fáint・hèart

[ フェイントハート ]  
【feint h:(r)t】
弱虫

Italiano

2011-05-31 23:58:30 | Latin
 CARUSO / LUCIO DALLA   



反原発の日独伊三国同盟なんてのはどうだろう。いや 日本がその気ならだが・・。


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おふくろの玉子焼き

2011-05-29 01:50:18 | Weblog
      東京ガス CM 家族の絆・お弁当メール篇
      



なんて象徴的なタイトルなんだ、なんて 自分自身で感動している。いや お袋はまだ ブクブクと生きてるんだが、お弁当に こんな深い意味があったとは知らなかった。なにしろ 玉子焼きが毎日のように入っていた記憶しかない。それも 他の奴らより黒い。男子校だったから まだ救いがあったとも言えるが、その 醤油味の玉子焼きが嫌で嫌でしょうがなかった。砂糖と塩の玉子焼きにしてもらった時の嬉しさは今でも忘れない。ありがとう お母さん。
いやあ オール電化じゃなくて良かったな~。でも トイレだけはリモコンにしたせいで 停電のとき使えなかった。ちょっと後悔・・。
あと、高校で サッカー部のマネージャーをしてた娘が、いかにも日に焼けた坊主頭の男の子と 楽しそうに手をつないでるのを車の中から見かけたことがあったが、早速 妻に報告したら「あら そう、知ってるわよ」「いい子みたいよ」などと軽く一蹴されて、そっちのほうがショックだったかもしれん。

