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弱虫

ある一族

2006-01-12 11:58:57 | Weblog


 ところで、である。我が家から車で10分ぐらいのところに いまやイオングループとなった 撤退してフランスに帰った?はずの「カルフール」というスーパーがある。その横が中国製品主体?の家具 日用品チェーン「ニトリ」、その真ん前の「クランベリーモール」のために新しく作られたという「南町田」という東急田園都市線の駅の近くである。
仕事場の近くには「サティ」というやはり「イオングループ」の大型立体駐車場が威容を誇っております。別にどうでもいいことなのですが。
ふと 昨年暮のニュースで「セブン・イレブン」と「イトーヨーカ堂」の『セブン&アイ ホールディングス』が「西武デパート」と「そごうデパート」の『ミレニアム』を経営統合するという話を思い出して、なんとなくそんなことを考えてみただけなのでございます。(SEIBUの分割は誰のため?なんて)

 滋賀県出身の 朝鮮の王族のDNAを受け継ぐ一族を『プリンス』というのでございます。なんでもその辺を観光して歩いていると TAXIの運転手さんがちゃんと「ツ●ミさん」などと説明してくれるそうでございます。
一説によると「キング」のお葬式を朝鮮式でやらなかったために 今はこのような憂き目に遭っている(観光客談)とか申しておりました。本当でしょうか?
 そもそも 日本という国は神代の昔から文化人と言えば半島経由の方々でございました。ただ 太平洋戦争終結後は また違う形での進出が相次いだようでございますが。
もとより物資の調達なぞ できるわけもない敗戦日本人ごときが 闇市などで大儲けなどできるはずもないわけでございましょう。
いわゆる そういう人達はこの頃より流通に関しまして その強大な力を育み育ててきたのでございましょうか。

 と ある焼肉屋の女主人は、終戦後 戦前から工作員として日本に来ていたご主人を探しに、はるばる 日本に密入国して来たのだとといいます。
無事再開を果たした後は、何人かの日本人女性を働かせて バーの経営を始めたようにございます。どぶろくを造って売って とにかく稼ぎまくったようでございますれば、すでに 昭和20年代に800万円ほどで 豪邸をぶっ建てたそうにございます。
お子様の御入学に合わせて永住を申請したところ 逆に強制送還されてしまいますが、それにもめげず数年後には 母国の親戚に長男を預けて 再び旦那様のいる日本に密入国して来たと言います。そして 今度はホルモン焼き屋を開店し、以前ほどではないにしろ 10年ほど前 韓国経済がおかしくなった頃に ポンと400万円ほど送金できるぐらいには裕福でおられます。
この腰が低くて今は穏やかに見える在日韓国人の老女は、再来日してからはそれなりに苦労の連続であったとも言います。次男も生まれ 異国での生活も順風満帆に見えていた頃、夫に愛人がいることが発覚し、愛人である日本女性との間に二人の子供がいたということも 彼女に追い討ちをかけてしまいます。
 すったもんだの挙句、夫の愛人の子供を引取り 自分の子供と一緒に我が子のように育ててきたのです。
しかし 我が子同然に育てたはずの子供達は やがて実の母を慕って去って行き、そして 我が子である次男はやがて暴力団の関係者となり、覚醒剤に手を出すようになって 刑務所を出たり入ったりするようにもなってしまいます。
その上 そんな次男のためにと望んで韓国からめとったお嫁さんは、日本に来てから覚えたパチンコに 夫と共に明け暮れ、夫である次男の面倒を何も見ないし、孫のご飯もろくに作らない「ろくでなし」だったと 母は嘆いてみせるのでございます。
挙句に 次男は覚醒剤のせいで 若くしてお亡くなりになってしまいます。しかも そのお嫁さんは 夫が亡くなってからも、薬局で 頻繁に風邪薬を買い求めているそうにございます。風邪薬の中に覚醒剤とおなじ成分が入っているからでございましょうか。
南無~。

平和な国の平和な街、すべての人がいい人でも幸せなのでもない 豊かな国 NIPPON。


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