烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

必要と欠乏を超えて

2006-04-10 23:45:28 | 本:哲学

 『カント政治哲学講義』の中でアーレントは、人間の社交性が人間の人間性にとっての目的ではなく、起源であることを指摘している。



 人間がただこの世界に属するかぎり、社交性こそがまさしく人間の本質をなすということである。この理論は、人間の相互依存を必要と欠乏(need and wants)のために仲間に依存することであると主張するような、他の一切の理論から根本的に一線を画するものである。


 私はあなたを何かのために必要とするからあなたを頼りにする。私はあなたがいないと困るからあなたにいて欲しい。確かにこうした欠乏から生まれる欲望もあるかもしれない。しかし欠けたものを埋めるために生じる欲望だけでなく、純粋に没利害的に生じる欲望もあるのではないか。これは水が不足していることから生じる渇感を満たすために生じる水への要求というような欠乏が駆動する生物学的な要求とは異なる。



 我々は他者の立場から思考することができる場合にのみ、自分の考えを伝達することができる。さもなければ、他者に出会うこともなければ、他者が理解する仕方で話すこともないであろう。我々は自分の感情や快や、利害を離れた喜びなどを伝達することによって、自分の選択を告げ、自分の仲間を選択する。


 うまく言い表せないが、欠如から生じる欲望ではなく、没利害的な他者の肯定という欲望に基づいた哲学をつくること、これが必要ではないか。なぜなら欠如を埋める対象を追い求める欲望は、決して満たされることはないから。それともこれは無駄な努力なのか。欠如した対象以外に欲望の対象は存在しないのか。