき能力には、神経組織の可塑性が関係しているはずだが、実に精妙なる技といわざるをえない。

暗い書庫の歴史

2006-04-02 21:48:18 | 本:歴史
 以前『物語大英博物館』(出口保夫著、中公新書)を読んだときに、リーディングルームのことが書かれてあったが、この閲覧室ができたのは1852年のことで、当時の主任司書アントニオ・パニッツィが立案したものであった。それ以前にあった閲覧室は、一つのテーブルに椅子が二十席並べられた貧弱なものであった。開設された1753年当時はまだ入室者が一日十人足らずであったということだから、そんな設備でも十分対応できたのであろう。開設してから百年の間に閲覧者が急増し、大増築となった。このエピソードについては、『本棚の歴史』(ヘンリー・ペトロスキー著、池田栄一訳、白水社刊)からの引用である(以下も同様)。
 この建築には丸三年がかかっているが、パニッツィは1851年に開催された大博覧会でハイドパークに建てられた水晶宮に使われた最新技術を応用しているそうだ。鋳鉄を力骨に使って作られたドームの書庫には床と同じ階に二万四千冊、閲覧室を取り囲む回廊の壁に四万冊の蔵書が収納されている。特に画期的だったのは、てっぺんに採光用の窓があったことのようだ。
 書庫というとだいたい暗いイメージがあるが、電灯がなかった当時は格段に暗かったようだ。しかも霧のロンドンでは冬は四時過ぎると窓からの太陽光は役に立たなかった。ガス灯の使用は1861年に検討されたそうだが、消防団から反対され却下となっている。
 1897年に完成した米国連邦議会図書館の書庫を設計したバーナード・リチャードソン・グリーンも電灯が一般化する前に設計建築にあたっているので、採光には苦労している。当時本棚で本を探すときに」はほとんど日光だけが頼りであったが、日光は「人間が依存しているものすべてのなかで最も不平等で不安定であり、太陽の位置や気象の変化に左右されやすいが、紫外線を含む太陽光線は同時に蔵書にとっては敵であり、「暗いほうが本にとってははるかによい」というジレンマに悩んでいる。しかし夕闇迫るロンドンの大英博物館の暗い書棚の間を、南方熊楠やマルクスが目当ての書物を探しながら徘徊している姿を想像するとなんだかわくわくしてしまう。
 確かに背の高い本棚を部屋に置くと当然光は遮られてしまう。著者が訪れたというイリノイ大学の数学図書館は、床板の床材に分厚いガラスを利用しており、「窓からの直接光がほとんど当たらない下のほうでも十分な自然光を得て、本を見つけ」られるように工夫されていたという。
 床にガラス板なんて、下から覗いたらなんていらぬ心配をしたら、「それと同時に、下の階にとっては天井でもあるガラスの床には、上や下にある物がはっきり見えないくらいの厚さがあり、波形模様がつけられていた。(そのおかげで、スカートやドレス姿の女性も安心して書庫に入ることができた。)」とすかさず書かれていて、ほっと安心した。この工夫もやがて廃れてしまうのだが、なるべくたくさんの書物を詰め込むということとなるべく明るく見やすくするという相反する二つの条件を折り合わせる努力が書庫に秘められていたというのは、電灯の恩恵を恩恵とも思わなくなっている現代では新鮮な発見だった。

 未読であるが、この著者は、『鉛筆と人間』(晶文社)や『フォークの歯はなぜ四本になったか』(平凡社)など技術史を中心に興味深い書物を著している。いずれ読んでみようと思う。

味覚という感覚

2006-04-01 22:05:34 | 随想

 おふくろの味ということばがあるように、味覚は幼い頃に刷り込みを受けた経験が長じてもその人の味覚の趣味に強く影響する。嗅覚と味覚は他の感覚(視覚、聴覚)と比べて、発生学的に古い神経との連絡が強いようで、より大きな情動を起こす。しかし生得的であるような印象にもかかわらず、可塑性はかなり大きく育った環境により容易に順応する。宇宙飛行をした飛行士や、オリンピックで長期遠征した選手などが日本に帰国した時に「味噌汁」や「刺身」を食べたいと口にすると、やはり日本人だと妙な同朋意識をもったりするが、幼い頃に他の味覚体験をしていれば当然それが「バタートースト」だったりする。日本人だったらやっぱり味噌汁というのは、環境による人間の可塑性を表現したに過ぎないものだ。
 江戸時代末期にアメリカに日米修好通商条約の批准書交換のために派遣された使節団は、饗応を受けた晩餐でそのバタ臭さには閉口したようだ。彼らはそれを「膏臭」と記している。しかし明治になってから西洋の味覚は瞬く間に日本の味として普及していく。この経緯は『明治西洋料理起源』(前坊洋著、岩波書店刊)に書かれている。意外と味覚の順応性は高いのだ。だから私は味覚に訴えるような日本人論は信用しない。
 また、この本ではいわゆる洋食屋が普及していったときに東京では店の名前に「養」の字をつけたものが多かったことを教えてくれる(精養軒など)。福沢諭吉も説いたように、牛肉や牛乳などの西洋人が常食していたものを滋養に富むものとして日本に導入普及しようという意図があったのだろう。明治天皇自らも牛肉を食しているが、ビフテキにも富国強兵の政治的意図が込められていたわけだ。明治以前から肉食の文化はあったとされるが、局所的な流通状態と違って、国家的規模で上からの普及がなされたという点が大きく異なる。



 「肉食ハ人体滋養之第一」、「牛肉ハ滋養第一の品」、「牛肉ノ滋養人身ノ健康ヲ助ルハ、衆人ノ知ル所」などと、「滋養」は権力御用達のことばだった


 現在でもさまざまな料理や食材が流行するが、味覚というかなり個人的に思える感覚もそのときの文化・食糧政策に大きく影響されるのだ。