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インスピレーション

2011-05-07 22:27:08 | Latin
    INSPIRATION / GIPSY KINGS
    


二度あることは 三度ある。ま、今さらですけど・・。


―― ピーゼニク(元国務次官補代理のスティーブ・R・ピーゼニク)はヘンリー・キッシンジャー、サイラス・バンス、ジョージ・シュルツ、ジェームズ・ベーカーの下で政策プランナーとして仕事をした。ジョージ・W・ブッシュの選挙キャンペーンの仕事もした。彼の履歴は、過去三十年間以上に渡って、情報サークル内の最も深い部分を知る一人であることを示している。
 トム・クランシーの小説に出てくるジャック・ライアン、また1992年の映画「パトリオット・ゲーム」でハリソン・フォードが演じた登場人物は、スティーブ・ピーゼニクが下地になっている。
 2002年の4月、ピーゼニクはアレックス・ジョーンズ・ショーで、ビン・ラディンは既に「何ヶ月も前に死亡している」と語った。また、米政府は彼の遺体を政治的に最も都合の良い時に利用することを考えている、と語った。ピーゼニクは、1980年代初期にアフガンでソ連相手の代理戦争をしている時、ビン・ラディンと面会しているので、事態を良く知る位置にいたことになる。
 ピーゼニクは、オサマ・ビン・ラディンは、2001年に死亡した、と語った。「何か特別の作戦で殺されたのではなく、医者として私は、CIAの医者が彼を治療したことを知っていたし、彼がマルファン症候群の患者であったことは、情報名簿に載っていたことだ」と語り、米政府はビン・ラディンが死亡したことをアフガンに侵略する以前に知っていたと語った。
 マルファン症候群とは、変性遺伝子疾患で、治療する方法はない。この病気は患者の寿命を短縮するものだ。
 「彼はマルファン症候群で死亡した。ブッシュはそれを知っていたし、情報仲間では知られていたことだ」とピーゼニクは語った。CIAの医者が2001年7月にドバイのアメリカ病院に彼を訪問していたことを指摘した
 「彼はマルファン症候群のため重篤状態だった。彼は死につつあったと言える。おれで誰も彼を殺す必要性は無かった」と語り、ビン・ラディンは9月11日同時多発テロ直後にトラボラ渓谷で死亡した。
 「情報仲間あるいはCIAの医者はこの状況を報告したのかと言えば、イエスだ、間違いなくイエスだ」とピーゼニクは述べた。パキスタンの敷地内で殺害されたという1日の主張に対しては、ホワイトハウスから公表されたビン・ラディンを殺害する襲撃作戦のライブ画面の写真の件で、「一群の人々が座ってあたかも緊張しながら画面を見ているこの全体のシナリオは、ナンセンスだ」と語った。
 「これは完全なでっち上げだ。狂ったアメリカ劇場にいて信じ込まされようとしている・・・なんでまたこんなことを繰り返すのか・・・9年前、既にこの男は死んでいるのだ。何故、米政府は繰り返しアメリカ人を騙そうとするのか」とピーゼニクは問いかけた。
 「オサマ・ビン・ラディンは完全に死んでいるのだから、ビン・ラディンを攻撃したり対決したり殺すことなど出来なかったはずだ」と語り、冗談に、ただ一つの可能性は、特殊部隊が遺体安置所を攻撃したということはあったかも、と語った。
 ピーゼニクは、イカサマ攻撃を行うという決定は、オバマが支持率で最低になっていたからでまた、出生記録問題に直面していたからだ、と語った。
 「彼はアメリカ人以上にアメリカ人であることを示す必要性に迫られていた・・・彼は好戦的で無ければならなかった」と語り、また何百人ものパキスタン人を殺害した無人機プレデターに対するパキスタンで高まる緊張と反対世論を前に、そのパキスタンを孤立化させる方法として茶番劇が仕組まれた、と述べた。
 「これは仕組まれたものだ。つまり、皆で座ってシットコム(コメディ)を見ている時、ホワイトハウスのオペレーション・センターだが、ゾンビのような大統領が出てきて、9年前に死んでいるオサマ・ビン・ラディンを我々は殺(や)った、と我々に告げるわけだ」とピーゼニクは語り、これを「今まで聞いた中で、最大の嘘だ、つまり馬鹿馬鹿しいということ」と語った。
 ビン・ラディンを殺害した、という政府のアメリカ人に対する説明を「お寒い冗談」として否定し、ピーゼニクは、「彼らは、オバマは出来る男であると見せること、彼がアメリカで出生していないかもしれないという疑惑、彼の生い立ちに関するあらゆる疑問、かれの経歴のあらゆる不審な点などを否定し、彼は信用できる人物であり、それでこの大統領を再選させようと躍起になっていたのだ。それで再度アメリカの一般人が騙されるのだ」
 ピーゼニクの断言する、ビン・ラディンがほぼ10年前に死亡していた、ということは、多くの世界の国家元首らの間や情報専門家らの間では言われてきたことである。
 ビン・ラディンは、「アメリカ人を9月11日同時多発テロで扇動したと同じ方法で戦争を行うために利用されたのだ。ブッシュ(子)とチェイニーが生み出したテロの世界という物語を正当化するためである」とピーゼニクは指摘した。
 昨日のアレックス・ジョーンズ・ショーでのインタビューの間、ピーゼニクは、有名な将軍から直接、9・11事件は起きるに任せたもの(スタンドダウン)であり、偽旗作戦であり、そのことを暴露した将軍の名前を連邦大審問で証言する用意がある、と語った。
 「彼らは攻撃を行った」と語り、関係者の中で、ディック・チェイニー、ポール・ウォルフォウィッツ、スティーブン・ハドレイ、エリオット・アブラムス、コンドリーザ・ライスらの名前を直接係わった者たちとしてピーゼニクは語った。
 「これはスタンドダウンを呼ばれていた。偽旗作戦、アメリカ人を動員するための虚偽の宣伝・・・ウォルフォウィッツのスタッフのその将軍が私に語ったのだ。私は連邦委員会の前に出て、個人名を証言するつもりだ。そうすることで、この問題を明らかにすることができる」とピーザニクは語った。彼は、「ものすごく怒りに満ちている」と言い、「それが起きたことを知っていた」と述べた。
 「私は士官学校で、スタンドダウンと偽旗作戦を教えたことがある。それを自分の全ての作戦隊員に教えたのだから、アメリカ人に対して行われたことが何かを私は正確に分かったのだ」と彼は語った。
 ピーゼニクは、連邦裁判所で、9・11事件が内部犯行であるということを彼に告げた将軍の名前を暴露する意思があることを繰り返し述べ、「そうすることで、馬鹿馬鹿しい限りの9・11委員会でなく、我々がこの問題を明らかにすることができる」と語った。
 ピーゼニクは自分はリベラルではなくコンサベイティブないしはティーパーティーメンバーだと説明し、この国が何処に向かっているのか、ということについて深く憂慮しているアメリカ人だというだけだ、と語った。


http://rockway.blog.shinobi.jp/Entry/546/


もし 公表されたとしても 報道が為されなければ、ほとんどの人が知らないまま 終わってしまう話なんだが・・・
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