烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

情報と戦争

2006-04-17 23:32:46 | 本:社会

 ここまで進んでいたのか、こんなことまでできるのかというのが正直な感想だった。
 『情報と戦争』(江畑謙介著、NTT出版刊)を読んだときの感想である。考えてみれば、高度なIT技術というものには当初軍事目的で開発されたものが、後に民間産業に転用されたものも多いときくから、人の生死、国家の勝ち負けがかかる戦争に集中的に利用されるのは当然といえば当然である。
 ミサイルの先端に誘導装置を格納して、テレビカメラの映像とコンピュータに記憶された目標のデジタル画像とを比べて目標を識別し、ピンポイント攻撃をする技術などは聞いてはいた。しかし驚かされたのは個々の武器の高度IT化もさることながら、戦略自体が高度な情報ネットワークにささえられることにより、従来戦地に投下されていた物量よりもはるかに少ない量で同等あるいはそれ以上の戦争が遂行できること、ICタグなどの利用により兵站補給が万一に備えての補給を想定しなくてもよくなったことなど戦略自体の考え方に革命を起こしていることだった。
 また、敵味方のコンピュータネットワークを利用した情報戦略(諜報や撹乱妨害)も紹介されている。コンピュータネットワークのハッキングを行えば、例えばイラクのフセイン一族の銀行資産を消滅させることも理論上可能だという。果たしてそれは倫理的に許されることなのかという問いも自ずから生じてくる。戦争倫理というと殺しあうことにおける倫理を連想してしまうが、こうした情報倫理にも関係しているのだ。
 基本的なことなのに意外と難しいのだと思わされたのは、陸軍と空軍どうしといった共同作戦の遂行だ。



 ・・・空軍には所詮、陸上戦闘の実態はわかるわけはない、陸軍の連中は航空機の運用はまるで理解していないというような、お互いの専門性と相手の実情に対する知識の欠如からくる確執が生まれがちである。別の言葉で言えば、相手を信用(信頼)できない。階級の呼称や用語の違いなどから、隣の軍種がやっていることは、いっそうわかり難くなる。
 信頼ができない以上、情報の共有が難しい。ネットワークとは、そしてネットワーク中心の戦いとは、情報の共有と融合に他ならないのだが、互いに信頼していないと、すべての情報を提供しようとする気持ちにならなくなるし、(ネットワークから)提供された情報を信じない結果になりかねない。ネットワークを介して結んだ別の軍種の部隊が支援をしてくれるといっても、信頼がないと、それに期待することはせず、米海兵隊のように、自分のための独自の航空部隊を持とうとするようになる。これでは効率の改善は得られない。
 これは「文化」の問題である。ネットワークというものをどのようなもので、それによってどのような効率(戦闘能力)の改善が得られるかを理解できる「意識革命」が必要とされる。だがそれは容易なものではない。同じ者同士で群れるという、人間性(人間の特性)に関する問題だからである。


 ここまで高度化するとロボット化された戦士たちが戦うスターウォーズみたいな戦争を想像するけど、人間が関与する限り素朴な信頼の構造というのは、この世界でも重要なんだ。